『ゴジラ-1.0』(2023年)
初代ゴジラから70周年。そしてゴジラ映画30作目という節目に相応しい大作と感じた。
前作『シン・ゴジラ』の舞台が現代であるのと打って変わって、今回の『ゴジラ-1.0』では、1945年、敗戦直後の日本という設定であり、これは初代ゴジラの登場年代よりも前ということになる。
当然、戦争の傷に人びとが苦しんでいた頃であり、誰もが身近な人を亡くしており、絶望と虚しさに覆われた時代だった。日本社会が最も弱く落ち込んでいた時の話である。
加えて、ビキニ環礁での核実験によって変異を起こしたゴジラの存在は、戦争と核の恐怖を象徴していることは明らかだ。これは初代ゴジラが体現していたものを踏襲しているのだろう。
ひとつの戦争が終わっても、また新たな恐怖が人間を襲おうとしているのである。これにどう人間は対処してゆくのか、戦争の傷が癒えぬまま立ち上がる人々の姿を描くドラマに引き込まれる。
登場人物たちは、戦争を生き延びることはできたが、多くの同胞や家族が死んでいった中で、自分だけが生き残っていると、自分を責めている人たちである。
この「自分は卑怯な死に損ないだ」と思っている人たちが、「自分の中の戦争を終わらせる」ためにゴジラと戦う、というストーリーには胸を打つものがあった。ゴジラを倒すことによって、ひとりひとりが自分の中の戦争を終わらせたいと願っているのである。
いわば、この物語は国のために死ねと言われていただけの存在だった人間が、大切な人を守りながら「自分も生きてゆく」存在へと、その内面を変えてゆく物語だと言える。
死ぬべき人間が生きるべき人間へと生まれ変わることによって、やっと戦争を終わらせることができるのである。
加えて、軍が解体され、自衛隊もまだ創設されておらず、しかも政府もGHQに支配されて機能していない、そんな中で、武器を持たない民間人が自分たちの復興しかけた社会を守るために立ち上がる。この、政府や軍など当てにならないのだとはっきり言い切る姿勢が痛快である。
もちろん、米軍がソビエトを意識して軍事行動は避けている、だから対ゴジラ作戦に動き出さないという設定には無理があるような気もするが、この映画が伝えたいのは、官ではなく民が何とかする、というテーマだからだろう。
これには、コロナ禍に対して十分な対策のリーダーシップも取れず、また経済的にも政治的にも軍事的にも、アメリカ主導に引きずられて自立できない政府という、今の時代状況も反映しているだろう。
国は何もしてくれない。民間人が自分たちのために、自分たちで立ち上がり、なんとかしなくてはならない、それが現実なのだというメッセージが見て取れるのではないかと思う。
VFXは完璧で、実にリアルにできあがっている。日本の映像技術もここまで来たのかと感慨深い。もうILM独壇場だった時代は終わった。国内の技術だけで十分だ。見事なゴジラ像を観ることができる。
その一方で、「なんで戦時中の特攻兵の髪型が丸刈りではないのかなぁ」とか「なんで主人公の髭がいつも綺麗に剃られているのかなぁ」とか、若干不自然なところもあった。
そのような一部の役者による興ざめな部分が無かったとは言えないが、そんな中で安藤サクラさんの役作りと演技は素晴らしかった。
そして、脚本が良かったと思う。「敗戦後も『私の戦争はまだ終わってない』と思っている人びとが、なんとかして『終わらせたい』ともがく群像」を見つめて、目頭が熱くなるシーンもあった。
戦争の否定。核兵器の否定。これがこの映画のテーマであると思いたい。ただのエンタメ怪獣映画とはちょっと違う。観る価値のある重厚な1作だと思う。