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循環する循行者の物語
果てなく続く円盤世界。軸方向には沈まぬ太陽。縁方向は永久の夜。生存可能域〈ハビタブルゾーン〉に棲む人種は様々。その表面は巨視的に見れば非常に滑らかだが、微視的には巨大な山脈や渓谷、そして何より延々と都市状構造群がびっしりと屹立していた。
凡そ10万年前に創られたとされる円盤世界だが、現在では小世界〈リージョン〉間を繋ぐ連絡機構は寸断され、孤立した各リージョンは断片世界〈シャード〉と呼ばれている。
僕達はそんなシャードを渡り歩く一団だ。宗教団体であり、商人であり、技術者である。僕達は自分の起源には余り興味を抱かない。ただひたすら旅を続け、記録し、教えと物品を広める。恐らくそういう種族特性なのだろうが、学者個体の説によれば我々はこの円盤世界の多様性維持系の一部から進化した種ではないか、との事だった。
そうやって、僕達はあらゆる場所へと旅をした。誰も見たことが無いような物を全て見てきた。
全滅の危機に陥った事もあったし、仲間を新たに加える事もあった。
これから記すのはそんな僕達『循行者〈サーキュレイター〉』の行動ログの一部である。
log.18
僕達は宗教団体だ。信仰の対象は円盤そのもの。円盤教、とでも呼べばいいのだろうか(僕達は名前に執着を持たない)。その教義〈ドグマ〉は単純であり、神そのものである円盤を知り尽くす事、である。円盤世界を識る──つまりは、旅だ。僕達が商人と化したのも、技術者集団と化したのも、旅を通してである。
永遠の流浪。辛いとは全く思わない。途中で加わる者は多いが、大抵の場合脱落し、住みやすいシャードに根を張る。
彼もまたそうだった。酷く傷付いた、恐らくは菌糸類種と思われる男。食料と地図と引き換えに僕達の一向に加わった。幅が数百キロはある川を渡れずに足止めされている所に行き当たったのだ。
故郷を救うために旅をしてきたのだ、と彼は語った(辺境訛りが随分強い言語だったが理解しやすい文法だった)。逃げちまったけどな。そう呟く彼は自分を責めているようにも、肩の荷が降りてホッとしているようにも見えた。
彼とは数百太陽日の間共に旅をした。旅慣れしているようだったが、口数は少なく、恐らく一人旅をしていたのだろう。円盤世界は危険が多い。一人旅は自殺とさして変わりがないが、そこまでして救いたかった故郷を捨てた理由とは何だったのだろう。
彼は結局何も語らずに、自分で貯めた鉛筆(サーキュレイターの中のみで通用する通貨)で大量の物資を買い取り、森の様に見える無銘シャードに自らの村を興す為に残った。
僕達は地図にその村を記す為に、彼になんと名付けるのか尋ねてみた。
「ミ=ゴ」と彼は答えた。それがかつての彼の故郷の名前だったのか、それとも別の何かに由来する物だったのかは、分からない。
log.44
商人としての僕達の活動は単純な物で、あるリージョンから別のリージョンへと品物を運ぶだけだ。基本は物々交換だが、通貨でのやり取りも稀にある。
商品の中には様々な物がある。貴金属、研磨された鉱石。機械類、食物類、衣服類。娯楽用の玩具や本。珍しい生物。そして──奴隷。
奴隷と一口に言っても戦争の敗者や犯罪者、口減らしの子供等境遇も年代も様々で、更には種族も統一されていない。彼らの世話をするのは僕の様な若い標準個体の仕事だった。
彼女は奴隷用の檻の中で、差し出された食事に手を付けずに僕を強く睨んでいた。エメラルド色の綺麗な体毛と、同じ色の瞳が印象的な種族だった。世話を怠ると僕が懲罰を受けるのでこちらも必死でなだめすかして食べさせようとするが、その日は生傷が増えただけだった。
彼女を仕入れてから三日目。空腹に耐え切れなくなったのか、それとも僕に慣れたのか、彼女は漸く多種族用ふりかけ(多種族が食べられるふりかけ)のかかったご飯に手をつけた。一口含むと、その目がまるで酸素原子が励起されて光るオーロラの様に輝きガツガツと残りを掻き込んだ。
彼女は言葉を話さなかった。そういう種族なのかもしれないし、そういう教育を受けていないのかもしれないし、僕に心を開いていなかったのかもしれない。
