独居の独り言(長年のコンプレックス)
手書きの手紙に困惑と吾がへたな字
「Kさんお元気でしょうか」と普通の書き出しであったけれど、実際にペンで認めてあった。出し主のことを想うに、いつごろからであったかおぼろげになってしまったが、その人からの手紙はいつもペン書きであり、あの年齢〈50歳〉では珍しいと思ってしまうのである
今は、パソコンで打ち込んで、プリンターで印刷した手紙、メール、mobileを使って、Line、ショートメール、メールで送信するのが一般化されているからである。
郵便切手を使って自筆の封書、はがきで頂くと嬉しく、楽しくもあり、悲しみ系に至っては、肌で感じるほどである。
しかしこのことも、昭和生まれ(初期)の人間だからだろうか・・・。
自筆の手紙を開く前に、何かわくわく感があるのだ。
中学生のころであったが、東北に住み、6月の梅雨前の時、米沢駅から夜10時発奥羽本線、上り上野駅行き、煙列車で日光、東京、 鎌倉、江の島をめぐる修学旅行へ出発、宇都宮乗り換え日光への列車で、茨城の同学年のある生徒グループ(修学旅行)と乗り合わせて、お互いに地方のことに興味あり、談笑に夢中になって、別れが惜しく文通を始めることになった。そのころはあまり自筆の字に無感覚であった、ただ正しい字を書ければよいとの思いだけであった。
女性徒、男性徒4人ほどの人であった。2,3か月に一度ほど手紙交換があった。高校時代になると取りやめてしまった。女生徒の手紙はやさしく、丁寧で上手な字で書いていた。そして励まされるような手紙、男性徒は学校のクラブでのこと、他校との柔道や野球試合の結果などが内容であった。それでも、多く未来へのゆめを感じたものである。
翻って、前述した手紙の内容は、残念ながら喜べないような、気の毒さを感じるところもあった。
彼は数年前までは、東京の出版社(本社)に勤務していたのであるが、仙台へ出先事務所戻り、更に、遠い、実家のある青森県に二人で住む両親の所へ帰るということで退職、その後、まもなく市役所の職員になったようである。
両親は、言うまでも無く年老いている、それと母が介護状態にあり、自分でケアするつもりで20数年在籍の社を退職したとのことであった。
さらに、それに加わったのは、母上が心不全症で入院5か月ほど入院していたこと、ようやく退院して、老健の方へ入所決まって、
ようやく解放されたと言う内容と、小生が年2,3回ほど発刊している冊子を送付したお礼状であった。
なかなかの達筆である。
小生も自筆の手紙をと思ったものの、どちらかと言うと自分の字は下手と言うコンプレックを持っているのだ。やはりwordでも打ち込んで印刷、先方への名前と私の署名は自筆(パソコンで打ち込むようになってからの習慣)で出すことにしたのである。
手紙を、自筆でさらさら書ける人はうらやましいですねー。
こんな小生でも妻と最初に(彼女の)祖母の所に連れて行かれたとき、婚前の妻と祖母あての手紙の字を知り、今どきの人にしては字が上手であると妻に言ってくれたそうである。
いまにして思えば、その後も、習字でもしておけばよかったと形だけは
書の「師範」取得者の一人であるが空白(難病に陥って)の期間があり実に下手だなあと思う今日この頃である。
八十路を超えて今、改めて錬成する日々である・・・まだまだの中途半端な自分ですナー‥と思いながら残日少ない老いの木の日々だけれど1年、2年と楽しみながら習字をしているのだ。
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「書」の演練は新聞紙ni