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溶け去りし日々のマキナ
暗転。
えーっと。
どこまで話したんだっけ。
そうだ、ロス・アラモスの老人達が世界をこうしてしまった所だったね。万物理論を超えた〈投影理論〉が世界から秘密を剥ぎ取ってしまった。秘密がない世界に耐えられなくなった人類は世界を弄り回す事にした。多分、そんな所だろうと思うよ。
余談だけど、投影理論が発表された当時、物理学用語としての〈ディスプレイ〉を実体のディスプレイと勘違いした陰謀論者共が「この世界は上位存在に演算された結果を映しているに過ぎないのだ!」と喚き散らしたりしたそうだ。
無知とは時として真実を掠める事があるものだと、研究所ではよく笑い話になったものさ。
輝点。
急激なGでブラックアウトした視界が回復しつつある。
どうも加速体質者だと、こういう時暇で困るね。
もう少し話そうか。
君も知っての通り、かの〈大溶融〉によって世界は荒廃した。
地を覆う血管と、そこから生える赤い椰子の木で埋め尽くされたサハラを見たかい? 或いは徘徊する摩天楼により猖獗を極めるマンハッタンは? ソウルは流動する地下鉄の蛇に飲み込まれ、ロンドンの詠う霧はテムズ川の向こう岸を見透かす事を一切許さない。ハワイ島は発情して南米大陸に向かって秋波を送っているし、インドでは世界樹伐採運動が盛んだ。シドニーに空いた大穴から出て来た者たちの事は、ここでは敢えて語るまい。
そんな世界のカオスに比べれば、私と君が今まさに立っているこの地、かつて本州と呼ばれていた大きな島は幾分かマシと言えるかもしれない。脈打つ海に四方を囲まれてはいるが、内地は懐かしき前時代の面影を十分に残した都市遺構が続く。だがよくよく目を凝らすと、傾いだビルの物影に、マンホールの蓋の隙間に、主の去った家の窓に、この世ならざるモノ達が息づく気配を感じ取る事が出来る筈だ。
〈鵺〉、と呼ばれている。
日本政府は、あの大実験には懐疑的だったから対策を打っていたらしい。しかし領土保全に躍起になるあまり、人への影響はあまり考慮していなかった。あらゆる有機物と無機物がシャッフルされたあの悪夢は、どういう訳か知性体には影響しなかった。逆に、日本では人にだけ影響が出たという訳だ。皮肉だね。
皮と肉を残せた者は幸運だった訳だけど。
世界に彩度が戻る。
戦闘意識野と乖離した自由意識野がべらべら喋っていたログが流れ込んできた。仔細無い。
意識は12ミリ秒前に復帰したが、筐体の再起動に手間取っている。理由は一目瞭然で、現在も超融銀質製の胴体を軋ませながら巻き付いている翼のせいだった。ロウビジの軍用機の様な色だが、先端は黒く白い斑点が付いている。
郭公の翼だ。
再起動の進捗ログを見返していた私は、そう言えばまだこの〈大鵺〉に名前を付けていなかった事を思い出す。戦闘後はレポートを中央サーバにアップロードする規定だが、もはや私以外にアクセスする者は存在しない。
だから名無しでも良いのだが、折角前回の〈大鵺〉には名付けたのだし。
そうだね。時間もないし、これでいいか。
君の名は、〈郭公〉だ。
再起動、成功。美しい翼が四散し、廃墟のアスファルトを赤く濡らす。
銀色の西洋甲冑。私の今の姿を一言で表すとしたらそんな所だろう。打撃を受け流すべき甲冑にしては丸みが少なく、鋭角が多用され、更には胴も手足も折れそうな程に細いが、実際用途としてこれは甲冑だった。
戦うための装束だ。
華奢な超融銀質製の基礎骨格の周りを、半透明の幽甲が鎧う。私の周囲で巻き上げられていた次元が再展開し、カラビ・ヤウ多様体の崩壊に伴う虹色の光が周囲のビルの割れガラスに乱反射した。万華鏡の中に迷い込んだかの様な光景だ。
君は余りお喋りな方ではないのかな? 折角長時間接触出来たから色々話してあげたのに。
やはり今回も、殺すしかないのかな。
〈郭公〉は翼を一枚失っても特に狼狽えた様子も見せず、街頭時計に置換された頭部を震わせ、ぜんまい仕掛けの雄叫びを上げた。当然だろう。〈大鵺〉・〈郭公〉には十二枚もの翼があるのだから。全高は5メートル。