それでも彼女は普段檻の隅で周囲を警戒していたが僕が近づくとこちらに寄ってくるのだった。仕事の手が空いた時、僕は良く彼女の元へと向かい一方的にその日起こった事を喋った。呆れていたのか、それとも興味深かったのか彼女は目を閉じて蹲っていた。和毛に覆われた耳がピクピクと動いていて、ちゃんと聞いていると確認出来たので僕も話を止めることはなかった。
他の種族は名前を大事にすると聞いていたから、尋ねてもみたが、結局教えては貰えなかった。ただ僕の個体識別番号は覚えたらしく、近くで僕の番号が呼ばれたりすると伏せた顔を上げたりするのを見かけた。
彼女はタイタンと呼ばれるシャードで売られてきた奴隷だ。メタンの大気が濃く滞留する一帯は温血種族には居心地が悪いので交易ルートからも外れ、近くのリニアレールも運行を止めて久しい辺境だった。そんなシャードが売れるものと言えば人くらいな物だ。勿論無理を言って買い取った訳ではない。僕達の目的はあくまでも旅であり、商人としての面は謂わば副業なのだから。それでも無料で施しを与える程優しくもないので取り立て出来るものは取り立てる。
彼女との別れは存外早かった。未だに稼働しているリニアを発見し、予想よりずっと速く隣のシャードへと移動できたからだ。そこはドーム状に長大な蔓草が成長した地で、中はジャングルと化しており、中々高度な文明が発達していた。
そこでの売買で、美しい見た目をしていた彼女は早々に買って行かれたのだった。買い手はこれまた美しい見た目をしたヒューマノイドであり、自らを「博士」と名乗った。檻ごと運搬車で連れて行かれる時、彼女は初めて声を出した。学者個体からタイタン人は発声言語ではなくフェロモン分子によるコミュニケートが基本だと教わっていたので、僕は驚いた。
「ヨンヨンキュウサン、ヨンヨンキュウサン!」
彼女は見えなくなるまで、ずっと僕の個体識別番号を呼び続けていた。
log.61
僕達が技術者としても熟練しているのは勿論永い永い旅で各地の技術や旧い技術を吸収していったからというのもあるが、一番切実な理由としてそうしなければ身を守れなかったらだ。
今まさにそういう状況に陥っている(今といってもこれを書いているのは状況が一段落してからなのだが)。横歩き〈キャンサー〉の大群に運悪く遭遇してしまったのだ。こいつらは都市生成機構のバグにより生まれ、恒常性をひたすら擾乱する。自己境界線が曖昧なのであらゆる物を取り込んで増殖する厄介な存在だ。
僕達はマスドライバーを改造した砲で波の如く押し寄せるキャンサーどもを吹き飛ばし、太陽光超収束レンズで焼き払ったが、一部で防衛網を突破され幼い養殖個体達が貪り食われた。
結局切り札の核分裂反応兵器を用いて何とか撃退したが僕達の個体数は半減してしまった。暫くここに留まり回復せざるを得ないだろう。
僕の様な標準個体には遺伝子プールとしての価値は余り無い。端的に言えば、モテない。他の標準個体達は自分の遺伝子を継ぐ個体を増やそうと色んなアピールをしていたが、僕はあまりそういう事に興味を抱けなかった。種の存続の危機の時に遺伝的多様性維持に貢献しないのは褒められた事ではないのだが、僕にはジャングルで別れたあの奴隷の女の子の、最後の声が耳にずっと残っているのだった。
log.99
ここ数千太陽日程はずっと凍結ラインに沿って旅を続けてきたが、定期枢機卿会議により久々の方針転換が決定された。今後僕達は軸方向へ向かって進む事になる。過剰な太陽光に慣れる為の身体改造が各個体に施された。
気温が上昇して氷が溶け巨大な海と化している場所に着くと、船の建造も始まる。指導個体達は「里帰り」だと言っていた。僕達の祖先は惑星開発公社直轄のリージョンでかつて活動していたそうだ。数十万太陽日の時を経て循環する様に帰りつく訳だ。
惑星開発公社への旅はこれまで以上に過酷な物だった。強くなる太陽光の下、原生生物や環境はますます厳しさを増していった。僕達はあまり死を恐れない。僕達が唯一恐れるのは信仰の喪失、つまりは円盤を識る事が出来なくなる事だ。だから誰も異を唱えずひたすらに旅は続いた。
今まで見たこともなかった光景。全てが白亜の骨で造られたシャード。巨大な電子が徘徊する街。巨大隕石衝突孔。一面のマグマ。重力異常帯。プラズマの湖。解読不能な文字がびっしりと刻まれたダイヤモンドで出来た洞窟。眠らないと通れない道。一兆冊の本が収められた図書館。
