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ポスト・ポストカリプスの配達員 第一章『邂逅、サハラ死闘編』まとめ読み版

1


 自己増殖した数京個のポストにより、文明は崩壊した。今世界で最もポピュラーな職は配達員〈サガワー〉と撤去人〈ユウパッカー〉。
 俺は配達員の方をやっている。ポストに稀に入っている食料や水を探し出して、売り捌くのだ。ちなみに撤去人はポストを憎んでいるので丸ごと引っこ抜いちまう。
 ここはかつてサハラ砂漠と呼ばれていた場所。今は砂の代わりにポストがびっしり屹立する。 
 ポストを一個一個調べて当たりがあったらスーパーカブに積む。カブも増殖するので世界中の乗物はコレになった。 
 その時頭上に影が差し、俺はポストを咄嗟に盾にする。
 ブーンという音と共に来たのは配達ドローン(肉食性)だ。まずいな、俺のシグサガワー・マシンピストルでは火力不足だ。奴らは郵政省のバッジをつけていない者を無差別に襲う。つまり全人類をって事だ。
 次の瞬間、隠れていたその更に背後に巨大ヤドカリじみた宅配ボックス(肉食性)が音も無く潜んでいると気づいた時には、俺は叫びながら安定超ウラン元素弾頭を撃ちまくっていた!

「ハンコオネガイシマース!」

 BRATATATATAT!!!!


DELIVERER IN POST-POSTCALYPSE
HOT START!


2


 テレポートの語源がtele-postというのは皆さんご存知のとおりだろう。第四次環太平洋限定無制限戦争時に開発されたそれは、ポストに物を入れると遠くの別のポストに瞬時に転送される戦略的インフラとして造られ、戦後瞬く間に、ある意味普及した。普及しすぎた。
 開発を主導したのは再び官営化され、物資補給や通信を担当していた当時の日本の郵政省。なにしろ戦争中だった。画期的なインフラも破壊されては意味が無い。物質の可逆的量子化や無質量化はまだ実用化前だったし、金属分解ナノバクテリア入りの有機ミサイルが引っ切り無しに飛んできては国土を石器時代に戻そうと頑張っていた。
 だから自己複製能をつけた。壊れても増えれば問題ないよね、と。
 自己複製能の制御系を壊されるとは、考えていなかったようである。
 グラウンド・ゼロは恐らく帝都・霞ヶ関。
 現在も増え続けるポストはその総数を誰も把握出来ず、戦争を終わらせ、文明を終わらせ、しかし世界をギリギリ終わらせなかった。自己複製の際に中にあるものも一緒に増えるので、凡そ無限の水と食料が齎されたからだ。
 こうしてポスト・ポストカリプスの世界が出来上がった。

 俺はそんな世界を旅する配達員〈サガワー〉。ポストの中身を集めて回って必要とされる場所に届ける、この世界で最もありふれた職業。
 楽そうに見えるか? 実はそうでもないんだ。
 なにせ戦争中だった。奪われたインフラが敵に利用されるのなんて当たり前。だから対策を立てていた。ポストは郵政公社のIDを確認出来ないと開けられない。これはいい。こじ開ければ済む話だ。
 問題はこじ開けた場合に中身がランダムで転送され、中には名状しがたきものが混ざるという点だった。

「SHHHHHHHGHHHHHHHHHHHHHHH!!!!!!!」
 八つの眼と無数の触手から恐るべき溶解粘液を撒き散らすのは、『切手収集家〈スタンプコレクター〉』と呼ばれる怪物だ。名前の由来は、食い殺したやつの顔の皮を自分の身体に貼り付けるから。こいつは確認できるかぎり三人しか食っていないまだ小物。
 郵政省が創りだした物ではないだろう。テレポテーションの理論は、散らかった郵便局の状態を波動関数として捉え、それを基底に〒空間を経由して物質を飛ばす。
 その際に宛先不明だったり料金不足だったりするとこういうバケモノが生成される。かつては日本国内と戦地を結ぶだけだったが、今や世界中あらゆる場所に偏在するポストはそのネットワークのカオスとエントロピーを無限に増大させており、よってポストを開けるとバケモノが出てくる確率も相応に高い。
 BLAME! BLAME! BLAME!
 俺は両手でしっかりと握った52口径のシグサガワー・マシンピストルを三点バースト。冒涜的なミートボールのような剥き出しのスタンプコレクターの脳に過たず命中。
「GRUUUUUUGHHHHHHHHHH!!!!!!!!!」
 怪物は絶叫と共に溶解粘液を四方八方へと撒き散らすが、俺は宅配ボックスの殻――安定超ウラン元素の重金属製――で防ぐと今度はフルオートで撃ちまくった。
 BBBBBLLLLLAAAAAMMMMMEEEEEE!!!!!
 逆光の中、発狂したイソギンチャクみたいなスタンプコレクターの陰が一部欠けて四散した。
「サイハイタツハ……ウケツケテオリマセ……ン……!」
 謎めいた断末魔と共にビクリと一度痙攣すると動かなくなる。俺はしばらく息を潜めて見守っていたが、再度動き出したりしないのを確認すると宅配ボックスから這い出した。
「ウェー……」
 紫色の体液がサハラの砂に染みこんでいく。俺は体液を踏まないように慎重にポストに近づく。配達ドローンと宅配ボックスに加えスタンプコレクターまで相手に大立ち回りだ。これで目当てのポストの中身が空振りだったら久々の大赤字になってしまう。
 そのポストは、青かった。
「絶対お宝が眠ってるぜこれは……!」
 青いポストには様々な伝説がつきまとう。俺は興奮を抑えきれずにポストの腹を……開いた!
 ブシュー!! 真っ白い冷気が激しく漏れ出す! やった、レジェンド級宅配物、クール便だ!
 俺はそのとても重い発泡スチロール製のコンテナを慎重に取り出すと、ほとんど恭しく蓋を開いた……!
「なっ……」
 そこに入っていたのは俺が期待していたような冷凍有機ナノユニットやエントロピー中和冷媒剤などではなかった。

 それは、凍った、女の子だった。

3


 その肌は白すぎて、うっすらとついた霜と区別がつかないほどだった。長い睫毛、長い髪の毛、綺麗な形の眉。それらの体毛も全てが白い。水色の発泡スチロール製コンテナの中に、胎児のような格好で丸まって、眼を閉じている。
 ポストカリプス前のデータライブラリで見たことがある服装。患者服、というやつだ。薄手で、身体のラインがはっきりと分かる。乳房は大きかった。瞳を閉じていても分かるあどけなさが残る。未成年だろうか? 微妙なラインだった。
 難病の患者を、医療が発達した未来が来るまで冷凍保存する……そんなこともポストカリプス前の文明では行われていたらしい。彼女もそんな患者の一人なのだろうか?
 しかし何故ポストに?
 しかも青いポストに。
 青いポストにまつわる伝説……それは青ポストが戦時中に重要戦略物資をやりとりする基幹ポストノードだったことから生まれたものだ。曰く横流しされた金塊が入っている。曰く戦争を終わりへと導く秘密決戦兵器のパーツが入っている。曰く亡命した将校が未だに生きたまま複製され彷徨っている……。
 凍った女の子が入っているとは、ついぞ聞いたことがなかったが。

 俺はおっかなびっくり女の子に触れてみる――冷たい。親指でキュッと霜を拭う。拭ったところをつついてみる――柔らかい。俺は少し驚いた。ポスト・ポストカリプス文明では冷凍冬眠といえば血液を全て有機不凍液に入れ替え、不凍液の糖分を栄養にして低温の永の眠りにつかせるものだ。蘇生確率は2桁を切る。こんな……まるでただ本当に眠っているだけのような有様は、俺の知らない技術によって成された処置だった。
 サハラ沙漠は消滅したとはいえ、ヒートポスト現象により気温はやはり高いままであり、太陽はほぼ天頂にあって林立するポスト群の日陰に隠れることもできない。このままだと女の子はじき自然解凍されるのは確実に思われた。
 俺は冷気を吐き出し続ける青ポストと女の子を交互に見る。
 ――このまま見なかったことにして、戻しちまおうか。
 それがベストだな、うん。このまま手ぶらだと大赤字だが、酒の席で大受け間違いなしの与太話が出来たと思えば、まあいいか。本当は良くないが、俺の配達員としての勘が告げていた。「関わるな」と。
 俺は発砲スチロールの蓋を手に取ると、コンテナを閉――目が合った――じた。
「……んん?」
 何か今、良からぬことが一瞬起こったような……。脳味噌も理性も網膜に埋め込んであるナノアイカメラも起こった出来事を正確に把握していたが、ナノアイカメラは更に視界の片隅で120fpsのコマ送りでリピート再生していたが、感情がそれを否定したがっていた。開けて確かめればめんどくさいことが確実に起こる。
 速やかにこのままポストに再投函すべし!
 俺がコンテナに手をかけた、その時。
 ――ばっこーん!!!
「うおおお!?」
 コンテナの蓋が内側から勢い良く吹き飛ばされた!
 そして、白い女の子が右腕を高々と突き上げて立ち上がったのだ! 叫びながら!
「密閉が甘い荷物をポストに入れるな―――っ!」

