『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【237】2008/10/28~2008/10/26

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
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里恋詩くて10/28・ミツバ(10/28現在)

2008/10/28 里恋日記

一郎
★足にくる、腰にくる、肩にくるならまだいいよ。あたまにくるとよくないよ。


これまで肩こり知らずと自慢していました
60になった記念に診療所で検診
ノドが無性に乾くなと気になってはいましたが
その他は健康そのものと両親に感謝していました
検診の結果はいわよる成人病
糖尿と高血圧
自覚症状が無いので病気という自覚もありません
以来10数年 薬を飲んて治療を続けています
ところがこの1年 身体に変化が起こりました
もう何度もここで書いてますが
先ず左腕が動かなくなりました
ちょっと動かすとかなり痛い
服の着替えや寝起きがままならなくなりました
ぎっくり腰は何度か経験していますから
まったく動けなくてもしばらく辛抱してたら
日にち薬で徐々に治ります
ところ腕が動かなかなるのは経験していません
ぎっくり腰のように我慢していたら治るのか分かりません
どのくらい日数が経ったか 今度は右腰の裏側に痛みがあり
腰を伸ばせなくなりました
ぎっくり腰状態で膝に手を当てどうにかゆっくりですが歩けます
ますます不便になりました
良くならないのじゃないかと心配になります
日にち薬と信じて時の過ぎるのを待ちました
右腰の痛みが1ヶ月位して少しマシになりました
その頃左腕の痛みも和らいできました
腰も伸び腕が上がるようになって柔軟体操をやるようにしました
運動嫌いなのでまったく身体を動かさず
寝たきりの状態でスマホをずっといじっていました
その姿勢が左腕の痛みを招いたのではないかと自己診断
だけどこれを書いてる今もその姿勢ですけど
まったく反省してませんね
その位のモノグサジジイに成り果てました
さとちゃんは書いてます

足にくる、腰にくる、肩にくるならまだいいよ。あたまにくるとよくないよ。

足はまた何とか大丈夫ですが
腕に来ました
腰に来ました
そして肩にも来ました
いよいよ次は頭に来る番でしょうか
まだこうやって唯一することがコメント書き
少々は頭使ってます
書けなくなったらどうなるでしょう
さとちゃんはその時の事も考えています


※さとちゃんの信条
・「なるようになる、しかも、よりよくなる しあわせになる」

なるようになる
そう信じましょう
信じる者は救われると言いますから
もう一つ
明日のことを思い煩うなかれ
とも言いますから

2021/11/13

里恋詩くて10/27・柿の葉寿司

2008/10/27 里恋日記

一郎
★わがまま

わがまま
していれば
気持ちいいけれど
大切なひとが
一人ひとりと
消えて
ひとりぼっち


わがままに憧れます
わがままに生きられたらと思います
わがままに生きていいのだと思うようになりました
子どもの頃から物分りのいい子でした
確認のために「ものわかりのいい」で検索したら
「ものわかりのよい若者なんて、いる意味がない」
なんて記事がありました
読みはしませんでしたが
確かにそんな考えもあるだろうと思いました
私がわがままでいいと思うようになったのと
ある意味で通じているかもしれません

