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柔道沼にハマって投げ飛ばされた話 中学生編
お風呂をキャンセルしたところ
嫁さんから
「納豆くせぇ(笑)」
「おまけに洗ってねえ犬の匂いがする(笑)」
と言われちょっと凹んたと
以前の記事でカミングアウトした49歳です
くやしいのう😭くやしいのう😭
(T ^ T)
さて今回は
嫁さんの「納豆くせえ(笑)」
という一言から
同級生の納豆臭かった柔道着の記憶
それと共にが蘇った
柔道沼にハマって
投げ飛ばされた話 中学生編
を書かせていただこうと思います(笑)
いつも嫁さんに
言葉でも行動でも
コテンパンにヤラレテているこの私
(T ^ T)
こう見えて
実は柔道二段です(めちゃくちゃ自慢)
中学 高校と柔道をやっており
高校生の時に二段になったのですが
私は「自称 結構強かった男」(笑)
異論は認めない❗️(笑)
言うだけはタダ❗️(笑)
密かにオリンピック出てみたいなぁ
とか
将来は柔道をずっとできる仕事がいいなぁ
とか
身の程知らずなことを
考えていた10代の頃
そんな青春時代を
私から
僕に戻って
思い出しながら
語らせていただこうと思います(笑)
小学生の頃
僕は
運動もダメ
勉強もダメ
何をやってもダメな子
ぼーっとしている子供でみんなから
「ウドの大木」と呼ばれていました
特に大親友Sには
実は本気でいじめられてました(笑)
「ランドセル持ち大会優勝」の話も
「戦隊ごっこではいつも悪役」だった話も
「Sをいつもおんぶして足の代わりに使われていた」
って話も
今となってはとても良い思い出だ
(T ^ T)
時を経て
大親友に出世するいじめっ子S
運命とは本当に面白いものだと
僕はと本気で思う
そんな暗黒の小学生時代を経て
僕は中学生になった
小学生の卒業式で
「こいつら(いじめていた奴ら)とは
もう口をきかない❗️」
と思ったのもいい思い出だ
僕が通う中学校は
3つの小学校から
生徒が集まる
割と大きな中学校
新しい環境
新しい友人
暗黒の小学生時代の記憶を
全てをリセットして
僕は何もかも
やり直そうとしていた
中学生からは部活がある
そう親から聞いていた
中学一年生の僕は
身長:約170cm 体重:55キロ
(あれ?体重…今の半分くらいだ(笑))
家族全員から
「身長を活かせるスポーツをしなさい」
とアドバイスをもらっていた
きっと運動神経皆無な僕を心配しての事だろう
だが
当時の僕は
「キャプテン翼」の日向小次郎に憧れており
部活は「サッカー部」に入ろうと決めていた
クラスメートへの自己紹介
各教科の担任への自己紹介の際
私は「サッカー部に入りたい」
とずっと言い続けていた
運が悪かったのは
担任であり「美術の教師」兼
「柔道部」の顧問であった
O先生との出会いでした
5時間目「美術の授業」
O先生への自己紹介の時
僕はなぜか
「入りたい部活はまだ決めてません」
とたまたま言ってしまいました
その日の放課後
校内放送で
僕は0先生に
職員室に呼び出されました
(T ^ T)
いきなりの出来事で
ビビりまくる僕
ビビりながらも
職員室に入り
O先生の元へ
ムスっとした顔のO先生が
怖い顔で一言
「何したのかわかっているんだろうな?」
ビビりちかして何も言えず
首を何度も横に振る僕
O先生
「とりあえずこの紙に名前を書いて明日もってこい」
「もう帰っていいぞ」
渡されたのは
「柔道部 入部届」
呆然としながら職員室を後にして
自宅に帰り
家族に相談
「あなたはそんな荒っぽいこと無理❗️
怪我するから断りなさい❗️」
お母さんとばあちゃんにそう言われ
「そのとおりだな」
と納得する僕
翌朝
無記名のまま
O先生に入部届を提出
何も言われなかったので
「ほ〜っ」😮💨
っとしたのを今でも覚えています
「サッカー部 入部届」に名前を書き
