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ポスト・ポストカリプスの配達員〈38〉

「久しぶりね、ナツキ。そちらの彼は、初めまして。
 私はカンポ騎士団副団長上級郵聖騎士、ローラ・ヒルという者です。あ、騎士団はもうないのでしたね」
 そう言いつつも、彼――否、〝彼女〟は優雅なカンポ騎士団式敬礼を行った。ナツキはも思わず答礼で応える。
「……誰なのだ、貴官は? 軍人、なのか? 我輩はAPOLLON所属撤去人〈ユウパッカー〉タグチ・リヤ中佐だ」
 タグチも撤去人式の敬礼の姿勢を取るが、その後はやはり銃口をローラと名乗った人物に向け直す。
「非礼と謗られても構わぬ。これも我輩の役目なのでな」
 ナツキが何か言いかけたが、それを制するように〝ローラ〟は両手を上げた。
「それが正しい反応ですわ、撤去人さん。貴殿が気の済むまで私はこのポーズを取っていますので、お話だけしても構いませんかしら?」
「む……」
 タグチはやや気勢を削がれるが銃は下ろさなかった。
 ナツキは混乱したまま話しかける。
「あなたは――その、本当にローラ、なの?」
『声紋は生前のローラ・ヒル上級郵聖騎士の物と一致しています』
「あら、トライもお久し振りね。ふふ、今は私と同じインカン仲間ね」
「インカン……て事は、人格バックアップ……? でも……」
『人格バックアップは上級郵聖騎士の特権として1体だけ認められていました。ですが、それを可能にする彼女のインカンはガブリエルと共に喪われた筈です』
 いや――ガブリエルは喪われて等はいなかった。漆黒の天使としてモスクワに降り立ったあのダーク・ガブリエルがその証拠だ。
「何が――あったの? あの日――ポストカリプスが起こったあの瞬間に」
 結局、疑問はそこに行き着く。目の前の彼女の口調、仕草は余りにもナツキの知るローラのそれと同一で。偽物だとはとても思えない。
「そうね――何故私がこの姿になったのか、今はどういう状態、状況なのか全部はじめから語った方が混乱も少ないし話もスムーズに進むでしょうね」
「待て。我輩たちには時間がないのだ。上で戦友〈とも〉を待たせておる」
「ああ、それなら大丈夫ですよ、APOLLONの軍人さん。ここでは時の流れは――無意味とは言いませんが気にする物ではありません。郵子力に満ちているこの場所では時間軸は縮み、交差し、あまつさえループしているのです。地表での数百年も、ここでは須臾に等しい」
 その瞬間、ローラの身体――枢機卿と思われる人物――は光に包まれた。
 光の中から現れたのは、三百年前まさにこの場所で最後に見たローラ・ヒル副団長その人の姿だった。肩口で切り揃えられた、緩くカールしたブルネット。病的とさえ言えるナツキの白い肌とは対照的に、活力と生命力に満ちた微かに桃色がかった肌色。青瑪瑙の様に、中心に向け色濃くなる虹彩を宿した瞳。穏やかな印象を付与する眉に、形良く高い鼻梁。花のような唇は笑みの形。そして身体を覆うのは紺色を基調としたカンポ騎士団の軍服だ。
 タグチは眉根を寄せ、ナツキは息を呑み、トライは即座に分析しそれが精緻なホログラムだと看破する。
「最早私に姿形は特に意味を持たないけれど――こちらの方がナツキは安心しますよね」
「我輩はまだ貴官が真実、ローラ・ヒルかどうかの確信が持てぬ」
「タグチくん、彼女は――」
「ふふ、とにかく聞いてから判断してもらえると助かりますわ……」
 そしてローラは、謳う様に語り出す。この地で過去〈past〉に起こった、郵便ポスト〈post〉による破滅と――彼女に何が起こったかを。

