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絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜この熱き血潮に懸けて〜 #4

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 ──いつからだろう。記憶の中の君達すら微笑まなくなったのは。
 或いは最初からか。自分に向けて笑顔を見せたこと自体が幻想だったか。
 二人きりの時に見せる、子供っぽい笑顔が好きだった。
 子を産んでから魅せる、強く優しい笑顔が好きだった。
 慈しんでいた。愛していた。それは疑いようがない……筈だ。慈しみは、愛は、届いていたか? 返ってきていたか? やめろ、疑ってはならない。
 思い出してもいけない。自分が、自分であるために。
 時と共に風化する記憶は彼から人間性をも削ぎ落としていった。鬼を人界に留める最後の鎹が消えた時、彼は全てを絶ち殺す存在と化した。

 罪業馬を使って凡そ四日。直線距離ならば十数Km程度の道程も、金属の迷宮ではこれだけかかる。
 幸いなのは都市部以外の辺境は人口密度が極端に低いため、野盗や追い剥ぎの類いもいない点だ。野生動物は全て絶滅しているので、危険といえば戦闘で損壊し崩落の危険がある天井や床くらいな物だった。
 夜間──セフィラに昼夜の区別はないのであくまで時計上の、だが──休む時は罪業馬の罪業場の陰に入っていれば一先ずは安全である。パットは不寝番をしていたが、トウマはなんの不安も無さそうに眠っていた。〈法務院〉に狙われている子供とは思えない胆力だ。
「それにしても、『外』って寒いんだね」
 トウマがやや青褪めた顔で言った。罪業エネルギー不足による辺境への電力カットも、過疎化の原因である。メタルセルユニットに霜がつく程の低温。だが顔色の原因はそれだけではないようだった。
「ごめん、停めて……」
 パットは無表情に馬を停めると、トウマを抱えて降ろす。体高2m超で脚も8本ある罪業馬の乗り心地はお世辞にも良いとは言えず、しかも表皮を保護するための湿潤液で常に暖かく湿っている。慣れない者にとっての乗馬体験は拷問と呼んで差し支えないだろう。
 トウマは冷たい壁に手をつき、胃液ばかりの吐瀉を繰り返す。スキットルに入った蒸留水を渡すと、軽くうがいをした後飲み干した。ついでにカロリーフィルムも舌に貼り食事の代わりとする。
「いや本当に今ここで殺して欲しいくらいの辛さだよこれは」
「軽口を叩けるなら大丈夫だな、行くぞ。あまり時間をかけ過ぎると追いつかれる」
 トウマは溜息をつくと、パットに抱えられて再度罪業馬に跨る。その程度の何気ない所作すら優雅であり、彼の血脈の貴さを想起させる物だった。
 この四日間の旅程の会話で(主にトウマが喋っていただけだが)分かった事と分からなかった事がある。
 ──〈法務院〉。〈王冠〉セフィラに居を構える、ミドルネーム持ち──「青き血脈」と呼ばれる、〈無限蛇〉の管理人達を頂点とした「政府」。この秩序無きセフィラに、法務とは笑わせる……が、あの「機動牢獄」とやらを全てのセフィラに、大量に輸送可能だとしたら。軍事的機動力の優位は、いかなる時代に於いても絶対だ。それを独占しているなら……武力による恐怖政治を可能たらしめるだろう。
 だが支配の方法は問題ではない。今各セフィラが直面している真の困難とは罪業エネルギーの不足である。繁栄すれば罪人が減る。支配者が被支配者を取って食っても、罪業変換機関の腹は満たせない。
「だから、僕の出番なんだ」
 パットの疑問にトウマは答えた。
「『おじいさま』はずっと寝ているから、代わりに僕たちが造られたんだよ。〈無限蛇〉システム群を真に無限に稼働させるために。人類を今後数千年に亘って存続させるために」
「──造られた?」
「そう。地獄をこの世に齎すために僕は生まれた」
 パットの肩にもたれてうとうとしながらトウマは言葉を続ける。
「だから……僕を殺して欲しいんだ。貴方のその武技(わざ)なら蛇の護りを抜いてきっと僕に届く……」
「……断る。子供は、殺さない」
「参ったな。じゃあ僕が大人になるまで匿ってよ。それから殺してくれればいい」
「地獄とは、なんだ」
