背番号はいつも14番
2002年日韓W杯開催、影響された小1の息子が友達と近所の平間FCに加入したことがすべての始まり。当時J2の川崎フロンターレが地元の少年サッカーチームに無料で入場チケットを配布していたのでその付添親ワクで等々力に行き始めました。最初はなんとなく家内に誘われ日程が合えば上の娘と4人で行ける人が行くような感じでしたが、だんだんに試合結果や順位が気になり2003年のJ1に昇格できなかったことをスポーツニュースで見たのを憶えています。2004年J2優勝でJ1昇格。この年から等々力に行く回数が増えて選手も把握してきました。2005年にファンクラブに加入。まんまと広報の術中にはまってしまいました。そしていつしか憲剛さんの縦パスでFWがゴールを決めるシーンが見たくて行くようになっていました。特にジュニーニョとの関係はホントに大好きでゴールシーンは興奮しました。
家族の話題はサッカーが中心になり、娘は完全にサッカー女子。息子は中学ではサッカークラブに加入、フロンターレのセレクションも行きましたがあっさり落選。都内の高校に進学し3年でキャプテンになり選手権都大会決勝で敗戦し全国大会出場にはなりませんでしたが大学まで続け怪我になき引退。その頃の週末は家内と二人でフロンターレの試合と息子の試合と掛け持ちで行っていました。
なかなか優勝できない試合も、2007年ナビスコ杯決勝ガンバ大阪戦は息子と二人。2009年ナビスコ杯決勝FC東京戦は家族4人。同年最終節柏レイソル戦は娘と二人で雨の中震えながら観戦。2017年天皇杯決勝は元旦零時に神社で2年参りを済ませ家族4人で乗用車で出発。子供たちも運転免許を取得していたので4人交代で運転。浜名湖で初日の出を拝んでから吹田スタジアムまで。帰りは温泉に寄って敗戦の傷を癒し、それはそれでとても楽しい時間でした。同年ルヴァン杯決勝セレッソ大阪戦も埼スタへ行き落胆。それもあったので12月2日等々力の初優勝は隣にいた家内と抱き合って泣きました。憲剛さんの悔しい表情も見てきたのでピッチ泣き崩れる姿はホントに感動しました。2018年リーグ優勝の長居、2019年ルヴァン杯優勝の埼スタ、2020年リーグ優勝の等々力もスタジアムで家内と二人で観戦していました。
娘は広島カープファンの旦那と結婚し、フロンターレの試合も一緒に来てくれます。1歳の孫も等々力デビューしていて、憲剛さんのBirthdayゴールの試合も観戦していました。
子供たちが成長するとそれぞれ予定があり、家族で一緒に出掛けることが減ってくるなか、うちの家族はフロンターレというキーワードで集まれます。家内とも二人でアウェイ戦も関東はもちろん北海道、仙台、清水、磐田、吹田、長居、神戸、大分。まだ行っていないスタジアムは二人で制覇します。
来年から憲剛さんのプレイが観れなくなるのはホントに寂しいです。いつかは来ると思っていたことですが、いざその日がくると寂しいのが正直な気持ちです。浦和戦の憲剛さんアシストの悠くんゴールは泣きそうでした。試合観戦のユニフォームはしばらく「14」のままで行きます。次のステージで活躍する憲剛さんに期待して残りの試合を楽しみます。本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。