『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【121】2007/02/07~02/13

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
ブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)に
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さと川柳2007・2ー02

2007/02/13 2007さと川柳
一郎
★読み辛い老眼だけではないらしい
読みづらい
眼鏡買うのも
面倒だ

★松茸の巣は親子でも教えへん
松茸も
鰻も縁が
無くていい

★本当に儲けられたら話せん
金の無い
やつに限って
見栄をはる

★日和から話しはじめた里の道
生まれた地
育った地では
里はどれ

★喉元をすぎるあたりに鬼がいる
心とは
脳にあるとな
鬼と棲め
2019/09/29

あなたへ観想詩2/13(火)

2007/02/12 里恋日記
一郎
 おやこ
 劇場
 畑舞台

よくぞ名付けましたね
畑舞台での
親子の競演
そりゃあ観ている人が
うらやむことでしょう
でもさとちゃん
親不孝したのでは
親より先に逝っちゃだめでしょ
でも こればかりは仕方ない
そういう運命
どうすることもできないからね
人はその人なりの命を生きるしかない
いずれは一人
それに耐えるために
長い人生が用意されてる
しっかり考えなさいと
生きるということ
死ぬということ
たっぷりの時間は
そのためにある
死に備えるためにある
いかに生きるかは
いかに死を迎えるかということ
その最後の時間を
親子競演の
畑舞台
それだけでも
しあわせだったね
しあわせなんだよ
2019/09/29

あなたへ観想詩2/12(月)

2007/02/11 里恋日記
一郎
いつのころからか
恋は片恋と決めました
別に一人でも
寂しくないから
一人遊びが得意だから
いずれ一人で
死んでいくから
いいのです
平気なのです
恋は片恋
相手は無数
2019/09/29

今週の観想詩→→2/12(月)~2/18(日)

2007/02/11 観想詩1
一郎
絵に描いた
餅を
食べてしまったのです
さあさあ
あなたなら
どうします
・・・・・・・

現実にできないことを
夢に見
妄想ばかりしています
現実にはかなえられない夢ばかりだから
そんな夢ばかり見るから
妄想で叶えることにしました
それを仕事にしている人なら
経験はなくともお金があれば
少なくとも可能な夢です
経験もなくお金もないのに
そんな夢ばかり見ています
夢見るしか能のない男です
仕方がないので妄想する男です
妄想家です
goo辞書
夢想家
実現できそうもないことばかり考える人。
妄想家
妄想は辞書にあるが
妄想家はない
妄想
根拠もなくあれこれと想像すること。また、その想像。
私はまだこの段階だから大丈夫みたい
妄想に固執執着するようになれば
病的段階になるようだ
妄想を叶わぬ夢の
現実逃避回避の手段にしている
夢を夢なりに自己完結する手段
夢と現実との乖離に悩み落ち込む手前で
踏みとどまっている
その役割を妄想が果たしている
妄想を遊べばよい
妄想は自分であるための
ある意味維持する力
妄想力によって健全性が維持される
そのような人を妄想家と呼ぼう 
2019/09/29

あなたへ観想詩2/11(日)

2007/02/10 里恋日記
一郎
ときめき
ありますか

今日はときめきました
なぜかというと
2009年暮れの私のコメントに出会ったからです
コメントだけなら そう珍しくもありませんが
なんとそこには 私とさとちゃんのコメントが
合わせて44件ありました 数も多いのですが
さとちゃんと二人というのも珍しい

Yahooブログサービス停止に伴い
ブログ引っ越しは済ませたのですが
コメントの引っ越しは20件まで
21件以上はカットされる運命
それじゃ投稿した人の心までもがカットされる
それは引っ越しをしたものにとって
身を切られるに等しくつらい
だから今のうちに未引っ越しコメントをチェックし
引っ越し作業を済ませておきたい
過去の記事からコメントしているので
そこでもコメント数が20件ある場合は
もしかしららカットされている可能性もある
そこで元ブログでチェック
同時に新しい記事からもチェックしている
今日発見した未引っ越しコメントは
そこで見つけた
しかもそれが44件のコメントがあって
さとちゃんとの交流記録にもなっている
これまでそんなことはしてこなかったので
しかもそのことをすっかり忘れていたので
今日の発見はことのほかうれしい
ときめきがあった・・・ということなのです
その記事は