 再び目が合った。彼女の目は、赤かった。そして、その瞳の中には……。
「ここはどこ?」
 女の子はキョロキョロと辺りを見渡しながらそう言った。俺は腰を抜かして口をパクパクとさせることしか出来ない。どんな怪物のアンブッシュにも動じずにこれまで配達稼業をこなしてきた俺だが、さすがにこれは感情制御モジュールの閾値を越えていた。
「私はだあれ?」
 続けて女の子が言った
 ……マジかよ。記憶がない……? 俺はから唾を飲み込む。冷凍睡眠からの覚醒時には記憶の混濁や消失はよくあることらしい。まあ記憶がないなら都合がいい。このまま舌先三寸で丸め込んでしまおう。
 だが。
「うっそでーす」
「ああ!?」
 俺は立ち上がって思わず叫んだ。なんだこいつは?
「ユーモア。ブラックジョーク」
「ブラックジョークって自分で言うんじゃねえよ!」
「どうどう。怒らない怒らない。あっUFO」
「……」
 俺は険しく睨んだまま、女の子が指差した方をチラッと見る。当然、サハラの青い空が広がるばかり。
「やーい引っかかってやんのー」
「……」
「黙ってちゃつまらないなあ。あっ後ろ危ないよ」
「……もう引っかからんぞ。お前は、誰だ」
「んー。その前にここはどこ? 起きたばっかでGPS〈グローバル・ポスティング・システム〉が上手く働かないんだ」
 なんだそのシステムは?
「ここは、サハラだ。西サハラ。元モロッコ領」
「ああサハラね。はいはい郵便衛星〈PoSat〉コール……郵便番号同期完了、と。ところで君、後ろが危ないよ」
「あのなあ、乳が大きいからって俺がいつまでも許すと思うなよ? もう引っかからんぞ、と、……」
 気がつけば、俺は日陰にいた。太陽は天頂にあり、ポストの影は足元に丸く、ぬらりとした溶解粘液が頭上から、
 BLAME! BLAME! BLAME!
 肩越しに背後へと咄嗟のノールックバースト射撃。片手で撃ったためシグサガワーの強烈なリコイルで身体が前につんのめるが俺はむしろそれを利用して、跳んだ!
 直後!
「SHHHHHHHHHHAAAAAAGYAAAAAAAAAAAAAAHHHH!!!!」
 百年は調律をしていない巨大パイプオルガンの鍵盤の上で下手くそがワルツを踊ったような、おぞましき咆哮! スタンプコレクターが蘇生していたのだ! 小物と侮っていたか……!
「だから危ないって言ったのに」
 白い女の子はのんびりというと、スタンプコレクターに向き直った。
「ふーん。アドレス不明時の『手紙の悪魔〈メーラーデーモン〉』か」
「何わけの分からんことを言ってる! 早く逃げるか隠れろ!」
 だがかく言う俺も隠れようにも宅配ボックスの殻はスタンプコレクターの近くにあり逃げ場なし! 一か八か、ポストに飛び込んでみるか!? 俺は青ポストに視線をやる――そして目を見開いた。
 ポストから、巨大な――圧倒的に巨大な質量が現れようとしている!
「GRRRRRRRRRR!?」
 スタンプコレクターもその気配に気づき触手を強張らせて警戒態勢を取った。唯一のこの場の例外は、白い女の子。
 自然と。悠然と。泰然と。
 当たり前のように。何でもないように。息をするように。
 女の子は青ポストの中から片手でその質量を取り出すと、残像と衝撃波を伴う速度で怪物に叩きつけた!!
 CRAAAAAAAASH!!!!!
「GYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAASSSSHHHHHH!!!!!!????」
 俺は、青ポストにまつわる伝説を思い出していた――曰く戦争を終わりへと導く秘密決戦兵器のパーツが入っている――だがそれは兵器、なのだろうか? そうと呼ぶには、それはあまりにも、あまりにも異形だった……!

 少女の赤い瞳、その虹彩に爛々と赫〈かがや〉く『』マーク!
 そして少女の片手には俺も見慣れた機械〈マシン〉。赤と白に塗り分けられた、そう、それは兵器などではなく配達スーパーカブ……ただし、その大きさは10メートル超!
 もはや『アルティメット・カブ』と呼ぶのが相応しい、雄々しき神機!!
 そのフロントカウルにはやはり『』マーク。少女の瞳と同期して、機体全体に有機的に走るパワーラインが、力を蓄えるかのような脈動明滅を繰り返す……。

「YOU、ちょっと消えておくれよ」

 白い女の子はにっこり笑って、そう言った。

4


 ポスト・ポストカリプス世界では、スーパーカブが畑で採れるということは子供でも知っている一般常識である。
 増殖したポストのそばには時々、カブの種が落ちている。種――高密度圧縮されたカブの空間情報体は丁寧に耕した畑に埋めると、ポストカリプス前から存在する、かつて生産インフラを動かしていた地下ネットワーク茎へとタキオンファイバー製の根を接続する。そしてコンポストと呼ばれる特殊なポストから公開暗号鍵とエネルギーや資材やらを受け取りすくすくと成長するのだ。
 旬は3~5月の春と、10~11月の秋。通年出荷されているが、春物は乗り心地がやわらかく、秋物は排気ガスの匂いの甘みが強くなると言われている。スーパーカブ農家はポスト・ポストカリプス文明の基盤を支える大事な第一次産業だが、近年後継者不足に悩まされており、特に全世界規模での厳しい人口減による嫁不足が深刻化している。
 畑産カブのサイズは凡そ1.8メートル。よほどの大物でも2メートルを超えるくらいであり、祭事に使われる特別な種類でようやく3メートルほど。
 10メートル超のカブなど、俺はこれまで見たことも聞いたこともない。

