再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年7月23日=6741文字
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23日 高山のnoteの日記から
2019.7.22~高山とトンネル工事現場の近況:社員
高山と言えばれいわ・・・というくらい今彼はれいわに入れ込んでいますね
今回の選挙結果については比例で最高得票したのに落ちたのは残念としきりに言っていましたが あえて特定枠に重度障碍者を入れたことで
そのことが国会を変える大きな力になると 太郎君の戦略を今は納得
投票前に仕事の関連先にれいわを進めたようで 選挙後にそのあいさつの電話をしたらケンカになった話を昨日書きましたが やはり今日も
たかだか下請けが政治の話するなとかかかわるなとか意見されたそうで
そこはまた高山の考えと違うわけで言い合いになったそう
高山は格闘技でもファイターですが 考えにおいても自説に自信をもって
相手と戦うファイターですね
私などは全く議論しませんから どうぞお好きなようにと面倒な人とはかかわり持ちませんからね 高山はそういう意味では頑固ですね
だからトンネルという厳しい現場でも抗夫としてトップになり
営業にスカウトされても今では業界でも有名な下請け会社 元請けも一目置いているようです いい抗夫を集めていい仕事をしますから営業的には他よりも高いわけです それでも仕事をしたいというところが多い
そうやって今では7~8現場 もうすぐ新しい現場が始まると言います
そこでこれまではワンマンでよかったのですが 工事現場の数が拡大すると一人では目が届かないってことになりますね 自然集団指導体制になるわけですが 以前から目をかけていた有能な抗夫の40代の班長を社員にしたのですが もうひとつ営業でも消極的なので若いA子に仕事が押されているというのです やはり人には向き不向きがあるようで 現場では有能でも営業の世界はまた別の才能がいるようです その人は営業には向いていないということでしょうね でも現場をよく知っている強みはあるわけで 高山としたらその強みを生かせる現場を管理する所長として働いてもらおうということになったようです 高山が注目しているのがもう一人の女子事務員 高山だけではなく 他の抗夫たちも注目しているようです
抗夫だけでなく元請けの所長副所長にも評判がいい その仕事ぶりは地道なのですが着実確実だというのです それだけでなくA子がそうであったように現場の仕事に関心もって自分も痛いと積極的だという
高山が言うにはA子は天才肌 その子は努力型 今後どのような成長を見せるか楽しみだという 他の人たちも同じような意見
さてどのようになるでしょうね
私のことを少し書いておきます ちょっとした変化があります
noteで1万字日記を公開しているのですが この3日ほど1万字書けてない
それでいいやと今は寝ることに集中しています
以前は1万字日記を何が何でもと思っていましたから 書き終わるまで寝ない 寝ても翌日書き終わるまで続ける それがお昼になることも
ある時は夕方になって1万字達成 それは良いのですが 結果として作業がずれてくるわけで いよいよ追いつめられるのですね
そんな状態が続いていた時 1万字日記が日常になったと自慢していましたよね それを可能にしていたのは非日常的態勢だと分かっていました
それすらも自慢していた そんな時無性に眠くなった 寝ても寝ても眠い
すぐにわかりますよね 寝なくちゃいけない 無理をしている結果だと
体が危険シグナルを出していると だから無理しないようにしました
そんな状態ですね 気持ち的には1万字にこだわりたいのですが
しばらく様子見るようにします
簡単ですけどね 今のところはこれくらいしか書けませんわ
というのも次の作業にかかりたいので・・・さとちゃんちのコメント
だいたいいつもは1時半くらいからコメント始めてますから
それではその作業にかかります
ではまた おつかれおつかれ
23日 さとちゃんちのコメントまとめ
