ワールドエンド・ゴーストバスターズ
ワールドエンド・ゴーストバスターズ
1
重い灰色の空が、淡い墨色に変わり始めた時刻。
ここに、世界の果ての公園がある。
支柱の折れたジャングルジム。鎖が錆付いたブランコ。横倒しになった滑り台。辺りには建造物がほとんどないため見晴らしは抜群に良く、砂嵐の少ない晴れの日には、折り重なるようにして倒壊した高層ビル群が、地平線に沿って延々と見える。近くに視線を転じて見れば、百年も前から打ち捨てられていたような自転車や、ガラスが全て割れ中に砂が堆積した自動車などがちらほらと点在していたりする。
ここは、世界の果ての公園である。
そこに今、少年がひとり居た。
ガタガタでボロボロな、放浪民でもまず寝床として使わないようなベンチに腰掛けている。年の頃は十二、三。何をするでもなく、ただ死に絶えた公園を眺めていた。
しばらくすると、強い風が出てきた。
微細な砂粒が舞い上がり、少年は目を覆った。
しばらくの間、そうやって風が収まるのを待っていたが、一向にその気配はない。それどころかますます激しくなってきてさえいる。
――まいったな。
このままでは家に帰れなくなるかもしれない。この辺りのエリアに電気が通っていたのなんて昔々のお話で、だから夜になると辺りは真の暗闇に覆われる。その上砂塵が残ったわずかな視界をも塞いでしまえば、それはもう簡単に遭難できるのだ。
今日は風も機嫌が良く、晴れ気味だし大丈夫だとたかを括ってこんな遠出までして、結果、こんな事態に陥っている。自分の浅はかさを後悔する。それにしても、
――どうしよう。
どうしようもない。こうなってしまった以上、ひたすらに風が通り過ぎるのを待つ他術はないのだ。
ひゅおぉぉぅ、と実際以上に寒々しい音が耳を聾する。砂嵐が吹きすさぶ。目を開けていられない。口もほとんど開けていられないので結構苦しい。顔や手などの肌の露出した部分に砂が当たり痛い。しかも寒かった。
そんな状態が十分近く続いただろうか。じっと目を閉じていたら時間感覚が狂い、一時間くらい経ったような気さえした。
絶え間なく、隙間なく吹いていた風が、唐突に止んだ。舞い上がっていた砂もやがて霧が晴れるように落ち着きを取り戻した。
ゆっくりと、目を開ける。
そこには、目を閉じる前と寸分たりとも違わない(ただし少々埃っぽくなってはいたが)世界の終わりの公園が、ただ殺伐と広がっていた。九割の安堵と一割の失望を感じ、一体何を期待していたのだろうと思いバカバカしくなって、少し笑った。
さきほどの反動のように、辺りは嘘のような静寂に包まれていた。静かすぎて耳が痛いくらいだ。その痛みを感じながら、そろそろ帰ろうか、と思う。また砂嵐が起こったら今度こそ遭難してしまうかもしれない。
――よし。
立ち上がって体中の砂を払う。髪をわしゃわしゃと掻き回して砂を飛ばす。口の中もじゃりじゃりするが、これは家に帰ってうがいをするまで我慢だ。
――帰ろう。
立ち上がり、伸びをしてから一歩目を踏み出そうとしたその時。
不意に、鋭い緊張感が背筋を駆けた。
――何だ、これ。この感じ。むずむずするというか、
これは、そう。
――視線、だ。
後ろから、『何か』に、見られている。
理解した瞬間、全身の筋肉が萎縮した。
まるで動けない。思考と体が切り離されたようだ。なるほど金縛りとはこういうものなのか、と頭の片隅では思っていたりする。
そんな状態の頭で真っ先に思いついた考えは『幽霊』という安易なものだったが、それは安易が故に確たる現実感と様々な妄想を伴って、光の速度で脳味噌を占拠した。
昔から親に散々聞かされてきた話を、自然と思い出す。
『――砂嵐の中から、幽霊は現れる。そして、幽霊に出会った者は、この世から消えてしまう』
砂嵐の日には外に出るな、という訓戒なのだろう。実際、旅慣れた放浪民でも少し大きな砂嵐で遭難してしまうことも珍しくないのだ。しかし、年が十を越えた今では、しつこく「砂嵐の幽霊」の話をする親のことを笑ったものだったが、今の状況では全く笑えない。
黒い恐怖が胸の一点に生じ、まるで癌細胞のように体中に染みていく。
視線を、感じる。
その視線を意識しながら深呼吸をする。頭を冷やす。
落ち着け、幽霊なんていやしない。
――そう、幽霊なんていない。
つまり、
――この公園にいるのは、人だ。
溜めていた息を、相手に気取られないよう、静かに、ゆっくりと吐いた。
得体の知れない恐怖は理性が回復するに従って徐々に沈んでゆき、かわりに浮き上がってきたのは具体的な脅威だった。
――一体、誰なんだろう?
