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泥と鯨のワルツ
泥は、腐った臭いがする。
真上にある太陽が、果てなく続く泥海を炙る。ポコポコと音を立ててガスが湧き、黒い泥が僕の肌に跳ねた。
叢外れの漁場にハマシアと来たのは、伝説の《雷鯨》を獲る為だ。次の新月に、僕達は成人する。底辺の僕らが麗しのエレミアに求婚するには最早伝説に縋るしかないという訳だった。浮靴を履いているとはいえ、舫も無しにこんな沖まで出るのは危険だがそれも承知の上だ。
コーンと甲高い金属音が鳴った。泥に音叉を突き立てて聴音していたハマシアが驚愕し顔を上げる。
「おい、アハイア! 下にでっけえのが──」
瞬間、膨張。圧力。そして熱と光。ハマシアは千切れ、海の泥と混ざり、還った。僕は熱により一時的に固化した泥の上に吹き飛ばされ全身を痛打する。巻き上げられた泥と生物が降り注ぐ。
僕は畏怖した。これは間違いなく泥海の主たる雷鯨が吐いた逆雷だ。
遠く、泥の海を割って何か巨大な物が現れようとしていた。
ハマシアの音叉が泥に沈みかけているのを咄嗟に掴む。
『そこの少年、聴こえてる? こちらSMN-ミスグルヌス』
音叉を通じて聞こえてきたのは透明な、雨水の様な声だった。叢人達の泥を啜る様な粘りが全く無い。
『傍のゴーレムは排除した。君は我々が責任を持って保護する』
まるで理解できず、僕は酸欠の泥魚のように口を開閉させる。
「今の音はなんだアハイア!」
流体で駆けつけた叢の若衆達が、こちらに近づいてくる雷鯨を見て絶句した。
雷鯨の盛り上がった背中が割れ、中から奇妙な生き物が姿を見せる。
「さあ、早くこちらへ」
頭が一つ。手足は二つずつ。叢人とは違う。僕と、同じ。
振り返る。僕と彼女(そう、恐らく女性だ)を見比べて恐怖する叢人達。エレミアと目があったが、逸らされた。
友の仇は笑顔で僕を見つめている。
不意に腐臭が強まり、足元で泥海が黒く泡立った。
僕は咄嗟に跳んだ──雷鯨の方へと。
仇の笑みが、深まった気がした。
【続く】
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