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映画が嫌い、という話

 映画が嫌いだ。

 まず2時間程度で一つの話をまとめてしまうというのが気に入らない。だって、収まるわけないじゃん一つの壮大なストーリーが2時間で。

 アニメやドラマを見てほしい。30分ないし1時間を12回程度、つまり単純計算で6時間~12時間(CMを考えてないからもうちょっと少ないけど)でじっくりコトコト話を作り上げる。

 僕はあんまりアニメもドラマも見ないけど、数少ない経験から話せば、やっぱり楽しんで見たアニメやドラマの終わりには感慨深さが伴うものだ。

 でも、映画は違う。2時間という超スピードで話が「起」から「結」までいっちゃう。正直感情移入できないよ。だって、2時間前に会った人だよ? でも映画が終わって周りを見渡せば、顔面汁だらけにしてその場から動けない人多数。えっ、私の感情薄すぎ……?

 一応周りに合わせて、文字だらけでつまらないエンディングが終わるまで席に座り、終わったらそそくさと映画館から退出してしまう。暗めでキャラメルポップコーンの匂いが充満している(映画が嫌いなのでこの甘ったるい匂いまで嫌悪対象だ)映画館から出ると、強めの日光で一気に現実に引き戻される。

 そこにはさっきまで見ていた緻密なAI世界も、周りになじめず、せっかくの歌の才能もむなしく自信をなくしていたJK主人公も、AI世界に住んでいる謎の竜も(ここまででなんの作品かわかるかな?) 、顔面汁だらけ感受性オバケもいない。なんなら感受性オバケたちはすっかり体液をふき取り、次のランチどうする? と能天気な様子だ。あまりの落差にクラクラする。

 じゃあ家で映画見ればいいじゃんって意見もあるかもしれない。でもそれは浅はかだ。それなら僕はアニメやドラマを見たい。一回30分を好きなペースでじっくりストーリーを楽しみたいのだ。映画ならカットしてしまうキャラ同士のちょっとした掛け合いだったり、身の上話だったり、そういうものがキャラに深みを与えていく。

 僕はそんな本筋と離れた無駄話が大好きだ。極端な話、『デレステ』だって、実は卯月達が奮闘するアニメより、音ゲーの『スターライトステージ』より、スピンオフとしてサイコミに連載されている『After 20』、通称「のんでれら」のほうが好きだ。
 高垣楓さんたち成人済みアイドルがひたすら色んな酒を飲むというお話。僕自身が酒文化好きということもあるが、やっぱり普段修羅の世界、アイドル業界に身を置いている彼女らが自らを開放して羽を伸ばす、そんな平和な一幕が癒しになるし、何よりそんな素の表情がいつもの100倍可愛い(普段から最高に可愛くて綺麗で最高だけど)。
 現実でもやっぱりくっだらない雑談で楽しそうな顔をしている人が好きだ。思いがけない一面を知れることもあるし。

 話が逸れに逸れてしまった。とにかく、2時間でキャラを掘り下げ、感情移入させ、なおかつストーリーに整合性を与える、そんなことできるはずがないという話だ。絶対どこかしらで欠陥が生まれる、と思う。そこが気になって集中できなくなり、いつの間にか映画が終わって困惑する様である。
まだ嫌いなところ1個目しか言ってないが、長さに関してはもう少し苦情がある。

 2時間って、微妙じゃない…? どれだけ面白い作品でも、2時間も観続ける自信が普通にない。実は僕には集中力が欠片もないのだ。気づいたら3時間経っていたとか、熱中しすぎていつの間にか夜だったとか、そんな経験が一つもない。絶望的な飽き性のせいで、なんでも集中力を持って取り組めるのはせいぜい1時間程度だ。どうやって受験を乗り越えたのかは本当の謎だが、そんな僕が映画を見るとどうなるか。大抵は家なら後半スマホを触ってしまう。感動的ストーリーを完結させるにしろ、ド派手なアクションを見せるにしろ、僕にとって2時間はちょっと長すぎるのだ。

