『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【144】2007/06/13 ~06/19

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
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今日明日の観想詩6/19・20・写真は、グミ、もぐもぐ

2007/06/19 里恋日記
一郎
・・・ヒヨは来ませんでしたよ。ヤマモモの木へ行ったのかな。

散歩に出て しばらく歩いていたら便意
自転車に乗って帰ってトイレに
換気のために小窓を開けているせいか
そとから鳥の鳴き声 ヒヨだとわかる
すぐそんな連想をするのは
さとちゃんのブログのせい
ヒヨがよく登場する
そしてこの記事よんでいたら
やはりヒヨ登場

★もうさ、わかくはないんだからさ。

そう思いたいけど やはり結論は
年は取っても気持ちはいつまでも若いまま
恐らくみんながそう思っている
気持ちは年を取らない

★実のない話は時間の無駄やないですか。

昨日 電話の話を聞いて
時間の無駄を感じた
私は返事だけしてるけど
それっ面倒になった

思い通りになるわけがないよ

思い通りにならないことばかりと言っていい
どんなに思ったって
なるようにしかならない
この言葉いつも書くけど
そのとおりだからね
なるにまかせるしかない
努力して なるようになることがるかもしれない
しかしそれは稀有なこと
期待しない方がいい
同じことばかり書いているようだが
これもまた仕方がない
2019/10/26

今日の観想詩6/18(月)・写真は、熊野古道中辺路、高原の里と水車

2007/06/18 里恋日記
一郎
■今日の短詩
   捨てても 捨てても 欲の虫おるおるわ

もういい年だから 物欲はあるにはあるが
もう無くなったといってもいいかな
手に入らないことわかってるし 思うだけ無駄やし
叶えられないことは妄想で補ってる
性欲だが これはまだ無くならないが
ネットでそこそこ満足している
若いころは本屋の雑誌ぐらいで満足せざるをえなかっや
それでぬーぞ写真集を万引きもした 一度だけだが
その当時のことを思うと 今はネットで自由自在
若い人はむしろ自由に振り回されてるかもしれない
性のはけ口も選り取り見取りだろうし 悩ましいものだ
自制することが難しいだろう
それのAVの氾濫 背道徳倫理 モラルハザード状態かもしれない
性欲はいくつになったら無くなるか
私の一つのテーマだったが 結論は無くならないということ
イメージの世界で満足できる 実際には面倒だから見るだけでいいとかね
私は例外化 一般的普遍的か
それが問題として残るが

  自分ほど
  かわいいものは

たしかに 結局は自分が一番かわいい
私はそうだ 人の事には関心ない
例え好きになった女性がいたとして
やはり自分がかわいいだろう
姉さんと長く暮らしたが
そしてこの5年 精一杯介護したが
それはそれで本当に楽しかったし
これまで姉さんに世話になった恩返しだと思った
しかし たることはやってもすぐ自分の世界に入り込んだ
私は冷たい人間だと思っている

★ぶっちぎれてみてはいかが、吉。

我慢にも限界がある?
そもそも我慢するって思考がないから
その限界もない
なぜなら なるようにしかならないと思っているから
今のありさまも仕方がないこと
ぶっちぎれることもない
あきらめ? 諦念?
あきらめてはいない
遠い未来に
かすかな希望を
人間は愚かではないと
わずかな信頼
なるようになる いつかはよくなる
さとちゃんの言葉の若干私流アレンジバーjジョン
2019/10/26

今週の観想詩→→6/18(月)~6/24(日)・写真は富田川の鮎を味わう

2007/06/18 観想詩1
一郎
★自業自得はしかたないと思うよ。

ある意味 すべて自業自得
コトバンクによると
「自分のしでかしたことだから悪い報いを得てもやむをえないということ。」
良くも悪くも 自分の選択の結果 受け入れるしかない
そして現在の自分は 自分らしさの結果
どんな結果としても自信を持てばいい

