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ソウルフィルド・シャングリラ 終章(1)
終章 よろこびに満ちた楽園へ Soul Filled Shangri-La
西暦2194年11月15日
澄崎市北東ブロック第1都市再整備区域50番街E14号通り
「そう――ついに悠理ちゃんが」
葛城哉絵は、天宮から逃亡してきた引瀬由美子を匿い、一通りの話を聞くと溜息をついた。
「ええ。眞由美と雄輝が時間を稼いでくれたからここまで逃げてくることができた」
「眞由美ちゃんは――助からないでしょうね。雄輝くんでも今のあの理生は止められないでしょう」
「……昔から、決めていたのよあの子。自分を犠牲にしてでも、悠理を護るって」
二人はしばらく黙りこむ。沈黙を嫌ってか、哉絵は話題を変える。
「それにしても、良く診療所〈ここ〉がわかりましたね。雄輝くんにも詳しい場所は教えてないのに」
「紹介屋で腕のいい闇医者を紹介してくれって頼んだら、三軒目でここを引き当てたわ。雄輝から哉絵は闇医者をやっているらしいって話は聞いてたから」
「まあ、それ以外に食べていく術もないですからね、私には。天宮から逃げてくる時に色々失敬しましたから機材はそこそこ充実してますよ」
哉絵は肩を竦める。
「まさか公社の制服もそのままだなんてね。それでよくもまあこれまでバレなかったものだわ」
「まあ、雄輝くんが裏で便宜を諮ってくれてましたからね。それに元天宮って方が顧客に対する説得力も違います」
「その天才闇医者様に、頼みたいことがあるわ」
「……先輩、まさか、『Azrael』を」
「ええ。『Azrael-02』を、私に移植して欲しい」
「そんな――先輩が犠牲になることはないじゃないですか」
「犠牲ではないわ。『Azrael』の力があれば、これからも私は逃亡し続けることが出来る――そして私が逃げ続けていれば、それだけ悠理は長い時間人として過ごすことが出来る。チャンスがあれば、天宮に戻って悠理を連れ出すこともできるかもしれない」
由美子の表情から本気を読み取ると、哉絵も覚悟を決めた。
「――分かりました。いつやりますか」
「時間がないの。できれば今すぐ――」
その時、部屋のドアを開けて、少年が一人入ってきた。
「母さん、患者さんが来たよ」
「あら雄哉、今日は大事なお客さんが来てるから休診の看板出しておいてって言ったじゃない」
「したよ。でも急患だからどうしても見てくれって――」
「……雄哉くん?」
「え、はい。どちら様でしょうか?」
「ああ、母さんの古い友達よ。引瀬由美子さん。学校と職場の先輩だったの。雄哉も昔――と言ってもまだ赤ちゃんの時だけど――に会ってるのよ」
「そうなんだ。えーと。はじめまして、でいいのかな。葛城雄哉です」
「ええ、はじめまして、雄哉くん。元気に育ってるみたいで安心したわ」
「この診療所を開くまでは大変でしたけどね。今は悪ガキながら丈夫なもんですよ」
「悪ガキって……ひどくない? それより患者さんが来てるんだって」
「ああ、そうだったわね。どんな人?」
「なんか、仮面をつけた変な人で――」
雄哉は最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。
「かはっ――」
その胸から、白銀の刃が生えていた。
刃の先には群青色に発光する、雄哉の魂。
リヴサイズの先に雄哉をぶら下げたまま、仮面をつけたプロトタイプ・グリムリーパーがぬうっと姿を現す。そのまま鎌を振り抜き、無造作に雄哉を部屋の隅に投げ捨てた。
「――う、わあああああああああああああああ!!」
あまりのことに固まって動けない由美子の隣を、喉の奥から振り絞るような叫び声を上げつつ哉絵が突進した。グリムリーパーに体当たりし、揉み合う。その拍子に、グリムリーパーの仮面が取れた。
そこから現れた顔に哉絵も由美子も呆然となった。
白髪。赤目。だが見紛うはずもない。それは、
「眞由美!?」
引瀬眞由美。間違いなく、自分の娘だった。
「……先輩、早く逃げてください! 目的は先輩の持ってる『Azrael』です! 裏口はあちらに!」
「で、でも」
「――全部捨ててでも成し遂げると、決めたんでしょうが!」
ぼぐん、という鈍い音。哉絵の右手が完全に砕かれていた。それでも怯まずに哉絵はグリムリーパーを抑え続ける。
――そうだ、こんなところで捕まるわけには、いかない。
死神が白銀の鎌を哉絵に振りかぶる。
絶叫を後ろに聴きながら、由美子は、哉絵を見捨てて走り出した。
†
――一体どれだけ走ったのだろう? 一体いつまで走ればいいのだろう?
