再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年7月29日=6660文字

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29日 さとちゃんとのコメントまとめ

里恋詩35・千早赤坂村の棚田の稲刈りや!!
コメント
I.Fujikawa
弧を描いた棚田の稲穂
こんな風景をまじかで観られたら
そう思いますが
そのためには足を運ばなくちゃね
それが苦手なら
こうしてさとちゃんの記事見るしかないね
それだけでもありがたいよ
さとちゃん
代わりに言ってくれてると思うよ

里恋詩34・煙たなびく
コメント
I.Fujikawa
煙たなびく

なんかそんな歌があったような
ところがその菓子の後が問題
煙たなびく とまや?そまや?
どっちだった?
思い違いで覚えてることよくあるし
野中のバラを夜中のバラとかね

われは海の子だった
そして「とまや」が正解
苫で屋根を葺 (ふ) いた家。苫の屋。苫屋形。
苫とは?
菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろ。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。

少し勉強になったけど
すぐ忘れます 確実に

里恋詩33・観心寺さんへ行ける??
コメント
I.Fujikawa
観心寺

昔 梅を見に行ったんじゃないかな?
調べてみようか
観心寺 梅情報とありましたから
梅の名所ということでいったのでしょう
歴史やお寺仏像には興味ないので・・・

里恋詩32・営業週四日や
コメント
I.Fujikawa
金土日月の営業。火水木は農業

いやいや
それでやっていけたら
上等ですね
いやいや
結局休みなしじゃありませんか
いいようなわるいような
なまけものの私としたら
土日働いてあとは休みが夢でしたが
今は毎日が休みですから
上等ですね

里恋詩31・虫かご見せてよ
I.Fujikawa
父さん子だったけど
遊んだ記憶はないなあ
でも色んな所に連れて行ってくれた
学校の勉強より社会勉強になると言ってね
学校休んで例えば刑務所
組合運動でつかまっただろうね
父さんは活動家だったから
それから集会や会議なんかもついて行った
訳も分からず壇上の腰掛に座ってたり
帰りは夜行バスが多かった
軍艦島も遠くから見た記憶がある
そうだその帰りだったか
時間が早かったからか映画館に寄ったんだ
「トロイのヘレン」タイトルを覚えている
大きな木馬出てきたのも
高校生になってから世界史で出てきたよね
その時遅く家に着いたら
元気な母さんが風邪だったのか熱出して寝ていた
悪かったなあと思った
布団の横に入って抱き着いたよ

里恋詩30・おいやんの炭作り
コメント
I.Fujikawa
オイル缶?
筒の中に木が入ってるの?
仕組みが分からなんだ
それより観光バスが迷ってガイドさん
道を聞いてる姿が面白い
運転手さん 少しあわてたでしょうね

里恋詩29・ススキとおばちゃん
I.Fujikawa
小学生の頃
図工の時間でしたか
枯れ葉やススキを拾ってきて
私は人の顔を書きました
ススキは当然髪の毛にね
そんなこと思い出しました

今日の観想詩・10/15(日)
I.Fujikawa
昔子供だった頃
家の周りは田んぼばかり
稲刈りは覚えていないのですが
田植え時期の賑わいはよく覚えています
一家どころか親戚町中総出という感じでした
住んでいたところはどう変わってるでしょうね

友ヶ島を歩く②加太港
コメント
I.Fujikawa
あれれ
私の歌が
もうすっかり忘れてますよ
恥ずかしいですね
大阪に出てきてから
家出ですけどね
淡路島に2回行きました
それくらいですね船に乗ったのは
だから友が島は久しぶりの汽船?
なつかしくはしゃいだようです
福岡にいたことは
博多湾に浮かぶ能古島
何か事があると能古島でしたからね
海水浴やリクレーション?レクレーション?
宴会なども行ってましたね

今週の観想詩→10/15(日)~10/21(土)
I.Fujikawa
後悔も
勉強

後悔はしませんが
勉強もしませんね
勉強してもすぐに忘れますから
それでもしないよりはいいのでしょうが
勉強せずに
何者かになれると
なる人間だと
信じたかったのでしょうね
やはり勉強しないと
何者かになれません
そう悟ったのは最近のこと
もう先もありません
なるようになった結果です
何ものにもなれなかった
後悔はしないようにしています
なるようになった結果ですから
結果は受け入れましょう

