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雪国・北温泉への追憶・・1

奥日光、北温泉への旅の追憶

  毎年、その月になると、あの青年期の独居時代の事を思い出す。そのころ某社の総務・経理・管理の責任者として勤務、独身ということでもあり経済的には予期以上に余裕ある生活者になっていた。12月が決算期であり申告は2月末日、申告後3月に入ると必ず3日ほど休暇をとり必ず、源泉豊かな奥日光に在る「北温泉」に行く事にしていたのである。黒磯で下車、スキーを抱えているのでタクシーに乗車,那須岳裾野の豊かな森林を抜けて那須高原スキー場、地獄谷、那須岳スキー場を経由し北温泉で下車(現在は、違う)温泉街を通りぬけ、決算書の完了に一仕事終えた、満足感?に浸り、豪快な源泉の北温泉に期待を膨らませて出かけたものである。
 それは以前の勤務先に興業銀行出身で顧問をしていた人の薦めであった。そのため一度は前社にいる時代に行って来ていたのである。それを再びできる時間と経済的にも余裕が出たのを見計らってのことだ。
北温泉に行くときは決まって携行したものは、まず、スキー用具、これは3月(初旬)に関東圏でありながら残雪が多くスキーができる楽しみがあったからである。それが「那須岳スキー場」であった。もう一つ、「春季の芥川賞」が発表され、その掲載誌である文芸春秋を持参し読破すること、そして一人旅で、地酒(四季桜)を持参、遠い白河を陶然と眺めながら独酌する魅力があったのである。一人旅、これは中学生の頃からであったが・・。それには自分にとって雪まだ残る那須のスキー場でゲレンデのトップに行き滑走してくる楽しさ、もともと山形時代に小学生になる前から雪の丘から、樹林間を橇や、スキーで滑り降りるのはスリリングでワクワクしたものである。晴れていれば、那須岳のスキー場の急斜面を滑降する、スキーヤーの姿がJRの新幹線、電車からその光景が見ることができるような位置にある。
温泉場は「北温泉」とだけ現地の大木の木目が解かるような案内板が谷川沿いに坂道を降りていくと温泉プールや滝、そして谷川に沿に源泉が音を立てて流れ入る風呂場が5か所ほどあるのだ。建屋は江戸時代末期頃の建築とのことでその造りは古色蒼然とした柱をしっかり養生、集約したような温泉宿である。夜、晴れていれば夥しい星の瞬きがあり、奥の奥にあると言えそうな奥日光の深山幽谷にあるのだ。夜、晴れた日は、2階の正面玄関方面から白河峠越しに点々、街の灯を遠望が出来て、まさに雪深い深山幽谷の深々とした四十万が心身に浸み込む静寂を味わうことになる。何とも言えない孤独感にありながら自然との一体感の中の隠棲感に底知れぬ人生を想う心境となるものだ。
 そして、そこは3月の初旬と言え寒冷厳しく炬燵での暖に過ぎなかったがそれは当然な備えと考えていたのだ。風呂場も建屋の奥高い所にあり急な裾野の岩壁から源泉がド~っと言わんばかりの勢いで注ぎ落すのだ・・豪快である。ただ、夜更けになると見るからに数10センチの大きな天狗の面が湯船の奥にかけて在り、思いようによって、小心者にはその風呂には一人では入れないかもしれない。湯船は常に流れ極めて鮮度がいい湯と成っていて極めて洗浄感に浸り爽快な気分である。
そうして炬燵にすっぽり入って、芥川賞の当期の小説を列車内で読み中途の流れから読み出すのである。それは広大な空の下の一人として・・・。春には、春セミが夜明けになると一せいに合唱始めるのだ。まるで真夏のように、まさに小物のセミで1センチ程度の大きさである。友人と4月初旬ごろ来た時、まともに見たのはその温泉場で見たのが初めてであった。蝉は暑い真夏に泣くものとばかりに想っていただけにあまりにも静寂な深山を打ち破る鳴き方には仰天したのである。

写真は北温泉の宿の一角(2016年4月)


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