高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【262】
妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
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【随筆】映画『グエムル-漢江-の怪物』雑感
高山の作品から
随筆「総合格闘技『PRIDE』から『RIZIN』雑感」
2017/04/13
総合格闘技が大好きです。
K-1も嫌いでは無いけど、総合格闘技の方が僕は好きですね。
多分、プロレス好きでUWFや猪木のある時期が好きな人は、好きだと思います。
極端に言うと、プロレスが本気でやったらどうなるが見たかったから、かもです。
それでも今のプロレスも好きなんですけどね。
プロレスが下で、総合格闘技は上とか考えてないですよ。
プロレスはプロレスの良さが有りますからね。
それと日本の総合格闘技はアメリカやブラジルと違って、プロレスラーが基礎を作ったと思いますよ。
猪木もですが、UWF系の人達でしょうね。
もう一つアメリカと違うのは、寝技を観るのが日本人は好きですよ。
派手で、ある意味単純な打撃も嫌いではないけど、寝技を観るのが好きなのは柔道文化が有るのと、初期のPRIDEで桜庭和志選手とグレイシー軍団の対決を観て、詳しくになったのだと思います。
総合格闘技イベント、PRIDEについては色々書きたいことが有りすぎますね。
桜庭和志とホイス・グレイシーの死闘とか、吉田秀彦とヴァンダレイ・シウバの死闘とか色々有りますよ。
PRIDEは、総合格闘技の興行団体としては当時日本最大で、世界でも非常に注目されていましたね。
始まりは高田延彦対ヒクソン・グレイシーです。
1997年です。この頃僕は病気で休んでて、高田選手がヒクソンとやるのか?位でした。
元々、この高田選手とヒクソン・グレイシーがやるための興行団体だったようですが、その後経営母体も変わり、桜庭和志選手や吉田秀彦選手が参加して盛り上がりました。
海の向こうで総合格闘技UFCが始まりますが、1993年です。
ルールは金的目突き以外は何でもありで、最初見た時は素手でしたし残酷ショーのようでした。
一番最初のUFCはグレイシー柔術がいかに強いかを見せる為のようでした。
そこで優勝するのが、ホイス・グレイシーです。
ホイスは、勝った後に自分よりも兄の方が余程強い、と発言して波紋が広がります。
ホイス・グレイシーは、身長こそ有りますが体重は八十キロ弱で、そういう人間が大きな相手を次々倒したのに驚きました。
何故倒せたかは、元々ブラジルではバリートゥードと言い方をして、こういった何でもありの試合が発達してたんですね。
古くは日本の柔道家木村政彦は、エリオ・グレイシーを倒してます。
グレイシー柔術は、元々は日本の柔道家前田光世が伝えたと言われてるし、それはそうなんでしょうが、徐々に実戦的になったと思います。
実戦的になると共に、もう一つの側面は護身術としても発達します。
どちらにせよ、当時プロレス最強を唱えていた高田延彦率いるUWFインターは、安生洋二を偵察に送ってヒクソンにぼこぼこにされます。
これは、安生側は偵察に行っただけと言ってますし、前の日に飲んでたし道場で囲まれたからOKしたと言ってますが、一部始終をヒクソン側が撮ってて道場破りと思って完膚なきままにやってますね。
ヒクソン側は正当な理由でやったと言うし、安生側は偵察に行ったのにやられたと言います。
この辺りはどちらが正しいのか分かりません。
しかし、安生洋二はUWFインターのプロレスラーですが、シュートつまり真剣勝負も強いと思われてたのが一方的にやられたのは衝撃でした。
UWFインターのエースの高田は、あらゆる手段でヒクソンに挑戦をしようとします。
それが、PRIDEと言うイベントで成功します。
高田延彦の自伝『泣き虫』を読むと、この辺りの高田の悩みなんか書かれてますね。
柔術と言う、まだ日本では数人しか戦ってない物との戦いは、彼を精神的に追い詰めます。
二度、ヒクソンとやってますが、特に一度目は入場の時からこれは駄目だと思わせるものが漂ってますよ。
呆気なくヒクソンに、腕ひしぎ十字固めで破れます。
この時のプロレス側の反応は、高田パッシングが凄かったです。
プロレスの恥とか、アントニオ猪木は一番弱いのが出ていきやがったとか言います。
