大腸がんの切除手術②
主治医との話を終え、妻の父と家族控え室に戻った瞬間、私は大きく泣き崩れた。
涙が止まらなかった。こんなに涙が出たのは人生で初めてだと思う。
妻の父は、私に「大丈夫?」と聞いた。
本当は、妻の父も泣き崩れたかっただろう。
しかし、目の前であまりに酷く泣き崩れる私を見て、「自分はしっかりしないと」という気持ちで気を使ってくれたのだと思う。
もしかすると、30年以上前に、同じ経験をされたご自身を私に重ねて見ていたのかもしれない。
その後、手術を終え、麻酔がまだ効いている中、なんとか目を覚ました妻の元へ案内された。
妻はまだ虚ろな感じでボーッとした様子だった。
涙を妻に見られると悟られてしまうと思い、必死で涙を止めて、妻の元へ向かったが、妻の顔を見た瞬間、また泣き崩れてしまった。
意識が朦朧としている妻にバレないように、すぐにベットの下に隠れるようにしゃがみこんで必死に声を噛み殺しながら耐えた。しかし、あまりの泣き崩れ方に声が妻に漏れてしまっていたらしい。(1年以上先に効いた話だが...)
ベッドの下にしゃがみ込み、ただ妻の手を握り、ギュッと握りしめながら、自分の呼吸が落ち着くのを待った。
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正直、無知で馬鹿な私は、「癌」、特に「ステージⅣの癌」という病気の意味を、この時まで正しく理解していなかった。
妻も私も、「今の最新の医学をしっかり受ければ、きっと治るんだろう」くらいに考えていたのだ。
人類は、様々な病気を医学の発展と共に克服してきたが、「癌」という病気は、今でも「まだ」なのだ。未だ多くの人々が、毎年、毎日、無念の中、たくさん亡くなっている。
ボケーっと生きてきた無知で馬鹿な私はそんなことすら知らなかったのだ。
「芸能人に癌が判明したという情報番組」や「癌を題材にした医療ドラマ」など、癌という病気の恐ろしさを知る機会は毎日、山のように身近にあったのにキレイに聞き流してきたのだ。
まるで、「自分には関係のないテレビの世界の話」のように。
もし、私がもう少ししっかりしていて、情報番組から得られる情報を常に「自分事に置き換えて考えられる力」があり、「いざという時に備えられる行動力」まで備わっていたら...
3年前に妻と付き合った時点で、
妻の母が31歳の若さで癌で亡くなった事実を知った時点で、
病院嫌いの妻に対して、
「念のため、人間ドッグを受けてみたら?」という一言が言えただろうか。
闘病生活が始まってから、どれだけ必死で寄り添ってきたつもりでも、後悔していることは多くあるが、その中でも最も後悔しているのは、
「3年前の自分が「この一言を言える自分」でいられなかったこと」なのだ。
もし、3年前の30歳の自分がこの一言を言うことができる生き方を30年間してきたならば...
今、妻はどうなっていただろうか。