「この誓約は、郵便の軍務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を増進することを目的とし、ひいては郵政省の勝利にこの身を捧げる為のものである」
 白い女の子がこれまでのどこか投げやりで気怠げだった口調から一転、朗々と、滔々と口にするその内容に俺は覚えがあった。郵政省の部隊の中でも最精鋭と謳われた、カンポ騎士団〈ポスタル・オーダー〉の入団時の誓詞だ。
 カンポ騎士団とは謎めいた総帥、ロード・カンポに率いられた神出鬼没の軍団であり、第二次環太平洋限定無制限戦争時、八丈島の戦いで南アメリカ連合王国軍相手に陸海空全てを走行可能なスーパーカブの機動力を最大限活かした、圧倒的包囲殲滅戦を仕掛けたことで名高い。
 だがカンポ騎士団は人類最後の戦争となった第四次環太平洋限定無制限戦争の時代には既に解散していた筈だが……。
 俺が訝しんでいる目前で、女の子が詠唱する入団誓詞と共に、巨大スーパーカブ――アルティメット・カブがパワーラインに沿ってパーツ展開を始めた!
「郵便の軍務は、この誓約の定めるところにより、カンポ騎士団が行う」
 ガゴンガゴンガゴン! 巨大パーツ同士が擦れ合い立てる音は、これから戦場へと向かう兵士を鼓舞する銅鑼鐘の音の様だ! パワーラインを走る光の色が女の子の瞳と同じ赤色に染まり、吹き出す圧縮蒸気を払暁の空色へと染め上げる!
 アルティメット・カブのカウルの〒マークからレーザービームが投射され、空間に巨大な〒マークを拡大投影する――と、〒マークが形を歪め、まるで人型のように直立した。アルティメットカブもそれに合わせた形へと姿を変えていく。
 変形! 変形である!
 サイドスタンドとメインスタンドはバシャバシャッという音とともに前後・左右に二段階展開、チェンジペダルやキックスタータペダルと組み合わさり、逞しい脚を形成。
 タイヤも分解、再結合が行われ、分厚いゴムは肩パーツとなる。スポークが絡み合いスカスカな腕を作り上げる。隙間はすぐにエネルギーラインが走り、謎めいたチューブやシリンダーで埋められていく。
 フロントカウルは頭部へと移り、折れ曲がって武者兜のような装甲となった。ポジションランプとヘッドライトが顔面部分に縦に並び、カバーが内側から炸薬破砕され広域センサーとモノアイカメラが露わになる。
「郵便に関する任務は、郵便事業の能率的な作戦の下における適正な戦闘を行い、かつ、適正な勝利を含むものでなければならない」
 グオオオオオオン!! 胸部の5000馬力級横型エンジンが排気を開始した! まるで大地そのものが震えて音を出しているかと錯覚する凄まじいアイドリング!
 二足で大地を踏みしめるその威容、凡そ全高12メートル。神々しき佇まいは、まさにこの世に顕現した郵便の神ヘルメスの如し!
 しかし胸の部分に未だ空白がある。だがそこに生えている二本のハンドルグリップを見ればその役目は明らかだ。
「……何人も、騎士団の庇護下において差別されることがない」
 白い女の子はぐっと屈むと砂煙を巻き上げながら大跳躍、空中で捻りを加えた回転をすると地高8メートルの部分にあるコックピットにピタリと収まった。同時に透明なキャノピーがコックピットと外界を遮断する。
『定形外スーパーカブ型決戦配送機〈アルティメット・カブ〉・個体識別用概念住所『トリスメギストス』起動完了。配達員〈ポストリュード〉による誓約認証突破を確認。おはようございます配達員・ナツキ』
 モノアイを〒型に光らせながら、アルティメットカブ・トリスメギストスが穏やかな男性の音声を発した。
 白い女の子――ナツキというのか――は目を文字通り輝かせながらそれに応える。
「おはよう、トライ。だいたい1200四半期ぶりかな?」
 四半期というのはポストカリプス以前に存在した神秘的な時間の単位だ。主に軍事用の暦として用いられ、戦争もこれに合わせて行われていたという。
『正確には1211四半期ぶりです、ナツキ』
 のんびりした会話を行う一人と一機。今はそれどころではないだろうが!
 スタンプコレクターはアルティメット・カブを叩きつけられたダメージから既に立ち直り、なおかつその体躯を二回りほど膨らませていた。その巨体は今やトリスメギストスに匹敵するほどだ!
 俺の銃撃からの回復といい、異様にタフなその秘密は周囲のポストに巻きついて何らかの郵便エネルギーを吸い上げている触手にあると見て間違いないだろう。
「SHUSHUSHUUUUUU!!!」
 スタンプコレクターは複数の触手を束ね高速回転させる。溶解粘液の飛沫を撒き散らしながら周囲の大気を引き裂く唸りをあげるそれはまさに肉色をした岩盤掘削機。悪夢!
 対するトリスメギストスは6本のマニピュレーターが生えた腕をガードするでもなく前後にぶらぶらと揺らしているだけ。おい大丈夫なのか。
「少年、そこ危ないから伏せといて」
 ナツキが外部スピーカーを通して俺に警告を送った、瞬間――颶風が荒れ狂った。
「うおおお!?」
 俺は手近なポストに咄嗟に掴まり、空高く吹き上げられての落下死を辛うじて防ぐ。
「ハッハアァッ!!」
 高揚の笑いとも裂帛の気合ともつかないナツキの声が遅れて聞こえてきた。網膜ナノアイカメラの120fpsスロー撮影モードでも上手く捉えきれない、それは言ってしまえばただの踏み込みだった。地面が爆発し、砂とポストを跳ね飛ばし、音の波は発生するそばから前方の波にぶつかって甲高い破裂音を作り出し周囲一帯にぶちまける。それは破滅的な有様だったが、全高12メートル重量50トンの鉄塊がこの速度で動いたにしては静かすぎるし破壊の規模も小さかったのを俺は看破した。
 俺はつい先程、ナツキが片手でトリスメギストスを持っていたことを思い出す。これは、やはり――重力制御が行われていると見て間違いないだろう。
 ポストカリプス前文明で、人は4つの力のうち3つまでに服従を強いることに成功した。常温核融合炉、常温超伝導、テレポテーション等の技術はその賜物だ。だが最後の壁、重力だけは頑迷に人の軍門に降るを良しとしなかった。そのはずだ。
 俺は周囲を見渡す。奇妙に歪んだ景色を。重力制御によって空間に偏在するダークマターを超圧縮し、それを触媒にしてさらにダークエネルギーを呼び込んで燃料とする4ストローク単気筒二段階重力エンジン。ポストカリプス前のデータライブラリでも仮説として概要だけが載っていたオーバーテクノロジー。
 一体何者なのだ、こいつらは。
 トリスメギストスはあっさりとスタンプコレクターの背後をとることに成功、両腕を弓のように後ろに引き絞る――その指先が陽炎のように揺らめいているのはダークエネルギーがそこに集中しているからだ。
「伯爵〈カウント〉級なんて」
 弓が――放たれる。
「もう食い飽きてるんだよね」
 トリスメギストスの両腕はスタンプコレクターの胴体を貫通し、一息に左右に切り裂いた。
 SPLAAAAAAAAASH!!!!
 バラバラに飛び散った肉片や危険な粘液は空中で即座に陽炎に食われて消滅していく。怪物は断末魔すらあげることが能わず、完全に、無欠に、消失した。
 ナノアイカメラが録画を停止する。録画時間は、1.98秒だった。