 ……いや、これは僕が悪いな。完璧に個人的な話でした。しかも多分あんまり共感してもらえなさそうだし。

 少し迷走し始めたので次の嫌いなところを言いたいと思う。これは映画自体よりかは映画社会に関する苦情なのだが、映画はその大衆性からか、現代において商業化しすぎていると思う。

 別に難しいことを言おうというわけではないし、偉そうに社会学的な考察を垂らそうとするわけではない。「ウワー、ムカつくぜー」くらいのノリだ。

 映画はやっぱり人気である。これはさっきまで忌み嫌っていた「2時間」が逆に効いてくるのだが、1,000円台で程よく時間が潰せ、疲れないし気候に関わらず、話題性に富んでいるレジャーというのは、やはり映画くらいではないだろうか(ほかにカラオケを思いついたが、少し個人差が大きすぎると思う)。

 初めてデートをする緊張ガチガチの男女だって最初の2時間は顔をそれほどまで合わせなくていいし、視聴後は話題にも困らない。そこで話がはずんでいい雰囲気になれば、今度は股間ガチガチなイベントが待ち受けているかもしれない(低俗な下ネタ)。

 まあ結局のところ、究極的に無難なのだ。映画という選択肢は。そのおかげで金儲けの手段としてすぐ利用されてしまう。人気アニメや小説、ドラマの引き伸ばしが始まるのだ。僕はこの「引き伸ばし」という文化がちょっとだけ許せない。何に関しても、非常に中途半端なのだ。

 新ストーリー作るならええんよ、『コナン』とか初見でも楽しめられるように作られとるもんな? やけどさ、中途半端に原作改変とかしだすやろ? 君ら。実写化とか特にさ。マジでどの層狙っとるかわからんて。人気の作品焼き増しすれば売れるやろ! っていうのがスケスケやねん。

 熱が入りすぎてうっかり関西弁が出てしまった。とにかく、作品を記号化して、粗製濫造すんな! ってことである。確かに僕も好きな作品が映画化されてたらどんなのでもノコノコ見に行っちゃうけどさ。

 中学か高校のころ、一時期小説家を志したことがある(あんまり才能も興味もなかったことにあとで気づくことになる)。今も大概だが、そんな世間知らずなガキだったころ、勧められた映画を拒絶したかなんかで父親に「映画もろくに見られないやつが小説家になれるか!」と一喝されたことがある。

 スンゲームカついた。父は小説家でもなんでもない公務員である。あんたがなにを知ってるんだ。絶対映画見ない小説家だっているだろ。その時、これからは絶対映画なんか見てやらんと決意した。映画嫌いを促進させた大事件である。

 そう、確かに映画は強大なのだ。天下無双の大衆性だけではなく、ちょっとハイカルチャーな部分も兼ね備えていたりする。小説の中にだって、ちょっとオシャレな洋画なんかを引っ張ってこればすぐさまちょび髭文化人オジサンがニヤニヤ近づいてくる、そんな奥ゆかしい魅力も持っているのだ。恐るべし映画の魔力。大衆性とハイカルチャーの二刀流なんて映画くらいしかなしえないのではないだろうか。小難しそうな洋画だって字幕で観ちゃえば誰だって楽しめる。

 しかし、僕は屈しない。逆張り精神で絶対映画なんか見てやるもんか。僕は生まれつきの頑固である。優柔不断が映画と同じくらいキライだ。


 ……え、星野源って映画好きなの? 村上春樹も? 藤本タツキもたしかイラストに映画元ネタすんごい多いよね……。

 一本くらいは見てやってもいいかもしれない。そうだ、元カノと一度だけ映画を観たことあったな(そのあとすぐフラれたけど)。『君の膵臓をたべたい』だったか。あれは2時間の短さを逆手に取った怒涛の展開で「突然性」を表現した見事な作品だった。恋愛映画だと見てられるのかな、でもまた微妙な気持ちになったらどうしよう……。いや、意外とはまっちゃうかも。いやでも……。

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