今日の観想詩10/14(土)
I.Fujikawa
尾根道歩きはいいものです
開けた道もいいし樹々に覆われた道もいい
見晴らしがよくても悪くても
尾根道は風が走る道
風の走る音が聞こえます
気分がよくなって
鼻歌も出まし
また歩いてみたい気もしますが
足を傷めたのでそれもかないません
コメント書いて遊ぶことにします

友ヶ島を歩く①加太駅
I.Fujikawa
傘も持たず、食も持たず、人口ゼロ(明治以降、軍事の島となったため)の友ヶ島に上陸するという強者が一人。

どうやらそれは
私のようです
弁当を注文してくれました
傘を借りてくれました
私は世話をかけるばかりの人間なのです
屋根の上のアオサギ
私も覚えています
鴨川でいつもじっと佇んでいる姿から
哲学者と呼んでいました
それが高い屋根の上でじっとしているのは
珍しい姿でしたから
友が島でのあまりにゆっくりしたさとちゃんらの歩きに
そそっかしやの私はついてゆけず
先に港で待っていたことはこの前書きました
港に戻ってからの食堂での一服タイムも
帰りを急ぎたい私には時間経つのがのろ過ぎました
そんなことも思い出しますね

今日の観想詩・10/13(金)
I.Fujikawa
うちもどこのだったかな
生協で水買ってます
私がよく飲みます
水道水はどうしても抵抗があります
水を飲み過ぎるきらいがありますね
胃酸が薄められてるんじゃないかと
それからコーヒー牛乳を作ります
これは湯沸かし器のお湯でインスタントコーヒーを溶かして
牛乳を入れます 牛乳との比率が問題
五分五分か少し牛乳少な目
日に2杯くらいですが
ボトルがコーヒーカップ2杯ぐらいだから
かなり多いかな
姉さんが入院したことで新たな発見があった
朝食に出るパック入りの牛乳をおいしいと飲んだ
パンにバターも食べた
それまで朝食はご飯と決めていた
ご飯大好き人間だと思ってたから
退院後 朝はパン食に替えた
むしろ準備する方は楽になった
しかし退院後 姉さんに大きな変化
長い入院ではなかったが
環境の変化は色々と影響があるという
一番大きな変化は話さなくなった
うなずくばかり
少し寂しいものがあるが
それも仕方ない
これからいろんな変化がやってくるだろうから

今日の観想詩・10/12(木)
I.Fujikawa
今日は暑いので
噴水の画像で涼をとります
エアコンで涼しいのですが
涼しすぎるので消すと
しばらくしたら汗が出る
消したこと忘れてる
また点ける
その繰り返ししてるみたい
出来るだけ外に出るようにしています
と言っても歯磨きとか洗濯とか
散歩は夜にしてるし
日中もっと外に出た方がいいかなと
思うだけで終わりそうです
出不精なもので
厚さが苦手なもので

今日の観想詩・10/11(水)
I.Fujikawa
63回歩いて、63号を出したんです。私は誇りに思っています。

ブログもたくさん書いて
そのうえからすとんぼの発行
なかなかできることではないと思います
メルマガを私は出して今いたが
やめるにあたって二つのメルマガを削除しました
だから今は見ることはできません
過去は振り返らないなんて思ったものですが
昔出してたメルマガを時折は見たいと思ことがあります
その一部はブログに日記として保存していましたので
少しは見ることができますが
過去に書いたものをnoteで再公開していますが
よく書いたなあと思います
からすとんぼは小冊子
ちゃんと残りますが
手元に残っているかどうか
今はせっせとコメントを書いています
コメントをまとめてnoteで公開しています
3千弱の記事全部にコメント書くのが目標です
一度では終わりません
終わりはありません

