絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜この熱き血潮に懸けて〜 #1
蟠る闇。
壁、天井、床にランダムな間隔で僅かに灯る罪業燈が、その空間の無辺なる様を縁取っていた。
ここは〈栄光〉セフィラ、中心の居住区より数階層地下に存在する大平原だ。世界を創り給いし乱数の神は、この様な開けた空間を製造することが稀にあった。そして何も無い、ということは即ち戦闘をするのに適している事でもある。
地平線に、突如複数の罪業光の輝きが生まれた。それは遠距離砲撃用に改造された、罪業駆動マスカタパルトの発射に伴うものだ。
超音速で飛来する長大な杭様の金属弾頭は、女の悲鳴の如き檄発音を置き去りにし、衝撃波を撒き散らしながら次々とこちらに着弾した。炸薬が使われていない純粋運動エネルギー弾は、ユゴニオ弾性限界を超えて床のメタルセルユニットに次々と大穴を穿つ。
暗闇に、罪業以外の通常エネルギーによる光が初めて瞬いた。
だが……被害は皆無。何故なら、此方の陣地はほぼ空であり──唯一その場に立っていた人物にも砲撃は無効だったからだ。
絨毯爆撃の如き破壊の嵐の中をその人物──偉丈夫な男だ──は平然と歩く。全周囲から襲いかかってくる衝撃波は上手く化勁(ばか)され、背骨と仙骨を通り抜けて足裏の勁穴から地面に流し込まれる。結果として、男の通った道はただ「歩く」という行為だけで周囲に匹敵する惨状を齎していた。
男は銃を下げていた。二メートル近い魁偉がその手に収めてもなお馬鹿馬鹿しい程に巨大な拳銃を両手に一挺ずつ。50口径(フィフティキャリバー)のリボルバー。もしその銃口を覗き見する者がいたら首を傾げたに違いない。拳銃には通常とは逆向きの施条がなされていたからだ。
散弾に比類する勢いで飛び来る金属の礫も、小さい物は男の身体を覆う奇妙な黒いコートによって自動的に弾かれ、ある程度の大きさの物は男のノールックショットにより完璧に迎撃される。いや、そもそも眼を開けてすらいなかった。
筒音。爆音。轟音。
敵方の砲兵の腕はかなり良いらしい。この広大な闇の中で、僅かな光の瞬きや弾着のズレを見極め、着実に男の周囲に集弾し始めていた。そしてついに、一本の弾頭が男への直撃コースに乗った。
男は、そこで初めて足を止めた。
右腕を後背に、左手は直角に曲げ前に突き出す。そしてまるでクラウチングスタートの様に深く膝を折り身体を沈める。
この奇妙な体勢こそ、男が極めたとある武術に存在する套路の始点の一つ。身体の捻れが男の内部を駆け巡る「氣」の流れを留め、深い呼吸により増幅される。
大気を切り裂いて、死の矢が柔らかい肉体と抱擁を交わそうと秒速2000メートルで迫る中、男はカッと眼を開いた。虹彩のない、冷たい眼。サイバネティック技術による義眼だ。
「疾(シィ)ッ」
鋭い呼気と共に、右足を地に叩きつける。低姿勢からの、更なる沈墜勁。返ってきた反動を吸い上げる。大地力は丹田で加速され、先程から練り上げられていた男の氣と合流し、勁脈と神経を駆け上がり、焼ける様な熱を伴い腕先へ──義眼の男の身体認識上は腕と一体化している二挺の銃へと導かれる。
ヴン、と音を立てて銃口が赤熱。次いで破壊音で満ちた周囲をなお聾する、龍の吐息にも似た銃声が轟いた。
前後同時射撃。吐き出された弾丸は黄金の輝きを伴い、稲妻じみた鋭角の軌跡を暗闇に刻んだ。
──ガ、ガ、ガガ、ガガガガ! ガギュンッ!!
