他人がハナシを聞くとき、その理由
こんばんは。今日もお疲れ様です。
今日はこの思いをお話します。
個人的な考えなので突っ込まないでください。それ、結構痛みます。
さぁはじまりです。
ハナシ聞かない人って多いですよね。
同じ話をしても【信頼】する人の話なら聞くし、【信頼】できない人の話なら聞かない。
その信頼って何だろう。。。
わかりやすい評価
【信頼】の評価というものがあると思います。
情報ソースにかかわらずこの人が言っていることは信頼できる、同様に違う人の話していることは信頼できないとか。
その違いって、出会うタイミングとその出会いまでに使った【費用】だったりしませんか?
本当に使った【費用】だったり、そこに所属していると支払われるだろうと思われる【費用】。
後者については本当かどうかは別にして、”だろう”という言葉で想像させてしまう【費用】です。
私たちはそのお金で信頼を得ているのです。
再取得にかかる費用
おお、無茶苦茶なこと言ってますよね。もう少しお話を聞いて下さい。
話を聞く聞かないは、その話をしている人と出会うタイミングとかかった【費用】だとお話ししましたが、お話をする側である情報提供者がどれくらいの【情報量】も聞く聞かないの条件となります。
先ほど話したかかった【費用】と【情報量】を割ると情報の単価になります。
これは聞く側の【情報単価】。
この情報を再取得するのにかかる費用が【情報単価】になります。
情報単価の安い高い
【情報単価】の高い安いについて、聞く側が決定します。
【情報単価】が安いとき聞かなくてよい話、【情報単価】が高い話は聞くべき話。と判断されがちです。
聞かなくてよい話と聞くべき話
ところで聞かなくてよい話と聞くべき話、この差って何でしょう。
どんな話も耳から入っているので聞こえているのですよね、だから聞こえてはいるのです。
そのうえで聞かなくてよい話ってどういうことかというと、聞いても覚える必要がない話だということです。
聞かなくてよい話は【覚えなくてもよい話】。
その反対に聞くべき話は、【覚えておくべき話】なのです。
いざというときに思い出せる話、つまり覚えている話こそ聞くべき話だということです。
情報精度の問題ではない
聞いた話の信ぴょう性など情報精度を問題される方もおられますが、その精度を評価できる能力があるのなら、インターネットで検索しませんか。
情報精度をについて疑問を持っているからこそ他人に話を聞くのです。
情報精度の信ぴょう性が判断出来ないとき発信者に任せになり、話を聞く側は情報精度を確認する方法を持っていません。
他人がハナシを聞くとき
情報の精度を評価ができないからほかの人に話を聞くとすると、聞いた話の信ぴょう性を判断する基準とは何になるのでしょうか。
【費用】に対して聞く耳を持つと感じています。信憑性を判断する基準が【費用】の人も多くおられませんか?
この人の話は高級なもの、多くの費用がかかると思わせられたら話を聞かれるのだと思います。
話を聞いてもらうためには、高級な人と連想させる状態を維持する必要があります。
清潔感を保ち整ったものを身に着け、過去の経歴が高級だろうと思わせることで聞く耳を持ってもらえる確率が高くなります。
まぁそんな話をするやつから話を聞こうとは思われないでしょうけど、得体のしれないIT系なお仕事で小規模事業者支援をしてきた中、感じてきた内容です。
どこのメーカーかわからないようなUTMを売るのにはそうならざる得ないし、管理がされていないセキュリティシステムやRFPだけ作ってその先のない話など、情報の精度の基準をしっかりとお持ちなら見かけないものをやたらとみるのもその辺なんですよね。
私も人のことが言えないので自戒の念をもって書きました。