デタラ芽農日記95・栗拾いおしまいやなーー2006/10/10
I.Fujikawa
たまに栗をたくさんもらうときがあります
有難いんですが皮むきが大変
それでも栗ご飯にして食べるとおいしいので
せっせとむきました
やはり虫食いもあって
でも貰い物ですからありがたいものです
正月の栗きんとんは子供のころからだすきでした
マロングラッセなど知ったのは大人になってから
ケーキのモンブランは知ってましたけど
山の名と知ったのは後からだった気がする
マナスルとかは模型飛行機があったので知ってたけど
ヒマラヤ山脈にあるとは今知ったけどね いい加減なものだね
おいしいものが最後に食べる派
だからクリもイチゴも最後まで取っておく
いじましいじゃありませんか
子どもの頃 あまり食べられなかったのでね
大事に大事に最後にいただきます
ああ・・・長いことケーキ食べてないなあ
今日あたり100円のオヤツをやめて
ちょっと奮発しましょうか
考えてたらツバが出てきた

今日の観想詩10/10(火)
I.Fujikawa
★借金までして夢追うことはない。

いやいや
やりましたよ 30代の終わりに
亥年生まれだからじゃないでしょうが
やりたいと思ったら金があろうがなかろうが
突き進んでしまう性格
結局30万ほど姉から借金して
小さな音楽会やりました
借金は全部は返してないし
甘えてしまいました
どうしようもない人間です

29日 高山のnote日記から
2019.7.29~高山とトンネル工事現場の近況:組合組合

夕食も終わり さとちゃんちのコメントまとめた日記も終わり
次はここの番ですね 一応そういう段取り
昼間に高山から電話 今日は忘れてませんよ
出入り下請けのダンプ会社とのトラブル問題
ズリ出した岩を砕いてダンプに積み込むのですが
ブレーカーで破砕した時 飛び石がダンプの窓に当たったようで
そのことに文句つけた運転手が高山にかかっていったけどかわされて
次に女と甘く見てA子ちゃんにかかっていったら
足で腰と頭にケリを入れられうずくまって逃げていったという話
その運転手はフリーらしいのですが それを雇った会社との契約で
飛び石が当たった場合とか様々な要件を書いて契約しているそうです
というのも前回もトラブった会社で契約をしっかりしておいたというわけ
だから向こうの会社としてはそれには文句つけられずに
A子ちゃんのような女を現場で働かせていることにかみついてきたらしいが
それもお門違いな非難なわけで 高山は相手にしません
それで今日はA子ちゃんをその会社に一人で行かせたそうです
もちろん外で待ってるわけで 何かあったら電話しろということなのです
しかしそんな状況でも臆せず会社に一人で乗り込むとは
ただものじゃないでしょ・・・A子ちゃんは
それで代わりのダンプ関係は 高山の知人の組合組合と言ってる社長が
ちゃんと引き受けてくれたそうです 実似たのもいい知人です
その関係を今度聞こうと思っています
そもそも知り合った縁は?
組合組合という理由は?
彼に興味が湧いてきました
さてもう一人の女性事務員も頑張ってるそうです
年配の機械担当の人がいるのですが その人が彼女を気に入って
溶接を教えているそうです 筋がいいと言います
免許取らせてやってくれと言ってるそうです
車関係それも大型免許もとらせるように勧めています
高山もそのつもりらしい すごいですね
元々はアルバイトの事務員だったのですよ A子もそうです
それが外の仕事を手伝いたいと高山に申し出 そこから始まったわけです
その前に事務のほかにもトイレ掃除を徹底してやる 休憩室も掃除する
それだけでなく工事車両もきれいに洗う
まだまだそれだけじゃなく資材置き場の整理
現場回りのからコーン等の整頓等々
元請けの所長も驚くほどの仕事ぶり 何よりトイレがきれい
それで抗夫達の意識も変わっていったそうです
そして工事現場のまずは外での仕事 そして採掘現場へと
段々男の抗夫並の仕事を覚えていったわけです 高山が仕込んだわけです
そして今はそのAこの友達がアルバイトの事務員としてやってきました
このC子もまた積極的に現場簿仕事を覚えたいという
もちろん事務の仕事をやった後ですけどね
この二人は対照的だと言います A子は天才肌 C子は努力型
その努力も皆が認めるほどだと言います
C子がいつかは頭角を現すだろうと高山もそのほかの人も信じて疑わない
よくもそんな二人がトンネル会社の下請けに揃ったものです
そもそもはA子なんですけどね その父親がまた面白いし素晴らしい
高山とカチコミに行く仲ですからね それはエッセイに書いてたかな?
とにかく私の好きな世界ですね 男勝りだが美人のA子
「ガーターベルトの女」シリーズのMも大好きですけどね
そのMも高山と再開後 事務機器のレンタルリースをMが務めている会社が一定に引き受けることになって Mはトップセールスになったとか
それまでは万年2位だったらしいけどね
仕事関係で縁はつながっている 
このMがA子を気に入ってる 何かと面倒見ているそうです
高山のエッセイに書かれていることはみなドラマです
映画になります と思って私は取り組んでいるのですけどね
なかなか なかなかうまくいかないもので やり方知らないからね
まあこんな話を書いて どこかの誰かが興味持ってくれればいいと
かすかな期待を抱いてるのですが
さて他に書くこことは? 
私の方は色々大変なことになってきているのですが
まあこんなこと書いてるわけですから さほどのことでもないかも
年産のサポートはこれからが本番という感じ 覚悟せねば
話さなくなった 食べなくなった なんとか食べてくれるけど
なかなか大変 食事が基本だからね 食べなくなったらどうしようって感じ
これからこれから ほんとの介助はこれから
急に進行した感じ 入院していた時は何所に言ってたのと叱られたからね
叱られたいと思うよ ほんとに

