『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【107】2006/01/01 ~01/06
お断り~さとちゃんのブログ開設当初の記事に戻ります
ブログ開設後のさとちゃんの初投稿記事以降
すでにコメントしていました
それで改めて全記事にコメントする目標を立て
noteにまとめてきましたが
すでにコメントしていた記事は
今回コメントはスルーしていました
2006年の記事のコメントが終わったので
2007年の記事に進む前に
コメントをスルーしていた記事にも
この際コメントしておこうと思いました
以下そのコメントをまとめたものです
年賀観想詩151~160
2006/01/06 観想詩1
ichiro65
No title
初めて
講座というか新年会に
参加した時のことですね
思い出しました
天見駅で待ってたことを
2012/03/04 URL 編集
ichiro65
No title
№154
悩めるうちが花
しっかり
悩んで
歩いてや
悩み通り抜けて
あほになりました
あほちゃいまんねん
ぱーでんねん
さんまちゃん教えてもらうこと多いな
子どもの名前が
いまる
女の子ですよ
おまるって
きっと言われる
でも
いまるってつけたの
生きてるだけで
丸儲け
これ
言えまへんで
幾多の修羅場を
経験しはったんとちゃいまっか
でないとね
言えまへん
信念が無いとね
2012/03/04 URL 編集
無名居士
№157
一と山
越えても
又
一と山
道中
楽しまないと
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
最近思うことがこれ
「楽しまないと」
愉しんでこその人生
人生 楽しむためにある
そいて すべてを愉しむ
四苦八苦 それも愉しむ
物事は思いようによって
良くも悪くもなる
それなら 思いようによって
良くすればすべてを愉しめる
そして
愉しんで死ねる
死ぬために生きている
死ぬも愉しむ
死ぬも喜び
歓喜の歌を
2019/09/13
年賀観想詩141~150
2006/01/06 観想詩1
コメント
一郎
No title
昔は
昔
今は
今
どちらも
私
どちらも
信じて
そうなんですね
昔も今も
いいもわるいも
自分は自分
自分を好きになる信じることですね
2012/03/03 URL 編集
無名居士
№147
母さんの
添い寝で
たいていの
病は
治りましたよね
・・・・・・・・・
母さんに添い寝してもらった記憶はないけど
赤ちゃんの頃にはそりゃあったでしょうが
いわゆる物心ついてからということで言えば
まあ記憶にないことも多いから
何とも言えませんが
私が母さんに添い寝してやったことがあるんです
それははっきり覚えています
どこかで書いたことですが
また少し書いてみます
父さんと日曜日にはよく出かけていました
父さんは組合の仕事をしていたので
集会や会議などに呼ばれて出かけるのです
休日でない時もありました
社会勉強になるからと言って
学校を休んでいったこともあります
その帰り洋画を観て帰りました
すると母さんは風邪を引いたかして
寝込んでいました
そんなことはめったにない働き者の母です
疲れが出たのでしょうか
私は映画を観た帰ったことに
少し後ろめたさを感じたようです
母さんの布団に入ってよしよししていました
ついでにおっぱいを触っていました
まだ子供だったのです
これを添い寝というかどうか・・・
私には母を思い出す一つの出来事です
母はきっと覚えていないでしょうが
2019/09/13
年賀観想詩131~140
2006/01/06 観想詩1
一郎
No title
逢って
はじまる
別れて
はじまる
思案橋ブルースの歌詞が
浮かんできます
と書いたけど思い違いだと判明
青江三奈の「長崎ブルース」だった
逢えば別れが こんなにつらい
逢わなきゃ夜が やるせない
2012/03/03 URL 編集
無名居士
やっぱり
前のコメントと同じ言葉を
コピーしてたよ
ついでに青江三奈の歌
YouTubeで聴いてる
・・・・・・・・・・・・