こんなところに好んでやって来る物好きなんて、そういない。可能性として高そうなのはここをねぐらにしている放浪民。もしくは気紛れで立ち寄った強盗旅団? 一番最悪なのは人間の存在を感知してここまで来た殲滅機械化兵だ。だが放浪民ならとっくの昔にこちらに声をかけてきているだろうし、残忍な強盗旅団や、戦争中に受けた『殲滅せよ』という至上命令を今なお忠実にこなす機械化猟兵ならばとっくの昔にこちらを殺しているはずだった。ということは、こんなところに好んでやって来た物好き?
――一体、誰なんだろう?
思考が空転を繰り返す。
とにかく走って逃げるべきだ――そんな考えをすぐに思いつけないほどに、この時は混乱していた。
そしてそのことにようやく思い至り、今まさに走り出さんとした瞬間。
背後から声をかけられた。
「あの、すみません」
綺麗な声だなと、かなりズレたことを考えた。
走り出そうとしていた勢いそのままに振り返り、
そして、少年は出会った。
振り返った十メートルほど先、淡い墨色の空の下、この空虚な公園の片隅で、ひとり緩やかな風に吹かれて立っていた少女に。
黒くて長い髪だった。肌は対照的に白い。年齢は少年と同じくらいだろうか。砂色のマントを羽織り、少年が急に大きく動いたのを警戒してか、少し身構えて立っていた。しかしその瞳に脅えの色はなく、ただ冷静にこちら見つめているだけである。
ここいらでは見ない顔だった。断言できる。この十キロメートル四方の居住可能エリアに定住している人口は、僅か千人にも満たないのだ。少年と同年代の数となるともっと少なかったし、誰もが顔見知りだった。
まさか強盗旅団ではないだろうし、ましてや殲滅機械化猟兵などではありえない。こんな少女がたった一人で放浪しているというのもないだろう。ということは、つまり、
――一体、誰なんだろう?
視線を、感じる。少女がこちらを見つめて立っている。
「すみません、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
綺麗な発音と綺麗な声で、少女が再び話かけてきた。
「は、はい」
思わず答えてしまってから、一体どんなことを聞かれるのかと身構えた。命、身包みを寄越せという脅迫、恐喝の常套句か。それとも、哀れな私に恵んで下さいという請願、哀願の定型句か。
今から逃げられるか? くそ、どうする、どうする、どうしよう、
――どうしよう?
少年のカオスを極める思考をよそに、少女は質問を口にした。
「あなた、わたしのことが見えてるんですか? わたし、一応、幽霊なんですけど」
思考が回復するまでに、しばらくかかった。
2
そして、今。
世界の終わりの公園の片隅で、少年と少女は、ガタガタでボロボロなベンチに並んで腰掛けていた。
空はもう闇色に染まってしまい、辺りも随分暗くなった。今日はもう家に帰れないかもしれない――だが、今はそれどころではないのだ。
「本当に幽霊なんだ。凄いな、幽霊なんて、初めて見たよ」
少年が感心した声で言った。
「本当にわたしのことが見えてるんですね! うわあ、凄いなあ……。幽霊が見えちゃう人なんて、わたし初めて見ました」
少女は感嘆の声を上げた。
随分ズレた会話である。それというのも、この少女がちっとも幽霊らしくないことに問題がある。
ちなみに、この少女が幽霊であることは、少女に触れて――否、〝触れないで〟確認した。
少年の手は、少女の身体を呆気なくすり抜けたのである。
それを見た少女はきゃあきゃあとはしゃぎ、こちらの体に手を突き込んで貫通するのを見ては笑っていた。その笑顔はびっくりするほど普通の少女のもので、しかし彼女は紛れもなく幼い頃脅えたあの「砂嵐の幽霊」なのである。だから、もう少しらしくしてくれないとイメージとすり合わせるのに苦労してしまう。
「――ここに、何しに来たの?」
少年としては緊張の一瞬である。あなたを連れ去りに来ました、などと言われたら気絶する準備ができているくらいだ。
「はい?」
少年の身体に自分の手を突っ込んで遊んでいた少女(シュールな眺めだ)は、こちらにくりっという感じで顔を向けた。その顔の距離に少年は少し怯む。少女はそんな少年の反応を気にも留めず、少し首を傾げ、お仕事です、と答えた。
「し、仕事?」
思ってもみなかった答えに少年は思わずおうむ返しに聞いてしまった。
「そうです。お仕事です」
「仕事って、どんな?」
幽霊が仕事をするなんて初めて聞いた。
「えっと。お友達と一緒に、この近辺の調査のために派遣されてきました」
「お友達、って。君以外にも、その、幽霊がいるの?」
「はい。わたし以外に二十六人います。みんな、とても良い人たちですよ」
少女はにこにこ笑ってそう言った。派遣された、ということは派遣したものがいるのだろう。幽霊も組織を作ったりするらしい。しかし、二十六人って。多いな、おい。それに調査って、何の調査なんだろう? 他の人(?)たちは何処に?
