余命宣告を受けた翌日
2019年3月21日(木)
昨日、自分的には「突然」の余命宣告を受けた後、私は大きく泣き崩れた。
その後、妻の父や妻の妹家族を病院の近くのホテルの部屋まで案内し、その日はひとり部屋に戻った。
正直、その夜、何を考え、何をしていたのか?
全く覚えていない。
自分の両親に事実を電話で伝えた気がする。
自分1人では到底抱え込めるような状況ではなかった。
翌朝、手術を終えた妻を面会できるのは、病院の規則により、14時-20時だったため、何を思い立ってか分からないが、結婚式前からずっと「早く返納しなければ」と思っていた去年のお守り2つほどを靖国神社に返納しに行った。
その時の心情は、今では計り知れないものがあるが、原則、期限が1年とされる神社のお守りを、機嫌が切れた後も持ち続けていることが穢れとされて、妻に不利益が被ったのでは?と考えたのだと思う。
妻には14時まで会えない状況の中、とにかく何かしていないと自分が保てなかったのかもしれない。
仕事については、結婚式後の1週間については、妻の手術も控えていたこともあり、有給を取得させてもらっていた。
車で音楽を聴く気分でもなく、TVで情報番組を観ながら車で向かっていた時、今向かっている「靖国神社」から生中継がされていた。
どうやら今日にも開花宣言がされる可能性が高いらしく、テレビ局が取材で殺到していたのだ。
近くのコインパーキングに駐車し、靖国神社に入ると、木曜日で平日にも関わらず、靖国神社には想像以上に多くの人で賑わっていた。
多くのテレビの取材班と一般客が共に大きな桜の木の周りに群がっていて、僕も近くまで行き、一緒に様子を見ていた。
「スッキリ」の某有名アナウンサーも近くにいた。
よく見ると、人々が群がっていた桜には「標本木」と書かれていた。
しばらく群衆に混じって、標本木の周りで様子を見ていると、気象庁の担当者2-3名が標本木の前に出てきて、桜の様子を確認した後、何かを群衆に対して話した。
「開花宣言」がなされたようだ。
テレビの世界でしかなかった特別な瞬間に居合わせることができ、妻への土産話ができるなと思った。
お守りを返納所にお返しし、妻と昨年の年始に一緒に初詣に来た時のことを思い出しながら、靖国神社を後にした。
自宅に戻り、14時頃に病院に向かい、妻の病室を訪れた。
この日は、手術翌日ということもあり個室での入院だった。
テレビには、先程までいた靖国神社での中継放送が流れていた。
妻は、まだ腹部が痛むようで少し辛そうにしていた気がする。
20時までの面会時間ギリギリまで妻の横にいた。
少しでも多く妻の傍にいたかった。