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すべては距離感である② 人生の最短距離=70cm

なぜ、M型ライカの最短撮影距離は70cmなのか

本連載は、カメラを通して「人生の距離感」について考えてゆきます。

M型ライカは「寄って撮ることができない」ということがマイナスポイントとして挙げられます。
これは、レンジファインダー(距離計)カメラとしての機構的制約によるもの。
近年は、ライブビュー撮影(液晶モニターで被写体を表示させながら撮影)をつかって、35mmまで近接撮影出来る新型のレンズも発売されています。私も購入したのですが、近接撮影を使うことはほぼありません。テーブルフォトでも、ちょっと立ち上がって引けば70cmの範囲に入りますし、あとでトリミングすればいい。
47歳になって老眼が始まり、ますます近くのものにフォーカスが合わなくなってきましたので、ちょっと引いて撮るくらいが自分には丁度いいと自分に言い聞かせています。

ロンドンで通った中東系のオーナーのカフェ

さて、本題です。
M型ライカに慣れるほど、この70cmという距離が、実人生においてとても重要な距離感のように感じる……というのが今回のテーマです。
日本人の成人の腕の長さ(肩から指先)の平均は、女性は67.34cm、男性は73.5cmだそうです。
この連載をはじめるにあたって撮影した note のアイコンは、ライカM10-Pに50mmのレンズを装着し、最短撮影距離70cmにして腕をいっぱいに伸ばして「自撮り」しています。シャッターを押すのに手首を曲げていますし、私は腕が長い方ではないので、盛大にボケています。M型ライカでは、よほど腕の長い人がいっぱいに腕を伸ばして撮らない限り「自撮り」はなかなか難しいということになります。
テーブルフォトでサッと撮りたければ、この70cmをうまく利用する方法もあります。
自分が手を伸ばしてから70cmくらいの場所を事前に知っておけば、最短撮影距離(レンズのヘリコイドを0.7まで一杯に回す)にして、カメラを肩か腕の付け根辺りにして撮れば、大体フォーカスは合っています。食卓でスマートフォンのシャッター音を響かせることもありませんし、大きなカメラでバシャバシャ撮って顰蹙を買うこともありません。

人生の最短距離=70cm

M型ライカの最短撮影の話はこれくらいにしましょう。

人間が手を一杯に伸ばした長さが男女で70cmくらいだということは、私たちはだいたい、半径70cmくらいの間で手を伸ばし、生きているいうことになります。誰かに触れられる距離であり、暗闇で障害物を見つけることができる距離であり、他者を拒絶できる距離でもある。ボクサーのパンチも、70cmより遠くはヒットしない。
抱きしめたり、手をつないだり、寄り添ったりした瞬間、そこから「距離感」は失われます。「密着感」とか「親近感」「安心感」と言った表現のほうが馴染みやすい気がします。

ロンドンにて

70cmという長さは、想像以上に短いものです。両手をいっぱいに広げ、近づけてゆくと、角度60°くらいでようやく、右手の指先と左手の指先の間が70mmくらいになるでしょうか。
室外ではほぼ考えませんが、室内で他者と向き合っていたり、ポートレート撮影をしている時、この70cmという距離感が突然意識の中に飛び込んでくる。70cmというのは、他者との距離を急に感じる、「人生の最短距離」なのだと思うのです。

手を伸ばして、身の回りの「70cm」に触れて、見つめてみて下さい。驚くほど狭い視界しか見ることができないのではないでしょうか。ところが私たちは、この70cmという距離感の中で、驚くほど多くの人生を「視て」います。
読書、メモをとること、パソコンでの作業、スマートフォン、食事、メイク……。一方で、家族やパートナー、近しい人達やマッサージ、ダンスやスポーツ等では70cm以内に近づくことはありますが、70cmという最短距離に他者が入ってくることはそうないのではないでしょうか。
ところが、この70cmという最短距離内に入り込んでくる「他者」が現代においてはふたつあります。
ひとつは「SNS」もうひとつは「自撮り」です。

世界との距離感が狂うSNS

SNS批判を展開する気はありません。個人的にSNSは貴重な情報ツールですし、リアルタイム性と世界の誰もがつながるという特性は、他に代えがたいものです。
やっかいなのは、本来人間が持ってる70cmという物理的最短距離よりも近く、パソコンやスマートフォンとの距離50-60cmくらいのスクリーンから、ありとあらゆる、距離感を破壊する情報が流れ込んでくるという点です。
本来関わることもないセレブリティの豪華な生活や、自分以外のすべてが芸能人なのではないかと錯覚するような加工写真、遠い世界の出来事(もちろん、現実を知ることは重要ですが)や、どこにいるかも、存在するかもわからない匿名の誰かからの誹謗中傷。本来、自分が自分自身でいられる70cmという最短距離の中で、私たちは距離感を無視した情報にさらされている可能性があると思うのです。28mm〜300mmの高倍率ズームレンズをのぞいて、ズームインとズームアウトを繰り返しているような感じでしょうか。

