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ポスト・ポストカリプスの配達員〈24〉

 ――先に断っておくが、楽しいお話じゃない。このポスト・ポストカリプス世界ではありふれているかもしれない、つまらない悲劇の一つだ。

 生きながら死ね。
 
それが腐れ豚の枢機卿を撃ち殺す時、俺の脳髄に存在した思考の全てだった。万分の一秒でもこいつが息を吸っていることが許せない。億分の一秒でもいいからこいつを永らえさせて長く苦痛を味あわせてやりたい。
 まあ現実は時間がなかったので、俺はとっとと腹に三発、頭に二発撃ちこんで、即座に逃走を開始したのだが。
 〝弟〟と、枢機卿の死体を残して。

 生まれた時から俺の世界に存在する『他者』とは即ち枢機卿、研究員〈ポストドクター〉、そして〝弟〟だった。
 定期的に見廻りに来て大過ないか等と無意味な質問をしては何やら満足して去っていくぶくぶくと肥え太った枢機卿は幼心にも謎の存在だったし、無害なので空気扱いだった。
 一番嫌いなのは研究員たちだ。検査、注射、改造手術、負荷テスト、訓練、勉強、試験、懲罰、エトセトラ。ありとあらゆる『嫌なもの』を俺たちに押し付けてきやがる。
 俺の唯一の慰めはその日あった嫌なことを〝弟〟と報告し合い、研究員への罵倒で笑い合うことだった。どれだけ口汚く罵れるかお互い競い合ううちに訳の分からない文句が生まれて、それで更に笑う。
 俺が何のために存在しているかは研究員が何度も誇らしげに説明するので暗誦できるくらいだった。曰く『全臣民を救う究極のプロジェクト。百年に及ぶ教皇〈ポストープ〉空位に終止符を打つ存在。それが君だ。現人神〈ポストリュード〉の郵便番号をその身に宿し、鬼神〈ヤタガラス〉を使役し、遂には朝廷だけでなくポストカリプス世界をも遍く救うだろう。それこそが【再配達計画〈プロジェクト・ダルセーニョ〉】。神話の再現、神代の復古だ』。
 当時の俺には半分も理解できなかったが何やら自分は偉大な存在になる、ということだけは朧気ながら分かったので、そんなことを得意げに語る一方で俺に苦痛を課す研究員に対する憎悪が一層膨らむだけだった。
 一方〝弟〟が何故俺と同じ目に合わされているのかは、研究員は口を濁して教えてくれなかったが、その態度や扱いからなんとなく俺の『予備』なんだな、というのは推し量れた。だがそんなことは全く俺には関係なく、〝弟〟と仲良く愚痴りあっては笑い転げていた。
 俺たちが引っ切り無しに受ける手術は基本的に生体モジュールの埋め込みだ。精神、認知、実存、異存、身体、具体、抽象、形而上、形而下、あらゆる種類のモジュールを埋め込まれた。前ポストカリプステクノロジーを用いた、それはほぼ分子サイズのシロモノで、遺伝子に直接挿入したりシナプスに付け加えたり色々種類があった。子供の頃から慣しておくのがいいからだと研究員は言っていたがこんなもの拷問と代わりはなく、認知モジュールが追加される度に激変する視界に反吐をぶちまけ、身体モジュールの成長痛にのたうち回り、形而上モジュールの副作用で幻覚を彷徨った。
 その苦痛と苦痛の狭間では、ヤマト朝廷に遺されていたかつての日本の郵政省のデータベースを使った歴史の勉強をさせられた。俺は300年前の戦争や神話、人々の暮らしに詳しくはなっても、ポストに埋もれ塗炭に喘ぐ現在のヤマト朝廷の臣民については何も知らされなかった。生まれてから俺は外界を一切見たことがなく、研究室、講義室、手術室、〝弟〟との相部屋である寝室だけをローテーションで移動していた。