29日 日々さんの投稿から
日々の言葉落穂ひろい~「当事者のエゴが時代を変える」

access_time 2019年7月29日 person_pin 無名居士-Nameless layman
「当事者のエゴが時代を変える」。吉藤オリィが参院選で見たある風景

ツイートで知ったnoteの記事

その内容については読んでもらうことにして

「当事者のエゴが時代を変える」という言葉に私が思うことを

記事の内容とは関係なく考えてみたいと思った

それは吉藤オリィ氏には申し訳ないと思うが

私のわがままをお許しいただきたい

記事の内容にはもとより大いに共感を持って読ませていただいたことを

書き添えておきます

エゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エゴとは

自我 – 英語でego のこと。自己を対象とする認識作用、哲学および精神分析学における概念。
利己主義 – エゴイストの略 – 利己主義者。自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。
ランボルギーニ・アヴェンタドールSのドライビングモードの一種

エゴイストの略としての「エゴ」を考えてみる

どうだろう・・・エゴイストという場合 言われた場合

否定的な意味合いに捉えがちだと思うが 果たしてどうか

「他者の利益を軽視、無視する考え方。」その意味合いが「エゴ」にあるとすれば

やはり否定的印象も当然だと思われるが 私は「自己の利益を重視」することと

「他者の利益を軽視、無視する考え方。」とはけして相反しないし 矛盾しないと考える

先ず自分の利益を重視するということ つまりは幸せの追求と考える

自分が幸せになってこそ 他人を幸せにすることができる

自分を犠牲にする必要は全くない その犠牲の上に他人が幸せになれるか

他人は人の犠牲を求めるか 自分の幸せのために 否であろう

人それぞれ 幸せは一律ではないだろうし みんな違っているだろう それでいい

人は自分の幸せ生きがいを求めていい 求めるべきだ そして幸せになればいい

そのことは 人の幸せをも尊重することにつながる

なぜなら 他人の幸せを妬みひがみ否定することは

自分が求める幸せを否定することになる

自分は他者から見れば他人 自分から見た他人と何も変わりはしない

自分は他人であり 他人は自分である

そこで私の「エゴ」についての結論は

いみじくも「当事者のエゴが時代を変える」と表現した吉藤オリィ氏の考えと重なる

幸せになりたいという「エゴ」による動機は 自分を幸せにするにとどまらず

他人をも幸せにすることにつながる またそれは時代を変えることになるかもしれない

人は自分の心に耳を傾け 心の求めるものに忠実であればいい

自分は自分らしくしか生きられぬ

自分を信じるしかない

信じられる自分でありたいものだ

自分を信じ自分を愛し自分の幸せを求めよ

その道は人をも愛し人をも幸せにする道

自分を信じることだ

「エゴ」のために「エゴイスト」であれ

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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