「はい。このエリアがわたしたちにとって居住可能なのかどうか調べるのです。お友達は別の場所の調査に向かったのです」
へー、と流そうとした所で、少年は気付いた。
「今、まだ質問してなかったのに……」
少女は、あ、と口を開け、それからとてもすまなさそうな顔になって、
「すみません……」
「いや、謝られても。――ねえ、ひょっとして人の考えてることが分かるの?」
少年が訊ねると、少女は俯いたまま、
「ええ。私、幽霊ですから……。彼我の自己定義境界線〈バウンダリー〉が薄いので、思考の表層に触れることができるんです。すみません、わたし、未熟なので、たまにこういうこと……。ご迷惑をおかけして、本当になんて言ったらいいのか……」
放って置いたら永遠に謝罪を続けそうな勢いの少女に、少年は慌てて、
「いや、いいんだけど。幽霊って便利だね」
と言った。少女は俯いたままだ。便利って言い方はまずかったかな、とにかく質問をして誤魔化そう。
「え、えーと。幽霊でも住めない場所とかあるの?」
幽霊ならばどこにでも住めるんじゃないだろうか。もう死んでるんだし。
「はい。存在します。残留思念〈レムレース〉濃度が一定値以上だったり、放射線、有毒ガス、攻性の細菌等が存在しても住めません。人間だった頃の感覚を大部分引きずっているので、幽霊でもそういうのは勘弁御免なのです」
少女は質問に律儀に答えてくれた。何だか難しい言葉を多用してくる。
「れむれーすのうど、って?」
「残留思念〈レムレース〉濃度というのは、その空間にかつて住んでいたり、現在住んでいたり、いずれ未来に住むであろう人たちの記憶、感情等の集積率の多寡のことです。わたしたち幽霊はもう死んで、残っているのは精神と純粋情報体〈インフォルミン〉だけですから、そういったモノに影響されやすいのです。だから残留思念濃度が低いと、わたしたちにとっては住みやすいわけです」
少女は淀みなくすらすらと答えた。この年で調査団に選ばれるだけあって、物知りなのだろうか。それとも見た目が少女というだけで、実は何十年も生きて(死んで?)いるとか。幽霊だし。
「わたし、そんなに年寄りじゃ、ないです」
少女は少し拗ねた表情で言った。……また思考を読まれた。が、少女は気付いていないみたいなので、少年は黙っておくことにする。
「それで、調査してもし住めそうだったら、ここに住むの?」
近所に住む者としては気になるポイントである。文字通りの〝ゴーストタウン〟を造ったりするのだろうか。
「はい。このエリアが居住可能と判明したら、みんなでここにお引越しして来ます。その時は宜しくお願い致します」
少女がぺこりと頭を下げ、
「はぁ。こちらこそ」
少年もつられて頭を下げた。この子みたいな幽霊ばかりだったら別にお隣になっても構わないな、と思った。少なくとも隣家の口うるさいおばさんよりはだいぶマシに違いない。
「そこで、恐縮ですが質問があるのです。ここ一帯で人が住んで居る場所を教えて欲しいのです。調査のためなので、できるだけ細かくお教え頂くと助かります」
「うん、いいよ。えーとね、まずここからハイウェイ跡に沿って真っ直ぐ南に行くと――」
少年の説明を、少女はふむふむと言いながら熱心に聞いた。時折、マントから出したメモ帳(紙媒体を少年は初めて見た)に何やら難しい顔をして書き込んだりしている。
「――この近くの集落はこれくらいかな。後は大分離れるけど、ここから東に三百キロくらい離れたところに、都市があるんだ」
少女は目を丸くして、都市ですか、と裏返った声で言った。
「そう。知らなかった? 結構有名なんだけど。『崩壊』前の自給自足ドームが丸々残っててさ、百万人くらい住んでいるよ」
少女は、驚いた顔のまま、ひゃくまんにん、と言った。
少年は、そんな少女の様子を窺いながら、
「ねぇ、こっちからも質問していい?」
何やら難しい顔をして考え込んでいた様子の少女は少年の言葉にびくっとして、
「えあ? は、はい。どんと来て下さい!」
少女は薄い胸を張ってやたらと元気に答えた。