 そんな日々に変化が訪れたのは、俺が10回目の誕生日を迎える前のことだった。
 〝弟〟が、ある朝突然血塗れでへたり込んでいたのだ。寝起きにそんな物を見て俺はたまげた。だが、どうせまた手術の後遺症だろうと思いどこが痛むのかと尋ねてみても、〝弟〟は首を振るばかりだった。身体を調べようとしたら拒否されて、その時記憶にある限りでは生まれて初めての口論にまでなった。〝弟〟は頑なに自分の身体を触れさせようとせず、そうこうしているうちに研究員がすっ飛んで来て〝弟〟を連れ去った。その時初めて、〝弟〟が下半身から出血しているのを知った。
 結局丸一日〝弟〟は帰ってこず、俺は拷問のようなスケジュールを一人で耐え、ベッドに転がり込んだ。殺風景な寝室にはろくな調度品もなく、ベッドの位置を変えてせめて気分だけでも変えようとする俺たちの涙ぐましい努力は部屋の清掃が入る度に定位置に戻されることでぶち壊されていたが、俺たちはめげずにベッドを好き勝手動かしていた。
 今日は清掃が入らなかったらしい。俺たちのベッドは明らかに移動に邪魔なドアの目の前に仲良くくっつけて置かれたままだった。〝弟〟は俺と離れて眠るのが好きではなく、小さい頃はよく同じベッドで眠ったものだが身体の成長に従いこうやって連結ベッドを作るようになった。
 大の字になって無闇に高い天井を見つめているうちにそのまま眠ってしまったらしい。寝返りを打った途端、俺は存在するはずの隣のベッドではなく床に転げ落ちて激しく臀部を強打した。声も出せない痛みだ。
 物凄い音に、少し離れた場所で何やら慌てた気配がした。いつの間にかベッドを離して一人で寝ていた〝弟〟が心配そうに俺を覗き込んでいる。
 俺は何故勝手にベッドを離したのかと抗議をしたが、〝弟〟は『一緒に寝るのが恥ずかしいから』の一点張りだった。なにが恥ずかしいのか。俺たちは生まれた時から同じ部屋で育ち、互いのホクロの数まで知っている、この世で二人だけの特別な存在なのだ。だがその日以降、〝弟〟は俺と別行動を取りたがるようになった。
 そして10歳になった俺には〝親〟が出来た。

 〝親〟は名を教えてはくれなかった。ただ司令官と呼べ、と初日に俺に命令し、反抗した俺を徹底的に、研究員が止めに入るまで痛めつけた。高機能モジュールや全感覚没入型仮想戦闘訓練は何の役にも立たずに一方的にやられた。遺伝的繋がりも郵便番号も全く関係ないその男は俺の〝親〟として全臣民に発表されるのだという。
『こんなものに頼らねばならない程に今朝廷の屋台骨は揺らいでいるのか』と、床に血反吐と共に転がる俺を見下しながら研究員共に吐き捨てた、失望と絶望と嫌悪と憐憫が等価に混じった表情は今でもよく覚えている。
 14歳の元服まで俺はこいつと暮らさねばならぬのだと言う。願い下げだった。俺は逃げ出すことに決めた。今から思えばそれがどれだけ無謀な企てなのかよくわかるが、当時の俺は本気だったし絶対に成功すると思っていた――何しろ俺たちは特別な存在なのだから。
 だから、〝弟〟に計画をこっそり打ち明け、そして拒絶された時俺は怒りよりむしろ戸惑った。これが反抗期というやつなのか?
 ――僕たちは、朝廷無くして生きられない。
 諦念と倦怠と厭世と憐憫が等価に混じった表情で、〝弟〟は俺にそう言った。
 初めて〝弟〟と殴り合いの喧嘩をした。
 訓練では〝弟〟とそれこそ何千回と手合わせをしたことがあり、これまで全て俺が勝利してきた。
 なのに。
 反応速度もセンサの感度も筋力もスピードも全て俺が上回っていたのに。〝弟〟の不思議な体捌きによりそれらはことごとく無意味と化し、逆にボコボコにされた。
 一日のうちに二度も叩きのめされた俺は文字通り指一本動かすことが出来ず、床で呻くしかなかった。〝弟〟は非常ベルのボタンを押し、研究員を呼ぶと俺の方を一顧だにせずそのまま部屋から出て行った。
 それ以降、俺と〝弟〟は部屋も訓練も授業も別で受ける事となった。全く会えなくなったわけではない。どうせ使用する施設は被っているのだ。廊下ですれ違うことは何度もあった。だがその度に〝弟〟の方から目を逸らし、肥った腹の陰に隠れるのだった。
 そう、俺と分かれて暮らし始めてから〝弟〟の側には常に枢機卿が侍っていた。貴人に接するように恭しい態度で〝弟〟を扱う枢機卿を見て、俺は何故か言いようもない怖気に襲われた。空気だと思って吸っていた気体が実は得体の知れない腐敗ガスだった様な。ふと腕にとまった羽虫が毒虫だと気付いた時の様な。
 一方俺は司令官と暮らすための俎豆を叩き込まれていた。人の上に立つものとしての帝王学や礼儀作法、朝廷内で雅とされる郵便性〈ポスタリティ〉等の習得が日課に加わり俺の脱出の決心は完全に固まった。
 〝弟〟は、あそこまで俺を叩きのめした挙句面と向かっての会話を避け続けている現状、着いて来いと説得するのは難しいだろう。置いていこう、そう決めた。だがそれでも、やはりこのまま喧嘩別れはしたくなかった。
 枢機卿や研究員の隙を伺い続けて、ついにある日俺は廊下の隅で〝弟〟と数ヶ月ぶりの会話を交わした。想像通り、〝弟〟はここに残ると言い張った。俺は声を荒げたい気持ちを抑え、そうか、とだけ言った。
 そしてその会話の最中に、久々に近くで見た〝弟〟の顔や手首に酷い痣ができているのを、俺は見てしまった。それを問い糺そうとすると、〝弟〟は石のように俯き口を噤んだ。
 俺がなおも質問を重ねようとすると、ふいに〝弟〟が顔を上げた。
 美しい顔だな、と思った。目の下に大きな痣があっても、その目に星粒のような涙を浮かべていても。
 〝弟〟は壁に背をつけていて、俺は逃げられないように顔の横に腕を伸ばしていた。身体はほぼ密着していて、俺の大腿筋に〝弟〟の柔らかくて細い脚が当たっている。
 少し会わない間にふっくらとしてきた〝弟〟の胸が、呼吸の度に上下する。
 俺は何かを言おうとしたが、その口は塞がれた。
 〝弟〟の唇で。
 呆然とした俺を突き飛ばして、〝弟〟は走り去った――と思ったら少し先で立ち止まり、振り返ってこう言った。
「どうかお元気で、お兄様。貴方の行く先が例えどんな場所でも、いつものままの貴方で在りますよう、心からお祈り申し上げます。
 いつものお兄様が、一番素敵で、お強いですから」
 そして今度こそ走り去った。