さと川柳10-2
2009/10/17 さと川柳記
https://satokoiuta71.blog.fc2.com/blog-entry-2457.html

私は じいさん後なる文体で書いている
12月ということもあったのだろう
年の瀬は師走というほどに
誰もかれも気持ちは高揚する
とくに私は誕生月でもある
全部を読み返す時間も気持ちの余裕もないが
ともかくもこんなことがあったということを書いておこう
でも見つけたコメントのことも完全に忘れているくらいだから
このコメントも忘れる運命にあるのだろう
忘れる・・・それは脳の大事な機能なのかもしれない
ある意味忘れることも必要なのだと
逆に事細かく 数時まで記憶している人がいる
そっちのほうが病的異常とも思える
いや そう言ってはいけない
人間の不可思議な働き機能

さとちゃんとの二人だけのコメント合戦?
とまではいかないが
私のわがままに さとちゃんが渋々付き合ってくれた感じだよね
それがうれしい
今更ながら いい思い出になった
未引っ越しコメント探しを
12月になるまでに終える
必ず未引っ越しコメントを無くす気持ちを強くした
2019/09/29

あなたへ観想詩2/10(土)

2007/02/09 里恋日記
一郎
 夕日に
 むかって
 歩こう

なんか映画のタイトルみたい
そんな映画あったようななかったような
夕日はだれもが 様々な思いを抱けでしょう
夕日に涙する人もいるでしょう
朝日と夕日
どちらが好きと聞かれたら
答えに困りますね
どちらもそれぞれに捨てがたい思いがあります
30代後半のころ
何の因果か 粘土細工の作品集を見て
心惹かれた作品があったことから
粘土細工の作者の方とお会いする機会がありました
その方の作品に「夕日」というのがありました
夕日を粘土人形でどう表現されていたか
家族4人でしたか もしかしたら犬もいたかもしれません
細かな記憶は残っていません
その家族がある方向を
それぞれの表情で それぞれの格好で向いているのです
それが夕日の方向だったのです
その家族が 皆で見つめているのが夕日
夕日を家族の」姿で表現していたのが印象的でした
もう一つの夕日の思い出
「サンセット大通り」というタイトルだったか
もう忘れかかった記憶 それだけ昔の話
雑誌クロワッサンの本の紹介で知ったのです
なんでも夕日評論家という肩書のお方の写真集
もちろん写真集に引っ掛けた洒落だと思います
タイトルも古い映画から取ったもの
映画評論家でもあるのです
当時の本来の職業は 大手化粧品会社のCFプロデューサー
海外での撮影が多いのでしょう
そこで撮りためた写真を出版 二作目のタイトルは何だったか
すっかり忘れました
夕日の写真集を見て 私の悪い癖
映画にしたいという無謀な夢がわきました
東京へ行ったりして多少のささやかな運動はしてみました
何の経験もお金もない私が
当然 時とともにその夢も忘れてしまいました
そして今は また妄想たくましく あるエッセイを映画化したいと
これもまた私なりの細々とした活動をnotewpベースにしています
いつかどこかで誰かが見てくれる そんなかすかな希望をもって
昔も今も夢見るところは変わりません
それrが私 自分らしくしか生きられぬ
その結果の一つが 子のコメント活動?
こうせざるを得ない生き方が
私なのです
変えられないのです
誰にも知られず それらの夢は消えていくでしょう

先ほどの夕日の写真集
今ネットで分かるなら書いておきたいのですが
とにかく昔のことなので
みつかるかどう・・・
サンセット・ヒルズ・ホテル
細越麟太郎
http://www.natsume-books.com/list_photo.php?id=182936
写真集のタイトルに思い違いがあった
昔のことなので仕方ない
細越氏は今映画評論家として活躍中のご様子
2019/09/28

なんぼでも仕事はあるよ

2007/02/09 デタラ芽農日記
一郎
前の記事にコメント書いてたのが
誤作動で消えてしまって
どうやらその理由謎?が解けたので
コメントはそのことを書いたんだけど
石の上にも3年
ここにもそんなことが書いてあるので
それに関連して私の
石の上にも3回・・・という言葉を
どんな意味があるのか書いてみます
まあ大したことじゃないので そのつもりでお読みください
もし読んでいるお方があればの話
啄木の歌集の歌を読んで
その一首一首に自分の思いを歌にする
本来の意味とは違うのですが
私はその遊びを歌合わせと呼んでいます
「一握の砂」「悲しき玩具」「一握の砂以前」
それらの歌それぞれを3回読むというもの
「一握の砂以前」は2回詠み
他の二つは3回ずつ詠んでいます
それをメルマガで配信し
ブログでは歌合せを呼びかけました
幾人かの人が参加していただきました
私の夢としては それぞれの方が詠む
それぞれの「一握の砂」ができて
それをまとめて出版できればと願っていました
私自身のそれぞれの「一握の砂」は
総いうわけで三首ずつできたことになります
そうそう さとちゃんも時々
参加していただいたのでした