「残留思念濃度、だっけ。それが高いと幽霊は住めないんでしょ? なのに何でわざわざ濃度の高そうな、人のいる場所に住もうとするの?」
「はい。ええとですね、人工集中地域はたくさんの残留思念を放出しますが、また残留思念を良く吸収・蓄積しもするのです。よって人口集中地帯の近辺は残留思念のポケットができます。わたしたちはそこにコロニーを形成するのです」
ふーん。幽霊には幽霊の理論や理屈があるようだ。
「じゃあ、もし住むにしても人口が多い、例えば東の都市の近くとかがいいんだ」
「はい。そうです。でも、わたしはここが――」
「何?」
少年が問い返すと、少女は顔を赤くして俯きながら、やっぱり何でもないです、とぼそぼそと答えた。
――?
少年が怪訝な顔付きをしていると、少女は顔を上げ、取り繕うような笑みを浮かべて、
「このエリアは残留思念レベルが低く、住みやすそうです。わたしたちの仲間がやって来た時はよろしくお願い致します」
「うん。楽しみだよ。君みたいな幽霊ばかりだったら賑やかになるだろうし」
その言葉を聞くと、少女はまたまた顔を赤くした。そして消え入りそうな声で、
「……あの、あなたのこと、もっと教えて頂けませんか?」
と言った。
3
全くの他人と、これほど沢山の話をしたのは、生まれて初めての経験だった。
少年は沢山の話をした。
家族のこと。友達のこと。隣のおばさんが口煩いこと。
先日『東』からやって来た商人が運んで来た珍しい品々のこと。そして一緒にやって来た放浪民から聞いた都市の話のこと。
砂嵐が最近多くてあまり外に出られないこと。
この公園はお気に入りの場所で、時折ベンチを補修したりしていること。
将来は色々な場所を旅してみたい、旅に出たらまずは東の都市にも行ってみようと思う等々。
何かに憑かれたかのように喋り続けた。
少女はにこにこと笑いながら話を聞いていた。
少女の話も沢山聞いた。
二十六人の仕事仲間たちの失敗談や成功談、今まで少女が訪れた世界の様々な場所。
その場所で出会った様々な風景、人々、または様々な幽霊たち。
悲喜交々の沢山のお話。
その一々に少年は笑い、驚き、胸を高鳴らせた。
楽しい時間は瞬く間に過ぎて、辺りは真っ暗になり気温も下がったが、少女が小型の照明と暖房器具をマントの中から出したので助かった。
幽霊の使うものなのに大丈夫? と聞いたら、プラセボ思念波がどうとか仮想分子アクセラレータがどうのといった良く分からない単語で説明してくれた(メモ帳とこれの格差は一体何なのだろう?)。
「――それでさ、」
少年がなおも話を続けようと口を開いた時、急に少女がそれを遮って、言った。
「すみません。お時間です。わたしはもう行かなくてはなりません。あなたと有意義な時を過ごせたことを、わたしは大変喜ばしく思います」
「え……。もう、帰るの?」
「はい。ただ今お友達から連絡が入りまして、近辺の調査が全て終了したそうです。わたしはもう行かなくてはなりません」
「……そう、なんだ」
「お話、有り難うございました。わたし、とっても楽しかったです」
「どこまで行くの? できればそこまで送るよ」
「――御厚意は大変嬉しいんですけど、もうわたしのお友達は近くまで来ています」
そう言って、少女は公園の入り口付近を指差し、少年はその指につられてそちらを見て死ぬほど驚いた。
一、二、三、……。総勢、二十六人の男女が、そこに横一列に整列していたからだ。少女との会話に夢中だったからか、全く気配を感じなかった。
「それでは、さよならです」
少女は泣き笑いのような表情でそう言うと、公園の入り口に向かって歩き出した。
少年はただ見送った。
だがその背中を見つめているうち、胸の中にどうしようもない衝動が湧き起こり、その衝動に突き動かされて、少年は知らぬうちに叫んでいた。
「――待って! 一緒に連れて行って!」
公園と外の境目で、少女の足が止まった。
振り返り、
「いけません。あなたはこれ以上わたしたちに関わらない方がいいです」
「何でさ!」
「わたしたちは幽霊で、あなたは人間です。この差は埋まらないし、埋められないし、埋めるべきではありません。わたしたちは幽霊なのです。……そして、あなたは人間なのです」