 決行日は、司令官の住居に送られる前夜。いつ移送されるのかは、〝弟〟がいなくなってから愚痴を言わなくなり表向きは従順に振舞っていたので、研究員から簡単に聞き出せた。
 そのお喋りな研究員は、俺に対する油断と自分たちの研究の成果がついに10年越しに表に出る喜びも相まって、完全に口を滑らせた。
 ……すまない。その内容ははっきりとは覚えていない。だがいくつかの単語は幾ら洗っても落ちない汚れのように俺の魂にこびり付いている。
『予備』『XX型』『失敗作』『処分』『枢機卿』『悪趣味』『玩具』『壊れ』『死■』『■■■』『■■■■■』。
 気付けば目の前には研究員のようなものがあった。
 室内の非常ベルが鳴っている――だがそれすら掻き消すような音が迸っている。うるさいな、なんの音だこれは。
 背後でドアが開く気配と同時に地面に這う寸前まで姿勢を落とす。頭上をテザースタンガンが数発通り過ぎた。俺は立ち上がる勢いをそのまま膝蹴りの運動量へと転化し駆けつけた警備員の顎を割り砕いた。主観上でゆっくり倒れこむ警備員の身体を空中で蹴って姿勢制御、後ろで待機していた別の警備員の首に回転をつけた足刀を叩きこんだ。あらぬ方向に首を曲げて廊下の壁に叩きつけられた警備員はぐにゃりと身体を投げ出した。
 うるさい音が続く。
 それが俺の喉から漏れ出る叫び声だと俺はようやく気付いた。
 警備員の死体から銃を抜き取る。弾を確かめると俺は走りだす。今まで使ったこともなかった電脳系モジュール群がフル回転し施設の地図を何処からか盗み出してきて俺の目の前に広げる。目的地へ、最も敵の少ない最短ルートを提示する。
 統合身体制御開始。全ての感覚が随意下に置かれる。圧倒的情報の奔流。それらを戦術モジュールが捌き切り、ただ殺意だけを抽出して俺の脚を動かす燃料とする。条件付けされた接敵パターンに従い廊下の扉から奥から角から押し寄せてくるクズ肉共をひたすら機械的に殺す。思考さえいらない。目に塵が入ったから瞬きをするような感覚。
 直線距離にして400メートルの道のりを4.2秒で駆け抜け、両手に余る敵を屠り、俺は目的の部屋の前まで来た。
 最上位権限が必要な論理錠前。0.2秒で解錠。俺は銃を構えたまま部屋へ突入する。

 目が合った。
 星粒のような涙を浮かべた、逆さまの目と。
 もはや何も映さない虹彩。開き切った瞳孔。
 口は白痴の様に開かれ、透明な唾液がだらだら美しい鼻梁を辿って、黒髪を汚していた。
 〝弟〟は概ねそのような表情で、仰向けの顔をこちらに向けて死んでいた。
 窒息死だろう。その醜くチアノーゼを起こした顔色から判断すると。索条痕がないところを見るに薬物による可能性が高いと親切な状況判断モジュールが教えてくれた。続いて薬物の種類を特定しだそうとしたそのモジュールをkillする。
 肥え太った、笑ってしまうくらいに白い肌の男は俺の突然の闖入に腰を振るのを止めて、豚のようにつぶらな瞳を精一杯大きく見開いた。
 生きながら死ね。
 
それが腐れ豚の枢機卿を撃ち殺す時、俺の脳髄に存在した思考の全てだった。万分の一秒でもこいつが息を吸っていることが許せない。億分の一秒でもいいからこいつを永らえさせて長く苦痛を味あわせてやりたい。
 まあ現実は時間がなかったので、俺はとっとと腹に三発、頭に二発撃ちこんで、即座に逃走を開始したのだが。
 〝弟〟と、枢機卿の死体を残して。

続く

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