 もちろん言葉の意味としては知っていた。だが、今以上の地獄があるだろうか。この瞬間もどこかで隣人同士が殺し合い、セフィラは滅びの坂を転がり落ちている。
「……苦悶の搾取。最大多数の善人を育み、その全てに最大限の苦痛を課す社会」
「善人だと? この情勢下で善人の育成など、どんな教育でも不可能だ」
「出来るんだ。僕には……僕たちには」
 その「方法」とやらは、トウマは語りたがらなかった。パットも無理に聞き出そうとは思わなかったので、暫時の間沈黙の帳が降りる。罪業馬の足音だけがメタルセルユニットに反響し、そのエコーの仕方が段々と変わってきた。狭隘な迷路を抜けて、「街」の領域に近づいてきたのだ。
 中央で罪業貴族共が幅を利かせていた頃、臣下である人民の移動の自由は著しく制限されていた。決まった狩場の外に出られると「発電作業」の効率が下がるからだ。そういった統制が外れた結果、大多数の市民は虐殺の跡地から三々五々に散らばっていった。かつての大都市は今や廃墟に点々と、動く事が出来なかったか或いは拒んだ人々がひっそりと暮らしている限界集落と化していた。
 什肆號発電所跡地。ここがパットが現在逗留している街だ。〈血錆組合〉にも教えていない。仕事を抜ける事になるが、そもそもトウマと出会った時、〈法務院〉の部隊が襲ってきたタイミングをパットは訝しんでいた。〈血錆組合〉は知っていたのではないか。トウマや〈法務院〉の事を。
「馬では市中に入れない。ここからは歩きだ」
「そっちの方が助かるよ。それにしても……暗い街だね」
 罪業燈が壁や柱に一定の間隔で掛けられているがその大半は割れていたり盗難されていたり……そもそも灯っていなかった。物資とエネルギー不足は日々切迫しており、有人エリアですらこの有様だ。
「……人類は、滅びかけている」
 トウマの手を引きながら、パットは速足で歩く。軍用コートを頭から被せてトウマの美貌を隠してはいるが子供連れは否が応でも目立つ。
「例え地獄でも、数千年の間生き延びられるのなら……それは満足すべき結果ではないのか」
 トウマの手が強張った。
「それは、」
 何か反論を口しようとしたその刹那。
「あーー!!! おかえりなさいパットさん!!! んもー!!! また服汚れてる!!! 洗濯するの結局私なんですからね!!! どんな仕事してるかしりませんが作業着と普段着くらい別にしてください!!! 怒りますよ!!! うそです!!! 許します!!!」
 爆撃でも始まったのかと思った。
「バロット、声を落とせ」
 淡々と、バロット……現在パットが店子として世話になっているビルの大家の若い娘に言った。
「はい! わかりました!」
 声量を落としてもなお苦情が来そうな返事を元気よくしたバロットは、傍らのトウマに気づいた。
「あれ! 迷子ですか? いいですよいいですよ、ウチで預かりますよ! さあさ、そんな汚いコートはこっちに! ……ってかわいいい!!! どうしたんですかパットさん!!! 誘拐ですか!?」
 トウマは初めて怯えた様子を見せてパットの服を掴み背後に隠れる。バロットはそれを追いかけて回りこみ、結果二人はパットの周りをぐるぐると回転する謎の挙動を示していた。
「いや、事情があって連れてきた。家賃は払う」
「いいですよおそんなの! すでに相場の倍貰ってますからね!」
「そうか。では長旅で彼が疲れているので失礼する」
「あ、ちょっとパットさ、」
 まだ何か喋り掛けてくるバロットを振り切って、パットはビルの二階の部屋に滑り込んだ。
「……なんなの、あれ」
 ようやく一息ついてから、トウマがやや引き気味に呟いた。
「あれじゃないですよ! バロットです! 大家の娘です! よろしくお願いします! 君の名前は何かな!?」
「うわあ!?」
 トウマが出会って初めて驚愕の声を上げて傍に飛びのく。いつのまにか空いている扉を背後にバロットが姿勢良く立っていた。
「マスターキーで勝手に入ってくるんじゃないと何回言ったら分かるんだ君は」
 しかしバロットは逃げ惑うトウマを追いかけ回すのに夢中で聞いていないようだった。
「馬に乗ってきましたね! ひどい臭いです! 着ているもの全部脱いでください! いや脱がします!」
「いやだー!」
 二人と一人の奇妙な共同生活は、こうやって始まった。

【続く】

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