再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年06月04日=10504 文字
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さとちゃんちにあと一つ書けるかな編集する
2019年06月04日23:11全体に公開 みんなの日記
I.Fujikawa
らっきょね・・・正確には「らっきょう」なのかな
漬けたいと思うんだけど面倒が先に立って
今年もしなかった
できなかったんじゃなくしなかった
梅干しもね
姉さんは毎年してたよね
面倒なことやってた
そこまで余裕がないんだね心の余裕ね
まあそのうちそのうち・・・って言ってるまに
どっちかがどこかへいっちっちてなるんだろうね
どっちが先だろう?年齢的にはあっちが上だけど
彼女はいたって健康だよ
悪いのは足だけ
他は私より残全委員だから
↑ミスタッチで面白い変換になってるね
断然いいんだから・・・健康だからという意味
私の方がポックリ先に行っちゃったりして
面白いね
後のことは考えていないよ
どうにかなる どうにかしてくれる
誰も殺しはしないって思ってるよ
その辺はいいい国だから心配ないよ
あれ?これ何書いてたんだっけ?
そしてどこに書いてるんだっけ?
ド忘れしてたよ・・・さとちゃんちだった
そしてラッキョウの話からだった
面白いねド忘れしてたよ
それだけ集中してたって証拠さ
いいように解釈すればいいのさ
いいように都合のいいようにね
来年の話をすると鬼が笑うというようだけど
来年はラッキョウ漬けよう
梅干しはちょっと無理だろうとあきらめて
さあ来年・・・どうなるでしょう
姉さんの口癖・・・生きてたらね
こればかりはね
というところでこれ以上書いてると
また愚痴ばかりになるからね
それはダメダメってことで
投稿しましょう
あと少し時間あるから次のページでね
2019.6.4~高山のことやトンネル工事現場のことなど:頑張って情報発信・・・誰かがどこかで見ている
10時20分だから11時半まで集中して書いてみよう
先ほどまで日記に特化した無料ブログ「日々」に少し書いてたし
今日はこれまで割と書けている気がする
11時半のトータルの字数出すんだけどそれが楽しみ
昨日は6千ちょっとだったので今日はせめて8千字は行きたいと思ってる
1万字というのはかなりハードル高いよ
でも高いからやりがいもあるよね 頑張りがいもあるよね
と前置きはこのくらいにして本題に入らなくちゃ
でも今日は高山から電話なかったよね
まあ順調に行ってると思う
しかし何が起きるか分からないからね
ましてトンネル工事はある程度事前の調査がされているとはいえ
去年なんかは灼熱地獄に入り込んで熱が下がらなかったという
事前調査ではそんなことわからないし現場を伊久留も経験している
理論派の元請けの所長にしてもわざわざ東京に出かけて調べたというから
実はその所長の現場が昨日起工式があったところ
去年はいろいろ問題があってその所長は一時休養で現場から離れていた
復帰してトンネル工事の最初の仕事が高山の下請け会社との仕事になるわけ
それはその前の仕事のつながりでん元請けの所長と高山は仕事の面でも
趣味の読書の面でも気が合ってたからね
工事の方法・・・コンクリートのやり方でも二人で新しい方法を考え出して
息がぴったり合ってたんだけどね・・・何があるか起きるか分からない
それが二人のことでもよくわかる
ちなみに所長は高山が小説を書いていることを知っている
それは私が高山に進めたんだけど
高山は長年付き合いがある仲のいい同僚にも小説のことは話していない
それが高山らしいといえばそうなんだけど
たとえばクラウドファンディングに私が取り組んだとき
もし抗夫仲間が知っていたら支援してくれる人はいたと思うけどね
私としては残念な結果になってしまったが仕方ないことだね
さて高山の右腕A子ちゃんとその友人の事務員のことだけど
タイプは違うが高山は事務の友人の方も育てようという気になっている
A子同様に現場に入ることを希望しているという
いずれその子のこともエッセイに書くだろうから楽しみだ
毎日電話はあるけどすべてを話せるわけでもないし
高山は私を気遣ってか私が知らないエピソードを務めて書くようにしている
私が知ってることを書いたら面白くないだろうという気遣いだろうね
私が今考えなければならないことは高山のエッセイを原作に