職員室のサッカー部の顧問へ提出しようと
職員室に向かっているところで
僕は数人の先輩に囲まれ
柔道部の部室へ拉致されました(笑)
部室には僕以外に
7名の1年生の姿が(笑)
3年生のK部長から
「O先生から話聞いてるから」
となぜか柔道着(黒帯)に着替えさせられる私(笑)
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K部長
「黒帯かっこいいだろ❓男なら強くなくちゃ❗️」
「女の子を守れる強い男がモテるんだぞ❗️」
齋藤一郎少年の脳内
「強い男がモテるんだぞ!」
「強い男がモテるんだぞ❗️」
「強い男がモテるんだぞ‼️」
僕の頭の中で
「強い男がモテるんだぞ‼️」
がインプットされました(笑)
柔道着(黒帯)のまま
覚えやすくて簡単な
「大外刈り」
を教えてもらい
先輩達にまざって
訳も分からないまま
乱取り(模擬戦)
をやらされる僕たち(笑)
技をかけるたびに
バタバタと倒れる先輩たち
K部長
「一本‼️」
「君 才能あるよ❗️絶対強くなる‼️」
齋藤一郎少年の脳内
「絶対強くなる‼️」
「絶対強くなる‼️」
「絶対強くなる‼️」
「絶対強くなる‼️」
「強い男がモテるんだぞ‼️」
が僕の頭にインプットされました
そしてそのあとはお察しのとおりです(笑)
親の反対を押し切り
翌日から
僕の柔道人生がスタートするのでした(笑)
正式に入部した翌日から
柔道着(白帯)を借りて
まず受け身の練習
そしてたまに「乱取り」(模擬戦)に参加
先輩をかるく投げ飛ばし
「お前絶対すぐ黒帯取れるよ❗️」と
褒められる日々
僕たち1年生は
天下取ったような毎日です(笑)
穏やかに1週間くらいたったある日
先輩達は豹変します・・・
今まで簡単に投げ飛ばせていた先輩が
いっさい投げ飛ばせなくなるどころか
容赦なく畳に叩きつけられる毎日
K部長
「体力と練習が足りないのかな?」
「きっと体力がつけば元に戻るよ❗️」
と土日の部活の日に1年生は全員
朝からマラソンコース(5キロ)の
ランニングに行かされる
(T ^ T)
ランニングから帰ってくると
柔道場を
「兎跳び競争〜♪」
と称して3週させられ
その後
「アヒル歩き競争〜♪」
と称して同じく3週(笑)
出典:
野球専門トレーナーが教える!野球に必要なトレーニング《アヒルウォーク》伊藤智哉 様
その後
「空気椅子 我慢大会〜♪」(笑)
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と
足腰を徹底的に痛めつけられるのです
(T ^ T)
この行為は
どうやら当時流行っていて
私の柔道のバイブルとなった
小林まこと 先生作
「柔道部物語」
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出典:小林まこと先生 「柔道部物語」2巻より
のマネだったと
漫画を読んで気がつくのでした(笑)
なんとか厳しい練習も耐え抜く毎日
入部して数ヶ月後
初めての中体連
1年生と2年生は応援参加です
うちの中学は
結構強く
準決勝まで駒を進めます
むかえた準決勝
大将のK部長が
鎖骨を折る大怪我
救急車で病院へ
一年生全員ドン引き
(T ^ T)
そのまま3年生の
K部長たちは引退となり
新人戦に向けて
1年生と2年生が
O先生に
ビシバシしごかれ始めるのでした(T ^ T)
先ほど軽く書きましたが
僕の所属する柔道部は
その地区では割と強豪(笑)
それもそのはず
O先生はかなりの格闘マニア
近隣の中学が
練習試合を断るほど
「怪我人を量産するタチの悪い学校」
として
指導するO先生は他校の顧問達から
ガッチリ嫌われているボッチ顧問(笑)
その顧問
O先生の柔道のテーマが
「コマンド柔道」(笑)
礼儀作法?
質実剛健?
柔よく剛を制す?