★もうさ、わかくはないんだからさ。

若くはないけど 精神的には
誰もが若いままなんじゃないかな
きっと誰もが若いままだよ
肉体的に年は取るけどね
自分だけだと思ってたけど
皆 精神的には若いまま

くりかえす

過ちもくり返す
いいことも悪いことも
くりかえす
くり返してはいけないと思いつつも
くりかえす
人間だから
それでいいのだと思う
いいのだと思えばいい
くりかえし くりかえし
そしていつかは
くりかえさなくなる
時間がかかろうと
それでいいのではないか
何かできなくても できても
自分の思うようにいかなくても
なるようになる
なるにまかせればいい

★この道のすじがきが読めたらいいのにね。

この道は 誰もがはじめて進む道
すじがきは読めない
なぜなら 進んでからできるものだから
自分が歩んだ道がすじがきになるから
2019/10/25

今日の観想詩6/17(日)・写真は中辺路のささゆり、三枝の花

2007/06/17 里恋日記
一郎
   車目線では見えない  ささゆりの花たち

目線を変えるって大事
車から自転車
自転車から歩き
歩くことで気づくことの多さ
私は出歩くことさえ面倒なので
気づくことは少ない
今日も昨日も 歩こうと外を見ると雨
やっと夕方雨が上がってた
近場を少し歩いて写真も撮った
日記を書く時その画像を添える
そのために写真を撮る
また少しずつ 歩き始めた

  休日が
  重荷になるのだけは

毎日が日曜だったら
そう願ってた 年取ってそうなった
毎日 寝たいときに寝て
起きたいときに起きればいい
5年ほどは 姉さんの介護で
毎日忙しかったし楽しかった
その時は その日その日の段取りがあった
段取りをこなしていると一日が終わり
また新しい一日がくる
あっという間の5年間だった
よくやったと思う
それは姉さんの世話が楽しかったから
その姉さんが居なくなって
何もしなくてよくなった
何もしなくてよいなんて
いいようで面白くない
いまでもすることはある
これだってその一つ
しかし 自分のためだと
さほどうれしくはない
人のためにやることがある
それがどれほどやりがいがあるか
一人の毎日
それにはまだ慣れていない
追々なれるだろう

★みてくれだけでもよくしてね

見てくれを まったく構わなくなった
美意識は高い人間だと自負していたのに
構わなくなったのは その余裕がないこと
でも 余裕があったとしても
めんどくさがりの私は
いずれみてくれを気にしなくなっただろう
どうでもいいと 見てくれは
格好もよくない 出じりでっぱら

さて話題を変えて
『絹代の初恋』1940
観るのは二度目
この映画好きだなあ
せんべいやを切り盛りしている姉の絹代
妹を嫁に出すが その相手が初恋の人
高齢の父親はホテルマン
もう仕事をやめて欲しいと姉妹は思っている
仕事でへまをした事で父親は首になる
落ち込んでいる父親を絹代は
首になってよかったと喜ぶ
そのあたりの駆け引きがいい
赤飯を炊くという
そう考える絹代の親を思う心に感動すら覚える
絹代と名のついたシリーズはまだほかにもある
上原謙と共演した『絹代と番頭』これもよかった
とにかく古い邦画にハマり続けている
2019/10/25

今日の観想詩6/16(土)・信貴山

2007/06/16 里恋日記
一郎
私もまんだらでもないと。

多分 まんざらの意かと
漫才にもなっている紀州の方言
ざとだの使い方
ざぶとんをだぶとん
だから まんだらは まんざらかと
曼荼羅という言葉はあるけどね
このざとだの使い分け
方言とばかりは言えないようで
兵庫出身のねえさんが
子の使い分けができなかった
口にして言う時はちゃんと言えるのに
書くときになるとざがだになり
だがざになる
おかしいねと言っているも笑っていたが
姉さんが居なくなるとその冗談も言えないや
あんた和歌山の生まれかってね
残念でした だんねんでした
そだね 断念しようね
2019/10/25