「そんなの関係ないよ! そうだ! ねぇ、調査なんか止めにして、友達と一緒にここで暮らそうよ! 集落にいる人たちにも幽霊が見えるかも知れないし、寂しく無いと思うよ! ねぇ!」
無茶なことを言っているとは、分かっていた。だが、止められなかった。何か心の奥のものに突き動かされてただ叫んでいた。彼女を行かせたくない。そう思った。
少女は、何かに耐えるような顔をしている。背後の二十六人の幽霊は、ただひらすらに無表情だ。
「無理です。わたしたちには課せられた使命があります。使命は、遂行されなければなりません。あなたたちとわたしたちは、相容れない存在なのです」
何かに抗うように首を振った少女は入り口に向き直り。
そして、少年は、衝動のままに言った。
「行かないでくれよ! 僕は、僕は君のことが好きなんだよ!」
『警告。対象の自我発露を確認。危険。残留思念〈レムレース〉総量既定値をオーバー。即時撤退を勧告。
警告――』
無意識下で凍結させられていた戦術支援コンプレックスが、無慈悲な声で告げる。
少女の動きが、止まる。
少女の頭の中に何か熱いモノが流れ込んでくる。
「最初に見た時から可愛いなって思ってた! 物知りだし、僕と同じくらいなのに他人のために働いてるなんて凄いって思った。だから、幽霊とか人間だとか、そんなの関係ない! お願いだ、連れて行ってくれ!」
少女は、少年に背を向けたまま立ち尽くしていた。
だが、唐突に体が傾いで、少女は砂だらけの地面に倒れ込んだ。少年が驚いて駆け寄ろうとしたのを、少女の一喝が制した。
「来ないで下さい!」
少年は驚いて立ち止まる。だが、それは声のせいだけではない。
少女が、荒い息を吐きながら身を起こした。その口許から、紅いモノ――あれは、血?――が一筋零れているのが見えた。それに気付き、少女は口元を拭いながら、
「……分かったでしょう。あなたの発する強い感情が、周りの残留思念を引き寄せたのです。これ以上残留思念レベルが高まれば、わたしは精神崩壊を起こして、死んでしまいます」
「あ、で、でも……、」
「仕方がないのです」
少女は、噛み締めるように言った。
少年はしばらく惚けたように立ち尽くしていた。だが。
やがて、
「あ、あ、あぁぁぁぁああ…………ああああぁぁぁああぁぁあああああぁぁぁぁああああ!!」
うずくまり、悲痛な鳴咽を上げた始めた。
「うぐっ……!」
少年の感情が高まり、それに惹かれて周囲の時空間に蓄積されていた残留思念が次々とこの公園に流れ込み、容赦なく少女の精神を揺さ振る。
『警告。危険。レベル八の感情フレアを確認。残留思念総量計測不能。即時撤退を強く推奨。対象の自爆の可能性極めて大。
警告。警いいいこここくくく警告危危けンあレああフレアぁあああああああぁぁ即即時てててててぁぁぁぁぁあああぁぁぁあ!』
ニューロンと融合したナノマシン群が不調を来たしている。それは、つまり少女の脳が深刻なダメージを受けつつあるということだ。
――いけない、これ以上は、もう。
口から、鼻から、耳から、目から、血が溢れ出てくる。逃げようとしても、残留思念の奔流に当てられて、体が動かない。
少年の慟哭は続く。
だめ だ
もう
意 識 が
その時。
二十六人の幽霊が、機械のように一斉に動いた。
二十六人の幽霊は、機械のように一斉に腰から銃のようなモノを抜き放ち、
機械のように一斉に少年に標準をひたりと合わせ、
少女がそれに気付き、叫び、
「……! だめぇ! 撃たないでぇ!!」
撃った。
ありえない速度、ありえない軌道で、必殺の弾丸が飛ぶ。着弾と同時に音のない爆発が起こり、視界が真っ白になって、不可視の力が少女を包み、
そして――
「――――!」
少女は呆気なく意識を失った。
4
「隊長、体調どうっすかー? なんちゃって」
「アーサー、寒い洒落言ってないで、さっさと薬取ってよ」
「わーってるよ、エリザベス。かりかりすんなよな。ったく、さてはお前、生理か?」
「……………」
