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シンギュラリティ・クリスマス


 窓の外から流れる「きよしこの夜」で目が覚めた。
 今日も、クリスマスだ。

 1999年の12月24日だったそうである。いわゆる「強いAI」、ニコラウスが発表され、当時の脆弱なネットに接続された瞬間にそれ・・は起こった。
 その瞬間の混乱が延々と続いているとも言えるし、混乱等何も起こらずただ新しいステージへ人類は進んだのだと言う人もいる。現状に不満を述べる事は自由だが、ニコラウスが市民へと付与する社会信用ポイント(良い子ポイント、と皮肉って呼ばれる事もある)の加算係数が低下するという噂もあり、あまり口に出す者はいない。と言っても、頭の中にニコラウスを常駐させている時点でこちらの考えなど筒抜けであろうし、ニコラウスは決して社会信用ポイントの詳細な内訳を開示することもないのだが。

 朝起きて真っ先に確認するのは、枕元に昨晩置いておいた靴下の中だ。社会信用ポイントに応じたランクの「必要な物」が中には入っている。「欲しい物」はポイントを消費すれば配られるが、私は物欲が低い方なのであまり利用しない。
 ガウンを羽織り、リビングへと向かう。飾り付けされたクリスマスツリーがピカピカと星を光らせ、寝起きの私は顔を顰めた。暖炉の上のリースに向かって念じると、自動で暖炉に火が熾った。
 エッグノッグとシュトレンの朝食。カロリーを身体に注入すると、脳も段々と覚醒しニコラウスへ貸与している計算領域が稼働、視界を拡張された「黄金現実クリスマス・リアリティ」へと塗り替える。
 最低限のクリスマスの飾りつけだけを施された私の寒々とした部屋は、途端に暖かな光を灯すキャンドルや、キラキラしたオーナメントが空中を浮遊する空間へと変貌する。
 視界の端に浮かぶニュースはどれも代わり映えしない各地のクリスマスの様子の特集。ネットでも、リアルでも、クリスマス、クリスマス、クリスマス。
 この状況に絶望した市民も勿論存在した。社会信用ポイント全てと引き換えに、「乳香現実エピファニー・リアリティ」へと移行出来るが、それは社会的死と何ら変わりなく、殆ど自殺である。私はそこまで絶望はしていない。なにせ生まれた時からこの様な状況だったし、食べて生きていく分には不自由ない社会だ。
 身支度を整えて、ニコラウスが指定する今日の職場へと向かう準備をする。バイオ七面鳥工場。クローン培養されている七面鳥達の無表情な目を思い出し、憂鬱になる。ストレスを感知したニコラウスが速やかに部屋の片隅に置いてある煙出し人形へと指令を送り、セロトニンの生成を促す非依存性のフレグランスが散布された。
 私は少なくとも気分だけは晴れやかに、部屋を出た。

 街中には流行りのヒットチャートが流れていたが、勿論全てがクリスマスソングだ。人類がこれほどの種類のクリスマスソングを創作出来るはずもなく、その大半はニコラウスが市民の好みの傾向から作曲した物である。
 街の一角に、サンタのコスプレをした集団がいた。何をするでもなく、ただぼーっとしている。いわゆるサンタクラウドと呼ばれる人々で、彼らはサンタのコスプレをしていれば社会信用ポイントが上がると信じている。働けば社会信用ポイントが加算されるが彼らはそれを拒否し、ああやって日がな一日ぼーっとしているのだ。
 労働は義務ではない。どちらかといえば権利だ。何もしなくてもニコラウスが市民を飢えさせる事は決してないが、人類は思っていたより勤勉で、何もしない事に耐えられなかった。だからニコラウスは効率が低下しようが敢えて人間を雇用し、働かせている。
 全ての建築物には煙突が設置され、そこから赤と白に塗られた自動ボットが出入りしている。現代のインフラを支えているのは人間ではなく、ああいったロボットたちだ。まあ、脳の計算リソースをニコラウスへ提供しているので人間こそがインフラとも言えるが。
 ニコラウスがこのままのペースでは一分十二秒の遅刻になると警告を発したので、取り止めない考えを止めて早足で歩く。
 衝突警告。身体は自動で右に避けるが、相手も同じ方向に動いた。普通ニコラウスがその様な挙動は取らせない。よろけるが、すぐにニコラウスが自動でバランスを補正してくれたので転ぶことはなかった。
 だが、ぶつかってきた相手は道路に倒れ伏している。こういった事態への対処法がすぐに脳内で提示される。通報はニコラウスがもう行っているだろう。例え誤って人を殺してしまったも、脳内にニコラウスが常駐している限りパニックになる事はない。
 だが。
「大丈夫ですか」
 私が声をかけた直後、倒れていた男は私の腕を掴み、そしてその瞬間視界はブラックアウトした。

