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M型ライカを手にする人へ
M型ライカとは何か
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本 note は、「すべては距離感である」で割愛した、距離計連動カメラとしてのM型ライカの魅力について、少し専門的に書いたものです。M型ライカや、少々専門的な知識に興味がある方に読んで頂ければ幸いです。
昨今、ちょっとしたライカカメラブームが起きているそうです。多くの方がライカカメラを手にし、様々な形で発信することにより、こんな声も聞かれるようになりました。
「カメラとレンズを合わせて200万円を越えるカメラを買うなんて信じられない」「レンズがすごいのはわかるけど、写真の解像感は現代のデジタルカメラにかなうわけがない」━━と。
こうした議論に参加するつもりはありません。
しかし、長いライカの歴史におけるささやかなブームの影で、Mライカの最も大切な魅力について語られる機会が、驚くほど少ない事に戸惑いを禁じえません。
「M型ライカを手にすると下手になる」とも言われます。そんな言葉を聞く度に、こう言いたくなります。
「オートフォーカスやズームレンズに頼らずに撮ることは難しいが、慣れればどんなカメラよりも撮りやすく、上手くなる」━━と。
私にとってのライカカメラの魅力は、画質や機能といったスペックではなく、写真を撮ることの楽しさと、日々写真が上手くなってゆくことを実感するプリミティブな体験の喜びに他なりません。
映画プロデューサーを生業としながら写真の仕事を頂けるようになった理由は、M型ライカと出会ったからだと断言できます。
いくら最新のフラッグシップカメラを手にしても、写真家としての仕事を頂けることはなかったでしょう。
M型カメラとの出会いは「被写体を撮る」という、写真の持つ本質的な行為の秘密を、その機構を知ることによって発見する旅の始まりでもありました。
M型カメラにあって現代のカメラにないもの
その秘密とは、本 note のテーマである「距離感」です。
M型ライカのMはドイツ語のmesssucher(メスズーハー)=距離計のM。 文字通り、距離計を備えたファインダーを使って撮るカメラということになります。長い歴史を持つカメラには、様々な機構が存在しますが、現代のカメラ機構の主流と言えるミラーレスカメラと、コンパクトデジタルカメラとスマートフォンと、M型ライカを比較してみましょう。
最新のカメラを構える時、撮影者はいずれも、被写体そのものを見ていません。液晶画面かEVF(液晶ビューファインダー)に表示された、デジタルデータを見ています。
M型ライカを手にし、初めてその光学ファインダーをのぞいた時、多くの人が思わずファインダーから目を話して被写体を直接見た後、再びファインダーを覗きます。理由は、ファインダーを覗いて見える像と、実際に肉眼で像が、少し広め(広角気味)であるのですが同じだからです。
「光学」というと難しく聞こえますが、シンプルにレンズ=ガラスを通して、素通しの世界を見ているだけなのです。
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この機構が撮影者にもたらすもの━━それが「距離感」です。
例えば、テレビやスマートフォンで、勇壮な富士山を見ているとしましょう。いかに高精細な液晶モニターを通しても、そこに富士山の存在を感じることは難しい。鑑賞者と富士山との距離は、モニターとの距離に等しいのです。
液晶モニターやEVFを通して撮る写真は、富士山にフォーカスを合わせたとしても、河口湖をゆく遊覧船にフォーカスを合わせたとしても、撮影者はデータ上で被写体を捉えているにすぎません。スマートフォンの液晶をタップし、フォーカシングをしている間、撮影者の視界は液晶画面に支配されています。
対して、M型ライカが搭載する距離計連動カメラ(レンジファインダーカメラ)は、被写体側と撮影者側のファインダー窓とプリズムという三つのガラスを通して世界を見ており、ファインダーそのものにフォーカスを合わせる機能を持ち合わせていません。
撮影者は、ファインダーと距離計窓の「ズレ」によって生じる視差を、レンズのヘリコイドを回すことによって合わせ、結果「この距離だったらこのレンズでこの位置でピントが合う」という場所を見つけ、シャッターを押します。多くのカメラがカメラに届いた像に対してフォーカスを合わせているのに対し、M型ライカは撮影対象までの距離を測りながらフォーカスを合わせているのです。