今日の観想詩9/16
I.Fujikawa
前に住んでいたアパートはL字型で中庭がありました
そこにおじいさんがゴーヤを植えていましたね
花の色は忘れましたが黄色でしたか
よく実がなっていました
ゴーヤの実が爆発?している感じで
広がってるのもありましたよ
中は橙色?だったかな
ちょっと気味が悪い感じで
ゴーヤのお化けっぽかったかな
山の下刈りするおばちゃん
I.Fujikawa
蟹井神社
2006/09/14
金剛葛城の里巡り
上記の記述で
島の谷という地名が出てきます
さとちゃんの記述には
「島の谷という名も水に恵まれた名前にちがいありません。」
とあります
この記事でも
島の谷林道が出てきました
山里なのに「島」とは?と少し気になったので検索
こんな記事がありました
内陸の「島」「浦」地名
2007年 09月 11日
https://baba72885.exblog.jp/6943029/
「シマ」は川沿いの耕地という意味や、囲碁で自分の陣地を確保することを「シマル」というように、一定の領域を意味する。転じて、一つの集落を「~島」というようになった。
以下有名な地名を紹介されていました
参考になる記事でした
「 周囲が水で囲まれている陸地」というのであれば
川に囲まれたりもしくは挟まれたりした陸地も「島」
海にあるのだけを島と呼ぶのではないこと言うことですね
これも先入観と思い込みからくるものでしょう 私のね
彼岸ミョウガ
I.Fujikawa
ミョウガの話題にはついていけないので
他のことを書きますね
今 急に大雨が降ってます
まだ降ってますね
すこし意図は弱まった感じ
洗濯物を軒下に入れたのはよかったのですが
せっかく乾いたのにああ目のしぶきで
また濡れたかも
夕立ってよく言ったのんですが
そんな昔の言葉の風情なんか洗い流すような大雨
いわゆる 集中豪雨
でもこの予報は出てたようだから
天気予報の精度は進んでるよね
長野に大雨情報出してるんだって
ニュースになるくらいだからね
今日もひどいよ
ここで居眠り
まだ眠たいのでいったん寝ます
まだ雨は降ってる
今日の観想詩9/15
I.Fujikawa
時の経つのが
早く感じる時は
楽しみ
時の経つのが
遅く感じる時は
苦しみ
さあ
さあ
今日は
どっち?
全部引用しちゃった
面白いからね
さあ
今日は
どっち?
早く感じるよ
だから愉しいよ
一日が早いよ
良く寝るようになったし
寝たいし
よく眠れるし
だから今幸せな時かな
毎日こうして書いてるのも
有難いことだね
書くことがないのは問題だけどね
なんとかかんとか書いてるし
愚痴ばかりになるときもあるし
どうでもいいんじゃない
島の谷林道2
I.Fujikawa
3本の丸太の橋ですね
2本組の丸太の橋から滑って
小さな川に落ちたことも書きましたね
そして右足で岩を蹴ったのですが
そのとき打ちどころが悪かったのか
骨が折れたかヒビが入ったようで
歩けないほど痛みました
なんとかバス停までたどり着いたのですが
山の中のバス停一時間に一本あればいいところ
長い間待ってとりあえず
タクシーが拾えるところまでバスで行って
タクシーで車を置いているところまで行って
家に帰りました
3本組の丸太橋なら良かったのにと思いましたが
そんな問題かとノリツッコミ
同じ話ばかり書いてるな
島の谷林道1
I.Fujikawa
昔 30代の頃は
休日になると山歩きをしていました
目印はついていても
それを頼りに歩いても
迷うことがよくあります
迷ったら戻る
いよいよ迷ったら沢に降りる
沢伝いに歩けば出るところに出るわけで
そこまで迷うことはなかったですが
一人で行ってましたから
そんな高い山じゃないので
単独行なんてもんじゃないんですが
もしかしたら遭難したかもということは一度だけ
冬山雪山にあこがれて
北山の雪の中を歩いてたのですが
何をとち狂ったのか白山を目指したんですね
いきなりですよ
そこそこ雪山は歩いたと言っても
京都の北山滋賀の比良山系
千メートルまでですが
それで白山ですからね
正月だったか休みの日に出かけたのですが
