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絶罪殺機アンタゴニアス外典 〜この熱き血潮に懸けて〜 #6

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「青き血脈」は楽園(ちきゅう)で誕生した。かの一族が他と隔絶していた理由は、当時の爛熟した遺伝子操作技術により、一から人を導くイデアそのものとしてデザインされたからだ。
 そして、その遺伝子の中に不確定性原理に基づくとあるコードが仕込まれた。
 秘匿ネーム、「ネフィリム・ブラッド」。それは観測する度に変化する遺伝子。時空間に跨ってまで情報を保存し、転写する。その効果は二つ。一つは、〈無限蛇〉が彼らを主人(アドミニストレータ)として認識するためのターゲットマーカー。そしてもう一つが、彼らを真に支配者たらしめる物だった。
 それは、一般的に「愛」と呼ばれる代物である。
 楽園(ちきゅう)喪失から幾百年。芳醇な文明を捨て去り、人が猿として生きるにはあまりにも永い時だ。「青き血脈」は、セフィラに生きる人類を救うための行動を開始した。
 ただ、愛(くもん)を。万民にただ、愛(くつう)を与えんがために。

 完璧な美貌に完璧な笑顔を浮かべたその男が、ふとこちらを見た。パットはすぐさま退避。直後、「青き血脈」の御座船・罪業戦艦ウィア・マリスの副砲の一つが煌めき、轟音と共にビルが内側から爆散した。アンチファンデルワースフォースバレット。分子間力を反転させる罪業場を纏った、究極の破壊兵器の一つだ。
 その様を見ても男は表情を変えずに、真っ直ぐそのまま〈血錆組合〉本部の建物へと入っていく。代わりに二機の序壱式機動牢獄が、平然と周囲の建物に対して発砲しながら近づいてきた。
 ──潮時か。
 パットの聴勁をもってすれば会談の内容くらい掴めようが……既に見当がつく。トウマについてだろう。「青き血脈」と〈血錆組合〉が繋がっていたと確かめられれば充分である。
 崩壊したビルの地下空間……パイプが複雑に入り組んだ下水処理施設へとパットは身を躍らせ、姿を消した。
「なるほどあれが〈絶在殺鬼〉か。良く踊る」
「青き血脈」の男は誰とはなしに呟く。だがそれに虚空から答える声があった。
『追いますか、お父様』
 若い女性──いや少女の声。
「その必要はないよ、アゲハ。今は目の前の会談に集中しよう」
『了解いたしました』
 男の隣の空間が奇妙に歪むと、乳白色の罪業迷彩を解除した「青き血脈」の少女が姿を現した。パットの義眼すら欺く完全な偽装。通常の罪業テクノロジーを超えた領域に存在する力。
「君の〈救済光姫〉を持ち出すことになるのは、もう少し後になる」
「……はい」
 答えるアゲハのその顔(かんばせ)もやはり……女性的な変化はあれど男と、そしてトウマの生き写しであった。

