再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年7月25日=3345文字

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25日 高山のnoteから
2019.7.25~高山とトンネル工事現場の近況:甥

9時半です そろそろ一日が終わります
これを書いて さとちゃんちのコメントまとめて
日記にまとめることにします
Twitterのあるツイートに関して 少し書きたい気もするし
それが書けるかどうかわからないけど
ともかくはこれを書いて次の作業に移ることにします
ここも毎日書いていると書くことないんですよね
今日は電話なかったので新しい情報が入ってきてないし
それがね電話があったかどうかも忘れてるし
何かあったら電話で話してるから覚えてるだろうから
何もなかったということだろうね
何もないということ 変わりがないということはいいことの証拠
便りのないのはいい便り 何度も同じこと書いてる
書くことがないからだね
そうだね変わったこと書こうと思ったら 会社の事情のことかな
会長は高山に理解あるし 現場のことは高山に任せている
この二人の関係はうまくいってる
昨年常務が引退したんだけど その常務が高山の抗夫としての能力を認め
また営業の素質もあると見たんだろうね その結果は今の状況を見れば
常務の判断が正しかったことになるけど
その高山も最初から営業がうまくいったわけじゃない
高山の負けん気が今の業績につながっているんだけど
その常務はどちらかというと古いタイプの管理者で営業スタイル
それを高山が実績を上げていく中で指導権を取ったわけだが
健康上の理由で引退が早まり むしろそのことで会長と高山の関係は良好に
そこで問題は会長の息子の社長 本社に居て現場にはほとんど出てこない
高山から上がってくる数字をチェックすることで磯がいいという
そして高山の給料は絶対に上げないという
これだけ実績を上げているというのにね
高山もそれに関しては文句を言わない
そのとばっちりは私に来ていると書いても
お分かりになる方がいるかどうか
とにかく現場を知らない社長ということになる
起工式にも来ないようでは現場簿労働者からの信頼はセロ
司会会長の息子 会長とて高齢で健康状態も良くないという
そういう中で新しい要素として会長の甥が会社に入ってきた
高山とは仲がいいようで現場も好きらしい
数年現場を経験すれば十分管理者経営者としての勉強もできる
会長は専務ということでその甥を鍛え 社長にしたい意向だという
会長は息子を見切ったというわけ そうなると高山との関係もいいし
今後のますますの高山とA子の活躍が見られそう
まあ先のことはどうなるか分からないけどね
とこんなところで今日は終わりましょう
おつかれおつかれ

25日 さとちゃんちのコメントまとめ

今日の観想詩9/22(金)
一郎
目が覚めた
少し寝ていたようだ
寝たい病ね
少し寝ます

出た出た新芽!!
一郎
かんれいしゃ
一応調べてみました
寒冷紗
「不織布は織目が無い紙のような布で網目はありません。一方で寒冷紗は編みこまれた網目が見られます。」
https://www.monotaro.com/s/pages/productinfo/husyokuhu/

今日の観想詩9/21(木)
一郎
何時もいう、自愛しかないです。

自愛
自分を愛する
自分を好きになる
あるがままの自分を受け入れる
自分を愛することが出発点
自分を愛する人は強い人
自分を愛する人は人をも愛する
自愛は慈愛
自分を愛してこそ
人にも優しくなれる
自分を愛する人は
自愛の真実性を考え求める
それは人間性の追求
人生の真実性を考える
自愛と人間性と人生の真実性
全人格の真実性
それを追求する人を信じる
言葉や文字で発信される思想 思い 考えは
表層的な事象 その裏付けとなるのは
自愛と人間性と人生の真実性
全人格としての真実性
それが信じられるかどうか

今日の観想詩9/20(水)
一郎
おてら柿
こんな記述がありました
御寺柿
伐採が進み絶滅が危惧されている
その歴史は古いが注目する学者はいなかったようだ
鳥だけがそのおいしさとありがたみを知っている
芸術的価値は極めて高いといえる・・・と
https://fruitplantsvariation.blogspot.com/p/kaki-shurui-hinnshu.html