全無視です(笑)
O 先生曰く
「戦いに必要なものは
圧倒的な力だ❗️」
「格闘技は殺し合い
常に急所を狙え❗️」
「向き合ったら敵だ❗️
敵に情けは無用❗️」
いたいけな
毛の生えたばかりの
(私はすでにもじゃもじゃ(笑)あだ名「毛ぼっこ」)
中学生に
ダーティーな技を
どんどん仕込んでいきます(笑)
大外刈りはアキレス腱を狙え❗️
襟をつかむふりして
まず一発殴れ❗️
寝技に入ったら
何がなんでも締め落とせ❗️
相手をビビらせろ‼️
恐怖が勝利の絶対条件だ‼️
人でなし過ぎて
中学生の教師が
教えることではありません(笑)
今だったら大問題です(笑)
それが当たり前だと思い込み
O先生の教えを吸収し
すくすく成長する
齋藤一郎少年(笑)
いじめられっ子で
気が弱かった
齋藤一郎少年は
襟をつかむふりして相手の顎をなぐり
無意識に大外刈りでアキレス腱を狙う
全く罪悪感を感じない
常に相手を威圧する
コマンド柔道マシーンへ
変貌を遂げるのでした(笑)
今思えば
そんなことばかりしていたから
このアキレス腱も
きっと罰が当たったんでしょうね😭
因果応報とはこのことです(T ^ T)
そして
新人戦を数ヶ月前に控え
団体戦のレギュラー候補が発表されます
O先生から
「デカくて軽いから」
という理由で私も2年生に混ざって
僕も候補に
新人戦の1週間前に正式にレギュラー入りして
先鋒を任せられたのでした
当時の中学生の柔道団体戦は
先鋒、次鋒、中堅、副将、大将 とありまして
軽い → → 重い
と先鋒から大将に行くまでに
どんどん体重が重くなっていく
普通は
先鋒が軽量級(55キロ以下級)
次鋒が中軽量級(65キロ以下級)
中堅が中量級(75キロ以下級)
副将と大将が重量級(75キロ超級)
となるのが普通
ファンキーなO先生は
先鋒に65キロまで筋肉が増強した
身長もデカい僕を入れ
次鋒と中堅が75キロ
副将と大将が80キロ
と
体格のいいの選手を揃えました
とにかく体重とパワー
体のデカさで押し切り
先鋒から中堅で
あっという間に勝負を決める作戦
その作戦は功を奏し
新人戦地区大会を
技や生徒の成長などではなく
圧倒的なパワー&体格差で
優勝したのでした
柔よく剛を制す
ならぬ
獣よく小を制す
(じゅうよくしょうをせいす)
しかし
県大会では2回戦敗退
選手層があつく強い選手が多い学校や
うちの学校と同じように体のでかい人間で
戦略的に団体戦のオーダーを組んだ学校
力こそパワー❗️と脳筋全開な学校
軽量級なのに120キロの選手を
技とスピードでぶん投げる人間がいたりと
柔道は奥深いなぁと
齋藤一郎少年は思うのでした
投げ技による豪快な一本勝ち
圧倒的パワーと体格で
相手を圧倒し
蹂躙する喜びを覚える齋藤一郎
どんどん柔道にのめり込んでいきます(笑)
当時の得意技は
「大外刈り」のみ(笑)
O先生が
最強の大外刈りの名手
「木村政彦」先生の
大外刈りの逸話を教えてくれて
僕はさらに「パワー」に磨きをかけます
中学柔道で禁止されている関節技
腕がらみ(キムラロック)まで
練習するありさま(笑)
「木村の前に木村なく
木村の後に木村なし」
この頃にはもう柔道と木村政彦先生の虜です(笑)
中学2年生になり
黒帯(初段)になった齋藤一郎
なぜか今までのウドの大木がまるで嘘のよう
明るくて元気な齋藤一郎少年の誕生です
その頃には
柔道で身体を鍛えたおかげと
強くなり自信がついて
性格が明るくなったおかげで
陸上部(掛け持ち)
110mハードル
800m
駅伝
で入賞や優勝
美術部(掛け持ち)
水彩画
粘土細工
で賞をとり
後に
健康優良児 県の代表12人の1人に選ばれました
これは全て柔道のおかげでした
この中学2年生の時が
齋藤一郎のピークと言っても過言ではありません
まさにこの世の春でした
大好きな柔道の大会では
少し大きな大会で
団体戦ベスト4
個人戦3位
(右足親指骨折)
中体連
新人戦と地区大会
団体戦&個人戦優勝
県大会
個人戦ベスト16
団体戦は一回戦負け😭
というのが中学時代の
柔道の成績でした
先ほど書いた
中学3年生
最後の中体連のとき
当時好きだった女の子に
「優勝したらキスしてあげる❤️」
という言葉を真に受けて
頑張って頑張って優勝したものの
その子からこっぴどくフラれ
見事に僕の心が投げ飛ばされて
豪快に一本負け
(T ^ T)
かるく女性不審になり
「俺にはもう柔道しかない❗️」
と高校生になって
さらに沼にハマっていくのはまた別のお話
嗚呼❤️
なんだかとっても懐かしい☺️
青春時代を思い出し
ニコニコの齋藤一郎でした
いつも笑顔でファンキーに!!