どんなジャンルでもいいから作品化してくれる人会社を探すこと
こうやって毎日配信しててもなかなかそんなつながりにはならない
でもやるしかないし 何とかしたいよね
ない知恵頭を絞って考えなくちゃ後は行動なんだけどね
いかんせん私の気力体力の衰えが進行してるし
若い子のサポートがあればといいんだけどね
その仲介をしてくれる人・・・エージェントないのかなあ
あるにはあるだろうけどお金でしょすべて
諦めずにせっせと情報発信していきましょう
どこかで誰かが見ていてくれる
信じて書きましょう
「日々」への投稿
検索を遊ぶ ①ぜんざい
access_time 2019年6月4日2019年6月4日 person_pin 無名居士-Nameless layman
「日々」の新しいテーマが見つかった~ブログ「里恋詩しくて・・・熊野・高野」のことから
いくつかのnoteを毎日アップしている
その一つにブログ「里恋詩しくて・・・熊野・高野」に私が書いた過去のコメントを
まとめてアップしているのだがその目的は一つに私のコメントを読み返したいという思いと
そのブログのことを知ってほしいという思いからでもある
残念ながらそのブログ主は8年ほど前に亡くなられた
ブログ主の名はさと・・・わたしはさとちゃんと呼んでいる
さとちゃんは和歌山は橋本の住人で地元の高校教師を退職した後
好きな民俗学の研究のために南紀・・・熊野・高野を中心に
原付バイクを駆って山里を回りそこに暮らす人々の様子を
丹念にブログに書き残していた
その記事の数はほぼ3千件
さとちゃんは民俗学の研究者でもあり詩人でもある
私は彼を怒涛詩人と呼ぶ
それは彼の詩には怒涛という言葉がよく使われているからであり
彼の生き方そのものが怒涛の人生であり
50㏄の原付バイクで山里を走り回る姿もその容貌から怒涛のようだと想像するから
さとちゃんは南紀熊野高野を愛する人たちを集めて月に1回の講座を主宰していた
熊野学舎という
私は偶然知り合いのブログのコメント欄でさとちゃんのコメントを読んだ
それが縁でさとちゃんのブログに遊びに行き
さとちゃんの文章や詩に触れ その人柄に魅かれていった
そして京都からは遠いが南海高野線の天見駅近くにある温泉での
熊野学舎の新年会を兼ねた講座に参加することにした
それがきっかけで数回講座に参加したがと遠いこともあって足が遠のいていたころ
さとちゃんの訃報を知ることになる
ちなみに私は彼と同じ年の生まれだが彼は1月で私は12月
彼が早生まれで学年は一つ上かもしれない
そういう事実も親近感を感じる要因になったのかもしれぬ
彼が無くなってブログの存続が気になっていた
できるだけコメントすることにした
今そのコメントをまとめる作業をしているが
気まぐれで飽き性の私としてはよく努力したと思う
昨年Yahooブログのサービス停止のニュースを知り
このままではさとちゃんの貴重な財産であるブログの記事にアクセスできなくなると
勝手ながら引っ越し作業を済ませた
だから安心してさとちゃんの記事を読みコメントできるようになった
そこで新たな目標を自分に課した
3千弱の全記事にコメントするという目標
そうすることでnoteでの私のコメントのまとめ作業が続けられるし
それが縁でさとちゃんが書いた記事や詩を知ってもらえるかもしれない
まだコメントしていない記事がほとんどだが
まいにちせっせとコメントを書いている
さてここまでは前書きでこれからが本題の『検索を遊ぶ』になる
「検索で遊ぶ」にしようか少し考えたが大して意味は違わばいだろうと
上記のタイトルにしただけでさほどの意味はない
そこで1回目・・・一応続けるつもりではある
というのは知らないことが多いので毎日のように検索しているからで
コメントするにも結構検索することが多い
夕食が終わってなにをしようとあれこれ考えていた
「日々」さんに書こうか夕食前まで書いていたさとちゃん地へのコメントの続きを書くかと
ツイートチェックをしながら何を書く正直迷っていた
「日々」さんは始めたばかりだがそこそこ私の性に合ってる気がして
今書いている別のテーマが何かないかなとか思案していた
やっぱりさとちゃんちに書こうとコメントん続きのぺージを開くと
ぜんざいという文字が目に入った
ぜんざい・・・夫婦善哉・・・なぜにぜんざい?
甘党だから大好きなぜんざいだがその名の由来は考えたこともなかった
夫婦善哉との関連はあるやなしや?
そもそもぜんざいの語源由来は?