「また服を汚してるー!!! 子供の前なんですからしっかりした格好してくださいよー!!!」
 帰ってくるなり目敏くこちらを発見したバロットは、言うや否や上着を剥ぎ取りズボンを脱がせようとしたところでやんわりとパットに抑えられた。
「下は自分でやる……いやそもそも上も俺がやる」
「またまたー! ここに来たばっかりの時ゴミと洗濯物に埋もれてたくせにー!」
「……子供の前なんだからそういったことはあまり大きな声で言うんじゃない」
「わかりました!!!」
 トウマは最早そのやり取りに順応しており少し呆れた目線を遣るだけで手元の本に目を落とした。紙資源によるデータフォーマットはこの時代貴重であり、トウマはパットの部屋に大量に積まれてあるそれらを読み耽る日々を送っていた。
「それにしても最近お出かけが多いですね! お仕事そんなに忙しいんですか?」
 仕事じゃない、と言おうとしてこの暢気な大家の娘を巻き込む可能性に思い至る。
「バロット」
「はい!!!」
 名前を呼ばれ背筋を伸ばして元気よく返事をする。豊満な乳房がゆさりと揺れる様からなんとはなしに目を逸らし、パットは忠告する。
「俺達に必要以上に深入りするな。君の事だから薄々勘づいているとは思うが──俺はまともな仕事をしていないし、トウマも普通ではない。だから、」
「もちろん知ってますよ」
 パットの言葉を遮り、バロットが静かに答えた。普段とは打って変わって落ち着いたその様子に、パットは訝しむ。だがそれに構わず、バロットは言葉を紡ぐ。
「知ってて、リスクも何もかも承知で。それでも私が貴方と、そしてトウマくんに関わりたいと思っているんです。何があったとしても、何が起こったとしても、それは全て私の責任で、私のものです」
 パットも、そしてトウマもやや呆気に取られた。バロットは少し照れたように長い黒髪を弄ると、手をパンと叩き、
「ご飯にしましょう!!!」
 と大声で宣言し準備に取り掛かった。
「パットの負けだね」
 トウマがニヤニヤと笑いながら言った。
「勝ち負けではないだろう……」
 咳払いを一つして、話題を変える。
「今日、お前の親族と思われる男を見た」
 トウマはピクリと反応する。だが、まだ無言。
「〈血錆組合〉と接触していた。俺にお前を襲わせたのは、やはり全て仕組まれていた事のようだな。そろそろ答えてくれてもいいだろう。お前は何者で──どうして死にたがっているのか」
 パットの言葉にトウマは静かに目を瞑り、やがて溜息と共に目線を合わせた。パットは内心で動揺する。「青き血脈」が有する完璧なエイドスだけでなく、そこに籠められた縋るような想いに気付いたから。子が、親に助けを求めるそれと同じだったから。
 そして、トウマは答えた。
「〈無限蛇〉に守護されし者。「青き血脈」の始点にして終端。大罪の継承者にして原罪保持者。それが僕だ」
 トウマは立ち上がると、こちらに少し歩み寄り、何もない空間に腰を下ろす。瞬時にそこに椅子が「生えて」きてトウマを受け止めた。
「〈無限蛇〉は、罪業さえあれば文字通り無限に稼働する。林檎を齧るアダムとイブを見て、蛇は喜ぶ。だがその身は所詮物質でしかない。いくら自己複製機能や自己修復機能を備えようと、人に作られた物は劣化し、朽ちゆく定めだ。罪業が不足すればそもそも動かなくなるシステムなど、何故完璧と呼べるのか」
 トウマが立ち上がると、椅子は瞬時に錆びつき崩壊した。
「だから僕が『造られた』。無限を永遠に引き伸ばす為に。この身に宿す原罪でもって、この金属の殻の世界を楽園(エデン)に変えるために」
 パットは、まだ冷静だった。予測の範囲内の話ではある。原罪など聞いたことも無かったが、「青き血脈」の特殊性を鑑みれば納得できなくもない。問題は一つ。
「初めて会った時、言っていたな。『自分が生きていると、世界が滅ぶよりも最悪な場所になってしまう』と。それは、どういう意味だ」
「パットは、愛を信じるかい?」
「……何を、」
「愛は何より尊いと思うかい? それさえあれば人は他者に優しくし、誰も傷つかず、誰も泣かない世界が実現出来ると思うかい?」
 トウマは熱に浮かされたように捲し立てる。
「それは正しい。誰も傷つけず、誰も泣かない人々で溢れ返るだろう。愛が行き渡れば。そして少数の、愛を持たぬ人々が搾取する」
 大多数の友愛に満ちた世界に入り込む僅かな悪意。
「そんな世界はすぐに悪に滅ぼされる筈なんだ。持続不可能だ。でも僕が、僕たちが完成してしまった。愛(ぜつぼう)を媒介にしてヒトの尊厳を、在り様を犯すヒト攻撃性不全ウイルスとでも呼ぶべきものを」
「青き血脈」がその遺伝子に宿す、解析不能領域。
「本来僕たちの一族の間で交配が続く限り、なんの意味もない遺伝情報で、ただの〈無限蛇〉用の識別マーカーだと思われていた。だけど違ったんだ。今のこの世の有様を心底から憂いたとある狂人が、それを発見した」
 声がくぐもる。俯き顔を見られないようにしている。それはトウマが、初めて見せる表情だった。
 親に裏切られ、棄てられた、泣きそうな子供の顔だった。
メンデルス・ニックキュレレジス・ヴァルデス。現在の「青き血脈」の盟主にして、稀代の天才。僕の、遺伝上の父親だ」

続く

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