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『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【392】

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

里恋日記12/16・備前の土燃ゆ

里恋日記2009/12/1622:34

そうだ赤穂線や。備前焼と日生の牡蠣か、はだか祭と日生の牡蠣か。夢二の生家の地でもあるらしい。

チョット前…或ることで夢二の
知らざる?…知られざる?エピソードに
触れるキッカケがありましたので
その事を思い出しつつ書いてみようかな

毎週水曜日にYoutubeチャンネルの
CRACtubeから…NO HATE TVが
配信されている
その最近の回の放送で関東大震災を
夢二は絵に描いていた事を知った
虐殺された朝鮮人を見たという
それから喜劇役者の伴淳三郎
彼も朝鮮人虐殺の目撃者だという


喜劇役者の伴淳三郎さんの自伝から

もうひとつは、喜劇役者の伴淳三郎さんの自伝から。当時15歳だった伴さんは浅草の蔵前で住み込みで働いていましたが、地震の後の火災に囲まれ危い所を、偶然通りかかった荷馬車に助けられて旧四ツ木橋まで乗せてもらうことができました。翌2日にそこで見た「地獄絵図」が自伝で語られています。
「朝鮮の人と思われる死体が地面にずらーっと転がっている。その死体の頭へ、コノヤロー、コノヤローと石をぶっつけて、めちゃめちゃにこわしている。生きた朝鮮の人を捕えると、背中から白刃を切りつける。男はどさりと倒れる。最初、白身のように見えた切り口から、しばらくして、ピャーッと血が吹くんだ。俺はそれを目撃して震え上がっちゃった。
 そうこうしているうちに、映画館へ朝鮮の人が逃げ込んだといって騒いでいる。それってんで皆で追っかける。朝鮮の人はたまらず屋根へ逃げのびる。それを下から猟銃で、バババーンと打ち落とす。その死体をめがけて群集が殺到する。手に手に持った石を、死体めがけて投げつける。死体はたちまちハチの巣のようにメチャメチャになってしまう。
 まあ、ひでぇもんだった。日本人は、こうした昔の残虐行為を忘れちゃったのかね。」(伴淳三郎『伴淳のアジャパー人生 芸道・色道50年』徳間書店、1975年)

伴淳のアジャパアー人生 芸道・色道50年


               

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