解体を待ち続ける灰色のビル群の隙間を縫って、引瀬由美子はひとり疾走する。
雨が降っている。まるで天が流す涙のように大粒の雨だ。
彼女は荷物を抱えていた。それはかなりの重量があるらしく時々前のめりになる。それでも、由美子はそれを手放さない。
目の前を、何かが過ぎった。思わず速度を殺そうとして重心を後ろにずらすが――荷物のせいで派手に転んでしまう。
過ぎったもの――溝鼠はキッ、と一声鳴くとそこら中に放置してある粗大ゴミの陰に駆け込んでいった。
一度座り込んでしまうと立ち上がるのは困難だった。高揚作用のあるナノマシンはもうないし、有機外部アクセラレータも死んだ。体からは湯気が立ち上り、詰まった排水溝から溢れ出た汚水が羽織った公社の白い制服を茶色く染める。
「――っ」
激痛が走り、足首を押さえる。過負荷に構わず全力で走っていたため、関節は半ば砕けており、大量の内出血で紫黒に変色して倍近くに膨れていた。
「――っはあ、はあ、はあ、」
呼吸を落ち着かせようとするが、上手くいかない。寒さと苦痛――そして恐怖。それらが全身を萎縮させているのだ。たっぷりと水を含んでだいぶ重くなってしまった、背中まで届く長い髪をかきあげる。感情を自制するときの癖というか、儀式だ。
「……ふう」
少し、落ち着いた。爆発しそうな勢いで鼓動を刻んでいた心臓も、わずかばかりの静かさを取り戻す。
遠く、時に近く、サイレンの音が聞こえる。特邏たちが包囲を狭めているのだろう。立ち止まっている暇はない。
「そうだ、私は、逃げなくてはいけない――」
由美子は、自身に言い聞かせるように呟く。
逃げ切らなくてはならない。〝妹〟を救うと決意した眞由美のためにも、そして自分のもう一人の〝娘〟である悠理のためにも。
そして……手に持つ荷物――彼女の親友たちの息子、葛城雄哉。彼の死を無駄にしないためにも。
彼女が、公社から逃げ出したのは今から四日前のことだ。
本来相互アクセスが不能であるはずの『Azrael-01』が、悠理に認識できる段階にきた。
どうやら悠理は以前から気づいていたらしいが――普段の態度や精神検査からは全く検知されなかった。研究主任である自分すら娘から報告を受けるまで予想していなかった事態だ。
眞由美の前だからこそ隙を見せたのだろうが、悠理の精神年齢と知能指数は相当高い。自分の内なる人格を、狡猾な大人たちから隠し通せるように立ち回ることが可能なほどに。眞言さんが仮想人格を高性能に創り過ぎたのか、それとも悠灯先輩や理生の遺伝子のいたずらか。
『Azrael-01』が自意識を持ち、既に活動を開始しているのならば、理生は間違いなく分割した『Azrael』の止揚を行おうとするだろう。
それは即ち人としての悠理の終わり、そして澄崎という街の終焉。
それを防ぐために、逃げてきた。公社に置いてきた偽装データを使って止揚実験を行っても、無駄だ。むしろ『Azrael-01』を抑制するウイルスを織り交ぜてある。
しかし天宮は追手を――恐ろしい追手を差し向けてきた。
先ほどの〝あれ〟は、由美子が大学時代に研究していた複数個の擬魂で並列制御するIGキネティック全身義体の試作品そっくりだった。結局義体ではなく適性のある生身の肉体がなければ無理だと判明したのでお蔵入りしたものだ。
それが、眞由美の顔を持って現れた。由美子に対する精神的動揺を狙った物か――それともあれは本当に、眞由美が……。
頭を振る。今は考えるな。
手に抱く雄哉の死体を見つめる。外傷は一切ないが、魂を摘出され即死していた。
診療所から脱出する時に、放置しておくのは忍びなくて運んできた。死体など持ってきても、何の意味もないのに――。
――否。意味はある。都合がいいから、持ってきたのだ。科学者としての自分が冷静にそう指摘するが、感情がそれだけはいけないと拒絶する。
ああ――それだけはいけない。
魂のない空っぽな雄哉の死体に、『Azrael-02』と由美子の魂を入れて蘇生し、自分の目的を達成させるなど。
そう、絶対に、許されることでは、ないのだ。
だけど――。
「……ふ」
こんな葛藤は、もう10年も前に済ませたはずではなかったか?
