「織田作之助賞」受賞作家の小林長太郎と彼が残したブログ「負荷」と記事を忘れない為に〜#21

ブログ「負荷」には およそ2年半のあいだに1842本もの記事がアップロードされています
ブログにアクセス出来なくなったので
読むことがで出来るのは「負荷」読者の手によって残されたわずかな記事と
私が記録した未コメントの記事のタイトルだけ
このマガジンはそれらに出来るだけコメントしようという試みです
【参考】
第2回 小林長太郎まつり
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-category-7.html
BUNGAKU@モダン日本
https://nonajun.hatenablog.com/

『海辺のカフカ』覚書①

この記事は短いので全部をコピペしよう
いつものように引用していると…それで記事全部になってしまうから同じ事だ
と言う事で全文コピペ

『海辺のカフカ』覚書①
  『海辺のカフカ』を読んでまず最初に気がついたのは、ナカタさんが「ウンコ」をすることだった。

  日本文学史上、ウンコを扱った作品は他にも色々あるが(火野葦平『糞尿譚』、藤田雅矢『糞袋』ほか)何もそう構えることはなくて、我々は日々極普通にウンコをしている。

 古い版の芥川龍之介全集も叔母にあてた「うんこの手紙」で始まっていた。

 一体「青空文庫」内を「うんこ」や「ウンコ」「糞」などのキーワードで検索すると、私が贔屓の作家が次々にひっかかるので面白い。

 下品といえば下品な話だが、ある種の小説はリアリズムのようでありながら、けしてうんこをしなかったりする。その問題について、三島由紀夫は、そういうことを書くのは子供の生活作文だとかなんとか談じていたような気がするが、これは案外「一本の刀で人が何人斬れるか?」というのと同じ根を持つ問題なのではないかと考えたりする。

 それにしても「ウンコ」という表現はストレートである。そして冒険である。

 村上龍が翻訳者でペニスのことを「ち○ぽ」と訳したことを思い出す。

 「こ」をつけてふざけるでもなく、「ぼ」と濁っていきがるでもなく、勿論カタカナで浅墓な文学臭を演出することもなかった。

 村上春樹さんはこういう言葉をけして使わないと思っていたのだが、それが何ゆえの思い込みであったのか今では分からない。

                                            未

負荷さんは海辺で「ウンコ」と言う単語を使っていることに首を傾げている感じだ
春樹は使わないと思っていた…「それが何ゆえの思い込みであったのか今では分からない。」と結んでいる
この短い記事で負荷さんが書きたかったのはその事だけ
さて私はこの記事からどんなヒントを貰ったか?
私のことだからお分かりだと思うが…海辺の事でも春樹の事でも無い
負荷さんが春樹は使わないだろうと何故か思っていた言葉…ウンコについて
今回はこれしか無いと即決のワード
私は変態を自認している…様々なマニアである
世にスカトロというジャンルがある
ここまでするか…と思うほどの世界
知らない人は知らない…知っている人は知っている…当たり前だが
究極の快楽?最悪の趣味?
私はイメージの世界…妄想で遊ぶ人間だから実際には未経験
興味本位で食糞の世界をビデオで観るに至った
想像するだに信じられない世界ではあるが…逆に究極の愛の世界かとも思う
つまり一番汚らしい物さえ愛おしくなるのだから
自己陶酔感に酔いしれるのではないか
或いはそれは自己催眠による快感快楽の世界…吐き気を催すほどの臭さも…見るからに汚い物でも通常の感覚が麻痺しているから受け入れられる行為
そんな世界が実際にある
興味は覚えるものの私は踏み込めない世界だ…とは言え先の事は誰にも分からない
もしかしたら…