なかなかの評価ですね
しかしこの記事で紹介されている柿の種類の多いこと
ビックリしましたし よくこの記事を書いたなあと感心します
さらにこんな記事もあった
お寺柿 - みやこわすれ日記
https://miyako2226.hatenadiary.jp/entry/20111025/p1
「子どもの頃から馴染みの柿で 「お寺柿」と呼んでいた懐かしい柿だ」
画像も紹介
その他この柿の思い出がいくつか書かれていて面白い

松ちゃんの詩(うた)25・月に何想う
一郎
お医者さんに見放されたのに
水だけで
何とか命をつないだんだね
そんなことがあるんだね
すごいちからだよね
命って
はかなくよわいものだけど
ときには
つよくたくましいときもあるんだと
おしえてくれるよね
命の大切さ
不思議さ
ありがとね

さと川柳2006・9ー04
一郎
★誰一人出会わぬ里の彼岸花

人は来ぬ
里安心と
鳥や虫

彼岸花
咲いていません
人のため

自然には
不必要なる
人間か

今日の観想詩9/19(火)
一郎

 縁があれば
 瞬時
 結ばれるもんさ
 縁がなくば
 何日経とうと
 知らぬ顔
 ままならぬもんさ

来る者は拒まず
去る者は追わず
悪縁も縁
良縁になることも
なるようになる
ならぬものはならぬ
なるにまかせる
自分らしく生きればいい
自分らしく生きた結果が
今の自分
自分らしくしか生きられぬ
自分を好きになるしかない
今の自分をほめてやる
よく生きたとほめてやる
生きてるだけで十分だと
生きてるだけで価値があると
人は誰でもそうなんだと

『熊野紀行 鮎の道・古座川』
コメント
一郎
古座川の一枚岩さんが校長先生、滝の拝さんが教頭先生です。理事長は、古座川です。

この思想こそ
さとちゃん自身の思いがこもっています
自然を何よりも愛する姿勢 思想 思いこそ
さとちゃんそのものでしょう
そこに人はひかれるのでしょう
自然から学ぶ
自然が先生
自然の子どもなのです

『源風景の森』
コメント
一郎
25日最初のコメント
講座に参加した後か前かは忘れましたが
この本と北山村の本
もしかしたらもう一冊
送られてきました
本嫌いの私のことですから
目は通したとしても
じっくり読んだかどうかは疑問です
しかしこれだけの著書をものにされたというだけでも
私は尊敬に値する人だと思いました
紀伊の里山に暮らす人々の生活に思いを寄せ
記録し本に残す
ブログにせっせと自身の農や里巡りを書き残していく
そのおかげでさとちゃん亡き後にも
こうしてさとちゃんの文章を読み
里の暮らしを知ることができます
また生き方をもさとちゃんは問い続けていました
その生き方は体格にも似ておおらかに思えました
しかし時折の観想詩での激しい怒りをあらわにした言葉
詩の中の多用される怒涛という文字
南紀という穏やか日差しに照らされ抱く菜の花のイメージと
台風の通り道となり荒れ狂う怒涛逆巻く海岸のイメージ
怒涛詩人と私は呼びました
正直数回の講座にしか参加していないので
さとちゃんのことをよく知っているとは言えません
そして不勉強だから彼の業績を調べそれを聴き記すすべを
私は持ち合わせていません
そんな私がせめてブログにコメントを残していくことで
ずっとかかわろうとしています
同じ年の生まれという縁からかもしれません
自分にないものをたくさん持っておられるから
学びたい知りたいという思いからかもしれません
ともかくもこうやって毎日コメントしています
さとちゃんと会話するというより
正直言うと自分との会話かもしれません
これからどうなるか
先のことは誰にも本人にもわからない
なるようになる しかもよりよくなる
というさとちゃんの信念をたよりに
歩き続けましょう

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
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