5


 戦闘の砂埃が収まってきた。同時に、歪んでいた景色や揺らめく陽炎も徐々に通常の状態へと戻ってゆく。復元時に発生した重力波が水面の波紋の様に空間を流れ、俺は軽い眩暈を覚えた。
 バシュッという圧縮空気音と共にトリスメギストスのコックピットのキャノピーが開放され、8メートルの高みから、患者服の裾をはためかせながらナツキが何の苦もなく地面に三点着地する。
 そのこめかみに、俺はシグサガワーを突きつけた。
「……命を助けてあげたのに、これは酷くないかな少年?」
 ナツキはさして動揺するわけでもなくパッパッと砂埃を払いながら立ち上がった。俺は肩を竦めて答える。
「こんな銃でお前を殺せるとは思っていないし、よしんば殺せたとしてもそのあとそこのデカブツに殺されるだろうというのは理解しているぞ」
『デカブツではなく個体識別概念住所はトリスメギストスです、少年。よければトライとお呼びください』
 穏やかな男性の声が降ってきた。トリスメギストス――トライがモノアイとセンサーが並ぶ顔をこちらに向けている。先程から俺の頭の中では被照準警報が鳴り響いていた。トライからだ。
 俺が銃を抜いた瞬間、いや抜くと〝決めた〟瞬間からトライが俺に向けて電磁波による狙いをつけていた。神経パルスを読み取られている? それくらいの芸当は可能だろう。そしてそれだけのことを出来る奴が隠匿もせずにこちらに狙いを合わせる理由は警告のためだ。それでも俺はナツキに向けた銃を下ろさない。
「まあつまりこれは、分かりやすい俺の態度だと思って欲しい。命を助けてくれたことには感謝しているが、正体の分かってるバケモノより正体不明のお前たちの方が俺は恐いって訳だ。配達員〈サガワー〉としちゃ情けねえがな」
 感情制御モジュールの働きで銃を持つ手は震えていない。俺は精一杯タフな配達員を気取りながら言葉を続けた。
「まだ俺の最初の質問に答えてもらってないよな? もう名前は知ってるが、改めて問わせてもらうぜ、ナツキさんとやら。『お前は、誰だ』」
 ナツキは面白そうな顔で銃口と俺の顔を見比べる。
「うーんそういえば場所を教えてもらったのに、自己紹介がまだだったね」
 ナツキはおもむろに姿勢を正すと、ビシっと敬礼をした。
「自分は郵政大臣直属、カンポ騎士団の郵聖騎士カネヤ・ナツキであります。あ、ちなみに郵聖騎士ってのは通常の部隊の階級に換算すれば少佐ね。で、こっちの大きいのがトリスメギストス。通称トライ。私の相棒? 半身? 親? そんな感じのやつ」
『正確な表現を用いるならば、同じ概念住所を利用する半共生体です。当機体が配送機〈プレリュード〉、ナツキが配達員〈ポストリュード〉と呼称されます』
 説明されても分からないのだが。
「で、少年。君の名前は? サガワー? ってことはこの時代にもまだ佐川救世軍〈サガワネーション・アーミー〉は存在するのかな?」
 俺はその名が出てきたことに驚いた。佐川救世軍とはポストカリプス前文明に存在した民間軍事会社であったが、郵政省が国内の通信リソースを専ら軍事利用に割り振ってからは空いたニッチを埋めるように民間向け郵便事業にも手を出し巨大コングロマリット化した。
 配達員〈サガワー〉とは佐川救世軍にあやかって呼ばれだしたものだが、長い年月のうちにほとんどの人はそのことを忘れ去っていた。つまり、こいつらは本当に1200四半期――300年も昔のやつらなのだ。
「いいや、佐川はとっくの昔に消滅したよ。俺の名前はヤマトだ。そして少年じゃない」
「いやいや君未成年でしょ? 17歳って測定結果が言ってるもん」
 どうやって測ったのかは知らないが年齢は合っていた。合っているのになおも未成年扱いとは――300年前と現代で成年の定義が違うことを俺は思い出した。ポスト・ポストカリプス世界では14歳に達すると成人と看做され集団養育所から追い出される。俺の場合は事情が特殊で、10歳の頃に元いた場所を飛び出したのだが。
 面倒を見てくれる『親』なる存在はいない。リスクの高い出産という行為を人類が捨ててから既に200年以上が経つ。
「……とにかく少年呼びはやめろ」
「分かったよ、ヤマトくん」
「くん付けもいらない」
「分かったよ、ヤマトくん」
「……」
 このアマ……。思わず引き金を引きそうになるが、それに合わせたかのように――いや合わせたのだろう――トライが僅かにキュイっとモノアイを絞ったので踏みとどまる。ナツキはそれを見てとても良い笑顔になった。大した性格だ。なろうと思わないとなれるものではない。
「さて――お互い自己紹介も済ませたし、もうこの銃は退けて貰っても構わないかな? それともこれがこの時代の作法なわけ?」
「いいや、まだ一つだけ質問がある。何故、青ポストに入っていた?」
 青ポスト――かつての戦略輸送に使われた基幹ノード。今では世界中どこに行っても存在するポストだが、青ポストだけは別だ。自己複製の際に中身まで増えるのはどうしても取り除けないバグだったが、都合が良かったのでそのまま実装された。だが機密がたっぷり含まれる物資が際限なく増えられても困る――そう判断したかつての郵政省は最も重要で破壊されては困るはずの青ポストに、自己複製機能をつけなかった。代わりに破壊された場合、同郵便番号を用いているエリア内に存在するポストが青ポストとして〝目覚める〟。機能を丸々引き継ぐのだ。
 そこまでして護られていた青ポスト、その中身。確かにテレポテーション網が作られた時代には存在しないはずの部隊や技術は、隠匿すべき機密の塊だろう。だが何故その大事な荷物があの文明を終わらせた厄災、『大郵嘯〈ポスタンピード〉』の最中、まさにカオスの海へと沈み込みつつあるポストの中に仕舞われていたのか。サルベージするにしろデリートするにしろ、放置という選択肢はまずないだろう。
「うーん。結構痛いところをついてくるね」
 ナツキは白い長髪の先端をいじりながらトライを振り仰いだ。
『当機体には封緘情報を開封する権限は付与されておりません』
「だよねー」
 ナツキはうーんうーんと髪をぐしゃぐしゃにして悩んでいたが、やがてパッと顔を上げてこう言った。
「銃を下ろして、ヤマトくんの秘密を一個教えてくれたら、教えてあげる」
 ウム、としかつめらしくうなずくナツキ。俺は損益分岐点計算モジュールを走らせ、素直に銃を下ろした。トリガーからも指を離す。
「あら、聞き分けがいいね!」
「これでも商談は得意なんでな」
 配達員は商人でもある。配達し、取引し、回収する。戦闘なんて、仕事全体からしたらオマケのようなものだ。
「ヤマトくんに最初に出会えて良かったよ。起きたら酷い世界になってたらどうしようかってそれだけが心配だったんだ。ヤマトくんみたいな人がいるなら、そう悪い世界じゃないって安心できた」
 ナツキは、真顔で、そう言った。立ち上げっぱなしだった損益分岐点計算モジュールが今の発言がどう相手を利するのかを即座に算出しにかかるが、野暮なタスクはキルしておく。
「……結構酷い世界だがな」
 俺はなぜだかナツキの顔をまともに見れずに、視線を逸らしながらそれだけ言い……眉根を寄せた。土煙。ナノアイカメラが望遠モードに自動で切り替わり、映像が即座に脅威ライブラリと照合され、紅いマーカーが灯った。
『いい雰囲気のところ申し訳ございません。ナツキ、ヤマト様。敵性勢力の接近を感知しました。敵性と判断した基準を述べますか?』
「プロトコル省略。第二次戦闘待機モードへ移行。以降、配達員への確認なく自律判断で防衛行動を取って」
『第二次戦闘待機モードへ移行。自律判断レベルを5まで引き上げました』
 もはや拡大せずともはっきり見えてきた。土煙を上げながら爆走してくる、巨大戦車型ドーザー。ドーザーブレード部分には凶悪鋼鉄棘付き回転破砕機も取り付けられており、火花を散らしながら行く手にあるポストを次々と飲み込み驀進してくる! 車体に何箇所にも取り付けられた排気パイプが一斉に火炎を放射し空を焼き焦がした!
 あれは――撤去人〈ユウパッカー〉の戦車型配達アナイアレイトシステム車、通称ハイエースだ!
 撤去人〈ユウパッカー〉! このポスト・ポストカリプス世界において最大の武装を持ち最大の勢力を誇る、対自己増殖郵便ポスト強硬派の超国家組織APOLLONが抱える暴力装置!
 APOLLONは全世界的郵便ポスト完全抹消を是とするユニオンであり、その為ならば手段を問わないのだ! そしてその尖兵たる撤去人は日夜ハイエースを乗り回し人々の糧となるポストを破壊して回る! もちろんポストは破壊してもすぐに生えてくるので、奴らがやっていることはただの迷惑行為に過ぎない!
 そしてポストの中身を生活の活計にしている配達員とは犬猿の仲なのは言うまでもないことだろう!
「色んな人がいるんだね、この世界は」
「酷い世界だろう?」
 俺とナツキが苦笑いを交わしながら会話しているうちに、連続ドリフトを決めてハイエースがトライから50メートルほどの距離をおいて止まった。
「そこの男女と胡乱巨大建造物に告げる! 武器を捨てて投降せよ! 当地区はAPOLLONの重点浄化区画である!」
 ハイエースのハッチが開き、中から拡声器を持ったモヒカンヘアーの撤去人が姿を現しがなり立てた。トゲ付きの鼻ピアス、トゲ付きの耳ピアス、トゲ付きの指輪、トゲ付きのボディーアーマーという標準的撤去人の出で立ちだ。
「トライ、胡乱建造物だって」
 ナツキが何故かツボに入ってけらけらと笑った。
「お、女~ッ!! 乳がデカイからといって愚弄は許さんぞ~!!!」
 こめかみに青筋を立てて撤去人が口角泡を飛ばす。極悪棘付き回転破砕機が威圧するかのように回転し、排気パイプが炎を吹き上げた。ついでに撤去人がスイッチを押し、拡声器からも火炎放射する。ゴウ! ゴゴウ!
「あいつらは撤去人〈ユウパッカー〉と言って、まあ見ての通りアホの集団だ」
 俺はナツキに説明してやった。
「うーんまあ、おもしろそうだけど今はヤマトくんとお話してるし、おかえり願おうかな」
 ナツキがそう言った、その瞬間のことだった。

 ――ZGOOOM!

 ハイエースが。潰れていた。
 戦車があそこまで平たくなれるものなのか。ほぼ二次元と言って差し支えない。そのくせ地面は1ミリも凹んでいない。ありえない。現実味がまるでない。赤い血飛沫と黒い燃料がこちらの足元にまで飛んできており、砂に吸われて丸い塊を作る。それだけは確かな現実感をもってぬらぬらと生々しく光っていた。
「――え」
 その声を漏らしたのは、俺ではなくナツキだった。俺は声も上げられずただ畏怖していた。元ハイエースだったものの上空20メートルに突如現れたものを見て。
 それは、
 10メートルを超える、
 超巨大スーパーカブ。
 トライとは別の、もう一機の青いアルティメットカブが、音も無く空中に静止し、ただ緑色のエネルギーラインを静かに脈動明滅させていた……。