折しも大雪になったもんで
これ前にも書きましたが
一ノ瀬口だったかそこまで進むのに
またまで積もった雪でしたから
アイゼンは用意したのにかんじきは用意してなかった
だからやっとの思いで登山口までたどり着いて
そのまま引き返したのでした
知らないというのは怖さ知らず
とんでもないことが起こらずに済んでよかった
こんな自分って何なんでしょうね
バカなんでしょうね
島の谷の里風景
I.Fujikawa
23日
いつもより1時間遅れで来ましたよ
この記事 昨日ずっと眺めているだけで
何も書けなかったんだよね
だから観てるだけ・・・って感じだったんだけど
その記事が最初のコメントになる
何か書かなくては先に進めないよ
でも毎日書いてるからね
書くのにあきたってわけじゃないけど
書くことがない ネタがないって状態かな
さとちゃんはさと巡りして 里に住んでるし
書くことはたくさんあるし本も読んでる
本を出してる
私は何もないからね
勉強嫌い本は読まない
これでなにか書けるわけないよね
何の蓄積もないんだから
と ここはグチを書く処かって自分でツッコミ入れよう
書くことないからこんなこと書いて字数増やしている
しょうもな まあこんな時もあるということで
他に読んでる人もいないようだし
愚痴大会もたまにはいいかな
そうだ
「日々」という日記サイトがあったんだ
そこで愚痴三昧という記事書いてた
これ転載しようかな
なんてズルいこと書いてる
いい年した男のやることか
これがありのままの私だから
これでいいのさ
かっこつけたってどうしようもない
すぐにメッキははがれるもの
まあこんな私がこんなことしてるのも
なんなんでしょうね
やりたかったことだからやるだけ
それでいいのだ
というところで終りましょう
ごめんね
誰に言ってるの?
わからん
23日 日々さんの日記から
検索を遊ぶ~島田雅彦氏に関して(6)天皇制との関連
access_time 2019年7月23日 person_pin 無名居士-Nameless layman
Haizara-Cho::Suigara-yama 383[Akiko Takata]
灰皿町吸殻山383 高田昭子のblosxom Weblogです
Sep 27, 2005
退廃姉妹 島田雅彦
あらすじも書かれているのだが
あまりにも波乱万丈であらすじだけで理解するのも難しいが
「妹の久美子は女優になり、「肉体の門」の主役を演じて好評を得たが」
という記述からモデルがあるのかと思った
それならそれで興味が湧くところではある
天皇あるいは天皇制と島田氏との関係を探る検索という意味で
以下の記述が目についた
「この本来重いテーマを島田雅彦はスムーズにストーリー展開させながら、見事にその裏側には、島田特有の戦争と天皇制への皮肉あるいは批判が、チクチクと姿を現すのが小気味よい。」
また付記には次の記述が目を引いた
それは私自身も戦後2年目の生まれということもあるからだ
戦争体験のない島田雅彦が、何故このような小説を書いたのか、その後でずっと考えていました。そこに「小熊英二」という存在も浮かびあがってきた。まだ未読ですが、この二人の対談もある。つまり時代は受け渡されてゆく。戦争も国家も天皇制も、経験者は高齢化しました。今その実体験のない若い世代の視点から、新たにこれらの問題を雪ぎ直し、再検討されることは必要なことかもしれません。
青春と読書
巻頭エッセイ/本文を読む
島田雅彦 『君が異端だった頃』
[巻頭エッセイ]
『君が異端だった頃』スピンオフ
作者自身の短文だと思うが
この箇所があるいは島田雅彦氏と天皇とのかかわりの初めかとも思える内容だったので 長いが引用して置く
私は初孫だったので、祖父母や叔父叔母には甘やかされ、何かというと、一歳年長の徳仁(なるひと)親王と比較された。若い皇太子ファミリーを高度経済成長期の理想の家族像と印象付けようとするメディアによって、天皇制民主主義は社会に定着しつつあった。私は否応なく「ナルちゃん」を意識することになったが、彼と較べて自分は恵まれていないと思ったことはなく、彼は将来、天皇になり、自分はアーティストになるのだと漠然と考えていた。奇しくも、「ナルちゃん」が天皇に即位した年に、私は自分の小説家修業の一部始終を振り返っていたことになるが、薄い因縁があったのかもしれない。
