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ペットの王様(4)
「ええから、頭下げろって」
レオは無造作に遥の頭をつかんだ。
「痛いってば」
にらみつけた遥を無視して、レオは建物を見つめていた。
「ドルチェはあの建物の中におる」
白い木蓮の下を走って飛び出して行く。カラフルな背中を追いかけて、遥も慌てて駆け出す。大きなビルの中に、スーツを着た人たちが吸い込まれていく。その暗い隙間を縫うように、色彩を放つ異分子が紛れ込んでいく。
「あんな一等地の豪邸に住んどるんやで。ネットで検索すればすぐ出てくるわ」
二人が飛び込んだ建物は、ドルチェの飼い主の夫が経営する会社だった。
するすると社長室の前までたどり着くと、レオの足音に呼応するように、大きな犬の鳴き声が聞こえた。
「おるで」
どうやって入るのと遥が問うよりも早く、レオは既にドアノブを回していた。
「誰だね、君たちは」
突然入り込んできた二人を見て、社長はそう言ったがすぐに状況を飲み込んだようだった。というのも、ドルチェが思い切りしっぽを振ってレオに飛びついたからだ。
「奥様にドルチェを探すよう頼まれた者です」
レオはしゃがむと、手際よくドルチェの首輪にリードをつなぎ、体をさすった。
「よくここにいると分かったな」
「お宅に伺って話を聞くと、僕が奥様から電話を受けたその日にドルチェがおらんようなったと言われました。特に犬は帰巣本能が強い動物やから、普通はおらんくなったその日は近辺を探すか戻ってくるのを待つ飼い主が多いんです。でも、奥様の場合は、ドルチェが家におらんと分かって数時間ですぐ僕に電話をしてきた。つまり、ドルチェが連れ去られることを予想できていたのではないかと思ったんです」
社長は冷静にレオの話を聞いている。レオは、ドルチェの整ったベージュの毛並みを逆立てるようになでる。
「奥様は仕事もしてへんし、ほとんど外に出ることもない。そんな方からドルチェを奪い去ることのできる人物。それはご主人以外には考えられへんのですわ」
「さすが、ペットのことも飼い主の気持ちも分かるんだな」
にこりと笑ったその顔は、とても安らかな表情が浮かんでいた。まるでレオが訪ねてくるのを待っていたようだった。
「ただ、僕はペットを探すために雇われただけなんで、それ以上のことはできないですよ」
気持ちを悟ったようにレオが言うと、社長は立ち上がった。
「それでいいんだ。ドルチェは私の会社にいる。だから、彼女がここに迎えに来ればいい。そう伝えてくれないか」
「でも、依頼主の元に返すまでが僕の仕事なんで」
レオがドルチェを連れて行こうとすると、先ほどまでの社長の優しい表情が一変した。
「依頼料は私の金だ。私が払うから、君の仕事はここまででいい」
「だったら、あなたが夫人に電話をして、迎えに来いと伝えたらええやないですか」
レオの言葉に社長は首を横に振った。
「違うんだよ。私は、妻に私以外の他者と関わりを持ってほしいんだ」
社長はもう一度、立派な椅子に腰掛けると両手を顔の前で組んだ。
「妻は数年前から他者との関わりを絶ってしまったんだ。今は家にいて買い物もできる時代だし、我が家の庭は広いから、ドルチェもそこで走り回れば散歩にも出なくていい。いつの間にか、妻は誰とも話さず、全く外出しなくなってしまったんだよ」
呆れた顔をしているレオを横目に、遥は思わず口を挟んだ。
「私が……毎日奥さんに会いに行きます」
思ったより、大きな声が出ていた。
「ドルチェの散歩に、一緒に出かけようって、毎日誘いに行きます」
社長の顔は一気にほころんだ。レオは馬鹿にしたような表情で遥のことを眺めていたが、勝手にしろと鼻で笑った。
ドルチェがしっぽを振りながら、木蓮の下をリードを引っ張って進んでいく。
「俺らが夫人の家に呼ばれたんも、結局はあのおっさんの仕業やったんやろな」
「どういう意味?」
「あのおばはんがドルチェがいなくなってすぐ俺らを呼ぶことなんて考えつかへんやろ。あのおっさんがうちのチラシでも渡して、電話するよう仕向けといたんやな」
レオはポケットからくしゃくしゃの紙を取り出す。受け取ると、遥は思わず吹き出した。レオの下手な字が乱雑に躍っている、手書きのチラシだった。
「たくさん依頼が来るように、私が作り直してあげる」
それを聞き、レオはにやりと笑った。
(了)