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歴史ある上方芸能の町、道頓堀での怪談ライブを開催し続けた意味!!

歴史ある上方芸能の町、道頓堀での怪談ライブを開催し続けた意味!!


そして、同じ経営会社による新世界ZAZAオープンがあるとも聞いております。
新世界は大阪浪速区にありまして、あの通天閣のあるあたりです。
ただ、どういう会場となるのかはまだわかりませんし、オールナイトが可能なのかもわかりません。

しかし、私としては道頓堀で『Dark Night』を続けてこられたことが大阪人(生まれは兵庫県朝来市ですが)としての誇りがあるわけです。道頓堀はご存じのようにかつては大阪のブロードウェイと呼ばれる芝居街でありました。

道頓堀という地名は、私財をなげうって南河堀の掘削をはじめた安井道頓の名前から来ております。
道頓は大坂夏の陣で亡くなりますが、彼の遺志を継いで従弟の安井道卜が再開。
1615年に完成。当時の大坂城主松平忠明によって道頓堀と名付けられたようです。
大坂は徳川幕府の直轄地となりまして、商業の街として発展していきます。
そして1626年のころから、道頓堀川の南岸に芝居小屋が建ちだし、大小の芝居小屋が道頓堀の通りに軒を並べるようになり、幕府もこれを公認して芝居の町として活気づいていきます。
歌舞伎、義太夫、見世物小屋が並び、1684には人形浄瑠璃の竹本座、19年後には豊竹座がオープンして、道頓堀五座が形成されます。
五座は時代によって変わるわけですが、江戸時代は五つの櫓が建っていました。この櫓は、幕府公認を示すものだったようです。


明治以降は弁天座、朝日座、角座、中座、竹本座が五座と言われました。
私が大学入学して大阪に移り住んだころには、朝日座、角座、中座、浪花座、東映パラス劇場として、五座(の面影?)が残っていました。
まあ、この辺りは大火があったり空襲で消滅したりあったわけで、そのまま五座がその場所にあったり、時代の流行りや状況によって変化していくわけですが……。

私が知っている朝日座は、鳳啓助・京唄子が芝居をやっていたり映画の上映もやっていました。実はこの朝日座は元弁天座やったそうです。後閉館。
元の朝日座は戦後東映に売却されて道頓堀東映(東映パラス劇場)となり、現在は閉館。道頓堀ベニスビルとなっております。
角座は、当時はマンモス寄席といって、収容人数1100人。昭和40年代は、かしまし娘、宮川左近ショー、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、敏江・玲児、レツゴ―三匹、フラワーショーといった漫才師がこの大舞台で活躍し、テレビ中継もされていました。松鶴、春団治、春蝶といった松竹芸能専属の落語家さんも。私、よくここに通いつめたものです。マンモス寄席としての角座は1984年に閉館。その名を冠とした映画館や劇場は継承されました。
浪花座は当時は映画館となっておりましたが、角座が閉館した後、松竹芸能の演芸場となった時期もありました。この浪花座は元竹本座だったようです。

さて、中座です。
オープンは1661年。ここは中之芝居ともいわれて、道頓堀の芝居を象徴する芝居小屋でもありました。
私の時代は、松竹新喜劇の藤山寛美さんがそのホームグラウンドとして連続公演をやっていました。
芝右衛門狸の伝説が残っていて、長らく中座の奈落の下に芝右衛門大明神として祀られ、道頓堀の芝居を見守った来たという話もあったわけですが、1999年10月で閉館。そしてこのビルの解体工事時に謎の大爆発を起こし、周辺のビルや裏通りにあたる法善寺横丁の16棟が全焼するということがありました。
芝右衛門大明神を生國魂神社の摂社、源九郎稲荷に合祀したので、「その罰があたったんや」という声も聞こえたものです。

こうして、五座は無くなってしまったわけです。
しかし中座跡に今の道頓堀中座くいだおれビルが建ちまして、その地下にZAZAHOUSEとPocketの二つの劇場が作られ、現在に至ったというわけです。芝右衛門大明神もビルの地下に祀ってあります。
なお、くいだおれという大型総合食堂がかつて道頓堀の象徴としてありました。
やっぱり芝居小屋、見世物小屋が繁盛すると人が集まる。人が集まるところに食がある、ということで大坂は食い倒れの町としても名をはせました。大坂は食が美味、ということで贅沢して飲食で財産を無くす、という意味です。
そのくいだおれを、そのまま店の名にした総合食堂が「くいだおれ」というお店でした。

今の中座くいだおれビルから通りを挟んで右へ三軒隣にありましたが、2008年に閉店。
道頓堀の芝居の象徴「中座」と食の象徴「くいだおれ」を総合して「中座くいだおれ」と名付けられました。「くいだおれ」名物くいだおれ太郎も、ここに置かれたのもそういう経緯があったからです。

そういう、道頓堀、いわば大阪の芝居、演芸の歴史ある中心地の、しかもその中心の中心、中座があった場所で長らく怪談という語り芸を、私が厳選したゲストとオールナイトで開催し続けたということが、私にとって意味あることなのでした。
2011年にその第一回目を開催しましたが、この頃は語り怪談は今のような語り手も聴き手もいない状況でした。でも、最初からお客さんが来てくれて、だからこそ続けられたのです。

また、2016年にはここで(ZAZAの前)にあったイタリア・レストランが撤退した跡をお化け屋敷に改造。私が監督して「人形塚の家」を開催したことも印象に残ります。

くいだおれ太郎も、私のお化け屋敷、宣伝してくれました。


そして、お化け屋敷の一角を和室に改良。
怪談サロン「怪談の魔」という怪談公演連続36日公演も開催しました。


なんか、懐かしいCMが残ってましたそ゛。

中山市朗 監督 「人形塚の家」 ~本当にあった呪いの人形~ 中座 ..


というわけで、その歴史と伝統のある道頓堀からお届けする『Dark Night』は来月5月4日のオールナイトでピリオドとなります。
怪談を落語や講談に並ぶ話芸とするのはまだまだ未熟だし、語る人の意識もいかなるものでしょうか?
でも、だからこそ道頓堀中座跡でやってこれた事が、実は奇跡だったともいえるのです。

新世界ZAZAからお届けできるのかどうかは未定です。
引き続き、ご贔屓お願いいたします。







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