高田延彦はプロレスに入ったきっかけは、アントニオ猪木に憧れたんですね。
UWFインターってのは、アントニオ猪木がやってた異種格闘技をかなり取り入れてますね。
その猪木から、かなり酷く言われるって皮肉ですね。
しかし、プロレスラーは強いんだと言うアントニオ猪木が作った幻想に、皆が騙されてました。
実際にはプロレスラーは強いんだでは無くて、プロレスラーの中にも強いのは居るでした。
高田は、二度目は雰囲気はもう少し勝負になりそうでしたが、破れます。
これは、高田が格闘技向きではなかったからと、全盛期を過ぎて居たから格闘技に順応出来なかった、ってのが僕の見方です。
高田が、ヒクソンとやった頃は高田三十五歳ですし、もう一つは高田にバックボーンになる格闘技の経験がなかったからでしょう。
つまり、レスリングをやってたとか柔道をやってたとか無いんですね。
プロレスラーとしてひたすら練習して強さを求めたけど、バックボーンになるのがないと厳しいなと思います。
かなり強いバックボーンがないとね。
高田の敗因は元々格闘技向きではなかったのと、全盛期を過ぎていたのとバックボーンがなかった。
二十代から高田が総合格闘技をやってたら違ったかも知れないです。
練習熱心で有名な人でしたし、人格的にも良い人ってイメージです。
高田の行動は僕は非常に評価しますし、男気のある人だと尊敬してます。
高田の格闘技での戦績は三勝六敗ですが、二度目のヒクソンとの試合の前の相手は弱いのを用意したと言われてます。
二度目のヒクソンとの試合前に負けるのは不味かったからでしょう。
マーク・コールマンとの試合も後に、マーク・コールマンが高田に負けるように言われていたと告白してます。
つまり、まともに勝ったのはアレキサンダー大塚だけなんですが、個人的には僕の私見ですが、これも試合を観てると高田に勝つようになってたのではと思います。
これは僕の推測で、決して高田選手を貶めるつもりはありませんよ。
僕は、個人的に高田は勇気の有る人だと思います。
プロレス界のスターが、わざわざ真剣勝負をやらなくても良かったと思うんです。
それと高田の一番の試合は、皆さん元弟子の田村潔戦をあげるでしょうが、僕はミルコ・クロコップ戦をあげますね。
当時ミルコは、日本人ベビー級最強と思われてた藤田和之を番狂わせで破ります。
プロレスハンターとか言われ始めます。
プロレス界からは藤田の敵討ちをって、なかなか出ません。
そこで、既にファンからはロートルとも言われてた高田が名乗りをあげます。
この頃の高田は、プロレス雑誌などで何故プロレス界から誰か出ないのかと、苛立ちを見せてましたね。
非常に熱くなってたのを覚えてます。
ミルコ・クロコップは、K-1時代は目立たない選手でしたが、総合格闘技ルールで藤田和之を倒した事によって一躍注目を集めます。
立ち技だけのK-1から、短期間で寝技も含めた総合格闘技に順応しましたね。
そのミルコに高田がチャレンジしたけど、途中から高田は自分から寝てしまいミルコを寝技に誘おうとします。
お客からはブーイングですが、僕は観てて途中まで立ってたのに何故自分から寝たのだろうと思いました。
何らかのアクシデントが起きたなと思いましたね。
結局高田は、自らギブアップせずに最後まで何とか戦います。
後から、途中で脚を痛めて立てなくなったのが分かります。
判定で完敗しますし、ミルコは大勢のファンの前で何だあの戦い方はと怒ります。
観客にも不評でしたね。
しかし、僕が思うのは、既に下り坂の高田がミルコとやろうと言うのが素晴らしいのと、最後まで一縷の望みをかけて戦った姿勢が素晴らしいです。
少しでもチャンスが有るなら、余程の怪我でない限りはやると言う姿勢ですね。
男気を感じましたね。
高田延彦は今でも好きですね。
格闘技は強い弱いもやはり肝心ですが、生きざまを見せつけられたなと思います。
高田は、若いやつが行かないなら自分が行くと行って出ました。
プロレスラーの意地ですね。
これは僕自身の話しになるけど、二十代から三十代は良く喧嘩をしてました。
飲み屋で喧嘩とか多かったし、現場で喧嘩とか多かったです。
僕は負けても勝っても、自分から逃げたのは一回なんですね。
飲み屋で喧嘩になって、僕より年上で余りに態度が悪かったから外に出たら追いかけて来て、思い切りローキックを貰いました。
喧嘩をするつもりまではなかったけど、余りに強いローキックに座り込んでしまいました。