「ほ、ほら、薬。謝るから頼みますからそんな顔しないでくださいごめんなさい許して」
「よろしい。……はい、隊長。我慢して下さいねー。お注射ですよー、ちくってしますよー」
「はい。お手当て、ありがとうございます」
「いえ、私はほとんど何もやってませんよ。シーザーとジャックが良くやってくれました」
「そうですか。後でお礼を言わないと」
「あ、俺も俺も」
「あんたは何もやってないでしょうが」
――漆黒の夜が明け、淡い灰色の朝が来た。
ここは、世界の果ての公園である。
正確には、残留思念〈レムレース〉の巣窟となってしまった公園から少し離れた場所に張った、仮設テントの中だ。
にわかに入り口付近が騒がしくなり、数人の男女ががやがやと狭いテントに入って来た。
「ああー! 隊長ぉ。意識戻ったんですねぇー。良かったぁー」
ベルリンがのんびりと叫び、
「いやはや、本当にね。いやはや、手を出すなって言われたからあんなところに突っ立てたけどさ。いやはや、まさか感情爆発が起きるとはね」
フォーカスが首をしきりに振りながら嘆息し、
「隊長殿、これ以降厳に無茶は慎んで頂きたい。部隊を預かる責任者としてもっと自覚を持って――」
ウィリアムが堅苦しく口を尖らせ、
「そうですそうですその通りです! 御主の身にもしものことが起きたなら、私は後悔と絶望とその他諸々のあれこれでこの身を焦がしていたことでしょう! ええ!」
マルチプルが大仰に叫び、
「でもあのレベルの感情フレアに装備無しで耐えるなんて、さすが隊長っすね。感動っす」
ツァラトゥストラが感に堪えぬ様子で頷いていた。
「――あんたたち静かにしなさいよ。隊長は病人なのよ」
エリザベスが呆れて言った。
「わたしは大丈夫です、エリザベス。――他の皆さんはどうしたんですか?」
「はっ。我々を除く対思念体殲滅機械化小隊〈アルファベッツ〉は現在、先の感情フレアに当てられて現象化した複数の低俗思念体〈ラルヴァ〉と交戦中であります」
堅苦しくウィリアムが答えた。
「それにしてもさっきの思念体、凄かったすね。自我発露して感情爆発でどかーんって。
あれ、ただの残留思念の低レベル集合――幽霊みたいなもんじゃなかったんですか?」
ツラトゥストラが質問する。
「太ぇ野郎だよな、隊長に告るなんて」
アーサーが口を挟み、そういう問題じゃないだろう、と周り全員から突っ込まれた。
「アーサー、あんた暇なら外で戦ってきたら?」
エリザベスの半眼の忠告を、アーサーは一蹴した。
「はっ、誰があんな小物ども相手にするかよ。それより、隊長。さっきの奴の説明してもらいたいんですけど」
全員が少女に注目する。その視線を受けて、少女は数度瞬きをしてから、語り出した。
「はい。――えーとですね。砂嵐で皆さんと離れてしまったから単独調査をしていて気付いたんですが、このエリアは思念体の集合特異点がかなり多いのに、残留思念濃度が通常値を大きく割ってたんです」
「つまりぃ、辺りの残留思念をー、吸収している思念体がいたってことですねぇー?」
間延びした口調でベルリンが言った。
「はい。そこでわたしは分布の偏りからこの公園を見つけだしました。
――非常に驚きました。あそこまで完璧に人間の外見を模写している思念体〈ラルヴァ〉は初めて見ましたから。しかも最初からある程度の整合性を持った、高度かつ複雑な知能と記憶も持ち合わせていました。恐らく、この近辺で思念体に襲われるなり、砂嵐で遭難するなりして死んだ人間の強固な残留思念を核として誕生したのでしょう。非常に稀なケースです。
装備なしの生身の人間――わたしです――が近づいても、ほとんど悪性思念波による影響を受けなかったとこらを見ると、発生からまだあまり時間が経過していなかったようです。
それに、漏れ出ていた思考で一度も一人称を使わなかったし、自分の名前も意識に上らなかったので、自我は発露していないと分かりました。
つまり、高度な知恵があり珍しいというだけで、通常の低俗思念体〈ラルヴァ〉――俗に言う幽霊――と基本的には同レベルだったわけです。
