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ポスト・ポストカリプスの配達員〈9〉

「……いっ! おい! 貴様! 配達員〈サガワー〉! 起きんか! 我輩をこんな寒空の下で訳の分からん女と二人きりにするなど許さんぞおい!」
 まず感じたのは風邪の時にアルコールを摂取して小一時間頭を小突き回されたかのような頭痛。次が寒さだった。バカでかい声が頭痛に拍車をかける。
「うっ……」
 俺が薄目を開けると、モヒカンヘアーと陽に灼けた厳つい顔が飛び込んできた。まだいたのかこいつ。
「まだいたのかこいつ」
「き、貴様ァッ! 我輩を愚弄するかぁっ!」
 俺はこめかみを抑えながら身を起こす。雪がちらついている。一瞬、未だにあの異常な戦いがあったサハラから移動していないのかと疑ったが、曇天の空から篩いにかけたような粉雪が降り注いでいるのを見てすぐにその可能性を打ち消した。
「どこだ、ここ」
 ポスト・ポストカリプス世界では、地形や植生の特徴から土地を類推する事は困難を極める。地平線の彼方までポストに埋め尽くされ、その間を縫うように踏み固められた細い道が存在している。下生えの草すら疎らで、世界中どこに行っても同じ風景が延々と続く。方位磁石も乱立するポストの影響で狂い、ポストカリプス前文明で存在したような測位衛星による現在位置把握などもちろんありはしない。
「計器類はテレポート時に全て故障したのでまるで役に立たん」
 撤去人がぶすっとした顔で答えた。
「――そうだ、ナツキは?」
 俺は辺りを見回す。いない。まさか、はぐれたのか。
「あの胡乱な女か? そいつならほれ、そこの大ポストの陰だ」
 大型物資搬送用ポストの下に、ナツキは座り込んでいた。薄手の患者服は見るからに寒そうだ。俺は少し躊躇ってから、サガワー御用達の青いコートを脱いで被せてやった。
「――あ」
 ナツキが顔を上げ、俺は息を飲む。元々白かった肌の色は血の気が引きすぎて青褪めており、しかし目元だけが赤く腫れていた。
「ありがとう」
 ナツキは礼を述べ、口の端を持ち上げて笑おうとして失敗し、再び俯いてしまう。俺はどうしていいのか分からずに立ち尽くす。ほんの数時間前に出会った300年前の騎士の、しかも可愛い女の子を、どうやって慰めろというのか? 俺にはそんな芸当はどうやっても無理である。
「トライはね、」
 ナツキが口を開いた。その目は遥か遠くを見ている。300年前の過去を、見ている。