村上春樹さんの『海辺のカフカ』の負荷6/UFOと神経ガス

「『海辺のカフカ』という長編小説が何度読んでもその都度新鮮な驚きを与えてくれるのは、その複雑な書き込み故であろう。」と前書きして負荷さんは
「UFOと神経ガス」について考えてみたい。」と…この記事を書いていく
負荷さんによると…
「このUFO、またはUFO現象は、私の理解する限り、『海辺のカフカ』という長編小説の中で「銀色の光」(p.21)としてぽつんと一回だけ登場する。」
そして続けて…
「不吉な予兆のようなものとして、曖昧なまま、語り残されている。」というのだからナゾである
海辺についてだけなのか…それとも春樹作品全般に言えることなのか
「語り残されている」というのがキーワードになってる気がする
だからか春樹ファンは作品の謎解きにハマる…春樹評論家・専門家・研究者の類が数多く存在するのだろうか「
門外漢の私が言うことだから無視して欲しい
さて…負荷さんは次に
「また「神経ガス」の方は、さらにあっさりとした扱いとなる。「毒ガス、おそらくは神経ガスのようなもの。」という仮定として発せられる言葉だ。(p.46)」と神経ガスについて書き進めている
それで思い浮かぶのはサリン…無知な私でも春樹作品にその関連のものがあるのは知っているが…さて負荷さんは何を書いているのだろうか
「『アンダー・グラウンド』等でサリン事件の被害者に取材した村上春樹さんなら、この後何らかの形でなぞりがあって然るべきなのだが、そういう要素は一切ない。」
やはりやはりだった…早とちり名人の私が記事の先を読まずに見込みで書いたがまあまあの結果
容易に誰もが連想できることなので自慢にもならないが…
負荷さんが春樹や海辺にこだわっているのは鈍感な私にも分かるが…何故に?と疑問に思う
その一つの答えになるのだろうか…こんな記述があった
「真剣に探せば、私は『海辺のカフカ』の中に「私のエピソード」をざっと十五、六見つけることができる。」と…
多くの読者もそう思っているだろうし…
「UFOと神経ガス」の記事を書いた理由は作家春樹の手法から…負荷さんは次なる推論に至る
春樹は予言者であり…海辺は予言の書だと…

村上春樹さんの『海辺のカフカ』の負荷5/ナカタさんって何?

→ すばやい結論・ええと、庄司薫さんです。
え?
                         *
村上春樹という作家が特殊な家庭環境から古典的教養を自然に身につけ、その後海外文学に憧れた独自の文学体験を持つことは広く知られている。
ただ夏目漱石の影響については殆ど語られたことはなかったのではないか。三島由紀夫や庄司薫とのつながり具合、あるいはつながらなさ具合についてはいくつかの研究があるようだが、どうも満足できるものではない。
 物証はそこそこあるが、犯人の自供が取れないというところか。
 さて。それでは漱石に関してはどうか。

かなり長い引用になったが…この記事自体が長いし記事の内容を説明する手間が省ける
しかし…面白い文章の運びはお世辞にも文学的表現とは言い難い
さらには文芸評論とも言い難い
訳知り顔に書いているが…文学に関しても他のあらゆる芸術的分野に関して当方はまったく門外漢…なのでブロガーと言えるかどうかも自信ないが…単なるブログ好きのとりわけ負荷さんの人間味ある物書き姿勢に惹かれてコメントしているだけ
自分でも何を書いているか分からない文章…まあそれを自覚しているだけマシなのかもですが…
こうやって何やら書いているうちに少しでも人様に分かる文章が書けるようになればと願っています
何事にも努力は必要ですが…努力が即報われる訳でもない世界
やはりそこには何らかの才能がなければ何らかの成果には結びつかない
才あればとっくに世に出ているはず
その可能性の微塵も見当たらないようですからこれからも期待薄でしょう
さて記事本題に戻ります
と言っても海辺や様々な書物からの引用で負荷さんはテーマの論証を展開しているが私には読み解く知識が無い
分からない内容を説明しようとしても…ますます分からなくなるだけと悟ったので…気になった箇所をテーマと関係なくピックアップしてみる
「高い知性を持っており、謎解きやゲームを好むのは庄司薫さんと村上春樹さんに共通しているところ。」
「謎解きやゲーム」という言葉に私が引っかかるのは…今観ている中国ドラマのせいだ
ドラマの面白さも謎解きにあるとやっと思い至った感じ
今観ているのは天命の子〜逍氏弧児
https://youtu.be/VBW_6dPrBLQ

時代物にしては戦闘シーンが少なく…策略を張り巡らせ謎を解き逃れる頭脳戦が地味にくり広げられる
ドラマを観るたびに面白さに惹かれていく…それは展開の意外さであり謎解きのあとの爽快感にあるのだが
そこに至るまではジレッタさを耐えなければならない
分かりやすい話が東映任侠物…高倉健はガマンに我慢を重ね
ラストで怒りを爆発させ刀を手にして斬りまくる
伏線回収と説明されるが…想像力のない私には一個の伏線も考えられない
私は作り手になりたい願望が強かったが
作り手になる才能はなく…観ている方がお似合いの人間なんだなあ
結局…記事へのコメントになっていないと若干の失望…仕方ないヤネ









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