これ以降は偏食や体育が苦手だったこととか音楽 小説の話題が続く
小説に関して以下の記述は島田氏の覚悟がうかがわれて興味深く読んだ
本来、上手に噓をつく技を競うのが小説家であるが、あえて自分に関わる事実を包み隠さず書く技も勇気も持っている。恥多き人生を赤裸々に語ること、それは巷(ちまた)にはびこる下手な噓つき、自分が噓をついている自覚すらない連中の厚顔無恥よりも百倍道義的である。
この文章に出会ったのは収穫だと思う
hontoトップ
楽しいナショナリズム
著者 島田 雅彦 (著)
みんなのレビューの記述に天皇 天皇制に言及している箇所があった
偏狭なナショナリズムを舌鋒鋭く批判していく軽快な口調は心地よい。
ところがこの本、著者島田雅彦と天皇制との微妙な関係を反映して、皇室について言及したくだりになると急に切れ味が悪くなる。島田は、新しい小説がお蔵入りになったまま出版の目処が立っていないということを本書で告白した。出版できない理由は、その作品が皇室のプライバシーに関連し、皇太子妃の過去を彷彿させる内容を含むからだ。右翼の襲撃恐喝を恐れた出版社は及び腰となり、島田も家族を危険にさらしてまで出版するつもりはないという。その判断は正しい。
この国にはタブーがある。言論の自由があると思われている日本にも、ただ一つのタブーがある。天皇制について自由にものが言えないようでは日本が自由な国だとは言えない。
したがって、本書で天皇制についての論評が口篭もるような歯切れ悪さを見せていることを非難してもだめなのだ。読者が行間を目を皿のようにして読み、紙背を深読みしなければならない。なんだ、島田は左翼のくせに皇室に媚びているな、などと思ってはいけない。このビミョーな距離の取り方、このスタンス、これをこそハラハラドキドキしながら堪能しなくては本書を読んだ面白みが半減するではないか。
そして、島田のいう、「一民族専門の王権から、より普遍的な役割、たとえばローマ法王とかチベットのダライ・ラマのごとき役割を果たし得るのであれば、これまでとまったく違う天皇像が生まれるだろう」という発言は、「五族共和」「八紘一宇」へと容易に転落する危うさを含みながらもおもしろい提案だ。ただし、肝心の他民族がそれを受け入れるかどうかは別問題。
もう一つのレビューからの引用 上記と同様の引用になるが別の人が同じように島田氏の提案を引用してるのが興味深いのでここにも引用して置こう
引用の<>のこの箇所が「楽しいナショナリズム」の文中からの引用だろう
2050年になると、世界の人口は百億人で、日本の人口は少子化で何千万人と減少するはず。難民、移民を受け入れざるを得なくなり、天皇の象徴性も揺らぐことが考えられる。
島田は提言する。<たとえば、平和憲法の原理を守る役割を天皇が自任したとすると、日本国民でなくとも平和憲法の原理に共感し得る者は、他民族であろうと天皇を支持するであろう。つまり、日本人だけを救うとか日本人だけのために存在するというローカルな一民族専門の王権から、より普遍的な役割、たとえばローマ法王とかチベットのダライ・ラマのごとき役割を果たし得るのであれば、これまでと全く違う天皇像が生まれるだろう。>
「楽しいナショナリズム」という島田雅彦の著書のレビューから
島田雅彦の天皇についての提言の一端を知ることができた
少しずつ私の疑問 島田雅彦氏の天皇 天皇制への考えや想いの一端
こんな形で知るのもおかしいだろうが
今の私としてはこの方法が最善だと思う
本を読むのはやめたから
人のレビューをこうして読んで 本の内容の一端を知る
もう少しこのテーマでの検索を続けよう
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藤川一郎
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