などなど疑問がわいてきた・・・そこで検索
ああ・・・よく検索するからこれを日記のテーマにするのもいいかも
検索してそのままにしておくとそのときはわかったつもりでもすぐ忘れてしまうのが落ち
ならば記録しておくのはしないよりはましかもしれないという発想
ちょっとぜんざいのことを検索して面白かった 知らないことばかりだった
仏様まで登場するから面白い
「夫婦善哉」という小説があり映画化されてヒットした
その映画は観たが「夫婦善哉」という店が大阪法善寺の横にあり
「ぜんざい一人前を2つの椀で出すことから夫婦善哉という」・・・wikiからだが
このことは知らなかった
「善哉」という意味も分かったし 「善哉」の由来から食べ物のぜんざいを意味するようになったか
その経緯を詳しく紹介しているページがあったのでここではそのHPを紹介しておく
そこではもう一つの説・・・「神在餅」から「ぜんざい」説も紹介されていて面白い
ぜんざいとお汁粉論争があるかどうか知らないが
粒あん派こしあん派論争?でいうなら私は断然粒あん派
お汁粉よりもぜんざい派
まあどっちもいいんだけどそんなにこだわりはないってことかな
これは性格的にいいのか悪いのか・・・意志の弱さともとれるし
行動力実行力指導力のなさにも通じるのかなあ
いわゆる優柔不断さだよね
それが自分らしいと開き直るしかないし
まあこれまで何とか生き延びてきたわけだから
これからも優柔不断で行くしかないっしょ
ただ最後にたった一つ・・・でもないけど
譲れないこだわりは
アンドーナツが大好きだ‘~~~~
検索参考
wiki
禅の視点 - life –
ぜんざいの語源は仏教用語? ぜんざいとお汁粉の違いは?
夕食済んだし前回の書き忘れ書いとくよ・・・さとちゃんちね
I.Fujikawa
夕食終わったのでまた来ました
実は書き残したことがあってね
★旅の駅朝の流れの外に居る
★旅先の夕陽を抱いて帰りたい
これについては何も書いてないし
せっかく選んだのだから少しは書いておかなければね
内容について書くのは珍しいことなので
書こうと思っているときに書いておかなければ
関係ない愚痴ばかり書くことになるからね
★旅の駅朝の流れの外に居る
流れの外に居る
って表現その状況はある意味できっとうらやましく思ってる人いるだろうね
朝のラッシュアワーって経験したことないけど
東京じゃそれはそれは大変みたいだよ
いやでもその流れbの中に入っていかなければいけない
そりゃあそこから外れて生きる生き方もあるにはあるけど
その選択をするのはこれまた勇気や何かがいることだろうからね
私なんかはそんな流れが嫌いだからそれまくって貧乏暮らし
さしたる才能もなかったからね
正社員とかいう立場へのあこがれ執着何もないから
つまりは勝負する前に勝負が嫌で負け組に自ら入っちゃったから
引きこもりはしなかったけどバイトバイトの生活
ここでも気楽な道選んじゃったから
責任あることから逃げてただけのことだね
流れの外に居る・・・快適だよ
そう思えればだけどね
そう思えないおもわないひとにしたら苦痛しかないだろうね
そういう状況は
★旅先の夕陽を抱いて帰りたい
旅先で観る夕日って
毎日の暮らしの中で観る夕日と
状況が違うし旅先というだけでもロマンチックだし
感傷的になるのにそこに夕日ときたら
夕日よ沈むなって叫んでるだろうね
沈んで真っ暗になっても見つめているだろうね
瞼の奥の記憶の夕日を
それから夕焼け・・・たまらないよ
おキドキしてくるよ
大げさでなく涙が出るよ
きっとね
それはなぜだろうと思う
景色の美しさ
自然のすごさ
感動する喜ぶに出あえたことへの感謝
二度とこの瞬間に立ち会えないだろうという悲しさ
様々な説明できない感情
さとちゃんもずっと夕陽と一緒に居たかったんだね
それは不可能なことだけど
人間にはイメージできる能力がある
いつでもどこでも何度でも再生できるからね
望めば念じれば可能だからね
それってすごいことだよね
人間って
夕食前の最後の投稿・・・さとちゃんちだよ
I.Fujikawa