誤解を恐れずに言えば、デジタル化したM型カメラと他のカメラの決定的な違いは、この点しかないと言えます。搭載しているセンサーも、受光した像をデータに変換する画像処理エンジンも、他のデジタルカメラと大きく変わらないからです。
もうひとつの利点であるコンパクトなボディは、後述するM型ライカの生みの親、オスカー・バルナックが、それまでスタジオでしか撮影できなかった大型カメラを小型化しようとしたという事に端を発し、M型ライカ用のレンズが小型であり、オートフォーカス機構を持たない(搭載できない)ことによるものです。
しかし、いくら小型とはいえ、コンパクトデジタルカメラや、AIを搭載し、数年後にはフルフレームのミラーレス一眼カメラの画質をも越えると思われるスマートフォンによる「Computational Photography」にはかないません。かつて真鍮に削り出しだったボディは、M11(ブラックモデル)でアルミになりましたが、ずっしりと重く、気軽にポケットに……というわけにはいきません。
勿論、レンズの描写は素晴らしいのひと言です。ライカのレンズは単純な高画質化を追求することなく、各々のレンズに個性を持たせており「うん、やっぱりライカは違う」と言わしめるものではあります。しかし、サードパーティレンズにも素晴らしい描写のレンズはあり、被写界深度やボケ味をも「Computation Photography」で再現できる今、それらも大きなアドバンテージとは言えなくなってきています。「ライカはコンパクトで高画質である」とか「レンズ描写が素晴らしい」といった評価はすべてその通りではあるのですが、真の魅力は、フィルムカメラの時代、多くのカメラメーカーが発売していたレンジファインダーカメラを今も作り続けている点にあるのです。
これからM型ライカを手にしようとされている方、手にしてはみたものの、どう撮ってよいか分からないと感じている方は、M型ライカを手に取り、光学ファインダー越しに被写体を見つめてみて下さい。
感じてほしいことはたったふたつです。ガラスの素通しファインダーで、被写体をまっすぐ見つめること。そして、自分が立っている位置と、被写体の距離を実感することです。それさえ感じることができたら「何故(M型)ライカなのか」という問いの答えは、既にファインダーの向こうに見えていると言って良いでしょう。実践に関しては、本 note で具体的に紹介してゆきたいと思います。
液晶画面で、フォーカシングの結果どころか「Computation Photography」の結果まで確認しながら撮影できるようになった現代。70年以上もその機構が変わらないM型ライカをつかって撮る楽しみこそ、月並みな言葉で恐縮ですが「プライスレス」と言えます。批判を恐れずに言えば、そこにこそ、高額な金額を支払う価値があるのです。
最後に、簡単にM型ライカの歴史について、簡単に触れておきましょう。
エルンスト・ライツ社(現:ライカカメラ社)は、ドイツの産業革命期であった1869年、エルンスト・ライツ一世によって創業されました。当初は顕微鏡の製造を主力とし、ドイツ南部のウェッツラーを拠点に、レンズをはじめとした高品質な光学製品を手がける企業として発展します。
20世紀初頭、ライバル会社であったカーツ・ツァイス社から、エンジニアのオスカー・バルナックが入社し、カメラの開発に着手します。当時のカメラは大きく、スタジオや屋外で三脚を立てて撮影するものでした。身体の弱かったバルナックは、気軽に屋外に持ち出せるカメラを1913年に世界初の映画用35mmフィルムを用いた小型カメラ「ウル・ライカ」を開発。1925年に「ライカ1型」を発表します。「ライカ」という名前は「Leitz」と「Camera」の組み合わせから生まれたものです。
1920-30年代にかけて、ライカは小型で高性能なカメラとして広まり、報道の世界で多くの歴史的な写真を残します。第二次世界大戦後、1954年にM型シリーズの初代「ライカM3」を発表。この時に搭載されたレンジファインダー機構が、デジタル化が進んだ現代においても受け継がれています。
レンズから入ってくる像を、ミラーやセンサーで受光する技術がまだなかった時代のレンジファインダーカメラには「写真を撮る」という行為のピリミティブな本質が詰まっています。ライカに興味を持ち、これから手にとろうと考えている方にこそ、その歴史と機構を念頭に置いた上で、ライカの魅力を存分に楽しんで頂きたいと思うのです。
2025年 元旦