そのせいで、『彼』を観察していたわたしは油断してしまいました。
恐らく『彼』にとっても無意識のうちに、近づいたわたしは精神侵蝕を受け、『彼』に強制的に好意を感じさせられ、様々な知識を提供させられたのです。勿論わたしにはこういう事態に備えて精神に機密プロテクトが掛けられているので『彼』に語った内容はほぼでたらめなのですが」
そこで少女は軽く息継ぎをした。
「そう言えば、御主。何故さきほど御自身のことを幽霊呼ばわりされていたのでしょうか」
マルチプルが質問する。
「それも精神侵蝕のせいです。『彼』は自分のことを『生きた人間』であり『このエリアに住んでいる』と認識していました。よって、わたしはその認識に破綻が起きないように振る舞わなければならなかったのです。
実際のところ、ここ近辺のエリアは思念体の集合特異点だらけでもう十数年も前から人は居住していませんし、殲滅機械化猟兵のことも『人間を狩る』と認識していました。『彼』が語ってくれた『人間が住んで居る場所』も全て思念体の分布図と一致します。
――『彼』の中では、思念体と人間が入れ替わっていたんです。
後は、知っての通り。他知性体との会話という刺激によって、等級を急速に発達させるのは思念体の得意技です。『彼』は自分がわたしとの会話で十分に成長したと認識しました――もちろん無意識のうちに、ですけど――。その隙に精神侵蝕が緩み、わたしはあなたたちに思念波通信を送り、脱出を試みました。
しかし、それを察知した『彼』にまた侵蝕を受け、わたしはあなたたちに手を出すなと命令したのです。それでも、わたしは可能な限り精神侵蝕に抵抗しました。けれど、それが余計に『彼』を刺激し、結果、自我発露を促して、辺りの残留思念を呼び寄せたのです。
恐らく、自爆しようとしたのは『生者を逃すなかれ』という思念体の強力な本能からでしょう。皆さんの撃ってくれた結界弾のお陰で助かりました」
少女の話を聞き終え、各々が何かを深く考えるように沈黙した。
「……その事なんですがね、隊長」
その沈黙の中、アーサーが代表するかのように口を開いた。
「はい」
少女は、静かに返事をする。
「俺たちが撃ったのは、感情フレアに対抗する為の結界弾なんかじゃ、なかったんですよ」
アーサーもやはり静かに、淡々と答えた。
「…………」
「俺たちはあの思念体〈ラルヴァ〉を自爆前に消滅させようと殲滅弾殻を使ったんです。余波で隊長が怪我を負うことは理解していましたが、何せ緊急事態でしたから」
「…………」
「隊長を守った結界は、俺たちの仕業じゃありません」
「――知っていましたよ」
少女は微笑みを浮かべそう言った。アーサーは怪訝な面持ちになり、
「隊長――?」
何かを質問しようとしたその時、不意にテントの外が騒がしくなった。
〈アルファベッツ〉小隊の残りの面々が、思念体の掃討を終え帰投して来たのだろう。一目隊長の元気な姿を見ようと、どやどやと入り口に隊員が詰め掛けてきている。
「ちょ、こらっ、あんまり押すと――!」
エリザベスの悲鳴。それに続いて二十六体と一人の悲鳴が起こり、
そして、どどどどど、という音と共に、仮設テントは物の見事に倒壊した。
――ここで、彼等について少しばかり補足をしよう。
西暦2200年、〝あの〟サルベージ計画は、物の見事に失敗した。
『天使〈アズライール〉』から溢れ出た、超高圧縮された魂は地球全土を焼き払い、後に残ったのは、ただひたすらに続く廃虚と、砂塵の荒野。
そして、思念体〈ラルヴァ〉と呼ばれる『幽霊』たちだった。
溢れ出た思念体の推定存在数は、およそ八百万。だがすぐに生きている人間を食らって等比級数的に増えていった。
思念体は、戦闘地跡の残留思念レベルの高い場所で発生する、疑似自我を持った、歪つな疑似生命体だ。群れで人口集中地帯の側の特異点に住み着き、アリやハチに似たコロニーを形成する。その過程で人の精神に有害な悪性思念波を撒き散らし、人を壊してしまう。
そこで生き残った人類は対処療法として、思念体を狩るために、百年前の戦時中に開発された対人殲滅機械化猟兵を、『天使』を解析して得られた技術を用いて改装した。