★旅続く先ずは明日の下着買う
★旅の駅朝の流れの外に居る
★旅先の夕陽を抱いて帰りたい
緒とも白いなあと思った三句
下着洗濯しないで新しいの買うんだよね
古いのは持って帰った洗うのか
持ち帰らずに処分するのか
その辺のところ興味あるけど
私は捨てる方だね
案外貧乏人ほどそうするかもね
とにかくお金残す人は始末するからね
お金使わないのがコツ・秘訣だからね
ケチと違うんだよね
それができないのが貧乏人
いつか大金持になるって夢を見てたりね
とにかく地道にコツコツと
そういうのも苦手
お金があれば夢かなうんだけど
そのお金に縁がない
だったら夢は見なきゃいいんだけど
お金ないものに限って大きな夢を見る
悲しい性だね
でもそれもこれも
面白いよ
楽しんでるよ
なるようになるだろうからね
ならなくてもいいんだし
ということで夕食前の投稿
ご飯炊けたし
これで一区切り
よくできました
明日はここからだって覚えておかなくちゃね
教訓だよ
夕食前にさとちゃんちに投稿・・・もう1回書けるかな
I.Fujikawa
★だらしない体つきまでだらしない
身につまされますなあ
美意識は人並み以上と思っておりましたが
なるようになれと投げやりで
だらしない体になりました
だからか細身の女性
後姿の美しい女性に
限りなくあこがれております
世の中にはそれはそれは美しい体に恵まれたお方がおいでで
やはりうらやましいものですね
まあこればかりは親からもらった健康な体を
ありがたく感謝しなければいけませんが
ついついわが身を呪いたく?もなります
お許しあれ
さらには成人病なので措置rの方の節制も必要なのですが
だらしない性格では運動も食事も考えない有様
病人という自覚もなく病気についてしっかり学ぶ気もありませんからね
おそらくポックリと行くことでしょう
せめて細身の体になりたいものですが
若いときは一時ダイエットに成功したものです
その時はチョコ一粒食べるのも我慢してましたが
いまなノンノンアンアンですね
少しやる気を出したらいいのにね
昨日だったか脂肪肝に予防をNHKのあさイチがやってましたよ
そんなに無理な運動でもなくやろうと思えばやれそうなのですが
それで効果は十分あると証明されています
その気になればねその気にならなくちゃいけないのでしょうが
さとちゃんを見て私は少し安心したんです
私以上に太っておられましたのでね
いやいいやそれではいけないのであって
さとちゃん一緒に痩せましょうとでも言えばよかったのかな
言ったところで三日坊主
先のことは目に見えてますけどね
真剣に考えなくちゃいけないのかもね
それにしてもさとちゃん
逝くの早かったよ
こんなこと言ってのしょうがないけど
でも今も元気だったら
私はこんなことしてないだろうね
さあ・・・次ぎんページに行きましょう
6時回ったけどご飯できるまdもう少し時間あるから
それまで書こうかな
じゃまた
さとちゃんちのコメント・・・居眠りしてた証拠が
I.Fujikawa
借り物のいのち
返しに行く先は
みんな一緒じゃ
ないですか
★山の民は、六十年先の木を植えるのですよ
借り物のいのち・・・なんだね
返しに行くんだね
そんな考えかたしたことなかったなあ
六十年先の木を植える・・・これもせっかちな私には
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
寝てたんだろうか・・・
確かに眠いんですよねこの時間
そうそう
続きをちょっと書いておきましょう
せっかちですから私にはとてもできない仕事
ずっと先のことを見据えていくなんてね
目先のことばかりにとらわれて
毎日毎日同じようなことをしてます・・・追われるようにね
忙しいことはいいことなんだけど
時には長い時間をかけて物事を考える時間を持つことも必要なのかな
もう先がそろそろなくなってきてるから
のんびりじっくり構えている時間はないともいえるけど
せいぜい先のことに思いをはせてみよう
久しぶりにさとちゃんちにやっと投稿
I.Fujikawa
昨日のこと