今日の観想詩6/15(金)・ささゆりの群生

2007/06/15 里恋日記
一郎
  すきやねん
  笹ゆりはん

私も好きやねん 笹ゆり
さとちゃんは思い立ったら出かけられるけど
京都からではそれは無理
京都の北 大原から滋賀へ抜ける途中越え
その手前の古いお社で
雑草に囲まれて一凛の百合の花を見つけたことがある
葉が笹に似ていたので あとで笹百合と知った
その後そこに行く機会がなかったので どうなったか
バイバスができて弓道になったその社
それが果たしてまだあるかさえもわからない
さとちゃんほどの情熱が私にあれば
笹ゆりを守る何かの役に立てたかも
しかし里があり人がいて暮らしがあって
初めて守られる笹ゆりの命
それは山里の方がまだましかもしれない
都会に近い大原周辺では
里も人の暮らしも急速に変化する
都会化される
そこで笹ゆりの命が守られるか
滅びるならそれも自然の摂理
抗っても逆らえぬ流れかも
そしてあれほど笹ゆりを愛したさとちゃんは
その命を長らえることはできなかった
これも抗えぬ宿命
2019/10/25

からすとんぼ直販日記6・里恋しDセット

2007/06/15 からすとんぼ直販記
一郎
からすとんぼ直販日記6・里恋しDセット

今若い人たちが
農で取り組んでいるのが
ネットを利用した
野菜の直販
個性的生産をしている農家をネットで集約
その作物をネットで通販
きめ細かにユーザーの好み希望に対応できるという
若いユーザーが求めるものは安全でおいしいもの
そのユーザーと生産者を結びつける
新しい生産販売形態
色々試みられている
生産販売をしているさとちゃんは
それを一人でこなしている感じ
時代の先端を先取り
でもそれも試行錯誤で前進
2019/10/25

今日の観想詩6/14(木)・ラッキョ漬け作業はじまる。

2007/06/14 里恋日記
一郎
■今日の短詩
・・・ときめき・・・きらきら・・・輝く
・・・一言葉は・・・宝よ・・・詩よ。

    夢て 花火だね

寝てみる夢は
寝ているときは はっきり覚えているし
目が覚めた時は 少しおぼろの記憶に
でもすぐにその記憶は消えていく
つかの間の華 記憶
そうだね 花火だね
起きているときに見る夢
これは忘れたくても忘れられない夢
夢はイメージとして記録されている
イメージの記録 それは映画
映画は それを観た人の記憶に残る
記憶に残るイメージ
起きて観る夢
夢は映画
映画は夢
2019/10/25

里恋風景32・里山に笹ゆりの花

2007/06/14 観想詩2源風景の森
一郎
「一枝一花で7.8年かかります。そして、毎年、順調だと一枝一花ずつ増えていくので
す。三枝の神は10ねんかかることになります。」

笹ゆりが なぜ里で咲き続けるか
さとちゃんは その理由を科学して書いています
里の人の手がなければ しかも鎌で草を刈る手間をかけ
笹ゆりは育ち花を咲かせると
神の花とさとちゃんは書きます
「祖先を祭祀するときに供えたんです」
https://satokoiuta71.blog.fc2.com/blog-entry-1297.html

さとちゃんの笹ゆりを思う心は
紀伊熊野の山里の暮らしと
自然を思う心からなのでしょう
笹ゆりはその象徴
美しくも気高く凛として咲くさまに
人間としての生き方をも
諭される思いがしてたのではと
我がことと重ねて想像てみます
ブログへのコメントは
自分自身をも顧みる機会となっている様です
2019/10/25

デタラ芽農日記134・ラッキョ堀り

2007/06/13 デタラ芽農日記
一郎
ラッキョ堀り

無事に育って収穫
うれしいときでしょう
でもこの後の処理
そして漬けものにと
仕事は続くわけで
農は休む間なし
そして待ってもくれない
ラッキョかラッキョウか
そんなことが気になったけど
どうなんだろう
気になる方がおかしいかな
こんな記事がありました
「らっきょ?らっきょう?正式名称はどっち??おいしく漬かりますように。。」https://miraicafe.net/report20160618/
それによると
× らっきょ
○ らっきょう

ご存知でしたか? 恥ずかしながら結構前から間違ってました。以前の記事には多分「らっきょ」って書いてました。地方によって呼び名が若干変わるみたいですが「辣韮(らっきょう)」っていうことみたいです。

ということのようです
正式にはどうあれ
言いなれた方を使えばいいようです
2019/10/25

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里恋詩くて・・・熊野・高野
Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士

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