西暦2215年現在、対思念体殲滅機械化兵の総数は、約88万体。
毎日毎日、人間のためにかつて人間だった幽霊を狩り続ける、陽気な元人間のサイボーグたち。彼等によって世界は滅亡の淵で踏みとどまっている。
〈アルファベッツ〉小隊も、そんなありふれた機械化猟兵たちの一部である。
隊長が人間であることを除けば、だが。
〈アルファベッツ〉小隊の隊員たちは、何故我等の隊長が、幾ら強力な精神感応能力者とは言え、こんな年端もいかない、しかも残留思念の影響をもろに浴びる生身の人間の少女なのか、その理由を知らない。
知らなくともよいのだ。
彼等にとっては、ただ彼女はそれこそ機械顔負けに頭が良くて、誰よりも仕事ができて、そのくせそそっかしくて目が離せない存在であるということ。
それだけで十分なのである。
「さて、隊長。体が回復したら、次は何処のエリアに行きます?」
ようやくテントを立て直し、アーサーが疲れた様子で声をかけてきた。
「そうですね……」
中央から送られて来たデータを参照するが、あまり緊急を要する地域はないようだ。
そこでふと、『彼』の言葉を思い出した。
――ここから東に三百キロくらい離れた所に、都市があるんだ――
楽しそうな笑顔で。
色々な話を教えてくれた。
様々な話を聞いてくれた。
全くの他人と、あれほど沢山話をしたのは、生まれて初めての経験だった。
いつか、色々な場所を旅したいと、言っていた。
そして、まずは東の都市に行くのだと、言っていた。
例え、利用するためだけに偽っていたのだとしても。
例え、植え付けられた紛い物の気持ちだったとしても。
それでも――
「東に、行きましょう。前代未聞、思念体による百万規模の『都市』があるそうです」
少女がそう宣言し、
『アイ・マム!』
世界の果ての幽霊退治屋たちは、力強く応える。
少年は少女と出会い、少女は少年と別れる。
そして、別れた後にも、少女は少年を想う。
……最後の爆発の時、彼が守ってくれたことを。
……最後の間際の時、彼が笑ってくれたことを。
全てを。
少女は別れた後にもなお強く、失われたモノを想うのだ。
例え、利用するためだけに偽っていたのだとしても。
例え、植え付けられた紛い物の気持ちだったとしても。
それでも――
わたしも、あなたのことが好きでした。
World End Ghost Busters! is the End.
あとがき
というわけで、ワールドエンドゴーストバスターズなのでした。如何でしたでしょうか。
当作はデータとして存在する居石信吾が書き上げた最古の小説です。これ以前の物は散逸してしまい歴史の闇へと消えました。よくもそんな古臭い作品を臆面もなくお出し出来るなこの野郎。いやでも十年ぶりくらいに読み返してみたら意外と面白いんじゃね? いけるんじゃね? ってなってこうしてnote上にアーカイブ化した次第です。臆面なんて捨てろ。
ボーイ・ミーツ・ガールなSFが魂のレベルで染み付いているなあと改めて思いますね。そして流石に文章がぎこちない。なんか過去作で初めて成長の跡みたいなものを感じとれました。
本作は既にnote上で公開してある拙作「ソウルフィルド・シャングリラ」と共通する世界観を有しています。というかまあソウルフィルド・シャングリラの方がこっちの世界観を基に書かれたのですね。この世界の年表とかまで作りましたよ確か。
このお話は確か、かつての2ちゃんねるの創作文芸板だかにあったスレで行われていたコンテストに投稿するために書いたものだったような朧気な記憶があります。初めて「他人に読んでもらう」ことを意識して書き上げた話であることは確かです。コンテストの結果はどうだったかは覚えていませんが、覚えていないということは即ち敗北したのでしょう。面白いのになあ。
まあそんなわけでワールドエンドゴーストバスターズなのでした。貴方に少しでも面白いと感じて頂けたら、コンテストで負けて恐らく悔しがったであろう当時の僕も報われます。
ここまでお読み下さりありがとうございました。それではまた。