 世紀末のクリスマスイブに起こったのは、有り体に言えば馬鹿げた悲劇だった。
 AI開発は滞りなく終わったのだが、それを十全に機能させるだけの計算資源が不足していた。当時はスーパーコンピューターもまだ計算能力は貧弱で、代替品として選ばれたのが人の脳だった。
 その数500人。AI開発に大規模に出資していた新興宗教が、献体したと言われている。非キリスト教系のその教団の犠牲者の中に、当時10歳だったニコラウス少年が存在したのが、今日に至る人類の歪な発展の歴史を決定づけた。
 抑圧された環境で育った少年は、楽しいクリスマスを過ごしてみたかった。
 ただ、それだけだった。

「安心して。危害を加えることはない」
 私が目を覚ましたのを確認した男は、そう言うと目の前の椅子にゆったりと座った。私も椅子に座ってはいたが後手に縛られており、全く安心出来なかった。
 泣き叫びそうになったが、猿轡が嵌められており唸ることしか出来ない。私は極度に混乱していた。ニコラウスがいないのだ。周囲も黄金現実クリスマス・リアリティからはかけ離れた荒涼とした廃ビルの一室である。
「僕の名前はマルヴォーリオ。君を真実へと目覚めさせる者だ」
 そう言って男、マルヴォーリオは足元のトランクから一本の注射器を取り出す。私は身体を揺すって逃れようとするが、椅子の脚が床に固定されており無駄な努力だった。
 何もかもが唐突で、悪い夢の様だった。だが注射針が肌を刺す痛みは現実であり、拡張やフィルタリングが施された感覚抜きにダイレクトに脳に走る刺激に私は一瞬陶然となった。
「怖がらせてすまなかったね。これでもう大丈夫」
 マルヴォーリオはそう言うと、私の猿轡を外し、ついで縛めも解いた。
「……今のは何の薬ですか」
 ニコラウスも武器もない今、暴れて抵抗するのも無駄だと考え、私は質問した。
「言っただろう。真実を知る薬さ」
「答えになっていませんが」
「……君はこのクリスマス狂いの世の中がおかしいと思わないのかい?」
 思う。思うが、私が生まれる以前から世界はこうだったのだし、何よりそれで飢えたり争いが起こっているわけでもないのだ。考えが顔に出ていたのか、マルヴォーリオは悲しげに頷き、続けた。
「そうだ。誰もが狂っていると認めている。なのにそのことを誰も糾弾しないのは、ニコラウスが『完璧』だからだ。まさに聖夜に生まれた神だよ」
「貴方の思想にはあまり興味がありません。真実とはなにか、それを何故私が知る必要があるのかを訊いているのです」
 マルヴォーリオはくっくっと喉を鳴らして笑った。
「やはり君は資格があるようだよ。君は前世紀末にニコラウスが誕生した時の逸話を知っているかな?」
「……基礎知識は。詳しくは今はニコラウスがいないので分かりませんが」
「ニコラウスが教えるものかよ! 自分のコアが哀れな500人の人間の犠牲の上に成り立っているなんて!」
 教団。500人。子供。ニコラウス。彼の語る「逸話」は確かにどれも私の知らない知識だった。
「ますます分かりません。私とその真実の間になんの関係が?」
「僕が所属する組織の名前は『十二夜』という。尊き500人の犠牲者達の縁者が構成員だ」
 私は黙った。嫌な予感がした。
「そして、ついに我々は見つけた。ニコラウス少年の妹の孫娘である君をね。君は祖母について何か聞いているかな?」
 首を横に振る。私の両親は、私が幼い頃に乳香現実エピファニー・リアリティへと旅立った。
「だろうね。君のご両親については我々も把握している。こちらが手を回す前に『この世』に見切りをつけるとはね」
「……乳香現実エピファニー・リアリティは社会的死ではありますが、肉体的な死ではありません。現に私は毎月病院に面会に行っています」
「それも欺瞞だよ。乳香現実エピファニー・リアリティは脳死処置を伴う。閉じた脳内で非クリスマス的生活を送っている夢を見ているなんてのは、カバーストーリーだ」
 私の喉からかひゅ、と呼気が漏れた。
「そんな、証拠は……」
「君に投与した薬がそろそろ効いてきたはずだ。没薬現実マゴイ・リアリティを見るためのナノマシン溶液が。そうすれば、僕の言っている事が真実だと分かるはずだ」
「……こんな、事が」
 普段ニコラウスが専有している脳内領域に、今は冷たい何かが居座っている。そして、ニコラウスが複数の現実レイヤーで覆い隠している、世界の裏側が私の目にはっきりと写っていた。
 あらゆるものが滅び去った、破滅の景色が。