コメントをどこまでしたか探してて
それに時間かかってコメントできなくて
やっと今日になってここまで来て思い出した
松ちゃんがこたつの横でふて寝してるの
こたつの電気をさとちゃんが切ったままにしてたようで
松ちゃんはそのとばっちりで寒い思いしてたとか
その記事に長いコメント書いたのは忘れていたけど
松ちゃんの画像見て思い出した
それで次の記事がここ
やっとコメントできるってことで
少し喜んでいる
昨晩は日付が変わる0時まで2時間ほどあったけど
その時間正味1時間半くらいだけど
集中して書いてたら2千字くらいは書けたかも
結局ここでは何も書けずにトータルで6千字強
だからここで昨日書けたら1万字まではいかなくても8千字は行けたかなって
ちょっと惜しい気がしている
まあそんなことにこだわることもないけど
肝心なのはさとちゃんの記事の内容だけど
そのコメント書かないで愚痴ばかり書くのが私の癖になってる
思しろくないけどついつい書いてしまうのはちょっとしつこい性格なんだね
だからここでお義理にでもさとちゃんの記事読まなくちゃね
こんなコメント嫌われるだろうな
ジコチューで何考えてるんだとね
ひょんなはずみでページ移動したけど
元に戻したら書き込みは残ってた
以前なら消えてるところだろうね
せっかく書いたのにって悔しい思いをしてね
大したこと書いてないのに惜しいもなにもないよね
とやっぱり記事の内容から離れてる
お地蔵さんのことだけど
京都では町内に必ずお地蔵さんを祭ってあって
地蔵盆は子供にとっては夏休みの終わりの愉しい行事
それを親たちが準備するんだけど子供たちのためとはいえ
大変だよね
夜は親たちの親睦会みたいになって
町内の交流会でもあるんだよね
子供を町内の大人たちが見守るってしきたりというか習わしっていいよね
k後もが大事にされない時代になってるんじゃないか
いじめはよく取り上げられてもなくなる気配ないし
大人の二-トも増えてるというし
事件にニートの人がかかわってるとなれば批判集中だし
ほんとに生きづらい時代
優しくない時代
社会全体がいじめ体質だからね
ああやだやだ・・・って愚痴りたくもなる
まとまらないけどまあいいや
これでここは終わって次に行きましょう
2019/06/04
夢は妄想で叶える by Ichiro~『無名魂』管理人日記から
いつも惰性的にテレビはNHK
観ているわけではなくそれとなく音が聞こえてくるという感じ
午後の船越君の番組のゲストが元女子サッカー代表の澤穂希氏
彼女の言葉が紹介された
「夢は見るものではなく叶えるもの」
私にはとても言えない
私の場合は
「夢は妄想で叶える」
全く姿勢が違いますね
違って当然でしょうね
私は平凡な人間ですから
ほんとに夢は見るだけ
叶える術をしらないから
今こうやってコソコソ何かやってるという感じ
つまりは思いの強さなんだろうか
やりたいという願望だけなのだろうね
しょせん無理だと諦めから入ってる
いやいやそうでもないよと言い返したいけど
必死のパッチになれていないということだろうね
これなんかせいぜい時間つぶしの自己満足程度
わかっちゃいるんだよね
わかっちゃいるけど何もできないって感じ
悔しいけど頭が悪いわけだよ
運があれば何かを引き付ける力が湧こうというもの
何も湧いてこない
日記に愚痴は書かないと決めたけど
グチばっかりになったから開き直って愚痴ばかり書くよ
でもちょっと眠くなってきた
かなり前から眠かったんだけど
何とか我慢してここまで書き進めてきたけど
もうダメそう
少し寝よう・・・・
日々の言葉落穂ひろい④ それぞれの心地良い場所。
access_time 2019年6月4日2019年6月4日 person_pin 無名居士-Nameless layman
Twitterから
https://twitter.com/phootahh/status/1135530386614771713
tasha @phootahh 11時間11時間前
それぞれの心地良い場所。 Safe and sound.