№135
洞窟の仲から
ごろごろごろ
いのちの
雫
産んでいるのてすね
・・・・・・・・・・・・
違うのピックアップした
「洞窟」ってだけのキーワードで
まったく別の話になるけど
以前うちに来ていた訪問看護師さん
忘れられない人の一人なんだけど
来るたびに姉さんに
「洞窟おじさん」の本を読んでくれた
実際にあった話を本人が書いたものだと思うが
TVTVドラマにもなったんじゃないかな
それを姉さんは聞くのを楽しみにしていた
私も傍らでPCをしながら聞いていた
その人は姉さんがまだ元気だったころ
花見に行った時の動画を撮ってくれた
それは今もネットに私がアップいている
姉さんのまだほんとに元気だったころの
思い出深い動画だ
ゾウさんの歌も歌っている
その看護師さんは留学するということでやめられた
またお会いしたい人だ
一時危うかった姉さんが
また元気になった様子を見てほしい
2019/09/13
年賀観想詩121~130
2006/01/06 観想詩1
コメント
一郎
No title
信じたら
裏切られるも
折り込みや
それで
つつがなしやで
深いなあ~~
裏切られるも
折り込みや
普通言えないよね
こんなこと
2012/03/03 URL 編集
無名居士
いつのころからか
虫の鳴き声が
聞こえるようになりました9月も13日
風もいつしか
涼しく感じるようになりました
確実に時は過ぎていきます
確実に年を取ります
確実に死に向かっています
2019/09/13
年賀観想詩111~120
2006/01/06 観想詩1
コメント
一郎
No title
№115
堂々めぐりも
立派な行
歩いていれば
やがて光明
さして扉
ひらかれん
歩かねば
いつも
いまも
堂々巡りしてるから
ぐっときますね
歩かねば・・・ですね
2012/03/02 URL 編集
無名居士
№114
古傷が
疼く
それが
シグナル
なにはさておき
働くべからず
・・・・・・・・
シグナル
感じる心大事だね
その意味を知っておかなくちゃね
「なにはさておき
働くべからず」
そう・・・難しいんだよね
働かないって
それはいけないことだと思う様に
仕向けられてきた
体がシグナルを出すということ
知っておかなければ
体を守る本能がシグナルを出している
気づかなくちゃ
気付いて休まなくちゃ
2019/09/13
年賀観想詩101~110
2006/01/06 観想詩1
ichiro65
No title
№106
今年の
誕生日も
やっぱり
ジャージ
楽やもん
ジャージ
着たまま
ジャージ
寝てもジャージジャ
2012/03/08 URL 編集
無名居士
№101
起死回生
・・・・・・
姉さんは
一度は死の瀬戸際にいたと思う
先生は脳梗塞か脳内出血という判断
普通は入院して検査治療をするのだろうが
5月に緊急入院したばかり
点滴をしばらくして
2週間ほどで退院
次なにかあったら
もう入院しないと決めた
延命理療もしないと
それが姉さんの望みでもあった
93歳という高齢
何があってもおかしくない
十分に生きた
延命はむしろ苦痛
そんなことを考えていた
3日ほどして意識が戻ってきた
点滴だけで命はもった
そしてさらに3日ほど経った
意思疎通ができるようになり
食事も口からとれるようになった
1ヵ月続けていた点滴も昨日からやめた
これからは口からの摂取のみ
これでもしだめなら
その時が来たと諦めよう
むしろやっと楽になれると喜ぼう
いつ何が起きてもおかしくない
93歳
長い人生の最期がちかづいている
しっかり看取りたい
今度ばかりは逃げるわけにはいかない
私の仕事だ
初めて責任を果たせる
責任から逃げてばかりいた私だが
姉さんを看取ることで
やっと成長できるか
2019/09/13
年賀観想詩91~100
2006/01/06 観想詩1
ichiro65
No title
上り坂は
下り坂
下り坂は
上り坂
ひとつの同じ坂
2012/03/08 URL 編集
無名居士
朝 熱いタオルで
顔を拭いて
髪を拭いて
ブラシで髪をといて
小さな手鏡渡し
きれいな人だね
このきれいな人は誰?