物分りがいい子
聞き分けがいい子
子ども時分なら優等生タイプでしょう
大人にもいるでしょうが
大人の場合は子どもと違って純粋さを無くして
計算あり下心ありの表面上の態度になります
純粋と言えばむしろわがままに生きている人が
そうだと言えるのではと思います
計算妥協が無いから傍からはわがままに見える
がんじからめと言えなくも無い大人社会
そこで我を通して生きることは
社会を敵にするに等しいのでは
我を通すには中途半端な自信では足らない
確固たる自信と意志を貫く勇気
ある意味それは傲慢さかもしれない
人から社会から総スカン食らっても物怖じしない
意に介せず突き進む度胸
そういう人がこの世では成功し名を上げるのだろう
自分とは真逆の性格だから羨ましくもある
だから何をやっても上手く行かないと嘆きたくもなる
だから傲慢にわがままに生きていけたらと思う
しかし実際はわがままには生きられないのだろう
たとえ傲慢と言われ成功した人であっても
何もなし得なかった私だが
ある意味気ままに
ある意味わがままに
赤貧ではあるが生きてきた
ある意味従順に
ある意味大人しく
そのようにしか生きられぬとも言えるが
それがイヤではなく
そう受け入れれば
すべてが快感になる
一種のマゾ気質になったのかもしれぬ
性欲的にはかなり強度のサド的嗜好なのだが
逆もまた真なりで
肉体的には別として
精神的には可能なのかと思う
変な話になったが
成り行き任せの思いつきを書いているので
内容は支離滅裂だろう
一人遊び言葉遊びの類だから
後先考えずに書いていく
これが私らしさ
私らしくしか書けない
私らしくしか生きられない
それもある種
わがままだとしたら
いいではないかと
思えてきた

2021/11/12

今週の観想詩・10/27(月)~11/2(日)

2008/10/26 観想詩1

一郎
◇週観◇
いかなるときも空をみるとよい。


今はほとんど散歩に出ませんが
ほんの3〜4年前は近くの賀茂川へ言っていました
ベンチに仰向けに寝ては空を見ていました
トンビがそれこそ高く舞い上がって
ゆったり輪を描いて飛んでいたり
飛行機雲をずっと見たり
ある時は早く
ある時はゆっくり流れる雲を
ただ見つめたりしていました
時間は止まっているように感じました
止まっているようで確実に時は刻まれ過ぎていく
同じ一年なのに早く感じたり遅く感じたり
そして今年も11月半ば近く
残り少なくなった
来年は75になる
あっという間に80になっているのだろう
果たして生きているかどうか
「男70代は死に時 死に支度」
そんはブログを作っている
毎日更新しているが
タイトル通りに行けば
80は迎えられない
さてさてどうなりますか
どんな死に方をするのでしょうか
今年後半になって左腕の痛みがひどくなって
動かすのがつらくなった
筋肉痛のようだし時が経てば痛みは少しは和らぐだろうと思っていたら
次は右の腰の上がぎっくり腰の様に痛くて背なかが伸ばせない
かがんだままで膝に手を当ててやっと歩ける状態
ぎっくり腰の痛みは何度も経験しているし
日にち薬でしばらく我慢していれば治ると分かっているが
今回の右腰の部分は初めての事で
ぎっくり腰のように日にち薬で治るかどうか少し不安だった
1ヶ月ほど経って少しずつ楽になるのを感じて安心した
左腕の痛みも少しだけ楽になった気がする
とにかく起き上がるのも痛みで難しかった
服の着替えも出来ない状態だった
これまでこんな事はなかったので
確かに70を過ぎて体調に変化はあるだろうとは予想していたが
急に突然痛みに襲われ動けなくなるなんて
これまでは感じないほどの老いがイヤでも分かる症状現象となって現れる
その事を思い知らされた

最近の変化と言えば
毎朝6時前後に100円コンビニに出掛け
甘いおやつを200円分買っていたが
それをしなくなった
おやつ中毒を卒業出来た
わたし的には大変化と言える
まあ散歩の意味もあったのだが
甘いおやつからの自己解放
これは事件です
なんて人から見たら笑いごとだろうけどね
外に出かけない分は部屋で固くなった身体の柔軟体操しなくちゃね
運動嫌いでジッとしているのが好きな私だから
意志が問題なんだけど
楽したい気持ちが勝つからね
こうやって老化に拍車がかかって
いよいよ動けなくなるんだろうね
こんな事したり動画観たりで
毎日退屈しないで過ぎていくから
それは有り難いね

さとちゃんは晩年どうだったのかな
記事にはほとんどそんな記述は無いし
入院したのだったパソコンできる環境になかっただろうから
ブログ更新出来なかっただろうね
さて私は
どうなるでしょう
意地でもこうやって
書いていると思いたい
生き様
死に様を

2021/11/11

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