ポスト・ポストカリプスの配達員〈11〉
ポスト・ポストカリプス世界に昇る月は、赤い。郵便ポストの赤色だ。
月にも郵便局があったのがまずかった。大郵嘯〈ポスタンピード〉は月でも発生したのだ。当時、月には幾つか恒常的に人が住む基地があったようだが(ポストはその基地に設置されていたものだ)全て通信途絶し、その安否は現在に至るまでも確認されていない。
真空や宇宙線、微小隕石にも耐えるように設計されていた頑丈さと、月の低重力環境が何らかの反応を起こし、地球の三倍の密度で生えたポスト群は月の質量を数%増やして、地球の自転と公転にすら影響を及ぼした。大郵嘯後の文明崩壊を加速させた一因とも言われている。
配達員〈サガワー〉に伝わる都市伝説として、ポストを開けたら月に繋がっていたとか、ポストから月の住人が這い出してくるのを見たとか、幾つかの噂が存在する。だがどれも眉唾ものだ。
そもそも、それがかつて『月』と呼ばれていた天体であることを知る者自体が、今は少ない。
その赤さと表面に刻まれた巨大な『〒』マークから、今では人々はそれを郵星〈POSTAR〉と呼ぶ。
俺は赤くて丸い郵星を見上げながらくしゃみをした。季節的には秋の入り口のはずだが、さすがにモスクワ近郊は夜になれば底冷えする。ポストは夜間に放熱を行うのでなおさらだ。
「ん……寒い? もう少しくっつこうか?」
配達員の青コートを共有していたナツキがうとうととした浅い眠りから目覚め、こちらに距離を寄せてきた。俺はさり気なさを装って同じだけ距離を取る。
「照れ屋だね! オトシゴロってやつ?」
『ヤマト様の心拍数と体温の上昇を検知。ナツキは魅力的な女性ですから仕方のない事です』
普通に気づかれて俺は溜息をつき、自分から肩を寄せた。300年前と現代でデリカシーの基準が違うのか、こいつらが特別変なのか。どちらかと言えば後者のような気がする。
焚き火のぱちぱちという音と、胡座をかいたまま眠るタグチのイビキを除けば、百万光年先の恒星が燃焼する音すら聞こえてきそうな夜だった。
ポスト・ポストカリプス世界では、昆虫を含めた野生動物の一切は絶滅している。代わりに我が物顔で地上や空を闊歩してるのは宅配ドローンや宅配ボックスたちだ。ポストカリプス前分明のテクノロジーで創られた自律型配送システム群は野生化し、独自の改良と進化・分化を遂げて今や生き残っている人類よりも繁栄を遂げている。昼間出会ったような肉食性の奴らは、食える肉が人類しか残っていないので積極的にこちらを襲ってくる。だが基本的に野生化配送システム群は夜間は充電しているので、辺りに気配は存在しなかった。
郵星の柔らかな光と焚き火の明かりに照らされたナツキの横顔はほんのりと赤く闇に浮かび上がり、〒型に赫く瞳を際立たせている。夜明けまでおよそ8時間。夜は長い。
昼間、黒山羊〈レターイーター〉を倒した後に調べたポストはそこそこの当たりだった。中にはレア級宅配物の旧文明サバイバルキットが一個小隊分入っていた。モスクワまでは凡そ50Kmの道のりなので飢え死にの心配はないだろう。
俺は再び郵星に視線をやる。全く想像できないことではあるが、かつてあの星は一ヶ月単位で満ち欠けをしていたという。明るさがそんなに頻繁に変わると夜が不便ではないのだろうか?
「変な月」
ナツキが隣でぽつりと言った。もう寝たものと思っていた俺は少し驚いて隣を見る。郵星を見上げていたナツキがこちらを見て、少し笑った。
「あんな所までポストが増えるなんて思ってもみなかったよ」
「今は月じゃなく郵星って呼ぶんだ」
「ゆーせい。なにそれウケる。……結局私が守りたかったものは一握りしか守れなかったなあ」
タグチの方を見ると、完璧に寝ていた。聞くなら今だろう。
「なあ――どうして青ポストの中にいたんだ? 俺の秘密を教えたし、答えてくれ」
「いいよ。約束だしね」
もったいぶっていた割には、ナツキはあっさりと答えた。
「ただし眠くなるまでね」
「なんじゃそりゃ」
「まあまあ。これからの楽しみというか、ヤマトくんの秘密を聞き出すには小出しにしたほうがお得だと気付いたのですよ」
「お前なあ……まあいいや」
「どこから話そうかな。最初から話すと長いしなあ……」
「眠くなる前に話せる長さで頼むぞ」
「じゃあ、途中からだ。私と、ローラ――ローラ・ヒル副団長が、ミネルヴァを追い詰めた時、ヤマトくん達が大郵嘯って呼んでるあの災害が起こったの――」
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