遭ったこともなかった生き物たち。100メートルを超す巨大爬虫類の群れ。『許されざる者』。深海に潜んでいた隠れた種族。光海月。地底の悪魔。重力井戸の底に住む超知性計算機。
そして、僕達は辿り着いた。惑星開発公社へと。
そこは廃墟と化していたが、今でも動くシステムの一部が存在し、そして、僕達は見た。決して忘れられない光景を。
無限に続く黄昏に決して訪れる筈の無い『朝』の光を。世界の全てを。それは『裏』から漏れる一条の、ああ、なんて美しい、翡翠の様な──
log.1021
補給を長い間受けられなかったせいで、ついに私は最後の一人になった。それでも私の旅は終わらない。最後に見かけた人里はミ=ゴと呼ばれる大規模商業都市だったか。このまま進んでも何が見つかる訳でも無いかもしれない。それでも未踏の土地を一歩踏みしめ、地図を拡張するのは私の喜びであり、使命だ。
それに仮に私がここで倒れたとしても問題はない。各地で同志が同じ様に旅をしているのだから。今から数万太陽日前に分岐し、〈裏〉へと旅立った一団がきっかけとなり、我々は分散してこの円盤世界の探索をするようになった。惑星開発公社に辿り着いた私達の祖先は一部が新天地を求めて『裏』へ降りて行ったのだ。
やがて私は前方にドーム状の蔓草に覆われたリージョンを見出した。ログを検索すると、かつてここは祖先が訪れた事がある場所の様だ。久々の商売が出来るかもしれない。
だが入城した私はやはりこれまでと同じ光景──荒れ果て、滅びた都市の廃墟を目撃する事となった。道端には巨大な朽ち果てた樹木が目立つ。
何か使える物資がないか探索していた時だった。視界の端を、エメラルド色の物が過ぎった。
物陰に目を向けると、エメラルド色の和毛に覆われたヒューマノイド種族がこちらを目を丸くして見つめていた。記録によれば確かあれはタイタン人だ。何故こんな遠く離れた場所にいるのだろうか?
そのタイタン人は私を指差すと、驚くべき事に喋った。タイタン人は確かフェロモン分子による嗅覚コミュニケートをするのではなかったか。
「ヨンヨンキュウサン、ヨンヨンキュウサン!」
それは私達が個体を区別する為に用いる識別番号だった(私達は名前に執着を持たない)。それは私の直系の祖先である、とある標準個体が用いていた識別番号だ。分派を率いて『裏』へと向かった英雄の。私も彼に憧れて一人立ちし、幾人かの仲間を連れて旅立ったが結局失敗してしまった。
タイタン人は私の手を取ると、強引に引っ張り始めた。
されるがままに連れて行かれた先は、ジャングルの中の拓けた広場だった。目を引くのは、中心に置かれた錆びた檻だ。その周りに思い思いにタイタン人達が寝そべったりじゃれあったりしている。
タイタン人達は私を見ても、連れてきた個体の様に騒いだりはせずそのままのんびりと過ごしていた。
私は相変わらずグイグイと手を引っ張られると、檻の横で微睡んでいた明らかに年老いたタイタン人の側にまで連れてこられた。
老タイタン人は薄っすらと目を開けると、私の姿を認め、和毛に覆われた耳をピクピクと動かした。
私が覚えたのは郷愁だった──昔、彼女に会った事がある様な気がした。それが私の遺伝子に記されていた記憶なのか、厖大なログでいつか観た記録なのか、それともタイタン人のフェロモンで想起させられたのかは分からない。
私は年老いた彼女の手を取ると、訊ねた。
「初めまして。貴女の名前を、教えてほしい」
final log
わ、うごいた。これなに? おばあちゃんの? さわっちゃだめなの?
かわにながしてすてちゃうのに?
え? はじめてこれをきくひとになにかいってみて? だれかきくの? ふーん。
えっと、わたしはおかあさんと、おばあちゃんと、たくさんのおともだちといっしょにジャングルにすんでいます。これをきくひとはだれとどこですんでいますか? よければここにきろくしてみてください。
これでいい? わかったー。
あたしみんなとあそんでくるね!
【終わり】
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