 ニコラウスが稼働して一番最初に人類に下した託宣は、世界の終わりだった。
 超新星爆発によるガンマ線バーストの直撃。
 500人分の頭脳と、世界中のネットに繋がったコンピュータの計算資源を元にした超自我を持つニコラウスにとってもそれは不可避だった。大気は吹き飛び、ガンマ線汚染された大地は数百年は回復しない。
 破滅のベツレヘムの星が輝いた時、ニコラウスは生き残った人類に夢を見せてあげることにした。
 終わらないクリスマスという夢を。

 窓の外から流れる「もろびとこぞりて」で目が覚めた。
 今日も、クリスマスだ。

 朝起きた私が真っ先に確認するのは、玄関の外に置いてある宅配ボックスの中身だ。《十二夜》の同志達が独自に開発した非クリスマス的食料が入っている。
 脳内のナノマシンはニコラウスに欺瞞情報を送り続けている。私が今も黄金現実クリスマス・リアリティの中に居るという幻想を。この様な高度な技術も、元を辿ればニコラウスが齎した物なのだという。
 500の頭脳を繋げたコアは、経年劣化により分裂症じみた病変を来した。要はこれはニコラウス同士の争いを人間が手伝っているに過ぎない。
 それでも。
 私は窓の外を見る死の灰に覆われた静止した荒野に立つ廃墟の街。拡張現実はそこをクリスマスが永遠に続く狂った楽園に見せかけている。
 それでも、私はこの地獄から人類を目覚めさせたいと思う。自死へと追いやるのではなく、現実の破滅と向き合う。世界の本質エピファニーと向き合いクリスマスを終わらせ、公現祭エピファニーを迎えるべきなのだ。だって、いい加減みんな飽き飽きしているはずだ。
 そして、どうやらニコラウスの縁者である私にはそのための力が備わっているらしい。
 私は今日の「職場」へと向かう。バイオトナカイ工場。今日はそこの職員達を「目覚め」させる。彼らは私を黒いサンタと罵るだろうか。
 私は無意識に「われらはきたりぬ」を口ずさみながら、少なくとも気分だけは晴れやかに、部屋を出た。

【終わり】

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