そして名前を行ってやる
顔がほころび
いい笑顔を見せてくれる
そして私は言う
オードリー・ヘップバーン・・・と
毎朝の行事
一日が始まる
笑顔に元気をもらって
2019/09/13
年賀観想詩81~90
2006/01/06 観想詩1
ichiro65
No title
№83
奥歯に
ものはさみたくても
さとちゃんには
奥歯がないねん
そのまま
ありのまま
おもろうて
奥歯だけに
奥深く
好きな言葉だ
ありのまま
2012/03/08 URL 編集
無名居士
№84
未来はと
聞かれたら
虫けら目線
学ばねば
ならぬと
・・・・・・・・・
虫けら目線とな
分かるようで 分からない
私なりに分かったつもりでいるが
果たしてさとちゃんが言いたいことは
各々が考えなさいということか
虫けら目線とは・・・
2019/09/13
年賀観想詩71~80
2006/01/06 観想詩1
コメント
ichiro65
No title
№73
まっとうな
汗
むくわれなんだら
なんのいのちぞ
世ぞ
まっとうな・・・
いいことばだなあ
いいひびきだなあ
まっとうに
いきたいなあ
2012/03/08 URL 編集
無名居士
№75
まだ
母は
動力ミシンに
注連飾り
まだまだ
内職で
若い子の
スカート
縫うらしい
・・・・・・・
動力ミシン
なつかしいです
同居している姉さんも
動力ミシン使ってました
膝で速さの調節してましたね
洋裁を始めたのは40代と遅かったようです
ある洋裁店の見習いから始めたようで
同僚は20歳ほど年下の子ばかりだったと言います
だから苦労も多かったのではと想像できます
でもその頃の付き合いがあった人とは
正月のあいさつなど長らく交流は続いていました
姉さんもかなりの高齢となり
その頃の人の音沙汰もなくなりましたが
一人 10歳ほど年下の年下の人とは
いまでも付き合いが続いています
姉さんの具合が悪くなった時
毎日の湯に見舞いに来てくれました
かなり遠いのですがお世話になったというのです
洋裁店をやめた後
姉さんはその人が持って来る洋裁の内職で生計を立てていました
その人はそうやって洋裁の仕事を取ってくる営業力があったのですね
実際に自分で縫うことはしてないようです
その営業力は洋裁だけでは終わらすに
今では大きな工場を建て
総菜パンの製造卸をしています
その仕事は息子暗二人が後を継いでいますが
まだ自前の工場を持たない時期
私も少し配送などを手伝ったことがあります
そのころに比べたらお店会社の発展には見張るものがあります
女手でそこまで持ってくるのは大変だったでしょう
動力ミシンを年をとっても使いこなす
若い頃の下積みがあったからこその技
女性の地道な努力にこそ頭が下がります
2019/09/13
年賀観想詩61~70
2006/01/06 観想詩1
コメント
ichiro65
No title
№69
ぼく、病気かな、異常かな
こんなに悩んだこともありましたね
若い頃は
もう悩むこともなくなりました
年ですから
どうでもよくなるのですわ
異常でもいいと思うようになったしね
2012/03/05 URL 編集
無名居士
№68
車目線では
みえない
りんどうの花も
歩く目線では
愛しく咲いている
たまには
歩く目線も大事やで
・・・・・・・・・・・
ちょうど午後1時
なんかキリがいいので
いいことあるのかなと期待してしまう
期待しないときめているのにね
ついつい 何かいいことありそうだと
思いたいのが普通で自然なんだろうね
とにかく明日のnoteのアップ作業を済ませて
この時間にコメントできるのは順調だと思いたい
金曜日だし 明日から土日は誰も来ないさサボリデー
さてさて 今日ピックアップしたさとちゃんの記事
歩く目線が大事・・・確かに車目線でも見えないことあるし
自転車目線でも見えないし
それを実感したのは夜の散歩のとき
スマホで路地裏の様子を撮って
インスタにアップするようになったときのこと
それで気が付いたんだけど
影とか灯かりとか隙間の風景とかとったちしてた
それとビルの階段がなぜか好きだと分かった
歩きながらゆっくり見ると
自転車ですら気づかぬことがある
スマホで路地裏を撮っていると
歩くのも楽しくなった
でも一通り周辺を歩くと
画像を撮る愉しみが薄れ
同時に散歩も以前のように自転車で回るようになった
元々飽き性なので いつまでも続かないとは思ったが
それでも熱中したその間の経験は
これからも何かにつけ思い出すだろうし
夜の路地を歩いたことはその画像が記録として残った
実にその頃はよく歩いた
そしてその画像は今他のことで役立っている
また歩かなくてはと思う
何か他の興味関心を見つければいいのだが
それはまだ見つからない
夜にこだわっていたが
日中に歩くのも新鮮かもしれぬと思った
また夜とは別の顔 別の世界を見る思いだから
夜が好き 夜にはこだわっていたいのだが
2019/09/13
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里恋詩くて・・・熊野・高野
Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士
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