そこから延々と防ごうとするけど、キックの嵐です。
何度か組みつこうとしたけど無理でした。
その時、知り合いが通ったから助けを求めました。
逃げるようにタクシーに乗って帰りましたよ。
後で知るんですが空手の師範代か、かなりの有段者だったようです。
二日間ほど顔が腫れて薬を飲みながら恨みましたが、普段はいくら強くても逃げないんですよ。
数人からボコボコにされた事もありますが、この時も口だけはボケとかもっとやれとか言ってたらしいです。
それに海外や工事現場の宿舎だと、刃物を持ち出すとか普通でしたからね。
ビビった事は何度もあっても、自分自身から逃げたのは初めてです。
今でも悔しい位なんですよね。
そういう低レベルな次元と高田延彦を比べてはいけないけど、やはり男なら負けても精神で負けてはいけないです。
それが、僕の持論ですが、皆にそうしろではないんですよ。
PRIDEは、その後桜庭和志や吉田秀彦、外国人の人気ファイターに支えられます。
プロレスラーは、当時は負けたら地獄を味わってましたね。
しばらくメインでは使われないとか、タイトルマッチから離されるとかです。
アントニオ猪木の格闘技志向に振り回された、新日本プロレスの選手は多いですね。
プロレスだけをしたい選手は抜けたりしました。
現場監督だった長州力も、格闘技と交わらせるのを嫌がりましたが、当時は猪木に権力ありましたからね。
新日本冬の時代と、今では言われてますけどね。
そういうのを唯一打破したのが高田延彦と、昔は同じ団体に居た高山善廣です。
最初は藤田和之とやって負けます。
藤田はレスリングの猛者でしたし、当時は日本人ベビー級最強でしたからもっと簡単に負けるのではと思ってましたね。
僕は、どちらもファンでしたから複雑でしたね。
しかし、かなりの好勝負をします。
次にセーム・シュルトとやって、セーム・シュルトの打撃の前に完膚なきままにやられます。
あー!いくらなんでも強いのと当たらせてるなあと思いましたね。
この試合は、さすがの高山善廣選手も落ち込んだのではないかなと思います。
しかし、この人の珍しいのは、プロレスと総合格闘技を全く違う物と分けて無かった所ですね。
バックボーンになる格闘技の経験は無いんですが、格闘技色の強いUWFインターで育ってるからそれを試したいとかインタビューで答えてました。
この文章は、自分自身の記憶を主にしてるから間違えてたらすいません。
そして伝説とも言われるドン・フライ戦が有ります。
しかし、ドン・フライとやらないかとのオファーは、当初ドン・フライとやるはずだった選手が諸事情でキャンセルになったからですね。
数日前にオファーが来たと確か言ってましたが、当時はそういう練習もしてたから大丈夫と出ます。
そしてドン・フライと、PRIDEや総合格闘技では考えられない試合をします。
ドン・フライは、当時はトップ中のトップでは無かったけど、アルティメットアルティメット(Ultimate Ultimate 1996)と言う大会では優勝してたし、トータルファイターでした。
打撃も出来るし、寝技も出来ると言うファイターでしたね。
そのドン・フライと、首をお互い持ち合ってノーガードで殴り合います。
何発も何発も二人で殴り合います。
総合格闘技の試合でこういう試合はないんですよね。
見せる試合と言うか、ドン・フライもプロレス経験者であのアントニオ猪木の引退試合の相手です。
何処かで二人の波長が合ったと言うか、二人で凄いの見せてやろうって無意識になったのでは、と勝手に思います。
意識せずにやってるうちに、お互いの気持ちがリンクしたのでは、と僕は思います。
この試合の後に何かと殴り合いになると、ドン・フライ高山戦ですねと言われますからね。
結果的には高山善廣は破れますが、凄い試合をしたと言うので評価は上がります。
この後も人気絶頂期のボブ・サップとやって、殴られて腕ひしぎ十字を取られ負けます。
一度も勝てなかったのに、プロレス界では評価は落ちる所か上がりましたね。
これはドン・フライとの一戦があったのと、高山善廣がプロレスと総合格闘技を変に分けてなかった姿勢のお陰かも知れないですね。
高山善廣はプロレス界でひっぱりだこになりますが、脳梗塞で倒れると言う思わぬアクシデントに見舞われます。
二年程休んで復帰しますが、脳梗塞で倒れた人が復帰したのは珍しい例と言うか奇跡的でしょうね。
日本人離れした長身と豪快なプロレスでプロレス界の帝王と言われてますが、非常に頭の良い人だと思います。
