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独居の独り言・さびしい人

さびしい人へ・・われも寂しい人間の一人です

 孤独感で寂しさに忍んでいる人は多いようだ。新聞やウエブでそのような悲鳴を知ることが多いのである。
その実態は様々かもしれないが、
そう言う、自分も寂しさや孤独感は常にある。
老い先も短い性かそれも、当然自然なことと受けている。妻に先立たれてほぼ3年である。孤独感など言うことは本質的にだれもが胸の奥底にあるものと割り切ってはいる。その受け取る感性度が多様であり、その状況に違いはあることも間違いないと想う。
ある一人の公務員が某新聞に人生相談的なところに「プライベートなことで、充実感がないと・・・同年、同僚たちは、彼女、彼氏がいてうらやましい。自分も変わって、そんな人間になりたいものだと・・・。休日などは親の所で過ごして、気を紛らわしているようなもので、親離れもできないとかいろんな手法で婚活や恋人探しをするが徒労に終わってしまう、所謂持てないのだ、と自ら断念しているようである。最後は「自分に生きる価値が無い」とさえ思うという・・・と。
そのような心境になることも八十路を超えた自分にも振り返って、そんな心境も味わってきたのだ。自分は、そのような心境、精神構造になってもとことん思い、悩み、苦しみ、その最低に落ち込んだ底を基盤として「先の生き様」を考え構築する。そして日々挑んでみる。失敗や挫折することもあるが、とにかく、常に前向きな考えをもとにした生き方を、15,6歳ころから認識させられたからかもしれない。
言うなれば、貧乏人(現代ではいう言葉ではないかもしれない・・)だったので、寂しさも、孤独感も当たり前だったのである。
この人生、独立独歩、独学、独習を旨として、日々、夢、希望、情熱、気概を胸に秘めて外聞的には明朗、裏表の少ない、さわやかな生き方をしようとして、生きて来たのがわが人生である。
何か、仕事以外に、先ある生涯にわたって、まさに竟の人生になるまで、生涯、意思力や創意工夫などを湧き立たせてくれるようなものを探し出してライフワークとすることが出来れば、年を重ねるほど充実感を与えられると思う。
そして人生において最も大切なことは、悩み、苦しみが押し寄せようと。健康体であることである。たとえ高齢者になっても、そのためには日々、自分に無理することなく体力増強を続けることも、最重要ではないだろうか・・・と想う
 
 

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