連鎖する衝撃音。それは発勁と共に送り出された弾丸が宙にある全ての矢と、衝突寸前だった矢に触れて内に宿した氣を解放して生じた物だ。二発の弾丸は唐突に物理法則を思い出したかのような挙動で重力に引かれてメタルセルユニットの床に孔を穿った。男は歩みを再開する。
──非常に奇妙な光景が頭上で展開されていた。勁力弾に触れた矢が、黄金の輝きを宿し、震えながら滞空しているのだ。
男の歩みはいつしか駆け足となり、やがて軽功を用いた疾走へと変わった。それを追う形で滞空矢達は弾かれたように本来宿していた速度のまま、ベクトルだけを反転させて敵陣地へと殺到する。掤勁の乗った銃弾による、相手の弾の支配。男が窮めし銃と内家拳法を組み合わせた武術──銃機勁道の極意である。
砲撃をそっくり返された相手陣地は大混乱に陥った。呻き声と叫び声が交叉する。そこに、義眼を闇に光らせながら男が切り込んだ。
このような平原で一番怖い物は何か。銃機勁道の達人にとっては砲撃も機関銃による弾幕もさしたる意味を持たない。最も警戒すべきは騎馬による突撃である。
罪業騎馬兵。このセフィラでの「発電」作業を担っていた、封建領主たち肝煎りの正規兵。虐殺の申し子にして掃討のエリートたち。失楽園によりホモ・サピエンス以外の全ての哺乳類は滅びたので、その乗騎はもちろん馬ではない。
罪業馬、と呼ばれている。罪人五人を生きたまま腑分けし、罪業変換機関を埋め込んで繋ぎ合わせた、罪業医学のグロテスクな成果物。見ているだけで正気を失いそうなそれは、現代において戦車よりも強力な兵器だ。何しろ罪業馬単体で罪業力場を展開出来るのだから。
故に義眼の男は敵陣地へと最速最良の方法で踏み込む。砲撃返しの混乱から早くも立ち直った一部の兵達がこちらへ銃口を向けてくる。男は頭から前へと飛んだ。対数螺旋の捻りを身体に加えると、敵の弾は全て男に触れること能わず虚空へと去ってゆく。そのまま空中で銃弾を腕を交差して発砲。加えて前へ、後ろへ、脇越しへ。暗闇にマズルフラッシュが瞬き義眼の男の姿が浮かび上がる度に、敵は血飛沫と肉塊へと変わった。
──ぎゅうあああああ
赤子を雑巾の如く絞ればこのような声が出るだろうか。敵本陣の奥深くから響いてきた異常な嘶き。着地した義眼の男はそちらへと向き直る。簡易耐爆シェルターから罪業騎馬兵が少数出撃してくる所だった。
震脚。返ってきた大地力を込めた渾身の通天砲。両銃同時発砲。メタルセルなど問題にならない威力の銃撃は、しかし罪業騎馬兵の手前で不自然な跳弾を見せ遥か頭上の天蓋へと着弾した。義眼の男は冷静に弾倉を振り出す。コートがその動きに反応して自動的に給弾した。
暗闇の中、罪業騎馬兵の眼前に青白いラウンドシールドの如き力場が浮いている。あれこそが銃弾を弾き返した物の正体。罪業馬に搭載されている究極の技能、失楽前の人類の叡智の結晶。罪業場だ。
罪業馬に跨る死の乗り手(ペイルライダー)は男の不条理な銃撃を無効化したのを確認すると、勝ち誇った顔をして突撃を開始した。罪業馬の8本ある脚は瞬く間にトップスピードに乗り、此方へと迫ってくる。
──やはりそう簡単にはいかないか。
義眼の男は心機を臨戦させると、呼吸を深めた。罪業騎馬兵は罪業場を展開。横倒しになって発顕したラウンドシールドは今度は全てを切断するギロチンの刃となって義眼の男に肉薄する。
男が、消えた。
いや、そう見えるほどの沈墜勁。罪業馬の腹下へと潜り込む。罪業馬には腹部にも目がある。充血した人間の目が一つこちらを見ていた。有線直結されている乗り手にもこちらの姿が映っているだろう。目に50口径のバカバカしい程に巨大な銃口が突き付けられる様も。
発砲。寸勁弾。青白いラウンドシールドを例え体内に発生させて致命傷を防いでも、浸透する勁力と50口径ホローポイント弾頭の衝撃が自乗倍されて伝わる。
罪業騎馬兵は、一瞬風船の如く内部から膨れ上がった。直後、勁力が抜けた後頭部を破裂させ高々と脳漿と頭蓋骨を撒き散らして落馬した。罪業馬は内臓機構を全てズタズタに掻き回され、苦悶の鳴き声を上げながら痙攣している。強大なる罪業騎馬兵唯一の弱点が極近接戦闘である。そのことを、男は誰よりも知っていた。
