単純な美醜?
先日こんな記事を書いた。
そしてその翌日タイムリーにも、知人が見かけたある一連のツイートを見せてくれた(上記の記事は無関係)。
という趣旨のツイートとそれへの返信で
というもの。
これって、「醜い奴は主張するな」という世間の暗黙の意思なんじゃないかと思う。
↑この返信に関しては自称不細工による自虐的発言のようだが、世間の意思があるからこそそう思えるのではないか。
容姿で笑う文化
昨今「不細工で笑うのは日本だけ」という話を聞くようになった。先程の記事でも書いたが、海外で誰かの容姿をネタにするようなもんなら本気で教養がない人だと思われるし、ヤバい奴だと思われるそう。
もちろん気の知れた仲間内で冗談半分にけなして笑い合うなんて事はあるそうだし、双方の関係性次第だろう。
でも日本では醜い人は”当然笑いの対象”という感じだ。
海外の人が言う「美しい」
外国人がテレビで家族や恋人の事を「とても美しい」と言っているのをよく見る。
例えば何かの再現ドラマの後に本人達が出て来て当時の事を語り、配偶者と肩を組んで「彼女はとても美しい大事なパートナーだ」とか「彼はとってもハンサムなのよ」なんて言ってキスするという流れはあるあるだと思う(笑)
日本人には本気でそう思っていてもできない行為だなと思う( ノ∀`)
ただ、そんな彼らが本当に「美しい」かと言えばそうとは限らない。
なんて言ったら失礼ではあるが、世間一般で言う美形ばかりではない。
でも、本人達は相手の事を本当に「美しく愛おしい」と思っていると思う。
この「美しい」は必ずしも容姿の整い方を指すとは思えない。相手の人柄などいろんな要素込みで美しいんだと思う。
お互いに大事に思っているなんて良い事じゃないかと思うんだけど、これが日本人(日本で生まれ育った人達)の発言だと「いや、どこが美しいんだよ、ブスだろ」という反応が見られる。
良くも悪くも「文化の違いだね」と思われる
先日の記事の最初に書いたように決して海外かぶれや日本サゲをしたいわけではないが、良い悪いは別として国民性を感じる。
道端でイチャイチャしているカップルがいると、はしたないという目で見られる。
人の邪魔になっていなければ悪くはないのかもしれないが、人目気にした方が良いんじゃないかな?と思ってしまうのは確かだ。
しかし、これが外国人カップルだと日本人カップルに対しての違和感のようなものは感じない人が多いんじゃないだろうか?
外国人は日本人よりも身体的スキンシップを持つという認識があるから、「そういうもんだよね」と思うんだろう。
身内を「美しい」と言う発言を日本人がすると反発されたり痛いと思われがちなのは、控えめが正解、身内の事は謙るという文化があるからではないだろうか?
やはり「出る杭は打たれる」か
単一民族しかほぼ住んでいない国というのは非常に珍しいらしい。
日本人が英語を苦手なのも、国内での母国語需要に応えた物が色々揃っていて英語を学ばずとも生きていけるからだとも言われる。
同一の民族しかいないとなると、皆同じが当たり前となっても無理はないのかもしれない。
そして、1人”異質”な人がいると警戒されるんだろう。
人前に出る=自信がある??
