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明日、初めて宮崎駿の映画を観る
タイトルは厳密に言うと「明日、初めて宮崎駿の映画をちゃんとフルで観る」である。他の人が観ていたり、流れているものを断片的に観たことはある。
「宮崎駿の映画をちゃんと観たことがない」
そう言うと、大抵の場合、
「ああいうの嫌いそうだよね」
「よく観ないでここまで来れたね」
などといった言葉が返ってくる。
別に私は宮崎駿の映画が嫌いなわけではないし、頑張って避けてきたわけでもない。ただ観ていないだけである。
たとえば、アレハンドロ・ホドロフスキーの映画を観たことがない人に対して誰もそんなことは言わないだろう。世の中のほとんどの人は、観ている映画よりも観ていない映画のほうが圧倒的に多いはずだ。
それでも観ていないと不思議がられるのが、宮崎駿なのである。「ラーメンを食ったことがない」とでも言ったかのようなレベルで。
小学生の頃、何かの移動のバスの車内で流されていた「となりのトトロ」が私の宮崎駿初体験だと記憶している。
憶えているのは、なんでこんな子供っぽいものを見なきゃいけないんだろう、と思ったことだけである。何しろ私は「北斗の拳」「魁!!男塾」「修羅の門」などを人生のバイブルとしているような小学生だった(今になって思うと、この頃から人体破壊描写が好きだったんだな……)。
いつだったか忘れたが、どこかで「風の谷のナウシカ」が流れているのを観て、驚いた。
超かっこいい。
それは、巨神兵が目覚めるシーンであった。
巨大。圧倒的暴力。なんか痛そう。なんか辛そう。なんか言いたそう。切ない。儚い。どろどろしている。など、巨神兵には私のツボがぎっしりと詰まっていた。
先日、テレビでやっていたのを息子が観ていたので、そのあたりのシーンだけ私も観た。やはり宮崎駿の描く「どろどろした巨大なもの」は絶品だった。
ただ、それが私の宮崎駿のピークになってしまった。
以降も氏の作品の中には「どろどろした巨大なもの」のようなものは出てくるが、なんというか、巨神兵のあのシーンとは熱量がまるで比べ物にならないと感じざるを得ないのである。
それくらい、あの「どろどろした巨大なもの」は私的にずば抜けている。
というわけで、私が総理大臣に当選した暁には、国家予算をじゃぶじゃぶ投入してフィル・ティペットの「MAD GOD」みたいな最初から最後までずっとどろどろぐちゃぐちゃしている映画を宮崎駿氏に作らせたい。
というか、氏だって本当はそういう映画を作りたいんじゃないだろうか。どろどろぐちゃぐちゃへのよほどの変質的な執着がないと、あんなシーンは作れない。
まるでわかっていないファンや世の中のせいで、宮崎駿は本当に作りたいものを作れないままキャリアを終えようとしている。と、私はわりと本気で思っています。
あ、明日「君たちはどう生きるか」を観に行きます。
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