PRIDEは他にも数々の名勝負を生んで行きますが、2007年に終わります。
終わる原因は、PRIDEが暴力団と関係があるのではと言われて、フジテレビが全面的に引きます。
そこから資金繰りが上手く行かなくなっていったからでしょう。
僕も一度だけ見に行来ましたが、チケットが高かったのを覚えてます。
こうしてPRIDEが終わると、選手はDreamと戦極に別れます。
しかし、それもかなり早くに終わりUFCにチャレンジし始めますね。
しかし、日本人選手はほとんど全盛期を過ぎてましたし、体重の軽い階級なら何とか行けた感じですね。
修斗やパンクラスやDEEPは地道に国内で活動を続けますが、一時期の総合格闘技ブームは去ります。
僕は、PRIDEやDreamのDVDを何度も見返すはめになります。
修斗やパンクラスはDVDレンタルないし、前は地上派ではなかったからね。
雑誌で今は誰がどうしてるとか知るくらいで、寂しい思いをしましたね。
あのままPRIDEがフジテレビをバックに付けていたら、アメリカのUFCとの本格的対抗戦が出来たのになあとか思いましたし、主催のDSEを恨みましたよ。
そうしていたら2015年の終わりに、RIZINと言う格闘技イベントが始まります。
それも、前のPRIDEの代表だった榊原氏が興します。
高田延彦は、再びRIZINの統括本部長となります。
今でもまだまだですが、段々とカードが良くなってます。
UFCに行っていた日本人ファイターも少しずつ戻ってます。
直ぐにPRIDEのようにはなれないでしょうし、今度は女子の格闘技も入れてます。
女子を入れるのは素晴らしいし、徐々にで良いのでPRIDEに近づいて欲しいですね。
フジテレビもバックに付いたようなので、暴力団との関係は清算されてると考えたいです。
クリーンなイメージで少しずつでも良くなれば良いと思います。
パンクラスも修斗も協力するでしょうし、DEEPもするでしょう。
また日本に格闘技のブームを起こして欲しい。
プロレスは完全に格闘技と距離を取ってるけど、プロレス界からも我こそはって人は出て欲しいです。
RIZINはPRIDEが無くなって悲しんだ人にとっては希望ですから、慎重にやって欲しいですね。
レスリング界や柔道界からの参戦も期待してます。
レスリング界からは村田夏南子選手とか、ベテランの女子レスリングの山本美優選手の参戦には驚きと喜びが有りました。
男子も、そういう所からも色々な所から来て欲しいですね。
かつて柔道家の木村政彦が、ブラジルでエリオ・グレイシーとやったように、勇気ある日本人がどんどん出て欲しいですね。
グレイシー一族は、エリオに勝った木村政彦を非常に尊敬してましたからね。
プロレスファンとしては、かつての高山善廣選手のように分けずに考えなくて参戦して欲しいけど、難しいのかなとも思います。
とにかく新しい時代の格闘技ですから、色々な物を見せて欲しいです。
PRIDEは、僕に夢を見させてくれたし総合格闘技の素晴らしさを教えてくれましたから、RIZINにもそういう存在になって欲しいですね。
ちなみにRIZINで最も注目してるのが、堀口恭司選手です。
UFCでランカーになって、いつチャンピオンになるかと楽しみにしていたら、UFCとの契約を切ってRIZINに移籍しました。
どうもUFCのやり方が合わなかったんでしょうね。
日本人初のUFCチャンピオンかと思ってたけど、本人がRIZINでやりたいのなら応援します。
あくまで私観ですが、決して高田選手やその他の選手を貶めるつもりはありません。
逆にリスペクトしてます。
あくまで私的な文章で、記憶を頼りに書いてますから間違いがあったらすいません。
おわり
高山の作品紹介
次回は随筆「映画『スカーフェイス』雑感」
「ガーターベルトの女」~映画化のために
「ガーターベルトの女」 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 番外編 番外編2 14 15 番外編3
「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
「新・ガーターベルトの女 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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