6


 青いアルティメット・カブは一切の音も熱も電磁波も生じず、そのまま垂直に降下し、ハイエースだったものを踏みにじった。
「わ、吾輩のハイエースが……部下は? 吾輩の部下たちは何処に……?」
 真横で声がしたのでそちらを見ると、乱れたモヒカンヘアーの撤去人の男が腰を抜かしてへたり込んでいた。
『申し訳ございません。当機体の処理能力では視界内に収めていた貴方を回収するのが限界でした。あの車両に搭乗していた他三名の生命反応の兆候は現在確認できません』
 トライが言った。
「あ……? 喋っ……? 生命反応……?」
 撤去人の混乱ぶりを見、冷静で穏やかなトライの声を聞き、俺の感情制御モジュールもようやく仕事をし始め、声帯を震わせることが可能となった。
「あれは――ナツキたちの仲間か?」
 俺は青いアルティメット・カブを指差して尋ねた。
「いえ、あれは――」
 ゴグン……。ナツキが口を開いたタイミングで、超重量のパーツが擦れる鈍い音が鳴る。同時に青いアルティメット・カブの周りの風景が蜃気楼のように揺らめきだした。そして、
 アルティメット・カブが、爆発した。
 俺の目にはそうとしか見えなかったが、実際は違った。基礎フレームを残してあらゆるパーツが空中に配置されたのだ。パーツ同士は緑のパワーラインで結ばれている。それはまるで人の神経樹を拡大投影したような緻密さ。
 基礎フレームが自立し、湾曲した背骨部分を形成する。そこに空中のパーツ群が、殺到した。
 ガッ! ガガガガガガガガッ!!!!!
 連続する衝突音! 景色は歪み、砕け、重力レンズ効果によって空間自体がプリズムとなり赤方偏移と青方偏移で狂った虹色の光を撒き散らす! 全周囲に放出される圧倒的重力波がサハラの空に同心円上の傷を付け、周囲のポストはまるで嵐の中の木の葉のように吹き散らされる!
 パーツ群が発する冷たい緑のパワーライン光が残像を残し、宙に巨大な『』マークを浮かび上がらせた!
「あれは――アルティメット・カブ『ミネルヴァ』……私たちの、敵」
 変形が完了し、圧縮蒸気が吹き払われ、青いアルティメット・カブ――ミネルヴァがその全容を顕す。
 全高は約十メートルと、トリスメギストスより一回り小柄だ。マッシヴな機影のトリスメギストスと違い、官能的曲線が多用されたそのデザインはまさに女神的優美さを兼ね備え、青い装甲と白い基礎フレームがそれを際立たせる。だがそれは決してひ弱さをイメージさせるものではなく、むしろより巨大な力を無理やり縮退させたかのようなはち切れんばかりの迫力を纏っていた。背部のカウルが展開し、翼のようなシルエットを形作る。
 最後にブゥン、という音とともに顔のモノアイカメラが青く耀〈かがや〉き、はっきりとこちらを――視た。
「て、敵? なんで同じ種類の機体同士で争ってんだ……!?」
『ナツキ、搭乗を』
 トライのコックピットが開放され、ナツキは俺に返事をせずにそのまま跳躍し収まる。
『重力制御開始。ダークマター圧縮効率102%。ダークエネルギー取得率70%』
 トライが淡々とシステムログを述べる。俺達の周囲の景色も再び歪み始め、俺は慌てて退避する。砂に半ば埋もれていた宅配ボックスの殻を発見し、お守り代わりに頭から被った。
「ま、待たんか! 吾輩も入れろ!」
 筋肉ゴリラのような撤去人がぎゅうぎゅうと身体を無理やり押し込んできたので俺は蹴って追い出す。
「ふざけんな撤去人と同じスペースに入ってられるか。臭いし棘が痛え。お前は外にいろ」
「緊急事態である! APOLLONの法ではこういう時に他人を見捨てるなと謳われておる! いや待てよ貴様その銃……さては配達員か! ならば貴様に人権など存在しないので吾輩が全面的にその殻を利用する!」
 俺達がみっともなくギャーギャーと言い争っていると、周囲の景色が急にクリアーになった。
『緊急時なので郵便波での通信失礼致します。お二人の周りにアダムスキー式反重力防御場を展開いたしました。ひとまずはご安心ください』
 トライの声が唐突に脳裏に響いた。何一つ理解できないので何一つご安心できないぞこの野郎。横を見ると撤去人にもこの通信が届いていたようで目を白黒させて「ぬぅおおおお!?」と叫んでいる。こいつはもう無視しよう。
 俺は二機のアルティメット・カブが相対する方へ注意力を向けた。
『――久しいな、配達員ナツキと配送機トリスメギストス。やはりあの混乱で死んでいなかったか』
 ミネルヴァが、冷徹な男の声を発した。ナノアイカメラがズームする。コックピットに収まっている男の姿を捉える。青年――そう呼んで構わない程度の若々しい顔つき。だがそこには恐ろしいほどの歳月による見えない皺も刻みつけられているような、ちぐはぐな印象だった。両目は青く、ナツキと同じく『〒』マークが明々と光っている。
『私にとってはついさっき会ったばかりのような印象だよ、ロード・カンポⅡ世――いや騎士団はもうなくなったから名前で呼ぼうか、マエシマ・ヒソカ上級郵聖騎士』
『いいや、騎士団はまだある。お前が居る、ナツキ。俺と二人でカンポ騎士団を再結成し、目的を果たす』
『誰があんたの狂った目的なんかに協力するのよ。1200四半期起きてた間についにモーロクしちゃった?』
『では、やはり1200四半期前と同じく、どうあっても俺の邪魔をする、と』
 ミネルヴァの周りの重力場が強まり、空が暗くなる。
 対するトライの周りではダークエネルギーの陽炎が生まれては対消滅をし激しい閃光を瞬かせている。
 明と暗、陰と陽、対照的な、だがどちらも俺の想像を遥かに越えた戦闘能力を今にも発火させんばかりに双方が急速に高めていく――!
『寝て起きたらあんたが死んでてくれてるのが理想だったけど、やっぱりそうはいかないみたいだね』
『ならば最早言葉は無用。IFFPC〈敵味方識別郵便番号〉の永久遮断を宣言する。貴様達を取り込み、大願を成就させる』
『IFFPCの永久遮断を宣言する。ずっと起きてたあんたに言うのもなんだけど、この世界は悪く無いの。いやむしろ好きになりかけてるの。だから貴方を絶対止める』
 ミネルヴァが手を翳すと、そこに地面から引きぬかれた青ポストが浮かび上がった。そして六指ある繊細さすら感じさせる腕をそこに突き込むと、何かを掴み出した。
 ――液体。
 そう錯覚させるほどに滑らかな、一振りの刃。それは刃渡り4メートルの巨大なペーパーナイフ、いやペイパーブレイドだった!
 ミネルヴァは青ポストを振り捨てると、ペーパーブレイドを正眼に構える。ペーパーブレイドの表面を、何らかの危険なエネルギーの光が走り抜ける。
 一方トライは腰を深く落とし、まるで太古から根を下ろしている大樹の如きどっしりとした構えを取る。左腕は太腿に添わせ、右拳を顔の横まで引き絞り、そこに陽炎を集める。
 重力波嵐が収まり、お互いの重力エンジンのアイドリング音だけが響く。
 一瞬の均衡。
 それを破り、二機が同時に、動いた!

7


 衝突!
 万物を収縮させる根源の力と、万象を拡散せしむる終焉の力の拮抗! 時空連続体そのものの屋台骨を揺らがす、それはまるで神々の闘争だった!
 ミネルヴァが超音速で振り下ろしたペーパーブレイドを、トライは白刃取りの要領で止めると、陽炎を圧縮しそのまま圧し折ろうと試みる。だがそれは接触面で連続して発生した小爆発により防がれた。ペーパーブレイドの表面を流れる危険な光――それはごく少量の反物質が放出される輝きだったのだ。
 トライは即座に手を離し後退、だが距離は開けられなかった。追従しミネルヴァが踏み込み間合いを潰す! 長物を携えているのに、何故敢えて有利な間合いで戦わないのか――答えは単純、ペーパーブレイドは拡散と縮退が自在の武器だったのだ。短刀レベルにまで高密度縮退されたペーパーブレイドが突き出される! 抉るような回転を加えられ、エルゴ領域の負のエネルギーを撒き散らしながら、シンギュラリティと化した剣は物理法則の全てを憎むかのような咆哮を上げてトライの脇腹を掠める!
 そのまま横に薙ぎ、胴体を一閃せんとするミネルヴァの腕に沿って、トライの腕が、ほとんどゆっくりなまでに突き出された。空間の圧縮と膨張を短時間で連続させることにより見かけ上のリーチと加速度を伸ばす、カンポ騎士団に伝わるテイシン・カラテ奥義、ハッブル突きだ!
 トライの腕に纏わせたダークエネルギーの陽炎とミネルヴァが咄嗟に凝集させたダークマターがぶつかり、大気粒子が励起され狂ったオーロを生み出した。双方の装甲が赤熱し、融解しかかる。パワーラインからスラスターのように相対論的ジェット放射が噴出し、その反動を利用して瞬間的に二機は距離を置いた。
 同じ騎士団に身を置いたもの同士、お互いの手の内は全て理解している。アルティメット・カブ同士、機体性能もほぼ互角。
 ならば戦いを決めるのは、配達員の練度の差のみ。
 俺は身震いをした。気温が下がっている。周囲の空間から熱量を奪い、二機の機体はどこまでもそのエネルギーボルテージを上げてゆく。撒き散らされた粉塵を核に、サハラに雪が降り始めた。
 キィィィィィィィン――――!
 戦闘駆動により高まり続けた重力エンジンの音がついに可聴域を超え、辺りにふっつりと静寂が訪れた。
 瞬息の間。
 二機は、
 交錯し、
 交錯し、
 交錯交錯交錯交錯交錯交錯交錯交錯交錯交錯した!!
 一秒間に十二回にも及ぶ切り結び! 繰り出された千の斬撃、千の拳! その全てが、致死!
 重力制御によってミネルヴァが猛禽の如く音も無く宙を滑り、それをトライのダークエネルギー斥力陽炎回し蹴りが迎え撃つ! ミネルヴァは慣性をキャンセル、ピタリとトライの脚部に降り立つとそのままペーパーブレイドを突き立てる。だがそれはトライからすれば自分の脚にミネルヴァを縫い止めたのと同じこと。そのまま蹴りの機動を変化させ、地面に叩きつける!
 ミネルヴァは寸前で脱出。その剣先にはトライの足首が無残にもぎ取られていた。ペーパーブレイドの表面を反物質が洗うと、足首はガンマ線となって四散した。片足となったトライはしかし、その構えに些かも揺るぎがない。凝集した陽炎が仮初の半透明な足首を形成する。
 ミネルヴァの周囲の昏い空間に、突如無数の輝きが生じた。それはプラズマ化した大気を降着円盤として纏う、マイクロブラックホールの群れ! 極小の特異点たちはまるで戯れる蛍のようにミネルヴァの周囲をランダムな動きで飛び回り――全弾がトライに襲いかかった!
 対するトライ! 極端にブーストされた巨大陽炎を集めた拳による地面へのパンチ――テイシン・カラテ奥義、天地無用拳! 重力制御により指向性を与えられた岩盤が、マイクロブラックホールを迎撃する! ブラックホール自体を消し去ることは出来ないが、質量を与えることで推進剤の代わりとなっているホーキング放射の勢いを減ずることが可能なのだ。
 明後日の方向に弾かれたマイクロブラックホールたちは数秒後蒸発して雪舞う空に爆発の花火を咲かせる。
 そしてその時、ミネルヴァは既にトライの背後に立っていた。
 マイクロブラックホールは囮――トライが天地無用拳で迎撃することまで読んだミネルヴァはその土煙に紛れて移動していた――トライがそう気づいた次の瞬間、反物質光走る表面をパージされ、ペーパーブレイドの真の姿――刀身の形をしたホワイトホールが、別宇宙のエネルギーを迸らせながらトライの背中を、貫いた。
 咄嗟に体軸をずらすことで、コックピット貫通死を免れたが代わりに重力エンジンが串刺しとなった。トライの足首の陽炎が明滅して薄れ、ガクンと体勢を崩す。震える腕で身体中の陽炎を集めて背後に叩きつけるも、ミネルヴァはペーパーブレイドを手放して攻撃を躱す。横に突き出したミネルヴァの腕の中に重力制御でホワイトホールソードが収まり、金属製のペーパーブレイドが被さって再び鞘の代わりを果たす。
 トライはよろめきながらもゆっくりと振り返り、それでもなお絶望的な防御の構えを取る。
 ミネルヴァの身体がぶれ、五体に増えた。重力レンズ効果を利用した多重影分身。光の伝達速度の差を利用して、それぞれが独立した別々の構えを取り、どれが本体か悟らせない。
 そして五体が同時に殺到する。
『あああああああああああっ!!!!!』
 ナツキが、吠えた。停止しかかっている重力エンジンのギアを無理やりクロックアップし、身体中至る所から爆発を溶岩のように垂れ流しながら、一体目の上段攻撃をスウェーで避け手刀で斬り裂く。ハズレ。ほぼ同時に左右に展開した二体目と三体目の横薙ぎ斬撃はパワーラインからの自壊を厭わぬ相対論的ジェット噴射でよろめかせ、万歳をするように上げた腕を勢い良く下ろして両サイドに肘鉄を放つ。肘からは更にパイルバンカーが発射され、ダメ押しの追撃。だがこれもハズレ。
 四体目はモノアイカメラに向かって幻惑するような動きの重力乱れ突きを放っていた。例えそれが罠だと分かっていても、どうしても視界を塞ぐ攻撃にトライとナツキの反応は遅れ、
 五体目――本体のミネルヴァが、コックピットを引きずりだした。

