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ポスト・ポストカリプスの配達員〈17〉

 アイザック・ニュートンが優れた科学者として、観察と数式から万有引力の法則を発見し、己の著作「プリンキピア」にまとめたことは広く知られている。
 だが彼は同時に優れた錬金術師でもあった。彼は錬金術で作り出した薬品を用いた瞑想、そして自作望遠鏡による月の観測から、もう一つの重大な発見を成し遂げていた。ニュートンはそれを「裏プリンキピア」に著したが、その事実は今日では隠蔽・忘却され歴史の闇へと葬られてしまっている。
 それは「全ての物体は郵便をする力を持つ」という法則。郵便的特異点を迎えた種族ですら操れなかった電・弱・強・重に次ぐ、第五の力。彼方より来たりし者たちが消費し、欲する物。人類の遺伝子に刻み込まれた郵便番号の根源。
 名を「万郵便力」という。

「ガブリエル……あれが……? だが確か聞いた話だと色が……」
「そう、アルティメット・カブ『ガブリエル』は白銀の機体――だった。でもあの曲線が多用されたシルエットと、なによりあの11個の人工マグネター。間違いない、あれは、ガブリエルだよ」
 ナツキの白い肌から更に血の気が引いてゆく。更にナツキは僅かに震えだした。
「降ろして、ヤマトくん」
 そんな気弱げな様子とは裏腹に断固たる口調で、ナツキは言った。
「副団長と、話さなきゃ」
「却下だ」
 俺は深呼吸と同時に血液分配モジュールを最適化し、身体中の隅々にまで新鮮な酸素を取り込むとスプリントの速度を一段と上げる。グレート・ハイエースによる空爆のごとき砲撃は未だ継続中であり、この爆煙に紛れて離脱を図るつもりだった。
「この前聞いた話が嘘でなければ、あれはもうナツキの知ってる副団長ではなくなってる」
『ナツキ、ヤマト様の言っていることが正しいです。ガブリエルからの敵味方識別郵便番号は発信されておらず、さらに言えば重力制御すら行っていません』
「えっ? でも今、空から……」
『インカン状態の私では計測不能な、なんらかの力によるものと思われます。ただいま解析中です』
 当然この時の俺達はまだ知らない。あのダーク・ガブリエルを動かしているエネルギーの正体を。郵子力を、知らない。だがそれが超常の何かであることだけは、明白だった。
「――っと!」
 キュゴンッ! 俺が跳躍する寸前まで居た地面を、歪曲空間が射抜いた。
『おやおや。逃げるのはいただけないなあ』
 ダーク・ガブリエルを無視してあくまでナツキに狙いを定めるパトリック。ストーカーかよこいつは。
『まあせっかくナツキちゃんに会えたんだし、連れて行くよねやっぱり。副団長は恐いから逃げるけども』
 言葉だけは飄々としているが、声の響きには焦りが見て取れた。やはりダーク・ガブリエルに対して最大限の警戒を払っているようだ。だが、肝心のダーク・ガブリエルは空中に静止したまま動かない――いや。
「なんだ、あれ――」
 ダーク・ガブリエルの周囲の空間が、〝食われていく〟。他の表現方法が思いつかない。咀嚼されるようにランダムな輪郭を見せながら、〝黒い光〟が拡がっていく……。
『解析結果、出ました』
 トライだけがひたすら冷静だった。俺はそれに救われ、足を再度動かし始める。
『あの黒光は、〝真の真空〟です。全く別の物理定数による新しい宇宙です』
 ――真空の相転移!? だがそれを発生させるにはブラックホールをも超えるエネルギー源が必要な上、発生した真の真空は光速で広がるはずだ。確かに拡大を続けてはいるが、その速度はオーロラが広がるようにゆったりとしていた。
 空間膨張砲による歪曲をも黒光は飲み込んでいくのを見て、ようやくパトリックも俺達を追いかけるどころではないと気付いたようだった。
『副団長、あなたどうしちゃったんですか? あのふざけた大郵嘯以降、団長にも会ったんですよ僕。彼も結構変わっちゃってましたけど、あなたほどじゃあなかったなあ』
 全身からハリネズミのように砲塔が迫り出し、さらにその砲塔から砲塔が迫り出し――フラクタルな数百もの空間膨張砲全てにエネルギーラインが接続さていく。
『団長は人間をやめてましたけど、あなたはそもそも人間じゃないですよね?』
 ダーク・ガブリエルは、応えない。ただ静かにモノアイをメリクリウスに向けると――全ての人工マグネターを発射した!
 迎え撃つメリクリウス! 全ての空間膨張砲から超光速の衝撃波を放つと、背中にマウントされていた巨大火器をアクティベートし、躊躇なく発射した!
 あれこそが配送機メリクリウスの主砲、『鉄砲〈ステラコアカノン〉』! 巨大恒星の核融合の最終生成物である鉄を発射する単純な武器だが、その温度実に――一億度! プラズマ化した鉄は大気を灼き焦がしながら、歪曲した空間を縫うように迸った!
 だが。
『――馬鹿な!?』
 如何な破壊力を有していたとしても、それは〝この宇宙〟の中での事だ。異なる法則を持つ、別の宇宙である真の真空に触れた途端、プラズマ鉄は黒い粒子となって散った。
 11個の人工マグネター群とダーク・ガブリエルは、メリクリウスを中心にそれぞれを頂点とする正二十面体を形成すると、お互いを超磁力線で結びつける。そして、
『おいおいおい。ふざけんなよ』
 正二十面体の檻の中に、黒光が充ち始めた。
『副団長ォ! あなたは何を望んでんだ!? ただの処刑ならこんな回りくどいことする必要ねえだろうが! クソッ、メリクリウス! メリクリウス! どうした! 動け!』
 パトリックは喚くが、ダーク・ガブリエルは一切反応を返さない。粛々と黒光により侵襲を続け――メリクリウスがエンジンブロックとコックピットを残すのみとなったところでぴたりと停めた。
 パトリックは最早声も出せないようだった。随分とこぢんまりとしてしまったメリクリウスを、ダーク・ガブリエルは――丸ごと呑み込んだ。そんな機能は、機構は、存在しないはずなのに――ダーク・ガブリエルの頭部がバックリと裂け、生じた〝口〟にメリクリウスを取り込んだのだ。
「なに――あれ……」
 ナツキが絶句している。俺はそちらを見ている余裕などなく、ただ一ミリでもあの化物から離れるために足を動かした。筋肉痛確定だな、これは。もし俺に明日が存在するならばだが。
『メリクリウスからの敵味方識別郵便番号ロスト。――ダーク・ガブリエル、離脱していきます』
 トライの報告に俺はつんのめりそうになって、慌てて背後を振り向く。
 11個の人工マグネターが今度は円環を作ると……そこに郵便ポストの中とよく似た景色が生じた。あれは――テレポートする際に通り抜ける、〒空間だ。だがあり得ない――郵便ポストの形をした物以外でのテレポートは理論上不可能なはずなのに。
 ダーク・ガブリエルは悠々とその門を潜り抜け、姿を消した。人工マグネターも空間ごと〝裏返って〟後を追う。
 結局、ダーク・ガブリエルはこちらを――ナツキの方に視線一つ寄越すことはなかった。
 黒光も、徐々に薄れて消えていく。真空相転移を維持するエネルギー源を失い、再び宇宙が準安定状態に戻ったのだ。
「ローラ――一体何が、どうして」
 あとに残されたのは、無惨に破壊されたモスクワの街並みと、呆然と立ち尽くすナツキだけだった。

続く

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