翼は潰しても効果がないのなら、やはり狙うべきはあの胴体か。第二次性徴前と思しき少女のトルソから巨大な翼やら奇怪な頭やらが生えている様は〈鵺〉──即ち人と物質の融合体である彼らをいくら討伐し続けたとしても見慣れる事はない。
──吐き気を催す、神々しさ。
そうだ、自己紹介が遅れていたね。
私の名前は施条マキナ。
君たちを狩る者であり、〈折り畳み〉システム適合体にして、〈神託機関〉最後の生き残りだ。
自由意識野が煩い。
〈郭公〉が翼を撃ち振るう。センサーが重力子を検知。私を拘束出来たのはあれのおかげらしい。普通なら触れる事すら出来ない。
前回戦った〈大鵺〉である〈狒々〉も重力子発生機構を備えていた。無作為に人間が物と融合したただの〈鵺〉と違い、〈大鵺〉には知恵がある。ミスフォールド前の人格をある程度保持しているケースすら確認されている。二体続けて私への対策を行っていたというのも驚くには値しないが、問題は誰から神託筐体の事を聞かされたのか、だ。
まあ今考える事柄ではない。
両腕の幽甲が伸長し、幽幻なる剣を成形する。幽甲とは「巻き上げられていない」余剰次元に仮想質量を付与した物だ。投影理論が生み出した超常のメゾ物質。如何なる存在からも侵される事がなく、いかなる物質をも昇華させる無矛盾の存在。現在判明している唯一の〈鵺〉への特効兵器。
〈郭公〉は翼に溜めた重力子を放出。加速後0.5秒で巨体は第三宇宙速度を突破。だが加速した私の視界ではそれすら極めてゆったりとして見える。私に向かって一斉に伸長する翼を全て躱し、懐へと潜り込む。無表情な街頭時計の顔に、私は確かに驚愕が奔るのを見た。
加速体質者の戦闘は常に須臾の間に決する。
末摩すら断つ速度で揮われた私の両刀は、〈郭公〉を三つに裂く。切断面に付着した幽甲が仮想質量を蒸発させ、余剰次元の巻き上げが発生。〈郭公〉はプランク長以下の点に吸い込まれ、この次元から消失した。
戦闘が終結した。
切り離していた自由意識野が私と統合される。
私はこの瞬間があまり好きではない。
ミスリルが「折り畳まれ」、私を形作っていく。幽甲が全て消滅する頃には、そこにはいつもの私、外見年齢16の小娘が立っていた。白い髪に紅い瞳は、〈折り畳み〉システム適合体の証だ。
罅割れたビルの壁面に染み込んだ〈郭公〉の血や飛び散った羽根の一部を情報化してレポートと共に送信し、後片付けは終わった。
あれ? でも自由意識野のお喋りのログも載せたままじゃないか? 幾ら見る者無きレポートはいえ、何でも載せて良い訳でもないからね。
私は慌てて神託機関のサーバにアクセスし最新のログ、即ち私のレポートを開いた。その瞬間、普段は私と溶け合っている戦闘意識野が反応した。私が見落としていた事実を、見つけた。
既読数、2。
一回は勿論私だけど。
「君か~?」
〈大鵺〉達に私の情報を流している奴は。だがこのサーバーにアクセス可能な権限を持つ者は、神託機関の局員だけだ。
「はず、だけど」
生き残りが? まさか。あの襲撃を、逃げ延びるなど。
「……よし」
最も単純な手法を私は採った。
『君は、誰?』
それだけ書いたレポートをアップする。
既読1。ほぼ即時読んだらしい。更新があった場合通知が飛ぶのだろう。
反応は思ったより劇的だった。
無題のレポートが、アップされた。通り一遍のスキャンでは何も検出されず。後はもう開いてみるしかない。
レポートの内容は、私が送ったのと同じくらいシンプルだった。
『8.22 忘れるな』
自分の口元が歪んだのが分かった。
忘れるな?
忘れるものか。
8.22。8月22日。神託機関本部襲撃の日。
私が全ての家族と友人を喪った日。
私が全ての家族と友人を殺した日。
「地獄から這い出てきたの? じゃあ、送り返さなきゃね」
何処までも続く廃墟。そこに息づく化け物達の気配。この中に混じって、こいつは潜んでいる。
私はその気配を頼りに歩き出す。〈鵺〉を殺す為に。そして、元仲間を殺し直すために。
〈続く〉
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