鬼滅と煉獄さんのお話-映画感想
見ましたよ。鬼滅の刃の無限列車編の映画。
映画化が発表された当初は特に見る予定もなくって、特に新しいストーリーなワケでも無いから見なくていいかなって思ってたんだけど、いざ映画館で見られますってなったら見たくなって、ふらっと映画館に引き寄せられた。
あ、ちなみにネタバレとかは一切気にしないですし、原作読んでない人が映画の感想を探りまくってこんなへき地までたどり着くとは思わないので、その辺りは遠慮せずにばんばんと書いていきますのでその辺りはよろしくね。
まず、何で内容を知ってる映画を見てもいいかなって思ったかというと、アニメの時点で映像のクオリティーが保証されてたという事がまず1点。あのクオリティーでこのシーンを見てみたいってことを純粋に思ったんだよね。
2点目は変に内容が改変されていないと知った点。例えば、昔の柱たちが倒したはずの上弦の鬼がなぜか生き残って、鱗滝さん辺りも出てきつつ、柱と力合わせて...みたいなアナザーストーリーも描けたワケだし、それはそれで面白いかもだけど、多分それでは映画館まで多分足を運ばなかったと思う。
原作ではあっという間に無限列車編も流れていってしまって、もっと長いスパンで活躍する所を見たかった煉獄さんを、映画というモノを通して物理的に長い時間見ることができるという「安心感」が見たいと思わせたはずだ。
という事で、全編通して普通に素晴らしくて、煉獄さんが猗窩座と戦ってる途中辺りから徐々に涙腺が緩んで仕方なかった。特に炭治郎が猗窩座に対して叫んでる辺りからピークで高まっていって、母上が見えてにっこりした時には若干の嗚咽すら出そうになったくらいに涙ポロポロで、周りの大人も一番スンスン言わせてたのはそのシーンだった。むしろ炭治郎が自分の首を斬りまくって睡眠から離脱しまくるシーン辺りで既に、なんていい子なんだ...ってうるうるはしていたんだけど、強い者が死ぬシーンはその一瞬に今までの努力だったり責任の重さみたいなモノが燃え上がって、涙不可避だよね。
ココからちょこちょこツッコミというか他愛のない話なんだけど、魘夢との戦いではやっぱり煉獄さんは魘夢を速攻で殺るよりも電車5両を守る方が効率が良かったというか、煉獄さんの「誰ひとり死なせない」目標を達成するためにはそちらの守備側を自分が担当するしかなかったって感じなのかな?
多分煉獄さんが本気を出したら一瞬で魘夢を殺れるはずだけど、そちらに力を割いたら後方車両で少なくとも被害は出てしまうことを懸念したのかな。それとも、後輩の手柄的な事を優先したのだろうか。キングダム脳的には魘夢を倒した炭治郎と伊之助は武功を多くもらえるとか思ったけど、そういえば山で累と戦った時にも、特に加算ポイント無かったなと思いつつ、柱(将軍)になるためにはやはり武功が...ととりとめのない妄想をしてしまった。
あ、あとそうだ、炭治郎の夢の無意識世界の描写がウユニ塩湖モチーフだったのはちょっと萎えたね。綺麗っちゃ綺麗だし、他にどこが適切かといわれるとなかなか難しいのは分かるけど安直じゃないかとは個人的には思った。
あと、善逸の戦闘シーンって効果音含め演出がカッコいいのでいっぱい見たい派なんですけど、1回しか見せ場という見せ場が無くてそれはちょっと普通に残念でした。もう一回ぐらい呼吸で技を使うシーンあっても良かった。
煉獄さんって面倒見よさそうだから上司にしたいなって安直に思うかもしれないんですけど、まぁ、ぼくも一瞬思ったんですけどね。多分現代だったら営業担当で永遠に課長補佐みたいな役職にされていて、何でもハッキリ言っちゃうから営業成績は振るわず、でも人はいいから後輩からは慕われてて会社としても扱いに困っていて...みたいな事を考えたらめちゃくちゃ嫌な気持ちになったのでその設定を共有しておきます。「いや違うよ!きっと煉獄さんならこういう所があるから現代でも無双してるはず!」というポジティブなフィードバックがあれば教えてください。煉獄さんは柱であってほしい。
という感じで、映画はちゃんと豪華版アニメ的なポジションで頑張っていて、切り取るシーンも申し分なくいい体験になったなという感じでしたね。あぁ、煉獄さん...尊い。
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