目立つ事をすると叩かれるのはよくある。
芸能活動をすると「不細工の癖に」なんて発言はよくされる。別に不細工が人前に出ようと良いはずだが、とにかく悪とされる。
まず、日本人の控えめこそ美徳といった感覚に引っかかるんだと思う。
別に自分に自信がなくとも人前に出る活動をする人は大勢いるし、むしろ自信が無いからこそそうして頑張ってる人だっていると思う。
でも、「普通は目立つ事なんてしない。だから目立つ事をする人は余程自信があるんだろう」と思うんではないだろうか。
そしてそんな”異質な人”をある種恐れ、粗探しをしているのかもしれない。
何故不細工を潰そうとするのか
先日の記事に書いたが、”普通の顔”も”好みではない顔”も極端に全て不細工と考える厄介な人がいる。
更に、近年性格が悪い人が増えて来ているような気がする。
例えば割と最近、電車内で隣の車両から入って来た人が車両中央辺りの座席前に立っていた人に「どけよ」と怒鳴ってわざとぶつかり更に隣の車両に移っていったのを見た。立っていた人は別に邪魔な立ち方をしていたわけではない。
その他、自分自身色々被害に遭っていて、この前自転車で右折しようと通りかかった道で右側から自転車で走って来た人が「来んじゃねーよ」と怒鳴って来たり、階段を登っていて目の前で傘の横持ちをしていた人の傘が腹部に刺さった瞬間その人が振り返って睨みつけた上、わざと傘を刺して来て去られた事もあった。
いわゆる”釣り”だと思われるかもしれないが、他にも知らない人とのトラブルが色々あった。
これらは全て自己中心的な思考からの行動ではないだろうか。
「不快だったので攻撃した」と。
そんな中、不細工を徹底的に叩こうとする人がいても不思議では無い(その思考は不思議だが)。
”自分が嫌だから”嫌なのだろう
「不細工の癖に」という発言はよく見られる。
実際に不細工だったとしても、別に放っておけば良いものを何故そんなに攻撃するのか。
それは「自分が不快だから」これに尽きるのではないか?
自覚がない「自分自身が不快」
ひとまず話が逸れるが…
アパレルのバイトでよく「(原宿系なファッションを)家族が認めてくれない」という人がいた。
原宿系ファッションは世間的には変わってるだろう。
でも、何故認めない人がいるかと言うと大抵はその人にとって「嫌」だから。
親子連れの接客でたまに親が(店員と一緒にいると言うのに)「こんな格好恥ずかしいからやめて」と言う事があった。
こちらとしてはイラッとするので(笑)「何でそんなこと言うんですか?みんな普段から着てるんだから傷つくじゃ無いですか」と冗談半分に言ってやった。そうすると親は口をつぐむし、子供の方が余程気遣いがあって「そうだよ。店員さんに失礼な事言わないで」と怒る事が多かった。
子供は服を欲しがる、親は”服を買ってやる事自体はしたいが、この服は嫌だ”という状態で悩む…そんな様子が見られる。
そこでこれも意地悪なのだが、「どうして駄目だと思いますか?」と聞いてやる(笑)
すると「でも、だって、変だし…」と来る。そこで好みの問題ですよと伝える。
誰だって理由がなきゃ好きじゃ無い物は着ないし、どんな服も誰かにとっては好きじゃ無い物だ。
誘導尋問なんてこちらも性格が悪いのだが、だんだんと親(親子に限らず身内がその服を着る事を嫌がる人)は「私が好きじゃなくて」と堪忍する。
その後、子供(着たい本人)が「我慢してあげるよ」と判断する事もあれば「嫌なのは分かった。でもこちらは着たいんだ」と押し通し(こちらも援護し)、その服を着る事を許されるという流れもあった。
「私が嫌だから着せたく無い」と素直になる事で、お互いの求める範囲の中間に当たる物を買うというパターン、もしくは「自分が嫌と言うだけ」という事実に折れて着たい本人が欲しい物を買う…というパターンになる。
※もちろん更に頑固になって「嫌だから駄目!」というパターンもあるはある。
最初から「嫌だから嫌」という人はこのように折れる事はない。
自覚なく嫌だと感じる人はことごとく「何故着てはいけないのか?」に答えられない。
自分が嫌だからと言う自覚がある人は「(着るのはあなたではないのに)何故あなたが嫌だったら駄目なのか?」という問いに対してやはり「嫌と言ったら嫌だから」としか答えられない。
どちらにしても、異質物を排除したい、身内に異質物になって欲しく無いという無意識なんじゃないだろうか?
