真面目に不真面目かいけつゾロリな俺
はじめまして、深夜テンションで書いた鬱ドキュメントですが見てくれる方、お付き合いいただければ幸いです。
真面目になるのが恥ずかしい気がしていた。真面目になっても出来ない自分が恥ずかしくて死んでしまいたくなるから。
日本人は皆、義務教育を経て”おとな“、つまり社会人になっていく。もちろん私もその一人で、4月からは齢24にしてやっと“おとな”になる。だけど私には自信がない。
小学校の算数のプリント、くもんの宿題、中学の授業の板書、高校の定期テスト。どれもちゃんと出したことがほとんどないし、勉強も嫌いではなかったけれどしたくなかった。提出期限に関して言えば守れたら奇跡に近い。あまり覚えてもいないが親には隠し事ばかりだったような気がする。つまり真面目に不真面目を積んだ学生時代だった。私の怠惰のそれは多岐にわたり、今思えば多分幼少期から現在に続く悪癖だと思う。巷ではよくADHDや発達障害などという言葉を聞くようになった気がするが、私の場合はただのダメな奴だと自分の中で結論が出ている。
そんな私でもひとつだけ確固たる自信を持つ自分の性格の一つが“完璧主義”だ。B型に有りがちな、“妙なところ几帳面だし真面目だよね〜”がまさに私である。私のことを知っている人から言わせれば、「嘘じゃんwww完璧にこなしてるところ見たことないんだけどwww」という人が大半だろうが、その通りだ。というかそうじゃないとおかしい。私が自分の思い描く完璧を実現させたことなんてただの一度もないから。
出来ない自分格好悪すぎる。そんな行き場のない自己満足と羞恥心のやり場に困った私が選んだのは、真面目になんかやってなかったから適当になったという気持ちと事実の隠蔽だった。私には「それの方が何百倍も格好悪いぞ」と教えてくれる人はいなかったのだろうか。理由なんて何もない。ただ自分の思った通りに出来ないから、だから適当にやる。それだけ。自分の“完璧“の達成のために周りを振り回してしまうこと、周りは出来るのに自分だけが上手くできないこと、それなりに努力した結果がそうであること。それらが全て私にのしかかってきたとき、腹の底から真っ赤で熱くてドロドロしたものがゆっくりと溢れ出てくるような猛烈な恥ずかしさに陥る。周りが努力しないで出来ているなんて一度も思ったことはないけれど、真面目に取り組んでできない自分が、何度も失敗する自分が、誰より一番許せなかった。
上京して2年目の3月、アルバイトを変えた。レストランのホールスタッフ。飲食は嫌いだったけど、とにかく接客業に触れることが就職活動でも大事だと思ったから決めた。私以外のアルバイトの子たちは3年4年と働いている自分より年下の子たちが多く、かなり強く関係性が構築された職場環境は、正直肩身が狭く身に堪えた。忙しさ、サービス精神、お客様第一主義、全てが疎ましく、所詮バイトなのにな、と思う私には息苦しかった。一ヶ月ほどして新卒の同い年の社員がレストランに配属された。一眼で分かった。真っ直ぐで素直ないい子だ、と。彼女との出会いが私のアルバイト生活の全てだった。
彼女もまた地方から単身で上京してきた身の上で、何かあったら私でよければ相談でもしておくれと声をかけたいぐらいには細く小さな子だった。ただ、私の性格上、新しく入った人にそんなに軽々と声をかけることができないはずなのに、どうしてそんな風に声をかけたか今でもわからないけど、それぐらい彼女が魅力的だったのだと思う。端的に言うと彼女は第一印象通りの真面目で真っ直ぐな素直を絵に描いたような子だった。悪癖が染みついた私には虫の居所が悪いぐらいに仕事をテキパキこなすいわゆる“できる子”だった。だけど彼女のことは嫌いになるどころか、その素直さが本当に魅力的でどんどん好きになっていった。私とは対極にある存在だと思った。ぞんざいに扱うことなんてできない、心の優しい子だった。
一方私は、ここでもやはり上手くできない自分が許せない毎日だった。こんな風に言えば聞こえが良くなってしまうが、正確に言えば上手くできない自分を許す方法として適当に手を抜いて仕事をするシフトの毎日だった。職場のおとなたちには見抜かれ、マネージャーには嫌われた。同じミスをしても私には当たりが強かった。自分が好きになれないといいつつ、自分のことを好きになる努力というものを、私は今まで怠ってきたんだと思った。私には向かない、職場環境のおかげで身動きがとりづらい、時給と求められる仕事量が比例しない、何かにつけて文句を言ってた気がする。逃げることは間違いではないかもしれないけれど、私の逃げ方は正真正銘間違いだった。
今思えば、就職活動も努力していた気がするが、そんな私の本質を、人事のおとなたちは気付いていたのだと思う。そう考えれば4月から就職する職場があって、私は幸せだし奇跡なのだと思う。そんな職場でも私は、そうやって自分から逃げて仕事をするのだろうか。真面目になることは恥ずかしいことだと喚いて適当な仕事をするのだろうか。仕事を舐めているわけではない。そうそういうわけではないけれど、でもそういうことになる。どうして私はこうなんだろうなんて考える暇があれば素直に真っ直ぐ、不器用なりに向き合うべきなんだと思う。それが私にとって非常にハードルが高くなっていることだけが私にわかる全てだ。
言い訳でしかないけど一つだけ言わせてほしいのが、私は本当にタイミングが悪い。もはやタイミングが良いといっても過言ではない。いつもやらない手抜きをやったときに限って見つかる。というか大体見つかる。こっぴどく怒られる。いつもこんなことしないのに!どうして今日だけ見られるの!というようなことが結構ある。頑張ろう!と思った日に限ってそういうことになる。「みんなそんなもんだよ~」と言われるかもしれないが、この運の良さ(悪さ)が本当にかなりの頻度で起こる。おみくじも福引もじゃんけんですら弱い私が、こんなところで引きの強さ(弱さ)を発揮して、誠に遺憾であります。そんな出来事に心を折られることもしばしば、そのおかげでこんなひん曲がった性格になってしまったのかもしれない。自分の処遇を呪う私。呪う暇あったら反省しろと言われれば返す言葉も見つからない。
心の中でわかっている私のこの悪癖を直すために、私ができることは何なのだろうか。一番の近道は自分を好きになることだと思う。だけど自分を好きになることなんてどうしたらできるのか。素直になることが自分を好きになることにつながるとしたら、私はわたしの中の完璧を具現化しないといけないことになる。それが周りの迷惑になること、時間がかかること、ただの自己満足になってしまうこと、全てにおいて誰かの協力なしではできないということ。それは私の中の完璧に背くことになるのではないのか。私は結局自分を好きになることでさえ、自分一人ではできないということなのかと思うと頭がくらくらする。人生というのはそんなもんなのだろうか。格好悪い自分と上手く付き合っていく方法があれば、自己啓発本でも宗教でも何にでも縋りたい気持ちだけど、結局は自分でどうにかするしかないのか。“完璧主義”が仇となる典型的パターンだと、自負している。やっぱり就職が不安だ。