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死ぬ時に思い出す景色を増やして生きたい
このアイキャッチ画像の写真、前にも使ったのだけど好きすぎてまた使ってしまった。
たぶん、死ぬ時に思い出す景色の1つだと思う。
これはインドのリシュケシュというヨガ発祥の地で撮った写真だ。
19歳の夏、「『食べて祈って恋をして』って映画を見たの!すごくよかったからインド行こう!」と誘ってきた友人の一言で訪れた場所。
(冗談抜きでこの友人のエピソードでnote30日書けると今思った。それほどクレイジーな人物。)
きっとこの一言がなかったら、私はインドにもリシュケシュにも行こうと思わなかっただろう。
リシュケシュに至ってはたぶん知ることもなかったはずだ。
3週間巡り過ごしたインドで、最後の1週間はリシュケシュでヨガをして過ごした。
朝は8時だったか、それくらいから始まる私と友人と講師だけの1weekコースに通い、夜も現地で見つけたクラスへフラフラと通ったような記憶がある。
日本でもヨガをしたことなんて片手程度だったのに、いきなり本場でガチガチに過ごしたの今考えるとすごい。意味がわからない。
この写真は、そうやって夕方から始まるクラスを受けて終わった頃の光景だ。
ヨガは最後にリラックスして瞑想を行うことが多い。
自然と自己が一体になる感覚。
もちろん、部屋の電気は点けない。
真っ暗の中、そこから見た夜の訪れがひどくやさしく見えて、時間が経った今も忘れられない。
その日の夜、友人とベランダに出て話をした。
この旅のこと、この先のこと。
彼女は夢があって、その話を語ってくれた。光の少ない街で、わずかに照らされる横顔が自信に溢れてるようにも、その逆のようにも見えた。
私は語れなかった。語るものがなかった。友人と並ぶと自分が小さく思えた。
でも、インドという土地ではなぜかそれも受け入れられたような気がする。
インドは、生も死も、神も悪も人間も、すべてがまざって混沌としている。そこで生きる人はごく自然にあるがままに生きていて、私自身それにつられて大きな声を出したり、感情むき出しで笑ったり怒ったりした。
そんなことは久しぶりで、自分自身に少し驚いた。
初めての経験と、初めての感情と。
そういう忘れられない記憶が、この1枚の写真に詰まっている。
たぶん、私は死ぬ時にこの景色を思い出す。
そうやって思い出す景色を増やして生きていけるなら、それが夢かもしれない。