「私は、逃げ続けなければいけないんだ……」
雄哉の死体を、スプリングの壊れたソファの上に横たえる。
そして哉絵の診療所から逃げる時に持ちだした、真空パックに封入されているE2M3混合溶液を取り出す。雄哉が持っていたナイフを触媒にし、亜生体メスを形成。メスとALICEネットをリンク、エラー。舌打ちする。阿頼耶識層にある由美子のアカウントをBANできるのは理生だけだ。完全にこちらのことを切り捨てている。もう由美子抜きでも計画を遂行できるということか。亜生体メスの制御を自らの精神に変更、成功。
魂魄移植術式の正規作業環境を満たしていないため、少しでも精度を上げる必要がある。魂のエネルギー供給先を、肉体からE2M3混合溶液に変更。
ぶつり、という幻聴を聞く。それは溶液と魂が精神を介して繋がるのに成功した証だ。今この瞬間から、由美子の肉体は死に、E2M3混合溶液が主体となった。
主脳が死ねば、当然意識も消失する。ALICEネット上の自己バックアップは、出奔の際に全て公社に〝殺された〟。残された時間は脳細胞が酸欠で壊死するまで。ナノマシンによる組織強化や、副脳の補助を受けてもせいぜい1時間弱。その間に自分の魂魄と『Azrael』を全て雄哉の死体に遷さねばならない。
躊躇している暇などない。
少しでも時間を短縮するため、意識容量の全てをこれから行う術式に割り当てる必要がある。つまり、これが引瀬由美子が人間として思考できる最後だ。
――雄哉君……
メスの切っ先を、死体の額にあてる。
私はこれから、あなたを酷い目に遭わせるよ。
†
・――メッセージを再生します――・
私はあなたに絶対に許されない行為をした。既に死んだ雄哉君を更に殺すような行為だ。
ここに私があなたにしたことを記す。あなたがこのメッセージを発見し、読む可能性は少ないだろう。それでもこのファイルを遺すのは私のエゴだ。
私は自らの魂にある物を入力し、天宮を出奔した。それは、『Azrael-02』とそれに関するこの10年間の研究の全て。
これをあなたに護り留めて欲しい。逃げ続け、天宮の手に渡らないようにして欲しい。だから、とても勝手だけれど、あなたの新しい名前を「護留」と設定した。姓は私の物である。
そして逃げるのが叶わなくなった時――あるいは彼女と出会った時に、この魂――私と『Azrael-02』を悠理に渡して欲しい。
あなたの仮想人格に天宮への憎悪と、悠理を護り助ける感情をセットした。相互に矛盾する情動はあなたの精神を不安定にするだろう。
だがこれは必要な措置だと、私は信じている。私が娘の眞由美を引き換えに逃げてきたのも、そしてその巻き添えで哉絵と雄哉君が死んだのも――言ってしまえば全てはこのためなのだから。
もう私の力では――旧友たちの力を借りても、この澄崎の滅びを回避することは不可能だ。
ならば悠理に、この街の最期を看取る彼女に、せめてもの慰めを。
彼女に魂を渡すまでの少しの間だけでいい。彼女と、一緒に過ごしてやって欲しい。
たのしい時間を、送らせてあげて欲しい。
計算された出会い、演算された恋愛、清算されてお終い。
例えおままごとのような、役割〈ロール〉が決まった仮初めの関係でも。
彼女に、せめて誰かを愛してほしい。
偽善だろうか。欺瞞だろうか。それともこれは犠牲だろうか。
『Azrael』となった彼女が我々の魂魄を、生きた証を、どのような世界で、そしてどのような形で告げ知らせるのかは想像もつかない。
だがそこに一片でもいい、美しい思い出があれば――我々の魂はきっと福音として新世界に鳴り響くだろう。
あらゆるかなしみや苦しみから開放された楽園〈シャングリラ〉。そんな世界に、我々の魂は放たれ、満たされるだろう。
だが残念なことに私があなたに託すこの魂は、あなたにとってただ苦難を齎す重荷となる。
そしてこの魂と役割のせいで、あなたは確実に、死ぬ。
けれど。
身勝手な思いだとは分かっている。このようなメッセージを魂魄の片隅に隠してもなんの意味もないことだと知っている。
けれど――
私は、願わずにはいられない。
あなたに託す私の魂が、いつか、あらゆるかなしみと苦しみから開放され、大切な人たちが待つもとへ――涙も、叫び声もいらない場所へ辿り着くことを。
皆の魂と共によろこびに満ち溢れた日を迎えることを。
――最後に、一言だけ。
ごめんなさい。そして――
あなたと悠理が、しあわせになれますように。
・――AD.2194/11/15 引瀬由美子――・
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