 ――トライはね、概念住所を共有する前から私の配送機〈プレリュード〉だった。初めて会ったのはアルティメット・カブのシミュレータの中。その時は配送機がどんな仕様になるのかすらまだ決まってなくて、シミュレータのセッティングも毎回変わってて大変だった。私は物覚えが悪くて毎回郵便局員〈ポストクラート〉たちに怒られてた。
 六回目のドラフト版だったと思う。シミュレータに乗りこんだら前触れもなしに声をかけられたんだ。「なんだこのチビ」って。それまでの戦闘補佐AIは本当にただの機械って感じだったから、いきなり悪口を言われて私はびっくりして固まっちゃったの。そしたら「チビな上に臆病者とかいらね」って言って突然シミュレータからイジェクトされちゃって。郵便局員たちは全員慌ててた。
〝突破した者達の技術〟を解析して作られた初めてのAIだからこういうこともある。その代わり今までの物とは性能が隔絶しているって説明を受けても納得できなくて、配達員〈ポストリュード〉に逆らう配送機なんて絶対おかしいでしょって思った。なめられてたまるかって。
 だから私はまたシミュレータに乗り込んだの。「チビがまた来た」「漏らす前に出て行け」「貧乳」戦術モニタには稚拙な悪口が映ってて、それを見て私は笑顔でAIのコア演算モジュールがある部分に、こっそり持ち込んだショックガンを突きつけてやった。途端にコックピット内にレッドアラートが響いたけど、私が表情を変えずに、イジェクトしたら本当に撃つからねと言うと収まった。
 モニタリングしてた郵便局員たちが大声で怒鳴り始めたから、あいつらを静かにさせてくれたら銃はしまうよって言ったら、そのAIは実験基地のシステムをハックして司令室に逆位相の音を流し込んで無音にしちゃったの。あれは傑作だったな。みんな口をパクパクさせてて酸欠の魚みたいだった。
「はじめして、私はカネヤ・ナツキ。あなたは?」
「……トリスメギストス」
 私は少し笑っちゃった。子供みたいな性格の、口の悪いAIのくせにやたらと大仰な名前だったから。
「長いからトライって呼んでいい?」
「調子乗るな、ばーか」
 トライがそう言うと、私はさっきの三倍の勢いで外に放り出されて、壁に頭をぶつけて気を失った。
 とにかくそうやって私とトライはバディを組まされた。郵便局員たちの言う通り、トライの性能は次元が違った。私の成績もぐんぐん伸びていったけど、意地悪で失礼な性格には辟易してた。他の配達員の配送機たちは全員大人な性格で、私は何度もAIの変更を上申したけど聞いてもらえなかった。
 君たちはいずれ概念住所を共有して文字通り一心同体になる――そう教えられた時、私は堪らなくいやだった。トライのメモリを消してやろうとすら考えた。
 だからその日、私がトライに搭乗を拒否したのは偶然だった。たまたま、その日に私の我慢の限界が来ただけだったんだよ。郵便局員たちは怒鳴りつけて、なだめすかして、おだてたけど私は頑として首を縦に振らなかった。結局、業を煮やした大人たちは私を無理やり拘束してトライに押し込めようとした。
 ――テレポテートの実験事故だったって、後から教えてもらった。本当にそうだったのかは、良くわからない。
 アルティメット・カブの格納庫の壁を突如ぶち破って、君主〈ロード〉級のメーラーデーモンが突然出現したの。皮を剥がれた猿みたいな身体から茨の蔓が無数に生えてて、むき出しの筋肉からはジクジクと血と粘液が滲出してた。私を抱えてた兵隊が咄嗟に銃を撃ったけど当然そんなものは効かなくて、メーラーデーモンは四つある目を三日月形みたいに細めて、掌で兵隊を叩き潰した。
 私は確か泣きも喚きもしなかったと思う。確実な死を目の前にして、ああこれでもうトライにいじわるされないで済むって考えてた。
 メーラーデーモンの腕がこっちに伸びてきて――その腕が横から掴まれた。アルティメット・カブの、トライの腕だった。配達員による認証をどうやったのかキャンセルして一人で変形して、私を助けたトライは叫んだ。「何やってる! 死にてえのか!」「早く俺に乗れ!」って。
 そこから先は無我夢中でよく覚えてない。ただ戦闘中ずっと、トライと同じ事を考えて、同じ動きをしていたような、そんな記憶がかすかにある。
 私とトライは君主級討伐の功で配達員の中で一足早く郵聖騎士に叙勲された。いじわるな性格は変わらなかったけど、もう私はトライに乗るのは嫌じゃなくなってた。

「私をヤマトくんのところに転送する時、絶対私が自爆に反対するってトライはわかってたから、生命維持装置を弄って一時的に意識を失わせたみたい。ほんと、めちゃくちゃなAIだったんだ、あいつ」
 その口調は、愉しげだった。
「……話を聞いてると、昔のトライと俺が会ったトライとの間にだいぶ齟齬があるのだが」
「ああ、口調のこと? これがまた傑作でさ――」
『その話は他人には絶対にしないと約束したはずですよ、ナツキ』
「あ、そうだった。ごめんね、ヤマトくん」
「いやいや、俺こそ立ち入ったことをきいて悪かったな」
 沈黙。
「んんんんっ!?」
 俺とナツキは激しく辺りを見回した。聞き間違いだろうか、今、トライの声が――。
『私はここですよ』
「うお!?」
 突然俺の胸ポケットの中の何かが振動した。慌てて取り出してみると現れたのは――
「は、ハンコ?」
 捺印面を見ると、三つ巴の紋章。俺の持ち物ではない。一体これは……。
『私です。トリスメギストスです』
 ハンコが喋った。
「ハンコが喋った!」
『ハンコではありません。〝突破した者達〈ポスト・ヒューマン〉〟製AIバックアップモジュール、正式名称はインカンです』
 紛れも無くトライの声で、それはそう言った。

【続く】

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居石信吾
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