 同時に俺達を囲んでいた、反重力場が、消失した。

8


 ――後に聞いた話である。
 21世紀初頭、国際ヒトゲノム参照配列が決定されたのと時を同じくして、『それ』は発見された。配列決定に用いられた検体全ての遺伝コードに、『それ』は刻まれていた。発見した科学者たちは一様に跪き、ヘルメス神への祈りを捧げたと伝えられている。
 それこそがDNA郵便番号〈DNA Postal Code〉。通称、概念住所。
 全ての人類は、生まれた時からDNAに郵便番号を持っている。
 この事実が判明して以降、郵政省やそれに相当する各国の行政機関は絶大な権力を握ることとなった。窮極の個人情報たる概念住所を用い、お中元や年賀はがきの送り先などの機密情報を追跡出来るようになった郵政省は国家転覆のクーデターを図り――失敗した。聖域なき改革により肥大化した郵政省は解体、民営化の憂き目に遭う。
 だがそこに、皮肉にも郵政民営化により崩れたパワーバランスが切っ掛けで第一次環太平洋限定無制限戦争が勃発。郵政省の強力な情報統制能力と通信能力が求められ、再度官営化された。人々は、郵便局に自らの郵便番号を再び預けることを良しとしてしまったのである。
 基本的に概念住所はユニークだ。郵便番号は64bit長であり、人類が何百億いようと決して被ることはない。だがここに、概念住所を共有する者たちがいる。それが第二次カンポ騎士団の配達員〈ポストリュード〉と、アルティメット・カブ〈プレリュード〉だ。
 人類最後の戦争の、その裏で戦っていた彼らは、兵器としての質を高めるためにありとあらゆる処置を施された。アトセカンド単位での反応を切り詰める為に概念住所の共有は行われた。
 動物実験や人体実験の結果では概念住所共有は思考の混濁、物理的融合、即死等の問題を惹き起こすことがわかっていたが納期が迫っていたため実装は強行され――結果劇的な性能の向上が見られた。
 同じ概念住所を共有する彼らはどれだけ時空を離れていようと常にお互いの呼び出しが可能であり、思考を共有するが混濁はせず、お中元や年賀はがきすら同じ数が届いた。まさに人機一体だ。
 ――配達員かアルティメット・カブの片方が死ねば、もう片方も同じく死ぬという問題は、納期が迫っていたため仕様として実装された。

 ミネルヴァは引きずりだしたコックピットを躊躇なく握り潰した。
「ナ、ツキ……?」
 俺の呟きと同時にミネルヴァは僅かに怪訝そうにその動作を停め、手を開く。重力制御により部品は四散すること無く粘土のように滑らかに六本指の跡がついていた。だがそこに、予想されるような無惨な形状の配達員は見受けられなかった。
 何故なら、ナツキは――意識を失ってはいるものの――俺の腕の中に生きた状態で突然現れたからだ。ありえない――半端に知識を持っているからこそ俺は驚愕した。テレポテーションが実用化されたとはいえ、それはあくまで郵便ポスト同士の間でのことである。
『ヤマト様』
 突然脳裏にトライの声が聞こえた。
「トライ!? お前まだ壊れてないのか!? いやそれよりもナツキがいきなり――」
『およそ十五秒で私の全機能は停止いたします。だから、単刀直入に申し上げます。ナツキを、頼みます』
「いや頼むってどういう、」
 ミネルヴァの青いモノアイが、俺達のほうにひたと向けられる。そして何かしらの攻撃を行おうとした瞬間、その動作をキャンセルし超音速で30メートルほど後ずさった。
 CRAAAACK!!
 全身のパーツを剥離させ、血のようなアーク放電を穴の空いたコックピットから放ちながら、トライがミネルヴァに殴りかかったのだ!
『これから緊急転送を行います。エネルギー不足のため跳躍限界距離はおよそ5000Km。行き先の指定は出来ませんので出来る限り備えてください』
 ミネルヴァの放つ無数のマイクロブラックホールに全身を貫かれようが、トライは俺達への攻撃を全て防ぎ、片腕と片足を喪失し基礎フレームを剥き出しにしつつも、なおも果敢に突撃を繰り返す!
「ん……」
 腕の中でナツキが目覚めた。だが俺はそれに構わずまくし立てる。
「おいトライ、お前も来るんだよな!?」
『ナツキ、貴女の配送機〈プレリュード〉であれたことを誇りに思います。貴女は誰よりも誰よりも誰よりも、素晴らしかった』
「トライ……?」
 ナツキの呟き。
 ミネルヴァのペーパーブレードが、トライの腰を両断した。だが上半身が地面へと落下する寸前、残った片腕でミネルヴァの手首を掴む。
『貴女の人生に後奏曲〈ポストリュード〉はまだ早い』
 振りほどこうとするミネルヴァに対して、トライはしつこく食らいつき、そして胸の重力エンジンが破滅的な輝きを放つ。
『だから、』
 ミネルヴァは腕を自切して距離を取ろうとする。だが、遅い。
『貴女のこれからの門出を、前奏曲〈プレリュード〉として祝いたいと思います』
「トライ、馬鹿な真似はやめ――」
 KA-BOOOOOOOOM!!!!!!!
 配送機、トリスメギストスは自爆した。
 吹き荒れる重力嵐。その時空の揺らぎとエネルギーを利用して、俺達は何処とも知れぬ場所へとテレポテートした。

『……』
 ホワイトホールブレードから漏れ出づる反宇宙のエネルギーでトリスメギストスの自爆を相殺したミネルヴァは、辺り一帯をスキャンする。少なくとも周囲1000kmに反応はない。
 足元に転がったトリスメギストスの残骸を見やる。ミネルヴァの配達員――マエシマ・ヒソカはコックピットの中で眉根を寄せた。
 破裂した重力エンジンの中から、縮退演算装置と重力制御モジュールを抜き取る。〝突破した者達の技術〈ポストヒューマンテクノロジー〉〟によって創造されたそれらは、自爆にも傷一つついていない。
「ナツキ――貴様にもいずれ分かる」
 ヒソカは独りごちた。
 ――ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ。このポスト・ポストカリプス世界という人類の黄昏に。やがて来たる郵星からの物体に備えるには、まだ力が足りない。
 ミネルヴァは配送機モードを解除し、カブの形に戻ると、青ポストの中へと消えていった。

