仕事と私の話

こんにちは、イチノハです。
今日は私の仕事の話をば。

推しごとじゃなくて生活費稼いでるお仕事のほうです。

所謂システム屋さんです

普段はプログラマまたはシステムエンジニアをやっています。
どっちなのよ!!!!って言われてもどっちもだよ!!!!としか言えない。
仕様検討・設計からやることもあれば、延々と定められた仕様にそってコーディングだけしてる時もあり。
メンバの旗振りしてることもあればメンバになって誰かに旗降られてることもあり…。
一応エンジニアとは名乗っていますが、正直どっちなのか私もわかりません。
というか明確に区分けつく人ってすごくないですか?どっちかしかやらないの?正気か??

個人的主観でいえば、コーディング(バックエンド)のほうが好きです。
だってお客サマと話すの嫌いだから。
知識のある方を相手にするならまだしも、知識レベルを下げて相手にわかるように説明ってのはなかなかに難しい気がします。
ここはやっぱり習練あるのみなんでしょうけど、どうなんでしょうね。
人には向き不向きがあるので…私には向いてないというか…そう思いたいだけかもですけど…(ぼそぼそ)

SEやらPGやってるとPC・スマホに強いって思われがちな件

Twitterとかもそうですが、友人やら親兄弟とかね。何かと頼られません?
パソコンおかしくなった~だの、スマホでこれがしたいのにできない~だの。

知らんがな。

餅は餅屋といいますか、我々の範疇から超えてるからね…?
アプリが動かないって喚かれても、私はそのアプリのコードを見たこともないし設計書もテスト仕様書も持ってないわけです。
特にハード面とか聞かれても「はぁ…」としか言えません。
元から機械(ハード、ガジェット)が好きな方はお得意な分野かもですが、一介のSEPGに聞かれてもパンフレットに記載のことしかわかりません!!!
CPUどれ選ぶべきとかそういう基礎的なことはある程度網羅してはいます。いますけど。
それだって専門の方から見たら赤子レベルの知識量でしょうね。

私にとっての専門分野は「いかに要望されている機能を効率的に可読性の良い状態でバグもなく実装する」といった方面に直行ドッカンなんですよ。
それも専門としている言語の。(ちなみに私はJavaですね)

いきなりマクロだの言われてもわかんないですー!
読めば大体はわかるけど!ゼロから何かを生成するのは本当に無理!!!!

いつからやってるのって話

なんだかんだと高卒してからずっとこの業界に居ます。
JavaとはかれこれJava1.4位からの付き合いです。あの頃はリスト回すのにも長々長々と大変でしたよね。

高校卒業の1年前頃はシステム屋さんになるなんて考えもしませんでした。
いざ就職~って考えた時も、「ものを作る」というぼんやりとした希望だけで。
まあ中学のころからHTMLやCGIらへんは触っていたので、何となくで入った情報処理科。
もしかしたら親和性的なものはあったのかもですね。

多少なりともプログラミング基礎の授業(とはいえCでしたけど)はあれど、ほぼ8割は商業科科目を履修するという不思議な高校でして…。
高卒後の就職先、斡旋対象はほぼ事務方やら製造業(鋳造とか)でした。

かくいう私も何となくモノづくりを仕事にしたいな~と思っているくらいで。
高3の夏休み、鋳造会社(有形物作り)とシステム会社(無形物作り)の会社説明会に参加したんです。
今は知りませんが、当時の高卒就職時、就職活動は3年の秋からと決められていました。

そしたら。
なぜかシステム会社でSPI試験を受けていて(?)
なぜか論文も書き(??)
なぜか面談もしていました(???)

後から知ったことですが、その当時に同席した別の方が大学生で。
尚且つ、高卒を採ったことがなく大卒扱いの人と同じ括りにされたと。

即ち、「説明会にいったら採用試験会場に行っていた」ということです。

当時の担任もてんてこ舞いでした。
でも私のほうがてんてこ舞いでした。
だってあれですよ、まだ面談の練習もしたことなければSPI試験なんて存在も知らなかったんですよ?!
親の扶養でのーんびり暮らしていたJKに酷い仕打ちだと思いません!?せめて心の準備くらいさせてー!って。

結果としては見事(?)合格し、私のシステム屋さん人生が始まったわけです。

何度も辞めたいと思いました

リリース前とか、Bugが出たとか。
理由問わず炎上しただとか、派遣先がとんでもブラックだったとか…。
そういうときは都度辞めたくなります。人生ごとログアウトしたくなった時もあります。
あれはそう…〇年前の夏の日…出張先で昼は現場入り、夜は別案件の仕事をし一週間ホテル泊…睡眠時間は日に1時間……この話は長くなるので止めます。

何はともあれ、何かがあるたびにシステム屋自体辞めたくなります。

でも、いざ転職サイトを見るとですね、出来そうにないんですよ。
そもそも受かる気もしない。
事務も営業も、それを仕事にしている自分が全く想像できなくて。

で、結局待遇改善のため同職種の別会社に転職くらいしかできませんでした。

片田舎である地元から、チャレンジ精神で東京へ。
そして、受託案件から責任の軽さを求めてSESへ。

システム屋の強みは、転職履歴よりも過去のプロジェクト経歴が物を言うところですね。
高卒のあの日にトラブルがあったあの会社さんには大規模案件とか公共案件とか大変おいしい経歴を頂きました。

今後どうしていきたいのか

私に、スーパープログラマは無理です。
何でもできるヤベェ人になんてなれません。
そこまでロジカルな方面に頭脳が対応してませんし、なんといっても向上心がない。
いつかは淘汰されるタイプの人間だと自己分析しています。
自己評価もかなり低いので、SESの面談のたびに「全部落ちる!」だの「むりむりしぬ」だの言って営業さんを困らせております…。
巷で人気のフリーランスに転向できなかったのもこういう性格が原因です。

今はまだ、いわゆる第一線で働いておりますが…
将来的にはきっと、社内システムの運用保守とか、社内SE的なものに落ち着きたいです。
安定してそうですし、鬼稼働も少なそうだし。

もしあの時、あの会社を訪問していなければきっと今はないんでしょうね。
地元で鉄固めてかんかんやる仕事に就いていたかもしれません。

そう思うと、一期一会は大事にしていかないとなぁ、と。そう思います。
今こうやって働けているうちに人脈なるものを形成して、未来に繋げられるように。

まあそういう営業的側面が一番苦手なので!!
少しでも改善していけたらいいなと思います。〆!

#私の仕事

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