不細工を叩く人に関しても、不細工を見ているのが不快だと感じるから、
「自分が不快と感じる異質物を排除したい」
と無意識に徹底的に叩くのでは無いだろうか?
この人らも、何故不細工がいてはいけないのかと問われても「不快だから」としか答えられないと思う。
最初から綺麗な物を望む精神
商品の箱潰れなんかにも厳しい。商品管理を徹底するのは良い事だが、修正すれば済む物事であっても「過去に悪い状態であった事実」があるだけでかなり嫌がられる。
これは人の容姿に関してもそうだ。
改善もさせない
整形なんてとにかく叩かれる。
そんなに不細工が不快なら、不細工でなくなるように行動してる人なんて歓迎すべきじゃ無いのか?と思うが、不自然だの理由をつけて否定する。
整形依存症のような人はどうかとは思うが、それはその人の依存性の問題であって整形が悪いわけじゃない。依存してしまったのが整形だったという話だ。
二重整形くらいなら自力で二重テープを使ってる人と大して変わらんのじゃ無いかね?(医師に失礼かもしれんが、大雑把に言えば同じ事を施していると思うので^^;)
まぁそれがねぇ…素っぴんも綺麗じゃないとという人も最近見られるので、どんどん悪化して尚の事認めない社会になりそうな気がするんだが。
もう天然美形が正義って言う思考が根付いてしまってるんだろうね。
親が不細工で子供の顔は可愛いとかその逆もいくらでもあるのに、親が整形しただけとか不倫の子だとか飛躍した考えの人もいるし。
「子供と美醜が違いすぎるからおかしい」と。とにかく「こうじゃないはず」と思ったらその違和感ごと消し去りたいんじゃ無い?
遺伝子舐めんなよ(笑)
遺伝なんてはっきり「目は父親で口は母親で」なんてもんじゃない。融合した結果なんだからいくらでも似てない子も生まれるわ!
中学の理科をやり直せ(o^-')b
努力は無駄?
あとはあれだ。整形については「楽をするな」精神も関係してるやも知れん!
整形って自身で行う物じゃないから、楽して変わるなんてサボりみたいな?
効率や便利の”楽”とサボりの”楽”は別だとあれほど…(笑)
家電とか出始めの頃なんて「そんな物使うなんて主婦失格」とか言った国民性だもんね(・_・)
使えるもんは使って物事を改善するとか、効率よく行うと言うのは良い事じゃないか。
何か道具を使うという選択だって工夫じゃないか。
不細工のお洒落に関しても、「元が悪いから許せない」という自分勝手な不快感で文句言ってるだけなんよな。
じゃあ、不潔な美形と清潔な不細工だったらどっちが好感持てるんだ!?
「極論言うな」言われるかもしれんが、容姿だけが良くて不潔で性格もセンスも悪い人と不細工だが清潔で性格もセンスも良い人だったらどっちが素敵だと思う?
先日の記事にも書いたが、本人に似合う物を身につけたり似合う合わせ方をしている人はかっこいい。
元が良くてもダサい人なんていくらでもいる。
全く同じ容姿の人が2人いたとして、見た目を手入れして服装も気に掛けた人と全く気にしない人とがいたら前者の方が人を惹きつけるはずだ。
残念ながら「ブスが色気付くな」という発言をする人はいる。
「日傘を差すのはブスばっか」というのも最近よく聞く。別に日焼けしたく無いのは本人の勝手だし、皮膚が弱いのかもしれないし、近年は暑くて小学生ですら傘を差す事もあるぞ(°Д°)
そういう奴は、元の容姿だけが良い他は最悪な人と知り合って苦労すれば良い(笑)
ほら、美形こそ正義なんだろ?という話だ。
と言うか…嫌な言い方するけど、そうやって不細工潰ししてる人自身も不細工の場合、自ら潰れれば良いんじゃ無いですかね?
誰しもが、本人に合わせた美しさって言うのかな…そういうのを目指せば良いんじゃね?