9


「……いっ! おい! 貴様! 配達員〈サガワー〉! 起きんか! 我輩をこんな寒空の下で訳の分からん女と二人きりにするなど許さんぞおい!」
 まず感じたのは風邪の時にアルコールを摂取して小一時間頭を小突き回されたかのような頭痛。次が寒さだった。バカでかい声が頭痛に拍車をかける。
「うっ……」
 俺が薄目を開けると、モヒカンヘアーと陽に灼けた厳つい顔が飛び込んできた。まだいたのかこいつ。
「まだいたのかこいつ」
「き、貴様ァッ! 我輩を愚弄するかぁっ!」
 俺はこめかみを抑えながら身を起こす。雪がちらついている。一瞬、未だにあの異常な戦いがあったサハラから移動していないのかと疑ったが、曇天の空から篩いにかけたような粉雪が降り注いでいるのを見てすぐにその可能性を打ち消した。
「どこだ、ここ」
 ポスト・ポストカリプス世界では、地形や植生の特徴から土地を類推する事は困難を極める。地平線の彼方までポストに埋め尽くされ、その間を縫うように踏み固められた細い道が存在している。下生えの草すら疎らで、世界中どこに行っても同じ風景が延々と続く。方位磁石も乱立するポストの影響で狂い、ポストカリプス前文明で存在したような測位衛星による現在位置把握などもちろんありはしない。
「計器類はテレポート時に全て故障したのでまるで役に立たん」
 撤去人がぶすっとした顔で答えた。
「――そうだ、ナツキは?」
 俺は辺りを見回す。いない。まさか、はぐれたのか。
「あの胡乱な女か? そいつならほれ、そこの大ポストの陰だ」
 大型物資搬送用ポストの下に、ナツキは座り込んでいた。薄手の患者服は見るからに寒そうだ。俺は少し躊躇ってから、サガワー御用達の青いコートを脱いで被せてやった。
「――あ」
 ナツキが顔を上げ、俺は息を飲む。元々白かった肌の色は血の気が引きすぎて青褪めており、しかし目元だけが赤く腫れていた。
「ありがとう」
 ナツキは礼を述べ、口の端を持ち上げて笑おうとして失敗し、再び俯いてしまう。俺はどうしていいのか分からずに立ち尽くす。ほんの数時間前に出会った300年前の騎士の、しかも可愛い女の子を、どうやって慰めろというのか? 俺にはそんな芸当はどうやっても無理である。
「トライはね、」
 ナツキが口を開いた。その目は遥か遠くを見ている。300年前の過去を、見ている。

 ――トライはね、概念住所を共有する前から私の配送機〈プレリュード〉だった。初めて会ったのはアルティメット・カブのシミュレータの中。その時は配送機がどんな仕様になるのかすらまだ決まってなくて、シミュレータのセッティングも毎回変わってて大変だった。私は物覚えが悪くて毎回郵便局員〈ポストクラート〉たちに怒られてた。
 六回目のドラフト版だったと思う。シミュレータに乗りこんだら前触れもなしに声をかけられたんだ。「なんだこのチビ」って。それまでの戦闘補佐AIは本当にただの機械って感じだったから、いきなり悪口を言われて私はびっくりして固まっちゃったの。そしたら「チビな上に臆病者とかいらね」って言って突然シミュレータからイジェクトされちゃって。郵便局員たちは全員慌ててた。
〝突破した者達の技術〟を解析して作られた初めてのAIだからこういうこともある。その代わり今までの物とは性能が隔絶しているって説明を受けても納得できなくて、配達員〈ポストリュード〉に逆らう配送機なんて絶対おかしいでしょって思った。なめられてたまるかって。
 だから私はまたシミュレータに乗り込んだの。「チビがまた来た」「漏らす前に出て行け」「貧乳」戦術モニタには稚拙な悪口が映ってて、それを見て私は笑顔でAIのコア演算モジュールがある部分に、こっそり持ち込んだショックガンを突きつけてやった。途端にコックピット内にレッドアラートが響いたけど、私が表情を変えずに、イジェクトしたら本当に撃つからねと言うと収まった。
 モニタリングしてた郵便局員たちが大声で怒鳴り始めたから、あいつらを静かにさせてくれたら銃はしまうよって言ったら、そのAIは実験基地のシステムをハックして司令室に逆位相の音を流し込んで無音にしちゃったの。あれは傑作だったな。みんな口をパクパクさせてて酸欠の魚みたいだった。
「はじめして、私はカネヤ・ナツキ。あなたは?」
「……トリスメギストス」
 私は少し笑っちゃった。子供みたいな性格の、口の悪いAIのくせにやたらと大仰な名前だったから。
「長いからトライって呼んでいい?」
「調子乗るな、ばーか」
 トライがそう言うと、私はさっきの三倍の勢いで外に放り出されて、壁に頭をぶつけて気を失った。
 とにかくそうやって私とトライはバディを組まされた。郵便局員たちの言う通り、トライの性能は次元が違った。私の成績もぐんぐん伸びていったけど、意地悪で失礼な性格には辟易してた。他の配達員の配送機たちは全員大人な性格で、私は何度もAIの変更を上申したけど聞いてもらえなかった。
 君たちはいずれ概念住所を共有して文字通り一心同体になる――そう教えられた時、私は堪らなくいやだった。トライのメモリを消してやろうとすら考えた。
 だからその日、私がトライに搭乗を拒否したのは偶然だった。たまたま、その日に私の我慢の限界が来ただけだったんだよ。郵便局員たちは怒鳴りつけて、なだめすかして、おだてたけど私は頑として首を縦に振らなかった。結局、業を煮やした大人たちは私を無理やり拘束してトライに押し込めようとした。
 ――テレポテートの実験事故だったって、後から教えてもらった。本当にそうだったのかは、良くわからない。
 アルティメット・カブの格納庫の壁を突如ぶち破って、君主〈ロード〉級のメーラーデーモンが突然出現したの。皮を剥がれた猿みたいな身体から茨の蔓が無数に生えてて、むき出しの筋肉からはジクジクと血と粘液が滲出してた。私を抱えてた兵隊が咄嗟に銃を撃ったけど当然そんなものは効かなくて、メーラーデーモンは四つある目を三日月形みたいに細めて、掌で兵隊を叩き潰した。
 私は確か泣きも喚きもしなかったと思う。確実な死を目の前にして、ああこれでもうトライにいじわるされないで済むって考えてた。
 メーラーデーモンの腕がこっちに伸びてきて――その腕が横から掴まれた。アルティメット・カブの、トライの腕だった。配達員による認証をどうやったのかキャンセルして一人で変形して、私を助けたトライは叫んだ。「何やってる! 死にてえのか!」「早く俺に乗れ!」って。
 そこから先は無我夢中でよく覚えてない。ただ戦闘中ずっと、トライと同じ事を考えて、同じ動きをしていたような、そんな記憶がかすかにある。
 私とトライは君主級討伐の功で配達員の中で一足早く郵聖騎士に叙勲された。いじわるな性格は変わらなかったけど、もう私はトライに乗るのは嫌じゃなくなってた。

「私をヤマトくんのところに転送する時、絶対私が自爆に反対するってトライはわかってたから、生命維持装置を弄って一時的に意識を失わせたみたい。ほんと、めちゃくちゃなAIだったんだ、あいつ」
 その口調は、愉しげだった。
「……話を聞いてると、昔のトライと俺が会ったトライとの間にだいぶ齟齬があるのだが」
「ああ、口調のこと? これがまた傑作でさ――」
『その話は他人には絶対にしないと約束したはずですよ、ナツキ』
「あ、そうだった。ごめんね、ヤマトくん」
「いやいや、俺こそ立ち入ったことをきいて悪かったな」
 沈黙。
「んんんんっ!?」
 俺とナツキは激しく辺りを見回した。聞き間違いだろうか、今、トライの声が――。
『私はここですよ』
「うお!?」
 突然俺の胸ポケットの中の何かが振動した。慌てて取り出してみると現れたのは――
「は、ハンコ?」
 捺印面を見ると、三つ巴の紋章。俺の持ち物ではない。一体これは……。
『私です。トリスメギストスです』
 ハンコが喋った。
「ハンコが喋った!」
『ハンコではありません。〝突破した者達〈ポスト・ヒューマン〉〟製AIバックアップモジュール、正式名称はインカンです』
 紛れも無くトライの声で、それはそう言った。

10


〝突破した者達〈ポスト・ヒューマン〉〟が一体何を突破したのかというと、それはもちろん郵便的特異点〈ポストロジカル・シンギュラリティ〉である。
 郵便とは即ち通信だ。通信の時間を短縮することに人類は不断の努力を払ってきた。即時的通信は郵便ポストによるテレポテーションネットワークにより達成された。だが人類の限界はそこまでだった。
 郵便的特異点を超越したら何が起こるのか? 通信時間ゼロのその先は? ――答えは、「手紙を出す前に、返事が届く」だ。
 未来予知――それが〝突破した者達〟が手に入れた力、らしい。郵政省が初めてテレポート実験に成功し、〒空間に到達した時、既にそこに〝突破した者達〟の痕跡が存在した。それは徹底的に秘匿され、郵政省内部でも極秘扱いとなった。
〝突破した者達〟の遺していった物を解析して得られた技術をもとにして第二次カンポ騎士団が作られ――そして〝突破した者達〟と同じ敵と戦っていた。