義眼の男はその成果に目もくれず、次なる獲物を探す/襲い掛かる/殺す。死の舞踏(ダンスマカブル)の如き連続動作。コートがはためき、銃口が赤熱する度に誰かが死ぬ。それを理解すると、生き残った通常兵はもちろんのこと罪業騎馬兵すら突進を止め──潰走した。
この〈栄光〉セフィラは現在二つの勢力が相争い荒廃の一途を辿っている。ちなみに3年前までは四勢力だった。義眼の男はその一方、〈血錆組合〉と呼ばれる豪族の食客をしている。
彼こそが、3年前に二つの有力な豪族に滅びをもたらした最強の傭兵である。
人々は彼を畏れ〈絶在殺鬼〉と呼んだ。
セフィラ──無限に続く金属製の迷宮。これを創り給うた神は酔っ払っていたか──あるいは酷く慌てていたに違いない。各階層ですら水平な箇所は珍しく、デッドエンドやループ、意味のない階段、開けられないドア……人の居住性というものを、凡そ全く無視した造りになっている。
この、人のニューロンにも似た無造作な回廊を内に孕んだ球体は「セフィラ」と呼びならされている。直径は3500km。それが恐らく10個程度絶対の暗黒空間に浮かんでおり、リニアレールで相互接続されているのだ。これが現在の人類が知る世界の姿である。楽園(ちきゅう)を人類が失ってから既に十数世代が経過しているが、セフィラの全容は未だ明らかにはなっていない。何故なら今から百年ほど前に、この金属世界における最初の文明が瓦解したからだ。
人類は唐突にこの寒々とした金属製の迷宮に放り出され、滅びをただ待つだけだった。ところが「ある物」の再発見により、ホモ・サピエンスはまた繁栄を謳歌する事となる。
迷宮を覆うメタルセルユニットは本来情報端末だったと知る者すら現在ではもう殆ど存在しない。それでも一部の酔狂な学者が試行錯誤の果てに、複雑精緻な電子神経網より取り出した情報には、失楽前の古語にてこう記されていた。
『──「無」とは均衡である。「有」とは不均衡である。我々が存在していること自体が対称性の破れにほかならず、この理を越えて生存するには、因果応報の原理を拒絶せねばならない』
この謎めいた箴言と、関連があるのかは分からない。しかし「それ」は確かに人類が知る物理法則の均衡を崩す物であったのだ。
遺された自動プラント群から吐き出されてくる有機物、つまりは肉塊である「それ」を人に繋いだ時、奇蹟は起こった。熱力学第二法則の否定、マクスウェルの悪魔、タービンを回すタネを完全に欠いたセフィラでの唯一のエネルギー源。
「それ」は、罪業変換機関と呼ばれている。罪人に移植すると、膨大な熱を生み出す失楽園前のロストテクノロジー。
人類は再び繁栄を享受した。
そして人の世は再び地獄と化した。
男は簡易耐爆シェルターに囲まれた最も厳重な防備の施された場所へと近付く。〈血錆組合〉はそこに敵が護り、そしてこの戦争を終結に導く「宝」があると言っていた。戦争を終わらせる宝など信じてはいないが、この警戒ぶりからして機密なりなんなりがあるのは間違いないだろう。
分厚い城門にも匹敵する扉の錠前を、銃撃で吹き飛ばす。
光が差した。扉の中は、明るく清潔な部屋だった。男の義眼が自動で明度を調節し、同時に熱源を捉える。抜銃──しそうになった手が止まる。
「……誰?」
部屋の中は殺風景だった。白いベッド、便器、それだけだ。ベッドに熱源がいた。それはどう見ても、歳の頃12〜3歳の、少年に見えた。非現実的なまでに整った神美の顔立ちは、人に寄っては見ただけで跪き永遠の忠誠を誓いたくなるようなカリスマを放っている。
男は、ただ茫然とした。
それに構わず、少年は言葉を紡ぐ。
「銃──敵の人だね? 良かった。じゃあ、早く僕を殺してよ。僕が生きていると、世界が滅ぶよりも最悪な場所になってしまう。僕はそれを防ぎたい」
ただひたすらに事実を述べているかの様な、怜悧な口調で少年は自らの死を希った。