
すべては距離感である⑨ 距離を変えない距離感
「距離を変えない=回り込み」という距離感
第6回「キャラクターとの距離感」
第7回「才能ってなんだ?」
第8回「他者との距離の縮め方」
三回ほど、物理的な距離感とは異なる、撮影者と被写体が何を見ているか━━作品を生み出す作り手が、記憶の中の距離感をどう鑑賞者から引き出しているか━━鑑賞者としての他者との距離感について書いてきました。
今回は、グッと現実に引き戻し、撮影時におけるもうひとつの具体的な距離感について書いてみたいと思います。
それは「距離感を変えない距離感 = 回り込み」という距離感です。
読者の皆さんが、広場の真ん中に立っている被写体にむけて、カメラを構えているとします。
被写体は後ろを向いており、表情はうかがえません。

カメラを構えたまま、被写体との距離を変えずに回り込んでゆくと、徐々に被写体の横顔、そして正面から見た表情やディテールが見えてくるはずです。
ここで覚えてきたいこと。それは、どんなカメラでも、後ろからカメラを構えた時と、被写体の前に回り込んだ時で、距離が変わらなければ、フォーカスは合ったままになる、ということです。
見え方が変わっても、距離は変わらない。被写体や他者との距離には「距離感を変えないという距離の取り方」があるのです。
距離感を変えずに見えてくるものがある
「回り込むという距離感の取り方」は、人生や人間関係においても重要な距離感の取り方だと考えています。
嫌な相手がいたら、すぐに距離を置いてしまう。
興味がある人、感心が湧いた人にはすぐに近づく。
もしくは、スマートフォンやPCで検索し、相手のことを「知った気になる」。
身近な人間関係のみならず、今世間を賑わせている殺伐としたニュースや事件の背景には、すべて「反射的に距離を決定してしまう」という現代人の特性があるように感じます。
もちろん、自覚的に被写体の後ろ姿を撮るのは面白いことです。鑑賞者が被写体の表情を想像することができる。
しかし、実際に被写体の顔や表情を見ておくのと、そうでないのでは、撮影後の現像やキャプション、なにより「記憶の中の距離感」を生み出すにおいて、結果が全く異なります。

私たちは他者との距離感を、ついつい短絡的に決めがちです。
すぐに距離をとったり近づけたり、会ったことも見たこともない人を噂だけで判断してしまうことで、対象との距離感が壊れてしまうことが、あまりにも多いのではないでしょうか(自戒込めて)。
距離感を変えずに、まずはゆっくりと回り込みながら、被写体や他者のことを見つめてみることで、それまで見えなかったものが見えてくる、と思うのです。
回り込みながら撮るというテクニック
いくつか、回り込みながら撮影した写真を紹介しながら「距離感を変えずに撮る」方法について、考えてみたいと思います。
①公園は絶好の回り込み練習の場
公道や狭い道などは障害物が多く、被写体との距離感を変えずに撮ることが難しいのですが、公園など広い場所では、被写体との距離を変えずに撮ることが出来、距離感を変えずに撮る練習の場として、積極的に試すようにしています。

この写真、撮影者である私は当初、女性の後ろ側に立っていました。
仲睦まじく話しているカップルだということはわかりましたが、女性と男性が重なっているので、二人の表情や関係性がよく見えません。その場から近づいても離れても、撮影者から見える「ふたりの距離感」は変わらない。
その場で距離計で距離を測り、一瞬ファインダーをのぞいてフォーカスを合わせたあと、カップルを円の中心においたまま、円周をぐるりと廻るように歩き始めました。
ふたりに気づかれないよう、カメラは首から下げたままです。男性の表情が見えてきたところで、シャッターを切りました。このあとも数枚撮っているのですが、女性の横顔が見えないほうが想像力が掻き立てられる気がしたので、この写真を採用しました。
はじめにフォーカスを合わせてから、実際に撮影するときにはフォーカスを合わせたり、ファインダーをのぞいてはいません。
距離感を変えずに、回り込むことで、写真にあらたな表情を与えることができます。
②回り込みながら、目指す情報量を見つける

こちらは、エジンバラの街を歩いていた時の一枚。
建物の中から伝統的な衣装に身を包んだ新郎と、純白のドレスをなびかせた新婦が登場した後、来賓が幸せそうに新郎新婦を見守りながら出てきました。結婚式が終わり、写真撮影が始まるようです。
「新郎新婦の真後ろからふたりの後頭部をなめ、来賓を正面から撮りたい!」と考えて真後ろに回り込みました。
ところが、ふたつ問題があることに気づきます。
新郎新婦を真後ろから撮ると、来場客の表情や横の広がりがうまく入らないこと。これ以上真後ろに居続けると、来場客の視界に私が入り、幸せな雰囲気を壊してしまう……ということでした。
新郎新婦にはフォーカスを合わせていましたので、新郎新婦との距離感を変えずに回り込み、来賓とバグパイプ奏者がフレームに入ってきたところでシャッターを切りました。
EXIFデータを見ると、絞りは開放にしたままでした。28mmの広角レンズであれば、開放でもこれくらいの距離があれば、背景も極端にボケずに、その場の空気感をともなって写し出すことができます。
③並走すれば距離感は変わらない
最後に、回り込もうかと考えたけれども、グッと我慢してシャッターチャンスを待った例です。
美術館で絵画に見入る後ろ姿の美しい女性に惹かれ、一枚シャッターを切りました。

「表情を撮りたい」と回り込もうと思ったのですが、回り込んでしまうと、彼女が見ている絵画がフレームから外れますし、右側で絵を見ている別な人が写り込んでしまいます。

女性との距離を維持したまま、一歩左に寄ってカメラを胸元で縦に構えました。
右に寄ると、もうひとりの方が写ってしまうので、女性がむかって左にむかって歩き出すことに、賭けます。
幸運にも、彼女が左にむかって歩き始め、右足に体重が乗った瞬間を狙って、ファインダーをのぞかずにシャッターを切りました。
こ距離は決めてありますし、撮影者である私は女性と「並行」に移動しているので、距離感は変わりません。
回り込むことで見えてくるもの
被写体も人生も、一面的なものではありません。
すぐに距離感を決めずに、まずはその場から少し様子をうかがうように回り込んでみる。
一側面では見えなかったものが見えてきたら、近づくか、遠ざかるかを決める。
「フォトグラフ」は「Photograph(光(フォトン)で描く画像)」という意味ですが、日本においては「写真」と訳されたことで、その「真実を写す」という意味合いが、日本の写真表現の独自性を生む一方、可能性を狭めたのでは……という議論があります。
この場でこの議論をすることは私の手に余りますが、写真を学べば学ぶほど、世界は様々な視点で捉えられるべきものであり、真実はひとつではない(真実なんてない)ということを実感します。
他者との関係性や、世界との向き合い方━━何より、自分自身のことが一番わからない。
カメラを通し、様々な視点で被写体を見るという行為を通して、人生においても様々な視点を持って見つめる目を身につけたい……とあらためて思います。
