カンボジア 還暦一人旅#2(プノンペン)
昨夜遅くにプノンペンに到着し、初日を迎える事ができた。朝起きて分かったのだが、ホテルは窓有り(シティビュー)の部屋を選んでみたものの、非常階段と壁が見えるだけで日中でも部屋は薄暗かったは残念だ。個室が1泊3千円程度だとこんなものかなと諦める。
昨夜はなんだか分からないが部屋臭が気になって夜中に何度か目が覚めた。気が高ぶっていたせいか、日本仕様の嗅覚になっているのか?
比較的適応性があるので、2泊目以降は気にならなくなりはしたが...
朝起きてすぐ近くのセブンイレブンでコーヒーを飲んで、ホテル近くの中央市場で遅めの朝食をとった。カウンターの端に座ってクイティウというベトナムで言うフォーを注文した。周りを眺めると殆どが地元民だが、自分には観光客用の$表示メニューだったので本当はもっと安いんだろうな〜!と残念な気になった
どこの国でもやってるように日本も観光客価格を導入するべきだな!と思う。
注文したクイティウはパクチーが効いてまあ美味かったが、量を含めて480円では自分評価は高くなかった。
歩いてワット・プノンペンへ行ってみる。
この街は車が歩道に乗り上げて停めてあり、まっすぐ歩けない。結局何度も車道に出るしかない。そもそも歩いてる人なんてそうはいないが、ごみごみした中を車を気にしながらなので気持ち良く歩けなかった。
メコン川沿い歩き、日中の人もいないナイトマーケットを見て、途中練乳のたっぷり入った濃いカンボジア風アイスラテを飲みながら休憩した。
車やバイクやトゥクトゥクの騒音とホコリと暑さで疲れたので一度ホテルへ戻る。
昨夜プノンペン到着時の夜は涼しかったが日中は陽射しが強くて暑い。ホテルで休憩した後、夕刻に食事に出て今度は夜のナイトマーケットを見ようとしたが、それでもまだ時間が早かったせいで賑わいがなかった。
暗くなるまで待つ気にもならず、帰り道に美味そうな食堂に入って、カンボジア料理のlok lakを食べた。味は違うが日本の生姜焼き定食という所だろうか、美味しかった
日本にいる時にGrabと言う配車アプリを入れていたので夜試してみた。初めてだったので操作を間違えて配車してしまった。こう言うeasy missが最近増えているのは、歳のせいだな
キャンセルを申し出たが、もう遅い!着いてしまって疲れたからチップを払えとメッセージが来た。
なぜか乗車もしていないのに、既にカード決済が済んでいて、何だよ!と思ったが、そもそも自分のミスだし600円の為にクレームをつける元気もないのでお勉強代と諦めた。
そして翌朝、
grabアプリで昨日お勉強した成果を試す。行き先を入力して、乗り物毎の運賃を確認して、一番安いトゥクトゥクを選ぶ。いちいち値段交渉をせず、ボラれる事もなく、登録してる運転手なので降りる時に言い掛かりをつけられることもない。
スマホ一つで飛行機からタクシーまで予約ができて、支払いまで出きてしまうまったく便利な時代だ。
今に比べて35年前の若きし頃の旅は大変だったんだなあ、と振り返りる。飛行機の予約は格安航空券を旅行会社へ買いに行って、キップを取りに行って、宿泊場所は地球の歩き方を見ながら自分の脚で探し回わったものだ。
便利な時代になって旅がし易くなったお陰で根気と体力のない還暦オジさんでも旅ができるって訳だ。もうスマホ無しでは自由旅行はできないなと改めて思う。
トゥクトゥクに乗りクメールルージュによる大虐殺が行われた博物館とキリングフィールドへ向かう。
ヘッドフォンで日本語の説明を受けながら見学できて、詳細までよく分かった。話をしている人は殆どいなく皆ヘッドホンの説明に聞き入って静かに見学をされてた。
改めて思うと1970-79年自分はまだ中学生頃で日本は好景気で、平和だなんて実感もなく、平穏に暮らせていた。同じ頃この地の人々は家族と引き離され、不条理な拷問を受けて処刑されたり、農村で強制労働をされたりされていた訳だ。
細かな不満はあっても自分は概ね平和に暮らせている事に感謝しないといけない。
社会人になった頃だろうか、カンボジアと言えば難民や地雷の事がよく報道されていて、カンボジアは旅の選択肢にも入らなかった。‘80年台はまだまだ復興中だったのだろう。
ショッキングな1日でモヤモヤした気分で眠りについた。
そして旅はつづく