「それぞれ」という言葉に反応する私がいる
その言葉を意識したのは
私世代ではよく知られていたと思うTVドラマシリーズがあった
間違った記憶かもしれないが
「木下恵介アワー」的なドラマ枠があったように思う
後で確認することにして記憶だけで書いてみると
もちろん木下恵介とは松竹だったか
大映画監督といってよい存在
よく知られている映画では主題曲も大ヒットした
灯台守を歌ったものだが映画はその灯台守夫婦の人生を描い共感を得た
タイトルも失念しているので後で確認
こんなに記憶の薄れたことを書くなんてとお叱りを受けそうだが
齢七十を超えるとこんなもんだとお許し下され・・・なんてじいさん語が出てきました
これもついついそうなってしまう癖なので
これもお許し願いたい
こう書くとどなたかに読まれてることを期待し意識しての文章になるけど
そもそも日記とは自分との対話なのだから誰に遠慮もいらないはずなのだがね
遠慮し人の目を気にしてっくのもまた人の習いというものでしょう
話はそれまくりますのでご容赦を
「それぞれ」の話が木下恵介監督の話になりその代表作の話になり
しかしそのタイトルも書けないほどのあやふやな記憶
おいおい確認しますのでな・・・
映画が斜陽となってTV全盛時代には映画界で鳴らした監督や俳優も
TV業界にその活動の場を求めざるをえない状況に
しかしそのおかげというか当時はTVでも上質の感動的で考えさせられるドラマが
昔流の表現を使うなら茶の間で居ながらにして観ることができた良き時代でもありました
その中に「木下恵介アワー」なるものが夜の10時台に放送されていたような気がします
そのシリーズの一つだったと記憶しているのですが
そこは記憶がごちゃ混ぜになって実はそうではなかったということもあります
後でゆっくり確認してそのことは書きましょう
いつもなら確認しながら下記進めていくのですが
そうするると時間がかかって書き終わらないということもままあります
のでこのような方法でとりあえず書きたいことを書いた
記憶の真意のほどは後でということで・・・くどくなりますのも年のせいでな
シナリオが山田太一と覚えていますから
木下恵介のドラマシリーズをはもしかしたら違っているかも
さてその辺の記憶を後で確認しますが結果がどう出るか楽しみですね
なんでも楽しむ材料にする・・・自分のボケ具合もな
タイトルは覚えております・・・「それぞれの秋」
「それぞれ」という言葉について書いてますので
それは覚えていて当然のことで自慢にもなりません
主役は小林桂樹と久我美子でしたか・・・名前の漢字が正確に覚えていない
夫婦家族の話なのですが印象的なシーンは主人公が入院して
妻に対するあらぬ言葉を発するわけです
普段の彼はそんな言葉を使うような人では決してないので
看病していた妻はこれが本心なのかと悲しくなりますが
家族は病気が言わせているのだから気にしないでと慰める
ドラマの詳しい内容は覚えているはずもなく
私に書けるのはそれくらいなもので
病気のことも忘れていますが脳腫瘍かなとは推測できます
「それぞれの秋」というドラマの「それぞれ」という言葉が
私の心に確実に残ったとだけは言えます
その言葉をブログに使っていますから
それは
それぞれの「一握の砂」
というもので啄木の歌集「一握の砂」を読んで
一首一首に自分の歌を添えるという試み
啄木の歌から得た印象や感慨
あるいは歌に使われた言葉や言葉から連想したもの
様々な思いを詠んでいこうというもの
そうすれば私のあるいはその人の「一握の砂」ができる
つまり・・・それぞれの「一握の砂」ができる
それをYahooブログで呼びかけました
私の願いとしてはそこに集まったそれぞれの「一握の砂」の歌集を出したい
そう出来ればと思っていましたが出版はかなりハードルが高く諦めました
私自身は「石の上にも三年」とばかりに「一握の砂」全551首を三巡読みました
その後他の歌集「悲しき玩具」や一握の砂以前の歌も読みその歌に合わせた歌作りをしていきました
最近様々な事件が起きていますが
それに関して「人さまざま」とか「人それぞれ」という表現が使われ
それには人の多様な個性を認め尊重するという意味からではなく
その使い方にはある意味で多様性を無視し排除する侮蔑的無関心的意味合いを感じることがあります
私がブログで試みたそれぞれの「一握の砂」は
個性の発見発露としての歌作りであり
そこでは多様な感性が表現されることを望んだものでした
私が「それぞれ」という言葉に感じるものは
一人一人のかけがえのない存在
尊重し尊重され
愛し愛され
個性と感性が瑞々しく発揮され
多様な存在が認められ認め合う意味が
「それぞれ」という言葉に込められていると思う
wiki参考
『それぞれの秋』(それぞれのあき)は、1973年9月6日から同年12月13日までTBS系列の木曜22:00 – 22:56(木下恵介・人間の歌シリーズ)で放映されたテレビドラマである。第6回テレビ大賞本賞受賞作品、第11回ギャラクシー賞受賞作品。
木下恵介・人間の歌シリーズ
1970年4月16日から1977年3月31日までTBS系列の毎週木曜22:00 – 22:55(JST。1972年9月までは22:56まで)に放送されたテレビドラマの枠である。
『木下恵介アワー』の姉妹番組。
mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676
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