「すべては距離感である」と題した本連載において、私が読者の皆さんに提案したいのは「私と世界の最短距離は、自分が手を伸ばした70cmでしかない」という考え方です。その中に入ってくる情報の中でまず「眼の前の現実」を優先する。無闇矢鱈に入ってくる距離感を無視した情報に対しては、しっかりと距離を置くという生き方です。
宮﨑駿監督は「世界で起きていることは、半径3mくらいで起きている」と仰っていました。この「3m」については別な項で書きたいと思いますが、自分にとって近しい人たち+α=「世界」が存在し始めるのが3mくらいという意味であり、70cmという最短距離は、自分が自分であるための大切な「自分だけの世界」なのではないでしょうか。

どこかで悪口を言われていようが、自分にとてマイナスなことが起きていようが、70cm以内に入ってこなければ、スルーする。
手を伸ばし「No!」と拒否を出来る70cmという距離よりも外の情報に関してはあまり深く考えないというのが、M型ライカの最短焦点距離がなぜ70cmなのか……ということを考え続けた、僕なりの考えです。
「お前はふざけんな!」と一発お見舞いできる(やっちゃダメですが……)最短距離も、腕の長さである70cmだと考えると、なんだか気分が楽になってくるような気がしないでしょうか。

自撮りというもうひとつの世界

スマートフォンという新たな時代のカメラが普及したことによって、ある撮影方法が爆発的に広がりました。
液晶画面で、自身をフレームに写り込ませながら撮影できるようになったことによって可能となった「自撮り」です。

世界で最も写真を撮るのは日本人。特に女性だそうです。おそらくその大半が、スマートフォンで撮った自撮りなのではないでしょうか。日本人に限りません。浅草や京都といった観光地を訪れると、世界中の人々が自撮りをする姿を目撃します。
手をいっぱいに伸ばすと、スマートフォンと自身との距離は50cm前後。当然標準レンズではフレームに収まりきりませんので、広角気味で背景に友人や恋人、観光名所などを写り込ませて撮ることになります。
ふと、自撮りする人々の写真を眺めながら「自撮りにおける最短距離とは何なのだろうか?」と考えました。

50cm? 広角になるから、撮影範囲から換算するともっと遠い……? 肩を寄せ合って撮っているからむしろもっと短いのかも……?

MUGUNUMの写真家、マーティン・パーの「Death by Selfie」という写真集は必読です


自らは自撮りをほぼしたことがないことに気づき、知人が撮って送ってくれた自撮り写真や、Instagramの、誰か知らない自撮り写真をスクロールしながら、ふとこう思いました。

「撮影者がフレームに写っている自撮り写真を見ている《自分=鑑賞者》と被写体との精神的な距離こそ、自撮り写真における距離感なのではないか」

ファインダーをのぞいて撮られた写真の距離感は、鑑賞者にとって「撮影者と被写体の距離」として認識されます。
標準レンズで撮影された写真を見る時、私達は撮影者と同じ目線になって被写体を見ることになる。ですが、撮影者自身が写っている「自撮り」写真は、そこに自分が写っていない場合、距離感が不明な写真になってしまうのです。

そこに写っている人が知人の場合は、その知人と私の精神的な距離感が、自撮り写真の距離感となりえます。
どこの誰かもわからない誰かの自撮り写真は、撮影場所を知っている場合はおおよその距離感を図ることができますが、精神的な距離感は本来遠いどころか無関係な筈。ですが、その「どこのだれかもわからない他者の自撮り写真」に、人は嫉妬したり、怒ったり、時には微笑んだりする……なんだか不思議です。
他者を気にするからこそ人間は進化してきたわけですから、人間にとって重要な感情であることに間違いはないのですが、どこの誰とも知らない人の「自撮り」をみて一喜一憂することになるとは、ホモ・サピエエンスになりたてのご先祖様は、想像もしなかったことでしょう。

写真論の古典、ロラン・バルトの「写真論」には、写真は、「撮影者」「被写体」「観客」の三つによって決定されると記されています。
世界は、私自身と他者、そしてそれを客観する「観客」で出来ている。私自身と他者を分ける距離感が、インターネットやSNSによって
狂わされてしまった現代において「人生の最短距離=70cm」について考え、自覚することが、より良く生きるために大切なのでは……と考えるのですが、いかがでしょうか。

最後に「ライカはドイツ人が発明したのだから、ドイツ人の腕はもっと長いのでは?」というツッコミはご勘弁下さい。
前述の通り、70cmというのはレンジファインダーカメラの機構上の制約によるものであり「人生の最短距離=70cm」というのは私の仮説にすぎません。
あ……、こうした距離感を考えずに重箱の隅をつついてくる人に怯えなければならないのも、距離感を失ってしまった現代人の「宿病」なのかもしれませんね。

宮﨑さんのように「世界は半径3mで出来ている」と言えるように、今後も精進してゆきたいと思います。
読者の皆さんと、今後も程よい距離感で読んで頂ける文章を書けますように。

2024年1月4日(土)


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