 郵西暦2205年、12月25日。〒空間内、〝双子の月〟上、モノリス・ポスト前。ローラ・ヒルは肉体に僅かに残存した意識がついに恐るべき古代のミームに掌握されるのを感じていた。即ち集合書留――6500万年前に滅びたレプティリアン達の集合無意識の成れの果て。
 横に立つマエシマ・ヒソカは褪めた目で横たわるローラを見下ろしていた。
「今更ナツキ一人を逃がした所でどうなる。巨視的な視野に立て、ローラ。不罪通知〈アブセンシアン〉に対抗するには、力が必要なのだ。ポスト・ヒューマンの意識に触れたお前なら分かるだろうが」
「ええ──感じるわ。そして貴方が今何をしたのかもね」
 ヒソカの持つ郵聖剣エクスカリバーが月面上に突き立てられている。それは緑色のエネルギーラインでミネルヴァと接続されていた。それはアブセンシアンを壊劫の彼方へと吹き飛ばす最終手段。即ち、ポストの増殖機能のリミッターを撤廃し無限増殖による質量増大を用いた地球恒星化。
「大郵嘯〈ポスタンピード〉……世界を滅ぼす気なの? そこまでしてでも、ゴボッ、『この中』の物を消し去りたいの?」
 言葉の最中に吐血する。突き立てられたエクスカリバーは、ローラの体をも貫いていた。
「当然だ。問題は人類等という矮小な領域に留まらない。全宇宙、全時空の危機だ」
「そう……逆に安心したわ。貴方がそこまで真面目に宇宙の行末を憂いていてくれて。だからこそ‘’矮小な領域‘’の私がやっている事に気づいていない様だから」
「むっ──」
 ヒソカはエクスカリバーから返ってくる数値の中に混じる異物をようやく感知した。だが剣を引き抜くより素早く、ローラは刃を掴むと深く深く自分の腹に押し込んでいく。
「USBA〈グレートブリテン及び北アメリカ連邦〉軍の兵士を、甞めるんじゃないわよ。ハラキリはサムライの特権じゃないの」
 身体を高度にサイボーグ化したUSBA兵士は、体内にとある機構を隠し持つ。三枚舌〈トリプル・クロック〉と呼ばれるそれは、日本と同盟を結びつつも戦後を見据えて様々な技術や情報を収集するための極めて高度なハッキングマシンであった。今、トリプル・クロックはエクスカリバーを逆解析し、そこへ流し込む命令を書き換えている。
「貴様──」
「貴方の焦った顔をようやく拝めたわね、ヒソカ」
 トリプル・クロックの機能は文字通り三つ。一つはハッキング。もう一つは、
「自爆よ」
 ヒソカの、そしてミネルヴァの判断は早かった。エクスカリバーを放棄し、機体へ退避。
 直後、偽の月の永久影を瞬間的に原子の光が照らし出した。ローラの体内の自爆用核融合炉が爆発したのだ。南極エイトケン盆地に存在した氷が瞬間的に気化し、そして急激に冷え、月面上に雪を降らせた。
 ヒソカはとっさにモノリス・ポストを振り返る。影響はない──否。
「気配が……消えた?」
 先程までこちらに出てこようとしていた者達は、何処かへと去っていた。それが爆発の影響なのか、それとも別の要因があるのかは判断がつかなかった。
「……さすがはローラ・ヒル上級郵聖騎士だ」
 思わず浮かべた笑みに、自身でも驚く。古代の爬虫人類のミームに乗っ取られた自分に、このような情動が残っているとは思わなかったからだ。
 周囲で振動が始まる。ポスタンピードの余波だ。このもう一つの月は〒空間上に存在するが、空間座標は現実の月と完全に一致している。量子的重なり合いを天文学的サイズにまで拡大して実現している。故に、通常空間の出来事もある程度はこちらにも影響するのだ。恐らくテレポストネットワークを通じて月面上のポストが増殖を開始したのだろう。だが……
「……遅い」
 先のハッキングのせいか、無限増殖の果に地球と星を小さな太陽に変えるはずのポストたちは指数関数的増加を止めていた。恐らくは、星の表面を覆い尽くす程度で抑制される。
 自爆痕のクレーターを見遣る。ローラが手に入らなかったのなら、代わりにナツキを手に入れるまで。ミネルヴァは重力制御を開始。上空に開口した〒空間のテレポート孔へとその身を躍らせた。

「ちょ、ちょっと待ってローラ。今の話だと自爆で死んでることになるけれど……」
 ナツキが慌てて質問する。横のタグチは話が予想より長かったので銃を構えて目を開いたまま立ち寝をしていた。
「あら、言ったでしょう? トリプル・クロックには三つ機能があるって。最後の一つ、それが郵政省とカンポ騎士団に対する完全な背命行為、人格バックアップよ。これは完全に通常の身体機能とは切り離されているから、ミーム汚染が到達する前に自爆できたってわけ」
『インカンを自前で用意していたのですか。驚きましたね。これはポスト・ヒューマンテクノロジーをほぼ独占していた郵政省にしか造れないと思っていました』
 トライは消滅したカンポ騎士団、ひいては郵政省に未だにハードウェアレベルでの忠誠心があるため、なんとも複雑そうな様子だった。
「USBAは──もう消えてしまったけれど油断ならない国家だったってことよ。とにかくインカン化した私はヒソカが去るのを待って、騎士団本部に戻ったの。そしたら驚いたわ。既に通常空間では1200四半期程度が経過していて、すっかり様変わりしていたんだもの」
『先程も仰っていましたね。確かにここは時空間異常が発生しています』
「原因は超密度のポストのせいよ。テレポート機能を持つポストに『時間』が流れ込み、また吐き出される。そうしたループの果に時間の異常加速や停滞が起こっているの」
「それは分かったけど……なんで今の姿になったの? そして──何故ガブリエルがアブセンシアンに乗っ取られているの?」
 ナツキは核心に触れる質問を発した。ダーク・ガブリエル。マナカの言が正しければあれこそがアブセンシアンそのものだという。
「その前にこちらからも一つ聞いておきたいことがあるわ」
 ローラは深刻な表情をしてい言った。
「あなた達は……マナカ・タダナオの事をどこまで知っているの?」
 その名がローラから発せられた事に驚きと戸惑いを覚えつつも、ナツキは答えた。
「詳しいことはあんまり……基本的にトライに話しかけることが多くて……」
『彼は推定“異世界人”です。この宇宙に属していない故の非存在として振る舞っていると推測されます』
 ローラは首を振った。
「ここは時間が乱れている。だからこそ観える物があるの。あらゆる時代の物資や情報がポストから吐き出されているから。
 だから、まずはこれだけは前提として理解して。理解し難い事だとは思うけど」
 続くローラの言葉は、本当にこちらの理解を拒むものだった。
「人型の非存在、異世界人、要所で貴方達に接触し、時には助けた者。
 マナカ・タダナオは、真の意味で存在しない。
 あなた達の、思い込みなの

【続く】

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