WCSでジャッジとして稼働してきました
WCSにてTCGマスター部門のジャッジとして稼働してきました。TPCとTPCiの障壁を越え、日本人として史上初めて決勝トーナメントに携われたことを非常に光栄に思っています。
この道はまどかさんのはじめられた道でした。オーストラリアに留学をされ、国内で最初期よりジャッジをされていた経験を活かして海外ジャッジであるところのProfessor資格をとり、そして今年のOCICではTPCi圏の大型イベントでジャッジ稼働された初めての日本人になられました。これについてはこのnoteを読んでいただくのが早いかと思います。
WCSにつながっているのかも明らかでない道を邁進された結果、私たちにそのチャンスが来たことがわかったのはJCSの直後でした。僕自身JCSでDay2に進出しチームメイトの1人はベスト8で世界権利を獲得したものの、トップ16に入ることはできず、Yokohamaに行けないのではという不安感が募りました。選手であるせと君が観戦パスまで当てているのに、僕にはポケセンも観戦パスも用意されていませんでした。ですから、このWCSに携わるにはジャッジに選ばれるしかなかったのです。
幸い、私はいくらか英語を喋れます。今回の募集ではジャッジとしての経験より英語力が優先されるようなことが書いてあり、大型大会の稼働が昨年のCL京都の1度きりの私でも一応の希望が繋がれているように感じていました。しかしその英語が喋れるというのも5年ほど前まで毎日ネイティブと喋る機会があったというだけで、最近の僕の英語力を保証してくれるものではありません。もはや有効なわけはない5年以上前のTOEFL iBTの点数を引っ張り出してくるのがやっとでした。ですが私はいちばん幸運な人間でした。
TPCに選ばれた人間をTPCiがどこに配属させるのかというのは、ひとえに運のように思います。英語力やジャッジ稼働回数程度しか資料がなく、またそれも日本語での資料ですのでそれをどう評価してくれるのかは全く未知数でした。しかしながら私は幸運にもTCGのマスター部門のジャッジを拝命することができました。一応、英検やTOEICではなく英米圏でも重用される資格試験のスコアであることは大きな役割を果たしてくれたのかもしれません。大昔にハーバード目指してるフリだけしててよかったと初めて思えました。
とは言っても中には英語が十分できるであろうにPlay-Labに配属された方もおられましたので、これはやはり運なのだろうと思います。Play-Labとは観戦パス不要エリアのティーチング担当で、英語力よりは子供とのコミュニケーションが要求されるエリアでした。当然僕にそれが出来る訳はない。Play -Labなんて任された日には毎夜の愚痴でともぽんくんの心労たるやすごいことになっていたはずです。
というわけで、最も大変で最も厳格さの求められるエリアを担当することになりました。それは最大の栄誉であるとともに、それ以上の緊張を意味しました。特にDay -1のスタッフ受付業務のお手伝いに数人の募集があり、人付き合いに慣れておこうとそれに参加したのですが、想像よりお荷物になってしまいました。僕は高校の文化祭やボーイスカウトでこの手のイベントの運営にはかなり慣れています。こういった仕事で僕が足手纏いになることはまずありません。そういう自信があった割にコミュニケーションがうまく取れず、集中力も欠き、迷惑をかけることばかりでした。
世界中からジャッジが集まるこのイベントは、テキトーに選ばれた我々日本人を除きBest of Bestだけに声がかかっています。その中で彼らProfessionalたちが久しぶり、あるいは先月のNAIC以来の再会に熱く抱擁を交わしているというのに、僕はその輪に混じれませんでした。僕の目標はこの瞬間から、しっかりと信頼を勝ち取り、次回以降どこかで顔を合わせた時にハグで迎えられる関係を築くことになりました。
そしてDay0が始まります。全体ミーティングから観戦パス、選手パスの受け渡しへと移っていき、その時点で日本人の需要は最高潮に。というのも、選手はともかく観戦枠はそのほとんどが日本人で、日本人の身分証明書にはローマ字が書いていないからです。登録されたローマ字表記と漢字とが一致しているのかというのは漢字ネイティブの日本人にしか確認できない業務でした。そういったところから(これはまるで我々の能力のおかげではないですが)頼られ始めているという実感を得ることができました。中には漢字も普通に読めちゃう非ネイティブスタッフもいてすげえなあ結構読めない名前普通にくるけどなと思いながら対応していました。
また、Day1からは実際にジャッジとしての稼働が始まります。当初は通訳だけをするのだと考えていたのですが、実際に僕の担当する仕事はRulingでした。裁定を出すのです。そしてその基準は国内と大きく違います。翻訳は信頼してくれてもいいですが、全く初めてのRulingはそうはいきません。ですが、私のチームが最高のバックアップを用意してくれました。これこそWCSに集められたBest of Bestかと感心する懐の深さと優しい指導で、ラウンドを進めるごとに裁定の基準などに慣れていくことができました。また、通訳は全部門共通のスタッフを呼んで対応してもらう都合上かなりの時間を要してしまいますが、それについても僕の語学力を信頼して、Masters部門の通訳案件のうちそれなりの割合を私に任せてくれました。最初はJapanese!と呼ばれていたのがYoichi!!!と変わっていったことは私を信頼してくれた証左です。
そして正念場のDay2です。Day3は各部門の決勝戦を順番に進めていく都合上、ヘッドジャッジ級しか仕事がありません。したっぱジャッジが最も頑張らなくてはならないのがDay2です。Day2も前日に増しての信頼感をみんなが見せてくれました。その何よりの証拠が、決勝トーナメントでの卓付きジャッジです。40人近くがいたマスターのジャッジのうち、決勝トーナメントの6試合の卓付きに選ばれたというのはこの上ない栄誉です。Professor1年目がWCSを任されるだけでも超特大の例外であるらしいのに、さらにそのBest of Bestらを差し置いて非Professorが決勝トーナメントを任されてしまいました。
これは日本人が上がっていたから通訳を仰せつかったのではないのです。まどかさんが手探りで、正解も見えない中邁進されていたのを漁夫の利してしまったようにも感じられましたが、それ以上にチームの全員に僕が信頼をされているのだと感じることができました。そして最終日にはほぼ満点のEvaluationをチームリーダーから賜り、この道のりがどこに続くのかはわかりませんが、僕のひとまずの目標は達成されたように思いました。
次回、それがどこなのかは分かりませんが、どこかで彼らと再会したとき、僕は彼らをハグで出迎えることができます。というわけで、最も濃密な5日間を過ごすことができました。Yokohamaの地に降り立った時、本当に文字通りPokemon Worldが目の前に再現されている高揚感、Day1の開会式で選手をHi-Fiveで迎え入れるその熱量、どこからともなく聞こえてくる拍手や大歓声、Pokemonで繋がったから会うことのできた異国の友人、閉会式で次回はハワイだと発表された瞬間に全員の意思がひとつに固まる感覚、そのどれもが格別の経験でした。このイベントに関わってくれたすべての人に心のそこからの感謝を。特に、僕を煽ててのせてくれたBodoと、後進のために道を切り拓いてくれたまどかさんの2人には感謝しても仕切れません。本当にありがとうございました。
優先権あるCL横浜で早速ハワイ決めれるようにこれからは練習鬼のように頑張ります。今回はチームメイト6人全員でYokohamaに集まれて最高の1週間だったけど、来年はHonoluluで集まりましょう。
追記:激務すぎて疲れました 緊張の糸が切れた途端に体調が悪化してしまって結構最悪です。新幹線も動かんし。お疲れ様、頑張ったねと思う方はお布施してくれると嬉しく思います。僕が圧倒的に感謝します。
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