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すべては距離感である⑤ 無限遠には気をつけろ!
「∞(無限遠)」ではすべてにフォーカスが合う?
人が手を伸ばして他者に触れられる人生の最短距離70cm、フォーカスがシビアになってくる1m〜3mというリアルな人間関係の距離感、5m〜 の距離は他人でいい、という仮説を展開してきました。
第④回は、「∞(無限遠)」に関して書きたいと思います。
ちょっと専門的な話から始まりますが、中盤から人生の距離感について考えてゆきますので、お付き合い下さい。
写真撮影では「∞(無限遠)」という言葉がよく使われます。
レンズのヘリコイドを無限遠の位置に設定しておけば、無限遠より先にあるものは、すべてフォーカスが合う、ということになります。
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もっともわかりやすのが、風景写真です。
光は大気を通して届くので、遠くにあるもののほうが輪郭が不明瞭に霞んで見えるのですが、フォーカスは合っています。
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遠くを撮るときは「∞(無限遠)」にすればいいと覚えておけばいい。
空や遠くを飛ぶ鳥、月や星を撮るときは、レンズのヘリコイドを「∞(無限遠)」いっぱいに回して撮る。
私は、空を飛ぶ鳥を撮るのが好きなのですが、望遠レンズは使わないので、50mmで撮る鳥は風景の一部となります。
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すべてにフォーカスが合ってしまうからこそ要注意
今回は、すべてにフォーカスが合う「∞無限遠」の中にこそ見出すべきものがあるのでは━━というお話です。
M型ライカの距離計をつかって撮影することに夢中になっていた頃、仕事を兼ねた撮影旅行でヨーロッパを訪れました。
「遠くのものは無限遠で撮ればいい」と、フォーカスを気にせずに風景を撮っていると、写真家・萩庭桂太さんからLINEが届きました。萩庭さんは、国内のほぼすべてのメジャーな雑誌の表紙や、著名人・アーティストの写真を撮られてきた巨匠です。距離計連動カメラとしてのM型ライカの使い方を「M型教習所」という教習所を開き、多くの方々に伝えています。
「撮影旅行、どう?」
それまで撮った写真を送ると、間を置かずに返信がありました。
「街中で無限遠は御法度だよ。ほんのちょっとだけ無限遠から(ヘリコイドを)を戻して撮るのがコツ」
萩庭さんほどの達人になると、十数枚の写真から、私が風景をすべて「無限遠」で撮っていることがわかってしまうのです……!
無限遠でフォーカスが合うのは、撮影者から800m以上なのだそうです。ライフルのスコープでは、1000mまでフォーカスを調整できるものもあり、それまで私が「遠いからすべてにフォーカスが合う」と考えていた距離は、実際には距離計を、ちょっと戻して撮らないとフォーカスが合っていない場合が多いのです。
「早速、やってみます」
撮影地点から遠くに見える建物にむかってカメラを構えると、確かに無限遠では微妙にフォーカスがズレている。レンズのヘリコイドを1mmくらい戻すとピタッとフォーカスが合いました。Google Map を開き、私のいる場所と建物との距離を測ると、500mくらい。それまで「遠くにあるからすべて無限遠でいい」と思っていた被写体を、私はしっかりと見ていなかったのです。
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世界を「ちょい戻し」で見つめてみる
第④回で「5mからは他人でいい」と書きました。
遠い他人の噂やスキャンダルを気にするよりも、1-3mの距離にいる被写体や人間関係の距離を大切に考える。でも、この「ちょい戻し」を気にするようになってから、遠くにあるけれど大切なもの━━見落としているものに目がいくようになってきました。
風景の一部だと思っていたものが、頭を「ちょい戻し」しながら見ると、くっきりと輪郭をともなって見てくるようになる。自分には関係ない……と思っていた世界に、奥行きと立体感、そして主題が生まれてくるような気がするのです。
情報が溢れ、距離感が狂ってしまった現代人は、あらゆる対象をカテゴリーにくくり、十把一絡げにして、とりあえず距離を置いてしまう傾向にあります。
「無能」「有能」「バカ」「キモイ」「嫌◯」「派閥」「学歴」「◯◯派」「◯◯世代」といった、個々人の本質を語るにはあまりにも簡単な言葉で、自分以外の世界を「無限遠」として処理してしまう。「分断の時代」とは「あいつはこういうやつだ!」と対象を無限遠におき、本来相容れるもの、理解をすべきものにフォーカスを合わせず、すべて同じものとして見てしまうことなのだろうと思います。
元来人間は、自分のテリトリーを守るために、対象をカテゴリー化し、大きく理解することで生きのびてきたそうです。この特性が、争いや不理解、分断を生む訳ですが、知識人と呼ばれる人が「対話が大切」と口にする度に、どこか違和感を覚えます。
「対話が大切なのは当たり前だけど、相手が対話したがってるかわからないし、そもそも対話が成立しないから難しいのでは」と。
私は器が小さく、性格が悪いので、わざわざ出向いていって対話をするなんてことはできません。
出来るとしたら、無限遠から「ちょい戻し」して、相手の良いところや理解すべき事情、そしてそこから見えてくる自分の度量の低さを自覚するように心がけることくらいです。
いきなり距離を詰め、シャッターを切っても被写体は素敵な笑顔をむけてはくれません。
まずは遠い距離にいる人を「ちょい戻し」くらいのフォーカスで見てみる。
「あの人は━━あの組織は━━あの集団はこういうものだ」と、無限遠でフォーカスを合わせていた対象の中から、自分が注目する被写体に少しフォーカスを合わせ、見つめてみる。そして、ゆっくりと距離を縮めながら、5m、3m、1mという距離まで近づいてみる。
世界を無限遠で見てしまうことに気をつけて、遠くのものに目をこらし「ちょい戻し」しながら生きていきたいとあらためて思います。(最近、老眼と乱視が進み、遠くのものにフォーカスが合わなくなっているのですが……)
最後に。
新年より note、X、Instagramをはじめてから、たくさんのフォローと反響を頂き、びっくりすると共に心から感動しています。
偉そうなことを書く資格なんてひとつもない人間なのですが、人生の後半に出会った写真という素晴らしい芸術文化を通して、自戒も込め「人生の距離感」について、今後も考えてゆきたいと思います。引き続き、お付き合い頂ければ幸いです。
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
皆さんと、よい距離感をつくれますように。
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