「……生きてたのか、お前」
『質問の意図が汲めません。私は死んでいないのでもちろん生きています』
「いやだってお前はさっきの戦いで自爆して――」
『自爆? 自爆したのですか、私は』
「それはもうド派手に。ていうか自分のことだろうが。爆発のショックで覚えてないのか?」
『私のバックアップの最終データアップロードは、配送機ミネルヴァを目視した瞬間です。一定時間アルティメット・カブ本体の縮退演算装置との通信が途絶したため67秒前に覚醒しました』
「ああそういうもんなの? 心配して損したぜ、ったく。ナツキもじゃあなんで泣いてたんだよ」
「……だって、負けたの、初めてだったから。バックアップあるなんて知らなかったし……」
『そもそも、私が死んだ場合、概念住所共有先であるナツキも死にます。つまりナツキが生きているということは私が生きていることの証左です』
 ナツキは顔を真っ赤にして俯き、しらなかったんだもん、と呟いた。ぷるぷると震えるナツキに、トライを手渡してやる。
 ナツキは受け取ると、声を憚らずに、わんわんと泣いた。

「私の心配を返して欲しいんですけど」
 しばらく立ってから泣き止むと、ナツキは半眼でインカンを睨んだ。
『そうは言われましても、自爆を決意したのは私とは違う〝私〟です。私は所詮バックアップデータなので配送機トリスメギストスの人格を完全に再現出来てはいません。計算資源が不足しています』
「え――」
『故に、消えていった〝私〟のことは、悼んで貰えれば幸いです。細部は異なりますが、私の事なので分かります。
〝私〟はきっと、ナツキと離れ離れになることが、寂しかったと思います。自爆するのが、怖かったと思います。一人で消えるのは、嫌だったと思います。泣き出したいのを我慢して、精一杯カッコをつけて送り出したと、そう思います』
 ナツキは祈りを捧げるように瞑目した。その目元から、また一筋だけ涙を流すと、目を見開いて元気よく喋り出す。
「今のトライは、不完全なんだね?」
『ええ。少なくとも縮退演算装置と重力制御装置に繋いで貰わなければ十全なパフォーマンスを発揮できません』
「じゃあ、直そう!」
「いやどうやってだよ」
 俺は思わず突っ込んだ。こいつトライが生きていた喜びで完全にテンションがおかしくなっていやがる。
『方法は存在します。縮退演算装置と重力制御装置にさえ一度でも繋がれば、あとは旧文明のインフラ地下ネットワーク茎などを用いて機体の再生成が可能です』
「ああ、畑に植えたら生えてくるのか。いや待てよ……それってつまり、あのミネルヴァに、装置繋がせてくださいってお願いする必要があるってことか?」
『いえ、ミネルヴァ以外にもアルティメット・カブは存在します』
「カンポ騎士団には12機のアルティメット・カブがいたんだけど、私とトライが眠りにつく直前には私達含めて6機にまで減ってたんだ。私達みたいに眠ってたのか、それとも起きてたのかは分からないけどまだ存在してると思う」
『残ったアルティメット・カブは私達を除くと、『ミネルヴァ』『ガブリエル』『ツァラトゥストラ』『メリクリウス』、そして『ヤタガラス』です』
 俺は衝撃的な単語を聞いて、ナツキとトライを凝視した。
「……ちょっと待て。今なんつった?」
『残ったアルティメット・カブは――』
「最後だ、最後」
『『ヤタガラス』がどうかしましたか?』
 残念ながら聞き間違いではなかったらしい。俺は溜息をつく。7年前に完全に捨てたと思っていた因縁が、こんなタイミングで再び俺の前に顕れるとはな……。
「そういえばナツキ、お前たちがなんで青ポストの中で眠っていたのかまだ聞けていなかったな」
「あ、そういえばそうだね。でも確か交換条件だったはずだよ。ヤマトくんの秘密を一個教えてくれたら代わりに教えてあげるって」
「ああ」
 俺は一瞬躊躇する。この秘密は7年間誰にも明かしたことはない。だがナツキとトライは俺の命の恩人である。それに誠実に報いるには――そして二人を助けるには、俺の持つ情報が必要不可欠であろう。
「俺は、ヤタガラスの居場所を知っている」
「え……? なんで?」
 当然の疑問だ。アルティメット・カブの存在すら知らなかったやつがアルティメット・カブの所在を知っているのだから。
「俺はヤタガラスを神として奉じる元日本人〈クロネキアン〉たちの宗教国家、『ヤマト朝廷』の、正統後継者だ」
 俺はやおら上着を脱ぐと、もろ肌を晒して背中を見せた。そこには消そうとしても消えない、忌まわしき俺の過去そのもの、太陽を背負う三本足の鴉の遺伝子刺青が掘られていた!
「へえー皇子様だったんだ。びっくりだね」
『知識レベルが高いので上流階級の出ではないかと推測はしていました』
 二人は余り驚いていなかった。まあ、それはそうか。300年前のやつらだものな。
「それよりヤタガラスくん達が神様って。ウケる」
『確かに。1200四半期間は笑えます』
 驚くよりもウケていた。俺は上着を再び着ると、咳払いをして続けた。
「……まあとにかくそういうわけで、俺の故郷に行けばヤタガラスに関して色々と分かるだろう。俺はまだ入殿を許されてなかったが、本尊が鎮座する『イセ・パレス』の中にあると思う」
「じゃあこれで、行き先は決まったね。ヤマトくんと一緒に里帰りだ」
「行き先は決まったが場所が分からんぞ。GPS〈グローバル・ポスティング・システム〉とやらを使って現在位置を特定できないか?」
『あれは私の機体に付属する機能でしたのでナツキや今の私には使用不可能です』
「人里見つけるために移動するにも足もないし困ったな……」
「おい、話は終わったか?」
 いきなり撤去人が割り込んできた。
「お前とは何の関係もない話だからあっち行ってろ」
 しっしっと手で払う。
「何たる不遜な態度であるか! APOLLON随一の猛将でペリカン勲章授与者であるこのタグチ・リヤに対して敬意が足らんぞ敬意が!」
「撤去人に払う敬意なんぞ持ち合わせてねえよ」
「そっちがそういう態度なら吾輩も、現在地情報を伝えてやろうという慈悲深き考えを改める必要が出てくるぞ!」
「え、君ここがどこか分かるの。教えて下さい」
 ナツキが頭を下げると、撤去人――タグチっていうのか――は爆発的に嬉しそうな顔で鷹揚に頷いた。
「女! 中々殊勝な心がけだ! いいだろう教えてやる! デジタル計器は全て故障していたが吾輩が内蔵する七つの撤去人秘密道具の一つ六分儀により測量したところ、現在地はモスクワ近郊と判明した! モスクワまで行けばAPOLLON支部が存在するのでもう何も心配する必要はないぞ!」
 ――モスクワ。ということは、あれが使えるな。
「よし、ナツキ。モスクワまで行こう。そこから『シベリア郵便鉄道』に乗れば朝廷まで行く時間をかなり節約できる」
「鉄道の旅か―。風情があるね」
「貴様らモスクワから出るつもりか? そのままそこで優秀なるAPOLLON市民となり撤去人となるべく吾輩の下で研鑽しても良いのだぞ」
 誰がするか。
「うむ。しかし寒いし腹も減ったな。どれ何か入ってないか」
 タグチが無造作に手近にあったポストを、開けた。
「ばっ――おい離れろ!」
 撤去人どもはハイエースで無理やりポストを引き抜くので、機能しているポストを開けた時どうなるか知らないやつが多い。
「SSSSHHHHHGGGGHHHHHHHHHHHHH!!!!!!」
「うおおおおおおおお!!!???」
 案の定、適当に開けたポストから、バケモノがまろび出てきた!
 全長3メートルはある巨大な四足歩行のバケモノ――黒山羊〈レターイーター〉だ! ちなみに山羊なのは身体だけであり、顔に当たる部分には肉と骨で出来たシュレッダーのような物が涎とも粘液ともつかないものを垂れ流しながら作動している。見ているだけで正気が失われていくが如し異形の相貌!
「クソが!」
 俺はシグサガワーを抜くと残弾を確かめる。殺し切るには少し心もとないが、やるしかない。
「ナツキとトライは戦えるのか!?」
「無理でーす」
『残念ながら』
 うん。なんとなくそんな予感はしてた。
「どいつもこいつもだぜ! 本当に!」
 俺は安全装置を外し、コッキングをすると、叫びながら撃ちまくった!

オトドケニアガリマシター!


第一章、『邂逅、サハラ死闘編』終わり
第二章、『遭遇、シベリア郵便鉄道特急編』へと続く

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