例えば有名な一首
1.東海の・・・
2036/08/04 ■一握の砂~551首
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-entry-7470.html

東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
われ泣(な)きぬれて
蟹(かに)とたはむる
 東海の磯辺の今を見せばやなわれ泣きぬれて芥にまみれぬ
 2008/4/8 [ SABRO ]

 東海の歌に向ひて言ふことなし小島の磯の哀しきぞ嗚呼
 2008/4/7 [ goto_roppei ]

 東海の 小島を故郷(くに)で 人は云う あれはひょっこりひょうたん島
 [ noro ] 2006/12/24

 何故かしら磯(いそ)の香(か)しない海岸に 脳裏に残る潮風の香
 [ agasa888 ] 2006/11/3

 啄木にたわむれられた蟹さんもさぞ泡くって白砂を這う
 (さとちゃん)'06.9.26

 暑さにも 負けずにいつも 作ろうと 思うけれども 短歌作れず
 (mi6044ko)'06.9.10

 時に泣き時に怒るや
 君が歌
 知らぬ人無き「一握の砂」
 (一郎)'06.8.26

 あてもなく辿り着きたる砂丘にて
 我に生きたる
 価値有るや問う
 (一郎)'04.1.4

 わが部屋のベニヤのベッドわが書斎
 膝にパソコン脇にもひとつ
 使わぬパソコン足元に
 ブログメルマガうたづくり
 パソコンなしに暮れぬ毎日
 [ 一郎 ] 2008/4/6(五行自由詩)

歌の投稿をお待ちしています。投稿の方法は、書庫かゲストブックの紹介文をお読みください。
以上はYahooブログに開設していたものを
FC2に引越ししたものです
2019/09/28

あなたへ観想詩2/9(金)

2007/02/08 里恋日記
一郎
コメントが消えた
例のページが飛ぶ現象?
今最後に「る」を書くべくキーを押しに行ったところで消えた
ということは
これをコピーして試してみる
ショートカットキーのもしかしたら
Rのいたずら?
??
消えたぞ
コピーして試しているので
消えても何を書いてたかは再現できる

分かった
やっとわかった 消えた
やはりショートカットキーのいたずら
来てまだ4日のPC
前使ってたのとキーボードの仕様がちがう
左寄りになっているために
前の癖で左手をおいていると
Ctrlキーに手のひらにさわっとぃる
そこで偶然入力が たとえば「る」を書くとき
Rキーを打つ
すると気が付かずに
Ctrl +R の状態
つまり更新になる
よって書いていたコメントがそっくり消える
どうやらこの現象が起きていたようだ
姿勢にも関係している
胸の上にPC置いて目の前にキーボードがある状態の場合
左手どうしても前の癖でCtrlボタンをっぷ感じになっている
PCを辛さから話して売っている場合は
手のひらはキーボードの手前にある
これにて一件落着かな
2019/09/28

あなたへ観想詩2/8(木)

2007/02/07 里恋日記
一郎
 なんどか
 繰り返して
 食べ尽くして去った

ピラカンサスの赤い実は
どれだけ実をつけるのかと
無駄に生りすぎじゃないかと
かねてから思っていました
かつては鳥が多くて
街中ではそう見えても
郊外ではヒヨ軍団ですか
食べ尽くすとはなんとも
まだまだ鳥たちのたくましさを感じて
生き延びろと応援しています
沢山の実が必要だったとか
いまでこそ鳥が少なくなったので
そう感じるのかとか
色々考えていましたが
2019/09/28

里恋風景16・ピラカンサスの実とヒヨたち

2007/02/07 観想詩2源風景の森
一郎
ヒヨドリの鳴き声は特徴的ですが
声はするけど姿は見えぬ
ほんにあなたは○○ようだ
ではありませんが ヒヨドリの姿を
ゆっくり見たことはありません
ここでその姿をゆっくり見ることができました
こんな瞬間を何枚もよく撮れたなあと思います
2019/09/28

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里恋詩くて・・・熊野・高野
Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士

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